第四十レポート:作戦

 ラビが震える声でその名を呟く。


「海魔……ヘルヤール……何故、こんなところに……!?」


「海魔、だと!? では、あれが……魔王軍、か!?」


 名前や特徴は知っていたが、目の前にいきなり現れた存在とそれが紐付いていなかった。

 ラビの言葉に少しだけ早く状況を理解したアリアの言葉に、ようやく藤堂が現状を把握する。


 海魔ヘルヤールは少し見ただけでもわかるくらいに満身創痍だった。その身を包む鎧は凹み、左腕は折れているのかまともに動いていない。漆黒の外套にも血が染み込み、そこかしこに破けた後がある。


 だが、それでも目の前の男は化物だった。


 レベルが――違い過ぎる。


 相手は万全からは程遠い状態だが、その身から感じる存在力は圧倒的だ。藤堂が落とした聖剣を慎重に拾いあげ、その切っ先をヘルヤールに向ける。何もしていないのに感じる威圧感に冷や汗を流す。

 盾を構え、その後ろにリミスとラビを庇う。


「お前が――魔王軍の、幹部……?」


「たどり着いた。勇者。聖勇者。魔王を打ち倒す者。貴様が――勇者?」


 隙だらけな藤堂達の行動をヘルヤールは何もせず見送った。


 ヘルヤールの左手。藤堂を指し示していた光が消失する。

 ぎらぎらとしたその瞳が藤堂の全身を観察する。側のアリアやリミスには目もくれない。

 佇まい。装備。顔。雰囲気。藤堂の全てを確認した上で、ヘルヤールが震える声をあげた。


「こんな……ものなのか?」


「……?」


 ヘルヤールの表情が変わる。その端正だった容貌が悪鬼の如く歪み、ただそれだけで強い衝撃が藤堂達を襲う。

 恐ろしい殺意。あるいは衝動にも似た感情。藤堂が習得した『咆哮ハウル』に似ているが、格が違う。


 藤堂がしっかり大地を踏みしめ、盾を構えてそれを受け流す。


「ぐっ……!」


「この、この程度で……勇……者? 我等が、警戒していた、勇者が、この程度だと!? 何のッ! 何の冗談だッ!! 私は、こいつらを、倒すために、全てを失ったというのかああああああああッ!!!!」


「!?」


 ミシミシとヘルヤールの周囲にヒビが入る。その身から迸る桁の違う魔力――今まで見たことのない力に、リミスの表情が引きつる。

 ヘルヤールは何かしたわけではない。ただ、感情が乱れたことによりその身に宿る魔力が漏れただけだ。

 純粋な魔力に破壊の性質はないはずだ。だが、殺意の乗ったそれに今、確かに神殿が軋んでいた。


 ヘルヤールの目はすでに藤堂を見ていなかった。まるでこの世界の全てを恨むような悲痛な、しかしおぞましい叫びが神殿に響き渡る。


「馬鹿なっ! ふざけるなッッ! 何故だ、クラノスッ! この程度の勇者のためにッ! 何故貴様は、あのような醜悪な化物を、不滅の化物をッッ! 邪悪の化身を、我等に差し向けたッ! 我々は――同胞ではなかったのかッッ!!」


 意味がわからなかった。ヘルヤールの足は完全に止まっている。

 しかし、その殺意だけは、その怒りだけは本物だ。


 リミスが藤堂の影から小さく言う。


「この……魔力……ナオ、あいつ、魔導師よ。この距離、まずいわ」


「なんだかわからないが、混乱しているようだ。相手も大きなダメージを受けています。倒すなら――今。魔導師ならば、攻撃に一拍の時間がかかるはずです……私が初撃を担います。聖剣ならば……ナオ殿ならば邪神の加護も打ち破れる」


 彼我の距離は三十メートル程。アリアの身体能力ならば数秒で攻撃出来る距離だ。


 相手は魔王軍の幹部、その力は想像すらできないが、アリアが一秒でも時間を稼げば藤堂がその首を狙える。幸いなことにヘルヤールが駆るという海の魔物の姿も近くにない。


「一撃で決めましょう。残念ながら、相手は格上――チャンスは一度切りです。ですが、これは千載一遇の好機」


 海魔をここで仕留められれば一歩人間側に有利になる。相手は大海というフィールドで無双を誇る悪魔、本来は相対することすら難しい相手だ。

 アリアの言葉に、藤堂が小さく頷き、慟哭するヘルヤールを睨みつける。


「相手の標的は……僕だ。逃げられない。戦うしかない」


 荒れ狂うヘルヤールの挙動を一挙一動、観察する。魔王軍の幹部。その力は想像以上だったが、その佇まいには隙があった。

 まだ藤堂はその動きをヘルヤールに見せていない。口ぶりからして相手は油断しているだろう、千載一遇の好機というアリアの言葉は間違いなかった。


 先程まで藤堂を襲っていた戦慄はすでに収まっていた。不思議と静かな気分で剣を握り直す。

 その服の裾を引っ張り、ラビが小さな声で言った。


「藤堂、さん。ヘルヤールの魔法は、水を、操るらしいです。特に、この場所では――攻撃は通らないで、しょう」


「水……」


 呼吸出来るので忘れかけていたが、この場所は海中だ。水はそこらじゅうにある。


「じゃあ、どうすれば――」


 藤堂の問いに、ラビが目を見開き、小さく震えながら、続ける。

 驚くほど美しいルビーのような目に険しい藤堂の顔が映っていた。


「本来なら、です。本来なら、藤堂さんの攻撃は、通らない。だから、相手も油断してる、はず、です。藤堂さんには、加護が……ある。絶対、絶対絶対、失敗するわけには、いきません」


 ヘルヤールの身体は傷だらけだが、動けなくなるほどではない。勝率がどれほどのものかわからない。

 唸りをあげていたヘルヤールの視線が固まる藤堂達を射抜く。

 直接の視線を受けたわけでもないが、ラビがまるで恐怖を押し殺すかのように藤堂の腕をぎゅっと掴んだ。耳元で囁くように言う。

 擽ったいと吐息に藤堂が肩を震わせる。


「失敗、すれば、みんな、死にます。わ、私も……行きます。囮くらいには……なります」


「で、でも……」


「もう、時間、ないです。逃げるのは、無理です……三人で飛びかかれば、少しは勝率が――上がる、かも。やるしかない、です」


 ラビが身を離し、自身を落ち着けるかのように深呼吸をする。青ざめた容貌、しかしその目には強い決意があった。


「もし、失敗したら、逃げて、ください。できるか……わからないけど、私が、くいとめます」


「……」


 その表情に、藤堂はラビを巻き込むことを決意した。いや、断ってもきっと今のラビには無駄だろう。ならば、やるしかない。

 ラビが慣れていない手つきで腰にぶら下がっていた鉈のような剣を抜く。藤堂の聖剣とは異なり、切れ味の悪そうな無骨な刃だ。刃渡りは三十センチ程。その野蛮な形状はラビの細腕にはそぐわない代物に見える。


 藤堂は握った聖剣を刺し貫くかのようにヘルヤールに向けた。怖い。だがそれ以上に、使命感が勝った。

 藤堂の意志に呼応したのか聖剣エクスの剣身が薄く発光する。その光に、ヘルヤールの怒りに濡れた目が、正気を取り戻した。


 どこか余裕のある動作で二本足で立つ。ふらついていた重心が定まる。

 ぼろぼろでありながらもそれを感じさせない威容。


「……真偽を……確かめねばならない。勇者、貴様の首を取り、糾弾するっ! 我等に対するその行いを! そして、後悔させてくれるッ! 我等を侮辱したことをッ!」


 黒杖を振り上げ、怪物が叫ぶ。プレッシャーが全身に襲いかかる。


「は……はあああああああああああああッ!!」


 ともすれば身もすくむような咆哮。それを咆哮で跳ね飛ばし、聖勇者、藤堂直継は床を蹴った。




§ § §





 圧倒的に有利な状況だった。

 海中というこの上ないフィールド。人質の人魚に、鍛え上げられた幾人もの海竜人の兵士。

 負けるわけがない。負けるわけがなかった。たとえ、その怪物が魔王の腹心により送られてきた者だったとしても、ヘルヤールは勝利を疑っていなかった。


 海神の血を引くヘルヤールの力は水を自在に操り、海で最も高い効果を発揮する。。その力は船や島を沈め嵐を呼ぶ。知恵なき海の魔物達を操れるようになる前から、ヘルヤールはこの大いなる海において、不敗の帝王だった。


 想定外だったのは、その怪物の目的が――ヘルヤール自身の生命だったこと。そして、それを自らの生命よりも上においていたこと。

 ヘルヤールは途中でそれが逃亡すると思っていた。多勢に無勢、そのくらい理解できるものだと。


 だが、グレゴリオは止まらなかった。


「お、おニげくださいっ、オウよ!」


 その一言を残し、ヘルヤールの片腕だった参謀の海竜人――ハーゲンは死んだ。


「うおおおおおおおおおおおおおッ!」


 黒光りするメイスの一撃を受け、グレゴリオよりも大きな身体の海竜人が壁に叩きつけられ、沈黙する。

 王を守らねばならぬ兵と、王の生命さえ取れれば後はどうでもいいと考えていたグレゴリオの違い。一撃に躊躇いはなく、上下左右から向けられた槍に対して僅かな動揺もない。


 まさしく、狂戦士バーサーカー。まさしく邪神に魂を売ったものにのみ許された暴虐に、その瞬間初めてヘルヤールは恐怖を感じた。


 槍は命中していた。グレゴリオはメイスを振り回し、他の海竜人を寄せ付けなかったが、それでも数が違う。前に出ることのみを考えて背後から放たれた無数の槍を躱せるわけがない。

 ヘルヤールの部下が揃って装備している槍はその金属に似た鱗を貫き、確かに傷を与えた。それも、致命傷と呼ばれるべき傷を。


 だが、一切その足取りは緩むことがなかった。

 その胡乱な目に光は宿っていない。傷からは本来生物ならば流れるはずの血も流れず、メイスを握る手の力は一切緩まない。

 だが、その身体は、メイスはヘルヤールの生命のみを目指していた。降伏は許さないとでもいうかのように。まるで生者への呪いのみを許され、無差別に襲いかかるアンデッドのように。


 凄まじい生命力。まるで鬼のような気迫と咆哮に、長い年月で鍛え上げられたはずの海の勇士達の動きが鈍る。

 その歩みは速くない。しかし、重い。ヘルヤールの前に立ち、盾となった海竜人のことごとくを薙ぎ払い、揺らぐことなくヘルヤールに迫ってくる。


「なんだ、こいつ――!」


「死ねえええええッ! ヘルヤールッ!!!」


 真性の怪物。ふと魔王が新たな戦力として新種の魔物を生み出そうとしていたことを思い出す。

 部下がその動きを必死に押しとどめようと飛びかかり、ゴミクズのように潰されていく。


「バカな、こいつ、フジミか……! ぐっ……」


 どんな生き物でも傷を受ければ動きは鈍る。ヘルヤールの兵はまだ数限りなく存在し、水の魔法だってある。

 負けるはずがない。負けるはずがない――のに。


 異常を察知し、外に出ていた部下たちが部屋に駆け込んでくる。ヘルヤールを助けるため怪物に挑む。


 大規模な魔法は使えない。部下を巻き込んでしまうためだ。

 ヘルヤールは常時、水を操り周囲に盾を展開している。海底において、ヘルヤールへの攻撃は全て水の壁に阻まれる。部下を下げて大規模な魔法で殲滅する手もあった。だが、その選択をグレゴリオの気迫が阻む。


「無駄無駄無駄ああああああああッ! この俺には、邪神の加護がある! 傷などすぐに癒えるわッ!」


 グレゴリオが叫ぶ。その言葉に、半ば破れかぶれ気味に攻撃をしかける兵たちに動揺が奔る。

 破られた鱗は治る気配がないが、同時に動きが鈍る気配もない。

 すでに被害は甚大だ。海竜人の兵は精強だが、無意味に消耗していいほど数がいるわけではない。


 ヘルヤールはとっさに左手を上げた。海の至宝、『マル・アニムス』を握った手を。

 グレゴリオは怪物だが同時に知恵がある。その目的も自ら吐いた。


 『マル・アニムス』の奪取。


 『マル・アニムス』に使われた宝玉はたったひとつしかない。それで生み出された宝具は一度失われたら取り返しのつかない代物だ。たとえ魔王が新たな海神の血筋を見つけたとしても、宝具がなければ海の封鎖は不可能だ。

 海の支配は魔王クラノスの命によるもの。まだ魔王軍と人間の戦争は決していない。今、海の支配が緩めば魔王優位の情勢が傾きかねない。


「まて、グレゴリオ! 貴様の目的は『マル・アニムス』だな? それ以上暴れるな」


「む?」


 グレゴリオの動きが一瞬止まる。それを見て、ヘルヤールは少しだけ余裕を取り戻した。


「動くな、グレゴリオ。もしも一歩でも動いたらこの『マル・アニムス』を――する」



§ § §




 至宝は、万物の生命の源と伝わる海の宝具はすでに破壊された。

 今ヘルヤールを動かすのは決死の覚悟で怪物を引き止めた部下たちへの手向けと、虚仮にされたことに対する怒りだけだ。


 飛びかかってくる勇者に黒の杖を向ける。傷は負ったが、戦闘行動に支障はない。

 そして、ヘルヤールの最後の戦闘が始まった。


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