第四レポート:体制改善③
直立し、精神を集中する藤堂の前を直径三十センチ程の水の球が浮いていた。
じっとそれを睨みつけ、球が動くよう念じる。
水の球がゆっくり藤堂の周りを回転し始めた。最初はまるで空気の動きに流されているかのように緩やかに、しかし、徐々にその勢いは増していく。十分も経てば、その勢いは目にも留まらぬ勢いまで上がっていた
水の都レーンで精霊との契約を成功させたのは何もリミスだけではない。
リミスが契約したような正真正銘の上級精霊と比べるとずっと格は落ちるが、藤堂も中級程度の水の精霊と契約を成功していた。
水球の操作は魔術と呼べる程のものではなかったが、精霊魔導師が水の魔術を使用する上でよく行う訓練だった。
藤堂は王都滞在中の時間を有効活用し、リミスの実家の修練所で、魔法の練習をしていた。
体内で練り上げられた魔力に、契約している水の精霊が興奮したような歓声を上げているのを感じる。
藤堂には明確な手応えがあった。もしかしたら――聖剣を初めて振るった、その瞬間以上の手応えだ。
もともと、召喚時に八霊三神――八種の大精霊の加護を受けた藤堂には精霊魔導師としての高い適性がある。聖鎧が着られず、使い慣れた盾が壊されてしまった以上、接近戦はリスクが大きいが、鍛え上げれば魔法だけでも十分戦えるだろう。
精神を集中する藤堂の近くでは、リミスが鋭い声で怒鳴りつけていた。
順調な藤堂とは異なり、リミスの方は大きな障害に当たっていた。
「コラッ! ガーネット、威嚇しないでッ!」
「くる……くるる……」
視線の先にいるのは契約精霊のガーネットだ。ただし、これまでずっと手の平に乗る程度だったサイズは、全長一メートル程まで膨れ上がっている。
燃える炎の鱗に、輝くガーネットのような瞳。鼻孔からは小さく炎が吹き出し、その顎にはズラリと生え揃った牙が見えた。
明らかな威嚇の動作に、リミスが額を押さえため息をつく。
「ああ、もう……どうしたらいいの? 相性最悪よ……」
ガーネットの興奮の理由は、リミスを盾のようにして後ろで怯えている水の上級精霊にあった。
紆余曲折ありつつも、【水の都レーン】で契約することに成功した精霊である。
だが、本来膨大な力をもたらしてくれるはずのその精霊は未だリミスの下でその力を発揮できずにいた。
「…………やはり、仲良くはできないのか。ガーネットがこんなに好き嫌いがあるとは思わなかったな」
「ガーネットと比べると、マリンの方が力が弱いみたい……」
疲れたようなリミスの言葉に、膝に抱きついた少女の姿を取ったアクアマリンは首を必死に横に振っている。
契約を結び、名前を『ガーネット』と合わせる形で『アクアマリン』と名付ける所まではうまくいった。しかし、それ以降が最悪だ。
契約時のガーネットの反応を考えるべきだった。
上級精霊というのはもともと、下級や中級精霊と比べて自我が強いものだ。契約前にそれを止めようと大暴れするほど嫌っているのだから、契約後にうまくいくはずがない。
本来ここまで仲が悪ければ契約自体不可能なのでこういう事態になることは滅多にないのだが、完全に、焦って契約を急いでしまったリミスのミスである。
それでも、力関係でアクアマリンの方が上であればなんとかなっただろう。
「……ガーネットが一方的に嫌ってるって感じね」
ガーネットの頭を撫でようと手を伸ばすが、首を横に振られてしまう。
その事に地味にショックを受けながらも、リミスは深くため息をつく。
精霊魔術は精霊の力を借りるものである。その威力は精霊との相性や仲の良さで大きく変わる他、契約している精霊同士の相性にも左右される。
今のリミスは、アクアマリンと契約する前よりも力を発揮できない状態だ。
水と火は正反対の属性だ。アクアマリンの力を借りた精霊魔法の行使はガーネットに邪魔され使用できず、ガーネットの火魔法の威力は嫌っているアクアマリンの存在によって大きく低下している。
「こんなふうになるんだったら――いや、なんでもないわ」
水の精霊よりも他の属性精霊との契約を急いだ方がよかった。
そう言いかけ、リミスは口を閉じる。ガーネットを前にしても尚契約を結んでくれたアクアマリンの前で言うことではない。
膝に使っているアクアマリンの側にかがみ込み、藤堂が言う。
「…………マリン。アレスマーマンをもう一度呼べないのか?」
「……」
「アレスマーマンのおかげで契約できたんだんだし、もう一度呼び出してガーネットを鎮めて貰えれば――マリンの知り合いなんだろ?」
「……」
確かに、その言葉はもっともだ。
アレスマーマンの力は想像以上に強大だった。周囲を水に囲まれ威力を減じていたとはいえ、上級精霊であるガーネットに襲いかかり、荒れ狂うガーネットを鎮めて見せた。まさしく魚人などとは信じられない暴れっぷりだ。
もしもアレがこなければ、ガーネットの前でアクアマリンと契約を結ぶのは難しかっただろう。
リミスとアリアは、そのアレスマーマンを、ただの魔物ではない――海の加護を受けた守護者だと推測していた。
そして、それ故にアクアマリンのピンチに馳せ参じたのだろう、と。
リミスの見たアレスマーマンの姿は神聖さとはかけ離れていたが、あのタイミングでの登場はまるで直ぐ側に隠れていなければ成り立たない。それ以外に考えられない。
アクアマリンは藤堂の言葉に、何度も首を横に振る。
「……やはり海じゃないと呼び出せないのか」
「マーマンだし……それに、アレスマーマンを呼び出して鎮めたところで根本的な解決にはならないわ」
全てはリミスの未熟故だ。
もしもリミスの
リミスは足元に絡みついてくるアクアマリンの脇に手を入れ、抱き上げた。物理的な肉体を持たない精霊はリミスの細腕でも簡単に持ち上がる。
アクアマリンの冷たい肌の感触を感じながら話しかける。
「大丈夫よ、マリン。絶対に私が――手を出させたりしないから」
契約を破棄することもできるが、それに手を染めるつもりはない。契約とは神聖なもので、一方的な理由で破棄するものではない。精霊本人からの申し出があるのならばともかく、それもないのだ。
主の姿が気に食わないのか、ガーネットが大きく炎を吹く。契約精霊であるガーネットの炎では、リミス自身は傷つかない。
腕の中のアクアマリンは怯えながらも、つぶらな瞳でリミスを見ていた。その瞳に、リミスの中に強い使命感が湧いてくる。
「すぐに、仲良くなれる。説得するから……少しだけ我慢して」
手段に心当たりがあった。
一つは、リミス自身のレベルを上げ、
二つ目は――同格の他の上級精霊と契約を交わし、緩衝材として働いてもらう事。
問題は、魔王討伐の旅というただでさえ過酷な旅の最中にそんな余裕があるかどうかだが――契約精霊同士で諍いが起こるなど、一人の魔導師として許せる事ではない。
リミスの強い意思を込めた言葉に、アクアマリンは安心したように微笑んだ。
強くアクアマリンを抱きしめるリミスに、慰めるように藤堂が声をかけた。
「…………どちらにせよ、他の精霊との契約は必要だ。リミスだけじゃなく、僕もね」
「そうね……」
力が必要だった。圧倒的な力を持っていたヘルヤールとの激戦は藤堂達の認識に大きく変化をもたらしていた。
藤堂もリミスもアリアも、成長への焦燥感があることには変わらない。
しばらくアクアマリンを抱きしめたまま黙って感慨に耽っていたが、ふともう一人、朝方憂鬱そうにでていった仲間の顔を思い出し、リミスが尋ねる。
「……そういえば、グレシャの用事ってなんなのかしら?」
「さぁ? なんか王都に知り合いがいるらしいけど」
「亜竜なのに?」
「……グレシャにも謎が多いから……聞いてほしくなさそうだったし、僕は彼女を信じているよ。何かあったら言ってくるはずだよ…………あ、ほら、噂をすれば――」
丁度グレシャが修練場に入ってくるところだった。ウェーブの掛かった深緑色の髪に、小さな身体は子供のようにしか見えないが、膨大な力を秘めている事を知っている。
成り行きでパーティに参加した少女も、今では立派な戦力だった。未だ無口で殆ど喋らないのは変わらないが、ヘルヤール戦では命を掛けて飛びかかっていったし、巨大な戦鎚を振り回すその膂力はパーティの誰よりも強い。
何を考えているのか未だ図りかねているところはあるが、その性格を含め、藤堂達はこの亜竜の少女を受け入れていた。
朝方、一人で出ていく際も憂鬱そうだったが、今のグレシャの足取りはそれ以上に重そうに見えた。
何かあったのだろうか。
疑問が頭をよぎったが、それはひとまず置いておき、近寄ってくるグレシャに片手を上げ、微笑みかける。
「おかえり、グレシャ。早かったね、用事は済んだの?」
いつもならば何も言わずに立ち去るか、一言二言、簡潔な返答が返ってくるはずだ。
だが、今日のグレシャは違っていた。覚悟したかのように顔をあげると、目を見開きじっと藤堂を見上げる。
見ていると吸い込まれそうな深緑の虹彩に、言葉が詰まる。そして、グレシャが口を開いた。
「へい、とうどうさん、りみすさん! ぐれしゃは、とってもとっても元気いっぱい、ごきげんです! 力がありあまって、いますぐにでも魔王を討伐したい気分です! とうどうさん、は、どうですか!!? へいへーい!」
「!?」
笑顔のまま固まる藤堂の前で、グレシャが表情一つ変えず、機敏な動作で踊り始めた。
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