第三十八レポート:探索
効率的に探すことを諦め、一個一個部屋を確認していく。
神殿の部屋には基本的に扉がない。恐らく、精霊が自由に出入りできるようにするためだろう、ほとんどの部屋は空っぽだったが中には魔物が住み着いている部屋もあり、油断はできなかった。
五つ目の部屋の中を覗き、現れた魔物をなんとか切り捨て、藤堂がため息をつく。
「……ああっ、広すぎる。とんでもない場所だ」
「人魚アーマーがなかったら挑戦すらできなかったわね」
リミスも、想定よりも難易度が高い状況に辟易したように言う。
注意深く確認すれば、神殿のあちこちに人骨のかけらが転がっているのがわかる。
普通の人間がここまで来られるとは思えないので、恐らく藤堂達と同じように精霊と契約するためにやってきた魔導師のものだろう。人魚アーマーなしでここまで来たということは相当優秀な魔導師だったのだろうが、骨となった今ではなんの意味もない。
挑戦者の物なのか、時折錆びついたナイフや朽ちかけた杖など落ちていることもあるが、まともに使えそうもない。
通路の端に落ちていた金貨をつまみ上げ、裏表ひっくり返して観察しながらラビが言う。
「……本来人の来るようなところではないです。
「……反論できないわね」
魔導とは本来人の踏み入れるべき領域ではない。かつてはその研究を違法とした国まであった程だ。
技術が研鑽され一般に広まった今では誰しもが一度は魔術を見たことがあるだろうし、憧れを抱くものだって少なくないが、それも魔術が人の役に立つという認識が浸透したためだ。
力には代償が必要だ、魔導師はこれまで様々なものを捨ててその道を発展させてきた。中には常人ならば聞いただけで吐き気を催すようなものもある。
海底神殿はそういったものと比べればだいぶマシだとさえ言える。
床にひっついていた赤いイソギンチャクを踏まないように注意しながら部屋を確認した藤堂が肩を落とす。
「この部屋にもいない、か」
「埒が明かないな……部屋を全部確認したとしても、見つかるとは限らんぞ。そもそも水の精霊ってどういう形をしてるものなんだ?」
「……多分、水棲の生物に擬態していると思うわ。人の形をしているかもしれないけど……」
リミスの答えに、アリアが藤堂が避けたイソギンチャクを見下ろす。慌ててリミスが付け足した。
「あ、でも、見ればなんとなくわかると思うわ。精霊は生き物ではないから……いくら擬態していたとしても、見分けはつくはずよ。それに、精霊っていっても一体しかいないとは限らないから――」
「……なるほど。まぁ、魔物との戦闘経験も詰めるし、何日もかけるつもりで探していくか」
床に降りたガーネットがきょろきょろと辺りを見回している。が、どうやら目的の精霊を探しているわけでもなさそうだ。
……予想よりも時間が掛かりそうですね。
ラビが表情に出さずに、袖をギュッと握りしめる。
精霊魔術に関してはアレス達にとって未知の部分が多い。だから時間がかかるのは予想していたが、できればさっさと終わって欲しかった。
時間がかかればかかるほど事故の可能性が高くなる。ラビがついてきたのはあくまで保険だ。万一藤堂達では敵わない魔物が現れた時の保険。ましてや、今はボスに連絡が繋がらない。
ここまでくれば何事も起こらないことを祈るしかなかった。
じっと藤堂達の様子を見ていると、ふとリミスと視線が合う。
「そういえば、貴女って戦えるの?」
「ッ……戦えるように見えますか?」
腕を掻き抱くようにして、ラビが上目遣いでリミスを見る。
あまりにも隙だらけなその様子に、リミスが苦笑いを浮かべた。
「……そんな怯えること――見えないわね」
「あまり期待はしないでほしいです」
「でも戦えないって、普段はどうやって旅してるのよ」
「護衛を雇っているのです。魔物研究は大事な仕事です。特に最近は需要が多いのです。弱点とか行動傾向とかわかると有利に戦えるので……あ、そのおっきなクラゲ、麻痺毒があるので気をつけてください」
覆いかぶさるように襲ってきた大型のクラゲ。伸ばしてきた触手を慌てて藤堂が切り捨てる。
数歩後ろにさがり、その触手のリーチの外まで出てからラビが声援を送る。
「油断は禁物です。あまり強い魔物は出てこないようですがここは気配が察知しづらいので……上から襲ってくる魔物に気をつけて」
「あ、ああ……」
気を引き締め直し、気合を込めて放った斬撃が半透明で内蔵がすけて見えるクラゲの身体を両断した。
§
ポテンシャルは感じるが、経験がない。レベルが足りない。現状の強さだけで言うのならば中の上か、装備の格を考慮して甘めに見積もっても上の下くらいだろうか。国に雇われた兵士として見ればそこそこの腕前だろうが、魔王討伐という大役を熟すだけの力はない。
なるほど、未熟だ。ラビは探索を続ける藤堂達を見て、そう結論づけた。
魔物との戦いにも慣れ、人里近くに現れる魔物ならば大体倒せるだろうが、アクシデントがあると簡単に全滅する。そういうレベル。
ラビは厳密に言えば傭兵ではない。が、傭兵に混じって多くの任務をこなしてきた。今の藤堂レベルの傭兵も何人も見てきた。が、今生き残っているのが何人いるか――。
魔王軍の層は人族よりも厚い。今すぐに前線に赴けば、今の藤堂達では一月持たないだろう。
人の大きな強みはその総数だ。大量の石の中から磨き上げられたほんの一握りの玉が前線を支えている。
それを人工的に生み出すのはかなり難しい。運が絡むからだ。
どれほど手厚いフォローをしても死ぬ時は死ぬ。実際、ブラン・シャトルの弟子は何人もいたが今も生きているのはラビとサーニャを含めても極少数しかいない。
「ボスに繋がりましたか?」
『……いえ。こんなこと……今まで、なかったんですが……』
動揺を押し殺した静かな声が脳内に響き渡る。
ボスは正真正銘の玉だ。海を渡るなどと言われた時はサーニャちゃんご愁傷様ですと思ったものだが、それを成し遂げるだけの力があった。最も大きな勢力を誇るアズ・グリード神聖教会。僧侶の集団などといっても、そのトップともなればあそこまで化けるらしい。
強力な神聖術を扱えるとかそういった理由は省いても、ボスは戦うことに慣れすぎている。
もしもあれがこっそり味方に紛れて虎視眈々とこちらの首を狙っていたら――臆病で常に周囲の警戒を怠らないラビでも回避できる自信はない。
相手は魔王軍幹部。今まで誰一人として傷つけることが適わなかった相手であっても、殴れば死ぬのだったら間違いなく倒せる。ラビはそう確信していた。
つい今朝までは。
「嫌な予感がします……」
『……』
すでにラビ達が海底神殿に侵入して三時間あまりが経過していた。アメリアはその間もずっと通信を試みていたことだろう。
一時繋がらないのならまだしも、ここまで長い間通信が繋がらないとなると、何かが起こったと考えた方がいい。
「ラビさん、どうかしたの?」
「……いえ」
暗い表情をしていたのか、藤堂に声をかけられ顔をあげる。
一端外に退避させることも考えてみるが、ある程度の危険は承知の上だ。そもそも、安全な魔王討伐なんてあり得ない。
恐らくここで撤退の選択を取ってもボスは怒らないだろうが、報酬を貰っている以上、やるべきことはやらねばならない。いや、ボスがいないからこそ今ラビは適切な選択を取らねばならないのだ。
「疲れたなら休もうか?」
「いえ、お気になさらず。こう見えても体力はあるので……」
気を使って掛けられた言葉に小さく首を横に振る。
サーニャほどではないが、ラビにもプライドがあるのだ。豆粒程の大きさだが。
ふと藤堂が何かに気づいたように、ラビの顔をじっと見た。続けて足先から頭まで確認し、赤縁の眼鏡の中に輝く真紅の目とその耳を見て、腑に落ちなさそうな表情をする。
「ところで、どこかであったことない?」
「多分、ないです。旅をしているのでもしかしたらどこかですれ違った可能性はありますが」
山間の村で一度顔をあわせたが、あの時と今のラビでは装いが違う。顔は同じでも振る舞いを変えれば与える印象は大きく違う。
藤堂はしばらく眉を顰めていたが、勘違いだと思ったのか、大きく頷いた。
§
一部屋一部屋を丁寧に確認しながら、幽霊が現れてもおかしくない雰囲気の寒々しい神殿を歩いていく。
調査は予想以上に難航した。
無数に分岐した廊下に階段。度々現れる魔物と、幾つも存在する生活感のない薄暗い部屋はまるで訪れる者を苦しめようという意図すら感じられる。
もう何個目かも覚えていない部屋の中を確認したリミスが腑に落ちなさそうに呟く。
「気配すらないわね。随分歩いたし……水の精霊も私達には気づいているはず……そろそろ向こうから近づいてきてもおかしくないと思うんだけど」
小さな魚の群れが、通路をゆっくり泳いでいる。
リミスが反射的に凝視するが、ただの魚だ。精霊が擬態している様子はない。今回の魚に限らず、神殿内部には魔物以外にも多様な生き物が住み着いていたが、今のところそれらしい影は見当たらなかった。
だが、いちいち確認しなくてはならないので、それだけで藤堂達の精神は削られていく。
「上位精霊との契約っていつもこんなに大変なの?」
「うーん……多分、この場所にいる可能性が高いってわかっているだけマシよ。まぁ本当に大変なのは、精霊を見つけてからの交渉なんだけど……」
藤堂の質問に、小さなため息と共にリミスが返す。
まず、精霊と契約を交わすには精霊に気に入られなくてはならない。
基準は個体により様々だ。力のある魔導師ならば無条件で契約を交わす者もいれば、貢物をもとめる者もいる。何か命がけの試練を課されることもあれば、理由もなく力を貸してくれることもある。
この分だと何日かかるかわからなかった。少なくとも今日中にうまくいく可能性はかなり低いだろう。
「交渉自体は、精霊王の加護があるナオや、もう上位精霊と契約している私だと少しはハードルが下がると思うけど――ッ!?」
好意的な条件を出しかけたその瞬間、僅かに神殿全体が震えた。
藤堂がはっとしたように顔を上げ、慌てて周囲を見回す。アリアが剣を抜き、辺りを警戒する。グレシャも珍しく頭を上げ、むっとしたような表情で通路を見ている。
小魚達が追い散らされるかのように逃げていく。神殿が揺れたのは一瞬だった。すぐに静寂が戻る。
「……何今の……地震?」
「……精霊のしわざかしら?」
一塊になり、耳を澄ませる。辺りを観察するが特に変わった様子はない。
アリアが壁に手の平をあて、振動を確認する。いつも通り冷たい感触が返ってくるだけで、追加の揺れなどは感じられない。
何だったんだ今のは?
油断なく周囲を警戒する藤堂の視線が、ふとラビの表情を捉えた。
「……ラビ……さん?」
「……逃げます」
耳が仕切りにピクピクと震えていた。真紅の目が、怯えたように辺りを見回す。
手が胸元で白むほどに握りしめられ、声も細かに震えている。毅然としていた先程までの態度が信じられないくらいの変化。
「え……?」
その目が藤堂を見て、僅かに縮んだ。必死の表情でラビが叫ぶ。
「強力な魔物の気配です。ほら、走って……今すぐに外に出ましょう。死にますよ! ほら! 間の抜けた顔してないで、走ってッ!!」
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