第六報告 水の都における勇者サポートとその顛末について

第三十七レポート:神殿

 神殿の入り口のある祠は前に来た時同様、ひどく閑散としていた。入り口を守っているレーンの警備兵も心なしか暇そうに見える。

 地上に階段の手すりに腰を下ろしていた分厚いフードが、歩いてきた藤堂達に気づきその頭をあげる。


 真っ赤な目が藤堂を見上げ、仄かに微笑んだ。同じように外套を羽織ったリミスがその格好に眉を顰めた。

 藤堂が片手を上げ、ラビに近づいた。


「お待たせ、ラビさん。今日はよろしくね」


「はい。よろしくお願いします」


 ラビがぴょんと手すりから飛び降りる。大所帯であることに驚いたのか、警備兵の男が藤堂達の方を見たが、ラビがそちらを見返すとすぐにバツが悪そうに顔をそむけた。

 この神殿に挑むものは二通りに分けられる。

 一つは自らの精霊魔術を使って海底に挑戦するもの、もう一つは人魚アーマーを使う者。人魚アーマーは派手なデザインの物が多く、その姿を見られたくないと考える者も多い。


 リミスが周りを気にしながらラビに尋ねる。


「その格好……ちゃんと人魚アーマー、着てきたの?」


「もちろんです……私は、魔術は使えませんから……」


 まるでその証明でもするかのように、ラビがフードを外し、羽織っていた外套を脱ぐ。中から出てきたその格好、リミスが目を見開いた。

 フードの下から出てきた垂れた兎の耳、以前までは掛けていなかったはずの赤縁の眼鏡が掛けられていることも驚愕だったが、それ以上に――


「な、なにそれ……?」


「人魚アーマーですけど、何か?」


 ラビが袖をひらひらさせながら平然と言う。


 ラビの格好は一見水着のように見えなかった。薄手の白いパーカーのようなそれは胸元から腹部まで、肌の露出を最低限に抑え、唯一見えるのは剥き出しになった脚くらいだ。

 腰に巻かれたベルトとポーチ型のアイテムケース、そして恐らく採取用なのであろう、ぶら下がった大きな鉈のような物だけが強い違和感となっている。


 防具ではないのはリミスの人魚アーマーと同じだが、少なくともリミス達が渡された物よりは数段マシな格好だ。


 自分達が渡されたものとのあまりの違いに、リミスが目を皿のようにして叫ぶ。


「なに……それ……全部、隠れてるじゃない!」


「そういう人魚アーマーなので……」


「わ、私なんてこれよ! これ! なにそれ!?」


 リミスがやけくそぎみに上から羽織っていたローブを脱ぎ捨てた。

 現れた格好、真っ赤なビキニにラビが目を見開く。


 いつもはローブで隠れている身体は日に焼けた跡もなく真っ白で、赤のビキニとの対比が目に眩しい。布地は胸元と下半身を最低限隠すのみで、その肢体を余すことなく太陽の下、晒している。握った物々しい杖だけが不思議なアクセントになっていた。

 警備兵が再び向けてきた視線をリミスは睨みつけて追い払った。


 リミスが唇を震わせる。リミスは貴族だ、貴族の息女には貞淑さが求められる。こんな格好をするのは初めてだった。

 耳元を僅かに染めながらも、リミスが鼻息荒く言う。


「……こ、これよ、これ。な、なんで貴女の格好だけ、そんなに地味なのよ!」


「ゾランさんを脅――無理を言って、説得したのです。私は、リミスさんと違って、自慢げに見せられるようなものを持っていないので」


「見せる!? 自慢げに、見せているように見える!? あああああああ! 私も、ちゃんと説得するべきだったわッ!」


 つるりとした剥き出しの肩にガーネットが捕まっている。いつもと同じポジションだが、素肌の上にくっつかれると少しくすぐったい。

 ぶるりと身体を震わせるリミスと、すまし顔のラビを見ながら、藤堂がひそひそとアリアに耳打ちした。


「……ねぇ、ゾランさんさ、材料の節約って言ってたけど、その原因ってまさか――」


「……リミスには言わない方がいいですね。多分」


 アリアも頬をぴくぴく引きつらせ、リミスとラビのやり取りを見ていた。

 グレシャが恥じらう様子もなく、無言で外套を脱ぎ捨てる。フリルのあしらわれた薄水色の可愛らしい水着が現れる。


 今回、一番割りを食ったのは間違いなくリミスである。藤堂は鎧を着ることができるし、アリアの水着の色は青で、少なくともリミスほど人目を惹かない。そもそも、男所帯で育ったアリアにはそういった視線に対してある程度の耐性がある。

 もっとも、人目など海底神殿に入ってしまえば関係ないのだが。



「リミス、その辺にしておけ。恥ずかしいのなら、さっさと神殿に潜って終わらせよう。二度と着なければいいだろ」


「わかってるわよッ! もうッ!」


 リミスが肩を怒らせながら水没した階段に踏み出す。水に入る瞬間、ビクリと震えたが、そのままゆっくりと下りていく。隠れる場所のないガーネットが必死に肩紐に捕まっているのがおかしかった。


「じゃあ、僕達も行こうか。できれば今日中に決着をつけたい」


 鎧を着たままの藤堂が、その手をラビに差し出す。ラビは眉を顰め、恐る恐るその手を取った。




§




 人魚アーマーの動作は良好だった。水中に沈んだ神殿――眼の前に広がる神秘的な光景に、前を行く藤堂達が息を呑むのが聞こえた。

 海底神殿はまるで世界の果てに来てしまったかのように静かだ。動くものは自分たちを除けば、小さな魚くらいしかいない。

 リミスの肩に乗ったガーネットが水の中、静かに光を放って燃えている。実際に炎を出しているわけではないが、まるで宝石のように輝くその光景はひどく神々しい。


 隊列は先頭を聖鎧フリードを装備した完全装備の藤堂。その後ろに扇情的な人魚アーマーに、武器だけ持ったアリアとリミスが続く。グレシャとラビは殿だ。本来、殿も決して安全な配置ではないが、ラビは何も言わずに身を縮めた。


 事前のサーニャの調査で海底神殿の構造は概ね明らかにされている。そこに現れる魔物も。

 多少抜けているところはあるが、サーニャは優秀だ。師を同じくする弟子として、そのことをラビはよく知っていた。

 護衛はあまり得意ではないが、この海底神殿に出る魔物の危険度ならば本来護衛など必要ない。


 どきどきとなる心臓を抑え、コンディションを整えるラビの脳内に音を伴わない声が響き渡る。


『ラビさん、聞こえますか?』


「はい。問題ないです」


『よかった。……アレスさんの方に通信が繋がらないので』


 脳内に聞こえるアメリアの声は鮮明だ。どうやら通信魔法とやらは海底でも正常に作用するらしい。

 その内容にラビは僅かに目尻を下げるが、目的の達成は目前だ。アレスからの許可も出ている。退く必要はないだろう。


「……了解です。細心の注意を払います。何かあったら連絡を」


 煌々と燃えるガーネット。薄暗く生命の気配のないその奥を改めて確認し、ラビは眉を顰めた。


 まだ慣れていないだけかもしれないが、地上と比べると気配がわかりづらい。事前にサーニャが調査していなければ絶対に探索したくない場所だ。


 アリアが目を瞬かせ、自身の手の平を見下ろす。


「……不思議な感覚ですね。冷たくもなければ苦しくもない。声すら出せるとは」


「うん。ただ……やっぱり地上とは少しだけ違うよね」


 何が違うのか明確には言葉に出来ないのか、藤堂が不思議そうに首を傾げる。

 ラビは小さくため息をついて、声をあげた。


「とりあえず、予定通り一番奥を目指しましょう。いつアレスマーマンが出るかわかりません」


「ッ!」


 遠目で遭遇しただけと聞いていたが、トラウマになっているのか、藤堂が険しい表情をする。


「……ずっと聞こうと思ってたんだけど、そのアレスマーマンって名前、貴女がつけたの?」


「そうですが何か?」


「……いや、別に……なんでもないけど」


 リミスが腑に落ちなさそうな表情で、前に向き直った。




§



「やっぱり魔物もいるんだ……」


「神殿とは言っても、聖域ではないようですね。結界が張ってあったら魔物は入り込むことはないはずですが」


 海底神殿に現れる魔物はこれまで藤堂達が戦ったものとは全く異なるものだった。

 巨大な牙を生やした魚に、強く水を射出して攻撃してくるヒトデ。藤堂と同じくらいの大きさがある大蛸に、幽霊のようなあやふやな色と動きで水中を揺蕩う巨大なクラゲ。


 速度も力もゴーレム・バレーのゴーレムと比べれば落ちる魔物だが、水中であるが故に可能な変幻自在の動きは警戒するに値する。といっても、ヴェール大森林で、ユーティス大墳墓で、ゴーレム・バレーで多様な魔物との戦闘を経験してきた藤堂達からすれば大した相手ではない。


 ヒトデの魔物が射出してきた水の槍をヒビの入った盾で弾き、そのまま聖剣の一撃で両断する。

 水中に血がまじる。真っ二つになったヒトデの魔物はその状態でもびくびくと動いていたが、間もなく反応しなくなった。

 藤堂と並ぶように青い蟹と刃を交えているアリアを見てリミスがぽつりと漏らす。


「……なんかお腹減ってきたわ」


「魔物は毒素が強いので食べない方がいいのです」


 律儀に返してくるラビに、リミスが肩を竦めてみせる。


「うちの昔の僧侶プリーストが食べてたのよ。自分なら浄化できるから大丈夫、って」


「……とんでもない破戒僧です」


「まぁ、うちのパーティは食べ物とか沢山持ち歩けるから、いなくなってからはほとんど食べてないけど……ゴーレムとか、アンデッドとか、そんな相手ばっかりだったし」


 これまでの旅路を思い起こしているのか、リミスの声にはどこか懐かしむような響きがあった。


 ヒトデを倒した藤堂がアリアのフォローに入る。横から青い蟹の分厚い外殻を深く切り裂く。泡を吐いて逃げようとする蟹の巨大な鋏を切り捨て、そのままその巨体を解体した。


 獲物を取られたアリアがバツが悪そうに剣を納める。


「少し硬いですね」


「関節部を狙えばいいのです。真正面から砕くなら打撃武器を使うべきです」


 藤堂もまた薄っすら光り輝く聖剣を鞘に収め、ラビの方を向いた。


「……この蟹の魔物はなんて名前なの?」


「えーっと………………アイアン・クラブです。鉄のように硬い装甲の蟹です。アレスマーマンの主食です。素手でバリバリ引き裂いて食べるのです」


 少し考える素振りを見せ答えたラビに、アリアがぴくりと眉を動かし、訝しげな表情をした。


「そんな名前の魔物、聞いたことないが……」


「ラビ貴女ね、適当に言ってない?」


「私の専門は強力な魔物です。その辺にいる雑魚は研究対象外なのです」


「適当に言ってたのか……あ、グレシャ! 食べちゃダメだよ! お腹壊すよ!」


 いつの間にかアイアン・クラブの死骸の側に座り込み、指先で肉片を引きちぎって口に運んでいたグレシャに気づき、藤堂が止めに入る。

 その光景に、毒気を抜かれたかのようにリミスが肩を揉みほぐしながら辺りを見回す。


「……しかし、精霊が見つからないわね。上位精霊ならすぐに分かるはずだけど……」


「そもそも、いない可能性もあるのでは?」


「さすがにこれほど条件のいい場所でいないとは思えないけど……もしかしたら、どこかに隠れているのかも」


 精霊は力が増すにつれ、自我が強くなっていく。上位精霊との契約は術者が精霊を選ぶのではなく、精霊に選ばれなくてはならない。

 今も神殿に侵入した魔導師を影からこっそり品定めしている可能性は十分にあった。


 精霊とは自然そのもの。身を隠そうとしている精霊を見つけるのはリミスでも困難だ。


 一瞬過った不安を口に出さず飲み込み、リミスは努めて明るい声を上げた。


「まぁ、今考えても仕方がないわ。先を急ぎましょう」



§



 魔物を撃退し、地図に従い進むこと一時間ほど、さしたる苦労もなく、藤堂達はその最奥にたどり着いた。

 狭かった視界が一気に開ける。目に入ってきた光景に、リミスが息を呑んだ。藤堂とアリアも目を見開く。


 海底神殿の最奥は何も余計なものが置いていないシンプルな空間だった。

 石造りの床に壁。ただし、その中央の床には見たこともない魔法陣が刻まれている。随分と古びたものだが、はっきりと模様がわかるくらいに形を保っていた。


 ただし、その魔法陣の中には何もいない。


 リミスが恐る恐る魔法陣に近づき、まるで自分に言い聞かせるように言う。


「……精霊を招くための魔法陣よ。閉じ込めるためじゃない。」


 リミスの屋敷の地下。ガーネットを封じていた魔法陣に少し似ているがその効果は正反対だ。


 相手は精霊だ。自ずとそれに対するアプローチは似たようなものになる。

 すなわち、ガーネットは外に出られないよう、封じ込められていた。ここの設備も目的は同じだ。方法が違うだけで。


「周囲から力を呼び込み、貯める。それによって、水の精霊の気を惹く。この神殿に釘付けにする、そういう術式。生み出されたこの神殿自体が巨大な魔術装置なのよ。噂は聞いていたけど、こんなに巨大なものはなかなかないわ」


 魔法陣の周囲を囲むように刻まれた文字は古代の魔導師が扱っていたもので、未だ全てが解明されていないもの。

 跪き、魔法陣を指先でなぞっていたリミスが顔をあげる。


 設計上、この場所が一番力が集まりやすい――好みのはずだが、精霊の姿は確認できない。


 ガーネットが小さく呻き、身動ぎする。リミスが立ち上がり、藤堂を見る。

 頬が引きつっていた。状況を察して、藤堂が頷く。


「……ここにはいない、か」


「全域探す必要があるわね……一切、行動に制限を掛けたりしていないもの。すっごく大変よ。まさに、精霊魔導師に対する試練だわ」


「アレスマーマン大丈夫かなぁ」


 どこかのんきな藤堂の声とは逆に、リミスがぶるりと震える。それが恐れによるものなのか武者震いによるものなのか、本人にもわかっていなかった。

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