第三十九レポート:遭遇

 一心不乱に駆ける。時折現れる魔物は無視し、どうしても行く手を遮り戦わねばならない相手だけ屠っていく。

 幸いなことに、魔物の多くは逃げる藤堂達を追ってこなかった。


 先頭を走っていた藤堂が後ろをちらりと振り返り尋ねる。


「一体、何が……ラビさん!?」


「いいからッ! 早く! 走って! 魔物が、来ます!」


 何がなんだかわからない。が、ラビの焦燥感溢れる声は今の状況が緊急事態であることを示していた。

 覚束ない足取りのラビ。それをフォローしようと、一瞬リミスが立ち止まる。その背をラビが体当たりするように押した。


「ちょ……!」


 リミスが悲鳴を上げかけた瞬間、再び建物全体が振動する。先程よりも強い。

 強い地震のような揺れにアリアがたたらを踏む。進行方向にいた二メートル近くある魚型の魔物が怯えたように通路の向こうに消える。


「これは……まさか、外から?」


「攻撃、されているのです。凄まじい、力の持ち主です」


 ラビが怯えたようにせわしなくあちこちに視線を振りまく。その耳がぴくぴくと動いていた。まるでなんとしてでもその気配を捉えようとしているかのように。

 神殿の震えは今度は一度では終わらなかった。二度三度、連続で、徐々に振動は大きくなっていく。明らかに自然のものではない。


「馬鹿な……建物それ自体が震える程の攻撃なんて――」


「しかも……近づいてきます」


 呆然とする藤堂に、ラビが小さな声で答える。呼吸は荒く、今にも倒れてしまいそうに見える。


「近づいて……くる?」


「水棲の魔物です。ここで戦うのは――あまりにも不利。迎え撃つにしても、地上で迎え撃つ、べきです」


 いきなり過ぎる言葉に、現状が把握しきれない。が、藤堂は一度深く深呼吸をして気持ちを落ち着かせた。

 藤堂の表情が落ち着きを取り戻す。全員が慌てていてはうまくいくものもいかなるなる。


「状況はわからないけど、とりあえず外に出よう。落ち着いて……ラビさん、その魔物の気配はわかる?


「……はい。なんとなくの距離だけなら」


 藤堂もある程度魔物の気配を読めるようになっているが、この攻撃の主はどうにもどこにいるのか把握できない。その言葉に、藤堂は皆を安心させるべく静かな笑みを浮かべた。


「よし、じゃあ僕とアリアが障害物を切り開く。ラビさんはその魔物が僕達の元にたどり着きそうになったら教えて欲しい。リミスは、グレシャとラビさんがはぐれないように注意してあげて」


 てきぱき指示を出す。神殿は入り組んでおり、大型の魔物は入れない。神殿が震えるような攻撃だ、相手はとてつもない巨大な身体を持っているだろう。

 パワーで負けていてもこちらには地の利がある。逃げるだけならば出来るはずだ。


 幸いなことに、出口はそこまで遠くない。


「……壁を壊しながら近づいてきてます」


「化物だな」


 目をつぶり数秒、ラビの出した言葉に、アリアが頬を引きつらせる。


 海底神殿の壁は頑丈だ。表面が朽ちていても、長年の時を経て未だ形をちゃんと保っている。少なくとも、アリアや藤堂では壁を壊しながら進むなどという真似、不可能だ。


 隊列を組んで、再び逃げ始める。


 ただ歩くくらいなら問題ないが、床がつるつるしていて滑りやすい。転びそうになりながらも藤堂は逃げることに集中した。

 魔物達も外からの侵略者の気配を察知し逃げ出したのか、幸いなことに魔物と出会うことはなかった。


 息を切らしながら階段を駆け上がる。襲撃者は余程腹に据えかねているのか、破壊の気配は納まる気配がない。


 もしかしたら神殿が崩壊してしまうのではないか――そんな突拍子もない考えすら浮かんでくる。


 見覚えのある直線通路にたどり着く。このあたりまではたどり着く魔導師も多いのか、今までの通路よりも整頓された道だ。


 逃げ切れる。藤堂が安堵しかけたその時、殿を務めていたリミスが甲高い声をあげた。


「あ……! ナオ、あれ!」


「え!? きゃっ!」


 振り返った藤堂の頬を何かが撫でる。思わず悲鳴をあげるすぐその隣を、青白い光が通り過ぎていった。

 アリアがとっさに立ち止まり、それを視線で追う。光は藤堂達を追い越し、かなりの速度で遠ざかっていく。

 大墳墓で見た火の玉とちょっと似ているが、輝きが違う。


「な、なんだいまの!」


「精霊よ! 水の、上級精霊!!」


「え!?」


 興奮したようにリミスが叫んだ時には、すでにその姿は影も形もない。


 しかし、力の残滓は残っていた。通り過ぎた後には藤堂にもはっきりわかる程の強い魔力の気配が残されている。

 藤堂が目を白黒させながら精霊が通り過ぎていった方を確認する。


「え!? 精霊? 何で!?」


「行っちゃったな……」


 時間が経てば魔力の気配は消える。逆に、今この瞬間ならば、力の残滓をたどれば精霊の元にはたどり着けるだろう。

 目を細め手掛かりを睨みつける藤堂の肩をラビが後ろから揺らした。


「今は、逃げることが先決です!」


「そ、そうだ…………運がいいのか、悪いのか」


「命が残っていればどうとでもなります!」


 これは千載一遇のチャンスだ。散々探して見つからなかった精霊――今逃せばいつまた出会えるかはわからない、が、生命には代えられない。

 何よりも、今藤堂達のパーティにはラビがいる。本来、藤堂の魔王討伐には関係のないラビが。それを考えれば安易にリスクのある選択を取ることはできない。


 決断は一瞬だった。精霊の去っていった方向――出入り口の方向に向かって進んでいく。

 もはや海底神殿には藤堂達を除いて他の生き物はいない。時折、行きで藤堂達が倒した魔物の死骸が転がっているがそれだけだ。まるで全ての生命が死滅してしまったかのようにすら感じられる。


 最後の分岐が現れる。三本の柱を中心に別れた三本の道。精霊の残滓は左に曲がっており、出口は直進だ。

 特徴的な分岐なのでここまでくれば地図を見ずとも道を覚えていた。まっすぐ進めばすぐに入り口の階段が見えてくるはずだ。


 終わりが見えた。そう思った瞬間、一際強力な揺れが神殿を襲った。


「ッ!?」


 水の中、天井から石の欠片がゆっくりと落ちてくる。思わずリミスが身を竦める。

 凄まじい揺れと音は、今までとは違う。距離が近いとかではなく、明らかに質のの違う衝撃。


 遅れて、衝撃が藤堂達を襲う。一瞬風かと思ったが、水中で風が吹くわけがない。


 水が渦巻く。衝撃が全身をくまなく通り抜ける。

 油断すれば流されてしまいそうになるほどの衝撃に、藤堂はとっさに壁に剣をつきたてた。流されそうになる身体を叱咤し、左手でしっかりとアリアの腕を握る。アリアがリミスの腕を掴まえ、リミスがグレシャを守るように抱きかかえる。ガーネットが肩紐をしっかり掴み、ラビもまた、リミスの肩を掴んでその衝撃を耐えしのぐ。


 奔流に晒されたのは数瞬だった。衝撃が消え、静寂が戻る。

 リミスがぎゅっとつぶっていた目を恐る恐る開く。藤堂が壁から剣を抜き、青ざめた表情で状況を確認する。


「ッ……な、なんだ――今の!?」


 ダメージはないが、凄まじい衝撃だった。まるで嵐の海に揉まれたかのような衝撃。


 藤堂の問いに答えたのは、険しい表情を作ったラビだった。

 ずり落ちそうになった眼鏡を元に戻し、真っ赤に充血した目で精霊の残滓が残る通路を見ている。


「精霊が……戦っている、みたいです。相手は先程から神殿を攻撃してきていた――魔物。恐らく、縄張りを、侵す襲撃者と、判断したのでしょう。強い力と力のぶつかり合いを、感じます。かなり……かなり、近い、です」


「精霊が……戦ってる?」


 再び腹の底に響くような鈍い音が響き渡ってくる。

 先程のような衝撃はなかったが、その言葉の通り、音はかなり近い。恐らく、壁がなければ目視出来ていただろう、そのくらいの距離。


 ここまで近くなると、藤堂にも力と力のぶつかり合いが感じられた。どちらがどちらかまではわからなかったが、双方とも凄まじい大きさの力の塊であることはわかる。


 顔をあげると、蒼白の表情のリミスが目に入ってきた。その肩が微かにふるえていた。


「馬鹿な……戦っている? 精霊のホームで、上級精霊と、拮抗している? 精霊って言うなれば、自然そのものよ? 神様みたいなものよ? それと正面からぶつかり合うなんてどんな化物よ……!?」


「拮抗……ではない、です……」


 かたかたと震えるリミスの言葉にラビが返す。ラビの表情はリミスに負けず劣らず、青ざめていた。

 恐怖に歪んだ表情。死神を前にしたかのような表情。


「負け、ます。精霊が、この神殿の、主が。――相手は、魔物なんてレベルじゃないッ!」


 悲鳴のような叫び声。それをかき消すかのような、今までで一番大きな振動が神殿を襲った。

 世界全てが崩壊するような鳴動。どこかが崩れたのか、崩壊の音は鳴り止む気配がない。


「まずい、逃げて、ください……急いで! 早くッ! 早くッ!」


 ラビが息を切らして叫ぶ。しかし、その時には全てが遅かった。


 藤堂の目が、通路の向こう、角の向こうから現れた影を捉える。

 遅れてアリアもそれに気付く。慌てて抜いた剣がしゃんと鋭い音を立てた。


 仄かな光の下、その姿が明らかになる。


 見た目は人に似ていた。その事実が藤堂に途方もない怖気を抱かせる。

 王侯貴族を思わせる漆黒の外套に包まれた肉体に、手に握られた巨大な杖。薄水色の髪は血に濡れ斑になっており、俯いたその容貌は伺いしれなかったが、何が出てきてもおかしくはない。


 脳裏をよぎったのはヴェール大森林で見かけた吸血鬼だ。まだ百メートル以上の距離があるにも拘らず感じられるとてつもない威圧感と気配に、身がすくみそうになる。


 両脚の先に生えた鋭い鉤爪が床を打ち付けがちんと鋭い音を立てる。だが、そんなものがなかったとしても、それが人間などではないことははっきりわかっただろう。

 怪我をしているのか、その杖で身体を支えるようにして一歩一歩、こちらに向かってくるその足取りは今にも崩れ落ちそうだったが、藤堂の本能は今までにない強い警鐘を鳴らしている。


 無意識のうちに構えを取り、怪物に剣を向ける。


「闇の眷属……じゃない?」


 思わず呟く。無意識のうちに出した盾を強く握る。次の瞬間、藤堂の胸部を白い光が刺し貫いた。


「ッ!?」


 アリアが目を見開く。リミスが悲鳴をあげる。


 その光の源は、こちらに近づきつつある怪物の手の中にあった。

 藤堂が無意識に手の平で光を遮る。離した剣が地面に落ち、小さな音を立てる。


 アリアが藤堂を支えるように隣に立つ。リミスが慌てて駆け寄り、藤堂の全身を検める。


「大丈夫、ナオ!?」


「痛く……ない? ただの光だ」


 痛みもなければ熱も感じない、ただの光。一瞬攻撃を受けたかと思ったが、衝撃もなければダメージもない。

 一歩左に避けると、光も藤堂を追うように歪む。


 なんだこれは?


 混乱する藤堂に対し、怪物がゆっくりと顔をあげる。


 ラビが怯えたように藤堂の後ろに隠れる。

 怪物の顔は人に酷似していた。額についた赤黒い傷に乱れた髪。その目は血のように赤く、目鼻立ちは美しかったが、どこか人間離れしている。


 握られた杖が強く床を打ち付けられる。

 そして、目と目が合った。


 藤堂の思考が一瞬空白になる。ヴェール大森林での吸血鬼との邂逅は一瞬だった。戦っていたのも藤堂ではない。だが、今回は違う。

 怪物は藤堂を認識している。そして、目と目があった瞬間にわかった。今目の前にいるこの化物が、人類の敵であるということが。

 

 怪物が口を開く。まるで故郷を懐かしむかのような、悲願を前にしたかのような、長年探し求めた親の敵をようやく見つけたかのような、様々な感情が入り交じった声。



「ようやく……見つけた。貴様が……聖勇者」

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