第四十一レポート:決戦

 相手は魔導師だ。藤堂は魔導師との戦闘経験がほとんどないが、セオリーは知っている。

 魔導師と剣士の戦いは如何に距離を詰めるかにかかっている。魔術の展開はたいていの場合、剣を振るよりも遅いからだ。


 剣の届く距離まで踏み込めたら剣士の勝ちで、その前に攻撃を受けたら魔導師の勝ち。

 もちろん、いつも結果がその通りになるわけではない。彼我のレベル差や種族差にもよるが、他に道はない。ずっと頼りにしていたリミスの火の魔法も海中で使うのは無理だ。


 罅の入った盾を構え、ヘルヤールに向かって突撃をかける。その右隣にアリアが並ぶ。藤堂の一歩前を駆ける。

 ヘルヤールは一切構えない。余裕なのか。藤堂達を相手に舐めているのか。確かに藤堂達のレベルは低いが、加護や装備によりその実力はそのレベル帯を越えている。


 集中が研ぎ澄まされ、ヘルヤールの一挙一動がはっきりと見える。まるでこちらを見下しているかのような眼、血の染み出した額。

 後数歩で届く。そこで、藤堂は一気に足に力を入れた。その速度が急に上がる。


 ガシャガシャと鎧が擦れ合う音。息を整える。

 静観していたヘルヤールの眼が僅かに見開かれる。右手に握った聖剣エクスに力を込める。咆哮する。


 その瞬間、強い衝撃が藤堂の左腕を襲った。盾を握っていた手が痺れ、その身体が為す術もなく後ろに弾き飛ばされる。


「ッ……!?」


 とっさに受け身を取り、体勢を立て直す。まだ痺れている左腕以外に傷はない。左手の痺れも盾を握れなくなるほどではない。

 だが距離が開いていしまった。今まで味わったことのない強烈な一撃。


 弾かれた藤堂に目を見張ったアリアが、しかしそのまま右からヘルヤールの腕に斬りかかる。

 ヘルヤールが魔剣の一撃を左腕を差し出し受けた。


 アリアの目が見開かれる。刃はその左腕にかすりもしていなかった。まるで何か透明な壁があるかのようにその寸前に止まっている。

 アリアの表情が歪む。腕を軽く振るだけで振り払われ、両脚で着地する。反撃しようと思えばいくらでもできる状況でしかしヘルヤールは一言漏らした。


「弱い……なんだ、これは。どういうことだ!? ありえん……」


「……はッ!!」


 続けて上下左右、変幻自在に繰り出されるアリアの攻撃を、ヘルヤールが杖を持たない左腕で受ける。金属同士がぶつかり合う音すらなく、その斬撃のことごとくが通らない。

 初めて味わう感覚に、アリアの表情が歪む。


「遅い! 遅すぎるッ! 力も速度も、私の足元にも及ばんッ!」


「壁、だけじゃない。纏った水流でそらしてるのかッ!」


 ヘルヤールが鼻で笑う。アリアの一撃は全力だった。正面から放った斬撃を無傷で受けられた時点でアリアに勝ち目はない。


 残された役目は――囮だけだ。

 アリアの陰に隠れるようにしてラビが飛び出る。水平に構えられた無骨な刃がヘルヤールの首を狙う。


 剣呑な輝きを放つ刃に対し、ヘルヤールは大きく一歩下がった。

 ラビの一撃が空振る。あっけに取られるように目を見開くラビとアリアに、ヘルヤールが叫ぶ。


「……この、程度で、私に勝てると、思ったのかッ! ああ、あの怪物と貴様らが、逆だったならばまだ納得できたものをッ!」


「ッ!!」


「くっ!!」


 強い衝撃が二人を襲う。その瞬間、藤堂は確かに本来見えないはずのそれを視認した。


 水だ。ラビの警告通り、水の操作。藤堂を弾き飛ばしたのも、ラビとアリアを襲ったのも同じ。唯一の想定外は全くモーションがなかったことだけ。

 アリアが壁に叩きつけられ、ラビが床を転がる。威力は低いのか死んではいないが、軽装の二人にとっては無視できないダメージだった。


 苦痛の呻き声が耳を打つ。不可視の一撃。何度も受ければ間違いなく死ぬ攻撃を見て、藤堂は前に出た。倒れた二人が立ち上がるまで目を逸らさせねばならない。

 盾を構え、最初からトップスピードでヘルヤールまでの短い距離を駆けた。


「うおおおおおおおおおッ!」


「そうだッ! こいッ! そして――死ねッ!」


「ッ!!」


 空気が――いや、水が歪む。まるで槍のように尖り、回転する。

 回避は不可能だ。射出されたそれを盾を構え、下半身に力を入れて受け止めた。重い衝撃が全身を揺さぶる。がりがりと何かを削る音が盾を通じて伝わってくる。

 ただでさえ表面に罅の入った『輝きの盾』が軋む。聞いたことがない嫌な音に、藤堂は破れかぶれにその槍を聖剣で切りつけた。


 手応えはなかった。だが、不可視の水の槍が切断され音もなく無に帰る。それまで盾を押していた力が消える。

 ヘルヤールの目が初めて驚きに見開かれた。


「これ……はッ……」


「……その程度の力で――我が水槍を切断しただと!? それが……勇者の力かッ!」


 アリアが腕を庇いながらよろよろと立ち上がる。ラビが這いつくばったまま、苦痛の表情でヘルヤールを見上げる。


 藤堂は聖剣を見ていた。聖剣エクス。勇者の証。羽根のような軽さと凄まじい切れ味を持つ過去の勇者の遺物。


 かつての勇者はその剣を振るい、魔族を、その長を、そして邪なる神すら屠ったという。


 今の藤堂は勇者としては半人前だ。その力を使いこなすことはできない。

 だが、聖剣エクスは強く光り輝いていた。まるで藤堂を叱咤しているかのように。目の前の魔族を討ち滅ぼせと叫ぶかのように。


 聖剣の柄を強く握りしめる。まるで生きているかのように、柄を通して強い鼓動が伝わってくる。聖剣の力が藤堂の身体に満ちる。


 光り輝く破邪の剣を前に、不意にヘルヤールは狂ったような笑い声をあげた。


「くッ……ははははっははははっはっ!」


「ッ!!」


 その目はもはや正気を失っていた。ヘルヤールが叫ぶ。


「なるほど、それが聖剣の力かッ! 下らん、その程度――あの魚人の化物すらやってのけたわッ! 貴様は――何もかも。真の怪物を、絶望を知らず、今ここで倒れることを幸運に思えッ!」


「何ッ!?」


 目の前で発生した光景に、藤堂の思考は一瞬空白になった。


 先程、なんとか切り裂いた水の槍が、ヘルヤールの前に無数に発生していた。不可視の槍の切っ先は藤堂達全員を狙って回転している。


 その一つ一つが先程と変わらない威力を持っていることは明白だった。藤堂の盾は全員を守れる程大きくない。藤堂の剣は一本しかない。聖鎧を装備している藤堂ならばともかく、素肌を晒した人魚アーマー姿のアリア達では耐えられない。酷く見えづらい水の槍は回避も困難で、そもそも数が多すぎる。


「ッ! ナオッ!」


 リミスが叫ぶ。グレシャが目を見開き、いつもの様子からは信じられない機敏な動作で地面を蹴る。


 ヘルヤールが唇を歪め酷薄な笑みを浮かべた。


 剣を強く握り、目を大きく見開く。ともすればその身を使ってでも仲間を守るために、槍の動きに集中する。

 ヘルヤールがその杖を大きく振り上げる。


 そして――不意にその体勢が崩れた。神殿内部に轟音が響き渡る。

 その顔が初めて歪み、崩れ落ちかけたところを杖をついて耐える。浮かんでいた槍が霧散する。ラビがかすれた声で言った。


「精霊……です……」


 ヘルヤールの背後に光り輝く人型が浮かんでいた。

 先程すれ違った時とは違い、火の玉のような形ではない。全身、波のようなローブを纏った少女の姿。

 見た目はリミスと同じくらいだろうか、青いローブに、その表情だけが年不相応に険しく、ヘルヤールを睨みつけている。


 その抱え上げられた杖の先がヘルヤールを指す。ただそれだけの動作で、何の呪文もなく衝撃が奔り抜ける。ヘルヤールが余裕のない動作で後ろを振り向き、黒の杖を突きつける。


 水と水がぶつかり合い、神殿が軋む。荒波に揉まれたような衝撃が全身に押し寄せる。

 目を見開き、その幻想的な姿に思わず呟く。


「生きて……たのか」


「精霊は、そう簡単に、死なない、です。チャンス、です。藤堂さん、加勢を――」


 ラビの言葉の通り、ヘルヤールは今藤堂達に注意を払っていない。

 水の槍と槍がぶつかり合う。衝撃の余波だけで立っているだけで精一杯だ。


 水の精霊の表情が歪む。焦ったように体全体を使い大ぶりで杖を何度も振る。飛来した水の刃を、ヘルヤールが同じ刃を出して打ち消す。

 互いにダメージは受けていないが、力量差は明らかだった。すでにヘルヤールは不意打ちで受けた一撃から立ち直っている。


「たかが、一精霊風情がッ、この王に歯向かうとはッ! 『マル・アニムス』がなくとも、お前など敵ではないわッ! この私を誰と心得るッ! 我こそは、海神の末裔ぞ――ッ!」


 叫ぶヘルヤールの足元が凍りつく。いつの間にか接近していたグレシャの長い髪がヘルヤールの足首に巻き付いていた。

 瞬時にそれに気づいたヘルヤールが苛ついたようにグレシャの頭を蹴り飛ばす。上段から切りかかったアリアを、煩わしげに杖で打ち払う。

 その隙をついて水の精霊の放った弾丸がヘルヤールの身体に命中するが、水の壁は健在なのか体勢が僅かに崩れるのみだった。


 鉈を片手に、側まで近づいたラビが、その真紅の目に睨まれ恐怖のせいかぺたんと座り込む。

 ヘルヤールが荒々しい笑みを浮かべ、叫ぶ。


「無駄だっ! この海で、このヘルヤールに、勝てるものなどいないッ! あの怪物もッ! いずれッ! 私がッ! 始末するッ! 小僧も、クラノスもッ! この私を、虚仮にした連中の首をッ! 墓前に吊るしてくれるッ!」


 興奮したような咆哮に比例するように威圧感が増した。その言葉の通り、世界そのものを形作っているかのような膨大な存在力。無敵の単語が藤堂の脳裏に浮かぶ。


 相手は一体。こちらはリミスを除いても四人。水の精霊を合わせれば五人もいるにも拘らず手も足も出ない。まさしく魔王軍幹部の名に相応しい圧倒的な力。


 だが、殺せる。たとえどれだけ隔絶した差があろうと、藤堂の手には聖剣がある。

 すでに藤堂など眼中にないのか、目の前、ほんの数歩の距離にヘルヤールがいた。水の精霊の攻撃は最後の力を振り絞っているかのように苛烈にヘルヤールに降り掛かっている。たとえわかっていても対応は難しいに違いない。


 チャンスだった。その背が藤堂に向いている。聖剣ならば切り裂ける。

 盾から手を離し、両手で聖剣の柄を握る。一撃に全てを掛ける。

 ラビが叫んだ。ぶつけたのか額から血が流れている。


「いって、くださッ! 藤堂さんッ!」


 藤堂は、その瞬間自らを一振りの剣にした。ただその心臓を貫くことだけを意識、両手で剣の切っ先をその背に向ける。

 ヘルヤールが気づき振り向きかけるがもう遅い。その光り輝く切っ先がヘルヤールの背に吸い込まれるように入る。


 ――そして、聖剣の切っ先が強い衝撃と共に弾かれた。


「……へ?」


 目を見開く藤堂の頭上から杖が振り下ろされる。意識を揺らす強烈な衝撃に視界が一気に遠くなる。身体が地面に崩れ落ちる。

 しっかり握っているはずの手から力が抜け、剣が落ちる。ヘルヤールの嘲笑だけが耳にはいってくる。


「はーッはっはっっはっ! 馬鹿な。いかな聖剣でも、貴様程度の力でこの鎧と水の守りが貫けるものかッ!」


 暗い視界の中、ぺたんと座り込んだラビの顔だけが見えた。震える唇。その細い手に華奢な身体。ずれかけた眼鏡。唯一の武器である鉈が、水の動きに流され、虚しい音をたてて遠ざかっていく。


 死ぬわけにはいかない。聖剣を振るえる藤堂が動けなくなればただでさえほとんどない勝率が完全にゼロになる。

 使命感が藤堂を突き動かした。動かない舌を必死に動かし、久しぶりに回復魔法を唱える。ほんの少しだけ指先に力が戻る。


 気付かれないように小さく手を動かし、側に落ちているはずの剣を探す。

 ヘルヤールは油断しているはずだ。やらねばならない。その首を取らねばならない。今、藤堂直継という存在はそのためにある。


 必死に這い回る手に、熱が奔った。動かそうとするが、もう動かない。

 鉤爪に貫かれたのか。油断ならない奴だ。


 朦朧とした意識の中、ヘルヤールの勝利を確信した声が聞こえた。


「無駄だッ! 無駄なことだ、聖勇者ッ! 貴様は、貴様等はッ! 圧倒的に、力が、レベルが、存在力が足りていないッ! はははっははははははっ! 何人集まろうと、無駄だッ!」


 その嘲笑に混じるように、小さな押し殺すような声が聞こえた。


「怖い、ですッ……うぅ……なんで、私が、こんな目に……」


 ラビ……さん?


 ラビが泣いていた。水中なので涙こそ出ていないが、潤み充血した目とひくひくした口元が示している。

 その小さな唇から絶え間なく愚痴のような言葉が流れ出る。 


「魔王軍幹部……私、平和を愛する兎人族ワー・ラビットなのに……なんで、みんないじめるんですか……ボスは、酷い命令するし、師匠は、死んだほうがマシな訓練を課してくるし、サーニャちゃんは無神経だし、ずっと発情してるから愛玩用に最適だとか、いい感じに特徴が出てるから高く売れるとかしょっちゅう攫われるし酷いこといっぱい言われるし……みんな、私にもっと優しくすべきです。なんで、みんな、私に酷いことできるんですか? ずっと目立たないように静かにフード被って震えているだけなのに……私の夢、お嫁さんなんで。酷いことはサーニャちゃんにやってッ!」


「……な、何を言っている?」


 ヘルヤールの声に動揺が交じる。

 ラビが眼鏡をはずし、ごしごしと目を擦りながら更に愚痴を零した。


「みんな……死んじゃえばいいのに。最低ッ! ッ……骨、折れてるかも……どうせまた、藤堂さんを傷つけたとか、文句言われて、値切られるんです……もー! 報酬、人参にされるかも……」


 ラビが立ち上がる。その時、藤堂は戦闘の音が止まっていることに気づいた。

 先程まで手の平を貫きぐりぐりと押し付けていた鉤爪からも力が抜けている。


「……バトルジャンキーって、本当に嫌いです。全然隙を見せないし、強すぎるし……帰って、傷治して貰って、お風呂はいって、ふかふかのベッドで寝ます。お疲れ様でした」


「ッ……帰すと、思うか?」


 ヘルヤールが恫喝するような声を出す。しかし、そこにも力がない。

 現実逃避しているかのようなラビの反応に毒気を抜かれてしまったのか。それに対して、ラビがあっけなく言った。


「帰れます。だって――もうヘルヤールさん、首、繋がってないので」


 ヘルヤールの目が大きく見開かれる。その手から黒の杖が離れ、床に転がった。

 水の精霊も目を見開き、攻撃することなくその様子を観察している。


「……ちゃんと身体、動かない、ですよね? ボスなんて、首が飛ばされても、死ぬ前に回復魔法で繋げばいいとか言うんですよ? ほんと、信じられないです。そんなこと、普通はできないです」


 ラビが控えめにどこか寂しげな笑みを浮かべる。そこから藤堂が受ける印象はこの状況に至っても、徹頭徹尾変わっていなかった。

 倒れていたアリアがよろよろと起き上がる。誰もがその言葉を黙って聞く事しかできなかった。


「ふふ……武器離して……素手になったから油断したでしょう? 実は、関係ないんです。私の攻撃は――『加護』なので。首切り様の加護。土着の神様なので、海神よりも、もっとマイナーですね。でも、まぁ、はい。私の夢は、お嫁さんなので……私の攻撃、見えました? あ、もう聞こえてない? それに、話しすぎました?」


「……ば…………か……な――ぐれご、りお――」


 ヘルヤールの頭がふいにぐらりと揺れ、藤堂の顔、その側に落ちる。

 呆然と見開かれた目、何がなんだかわからないうちに死んだ、その目に藤堂が思わず喉の奥で小さな悲鳴をあげる。


 ラビが乱れていた人魚アーマーの薄手のパーカーを元に戻し深いため息をつくと、藤堂の手にまだ突き刺さっていた鉤爪を無理やり抜き、その手を握り立たせてくれた。


「さぁ、終わりです。終わり。今日はもう帰りましょう。あー、魔物研究しといて良かったです。ヘルヤールの弱点もわかってたし。万事解決です。さぁ、藤堂さんもさっさと立ってください」


「……ッ……ったぁ。ラビ、さん!? 痛いってッ!」

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