第三十六レポート:開戦

 俺の言葉に、時間が止まった。周りを取り囲んでいた兵達に動揺が奔り、その足が止まる。

 ヘルヤールが目を見開き、唇を戦慄かせる。


「懲罰部隊……だと!? 何だそれは。そんなもの、私は知らないぞ!?」


 俺も知らない。


「身に覚えがないとは言わせないぞ。ヘルヤール、海の王よ。閣下はお前と同様寛大だが、限度がある」


「ッ……馬鹿な……クラノスがこの私を、捨てる判断をした、だと!?」


 無意識なのか、ヘルヤールが一歩退く。


「馬鹿な馬鹿な馬鹿な、この広大な海を支配できているのはこの私だからだッ! どれだけの苦労があったのかも知らず――」


 信じた。完全に信じた。魔族は単純で楽だ。まぁそれもゾランの魚人アーマーあってのものなのだが、後でゾランには別途謝礼を払わなくてはならないかもしれない。

 そしてやはり身に覚えはあったらしい。清廉潔白な者なんて滅多にいない、魔族ならば尚更だ。


 ヘルヤールが杖を握りしめ、俺を睨みつける。


「勇者を殺すのはクラノスの悲願のはずだ! 罰など受ける言われはない」


「ふむ。ならば命令は出ていたか? 言ってみろ」


「ッ……」


 兵たちがざわめく。ヘルヤールが唇を噛む。その表情からは先程まであった余裕がなくなっている。


 これまでの様子から大体想像は出来ていたが、どうやら此度の襲撃作戦は魔王の命令ではなかったらしい。

 勇者召喚が成されてから半年余り、ほとんど動きを見せなかった魔王を考慮すると、今回のヘルヤールの行動方針は明らかに外れていた。

 物量による制圧という作戦は恐るべきものだったが、少なくとも命令によるものだとは思えない。魔王の命令だったら間違いなく陸上から攻める部隊がいるはずで、そんなものがいたらサーニャが気づいていたはずだ。


 ヘルヤールの左隣に立っていた側近が慌てたように叫ぶ。


「マ、マて! オウは、ウラギったわけではない! たしかに、メイレイはデていなかったが、これまでのオウのコウセキを、マのオウはおワスれか!」


「下らん。それを決めるのは閣下であって俺ではない。閣下の深慮など、理解しようとすることすら烏滸がましい。貴様等に許されるのは頭を下げ、裁きの時を待つ事だけだ」


「ッ!!」


 ヘルヤールの軍勢は強力だが、質だけならばクラノスの方が上だ。少なくとも、純粋な戦闘能力でいうのならば、ヘルヤールを越えた能力を持つ幹部が何人も確認されている。

 仲間だと思っていた魔王から差し向けられた刺客に対し、いつもの余裕を保てないのはヘルヤール自身がそれを理解しているからだろう。


「馬鹿な……懲罰部隊? あまつさえ、『マル・アニムス』を返せ、だと!? これは海の王の証――元々私のものだ。貴様等がやったことは、笛の形にしたことだけだろう!? 忘れたか、私は、乞われて貴様等に協力してやっているのだ! 立場は対等のはずだッ!!」


「オ、オウ……!」


 側近が止めようとするが、ヘルヤールの声は止まらない。


「そもそも、『マル・アニムス』は海の神の血を引くもの……この私にしか使えん! 奪い取ってどうするつもりだ!?」


 その目には強い怒りがあった。凄まじい殺意、威圧が放たれる。右手に持った杖が光り輝いていた。


 だいぶ口が軽くなっているようだ。いい情報を聞いた。


 情報を整理する。優先順位を切り替える。

 笛は誰にでも使えるアイテムではない。つまり、ヘルヤールを殺せばとりあえずその恐るべき力の発揮は止められる。あるいは笛――マル・アニムスとやらを壊してもいい。海の王の証とやらを元にした魔道具……少なくとも量産品ではないだろう。


 俺はヘルヤールの怒りを鼻で笑い口から出まかせを吐く。


「お前にしか使えない……それはどうかな?」


「ッ!?」


「海神の血を引くものがお前一人だと、いつからそう思っていた?」


 適当な言葉に、ヘルヤールが絶句する。今度こそ、その目に僅かな恐怖が交じる。

 どうやらクリティカルだったらしい。口の軽さはヘルヤールの数少ない美徳かもしれない。


「ま、まさか……探したというのか!? 何故、どうやって!?」


「その様子だと、お前も知っているようだな」


「だ……だが、あいつは魔王と袂を分かっている。『マル・アニムス』があったとしても、貴様等の味方には――」


「! オウッ! おマちクダさいッ!」


 ヘルヤールの言葉を、側近が大きな声で妨げた。紫の鎧兜の海竜人がヘルヤールの隣から一步前に出て、俺を睨みつける。その槍の先を俺に向ける。


「オウよ……どうかレイセイに。このモノ、オウからジョウホウをヒきダそうとしている」


「何ッ!?」


 くそっ、バレたか。少しは頭の回る者がいたか。

 このままペラペラ喋り続ければ楽に殺してやったものを。だが既に最低限必要な情報は取った。後は殺すだけだ。


 側近が声を落ち着かせて、しかし少しばかり荒い語気で詰問してくる。


「グレゴリオ、おマエのコウドウ、ホントウにマのオウのメイレイか?」


「……」


「オウとマのオウはドウホウだ。ユウシャをウとうとするオウにバツをアタえるとはオモえん」


 その言葉には確信があった。予想よりも彼らの結びつきは硬かったようだ。

 側近の確信を突く言葉に、ヘルヤールが目を見開く。そして再びその目に宿ったのは――憤怒だった。先程までとは比べ物にならないほどの怒り。

 声が、その身体が怒りで震えている。


「そう、だ。クラノスではない……この姑息な策、魚人にしては信じられないその力、貴様……あの、小僧の、差し金かッ!?」


 小僧……? 誰だ?

 頭の中に入っている魔王軍の幹部のリストを探るが、そのほとんどは異形である。小僧などと呼ばれるような者はいない。


「ふっ……どうやら、馬鹿ではないようだな」


「ッ……クラノスに、媚びている、人間、ふぜいが――この海王に、なんという事を――」


「……」


 人間!? こいつ、今、人間といったのか!? 魔王軍の幹部に人がいる?


 頭を抱えたい気分だった。確かに魔族に裏で協力している人間は少なくないが、そのほとんどは連中にとってただの駒だ。だが、ヘルヤールの言う小僧は違う。

 幹部の一人でもあり、海を支配するヘルヤールに刺客を差し向けるほどの権力を持っている人間。それほどの権力と、それをクラノスに許されるだけの、クラノスの意思を確認することなく可能なほどの寵愛を受けている人間だ。


 これまでになかったことだ。今回の魔王軍の動きが今までのものと異なるのはそのためか!?


 ヘルヤールはもう俺の言葉を聞いていなかった。情報をこれ以上引き出すのは難しい、か。


 サーニャが短剣を構える。ヘルヤールが叫ぶ。

 もうその目は俺を見ていなかった。大きく見開かれた金色の目は俺を通して『小僧』とやらを睨んでいる


 少々情報を集める方に傾きすぎたようだ。できれば隙をついて殺したかったが、こうなってしまえばそれももう無理。


「その、魚人の、姿もッ……仮初かッ! ふざけた真似をッ!」


「想像におまかせしよう。投降するのならば悪いようにはしない」


 メイスを持ち上げ、一応投降を勧めてみるが、ヘルヤールの答えは一つだった。

 怒鳴りつけるような声が響く。


「殺せッ! この男を血祭りにあげ、直接クラノスの前に叩きつけてくれるッ!」


「抵抗するか……やむを得ん。閣下にはその首だけ届けることにしよう」



§




 多対一のコツはまず頭を潰すことだ。潰せないなら一番強い者を潰す。優先順位をつける。

 海竜兵の武器は槍。リーチの長さは脅威だが混戦には向いていない。ましてやここは敵陣ではなく、装備も覚悟も実際の戦場のものとは異なるだろう。


「ッ……ニがすなッ! オウをマモれッ!」


 側近が叫ぶ。それに従い、左右を固めていた兵がヘルヤールの前に立つ。その先頭にいるのがサーニャだ。


 サーニャは右足を一步出し、何にでも対応できるような姿勢を作っていた。薄くその胸元が上下している。呼吸に緊張はない。その手や脚に余計な力は入っていない。海竜人もかなりの練度だが、サーニャはその上をいく。


 サーニャの戦闘技術は良く覚えている。中遠距離からの狙撃。まるで旋風のように速くトリッキーな動きと、短剣術は脅威の一言だ。俺のメイスの一撃を弾けるだけの斥候が果たして何人いるか。まさか自分の雇った傭兵に苦しめられるとは思わなかった。

 場合によっては俺が負けることもありえただろう。


 だが、この距離のサーニャにそこまでの力はない。


 サーニャがじっと俺の一挙一動を見る。観察している。ヘルヤールが叫ぶ。


「気の乗らない策だったが、正解だったなッ! さぁ、グレゴリオ。貴様に部下を殺せるか? そしてこの数の兵を殺しきれるか? 王の力、目に焼き付けて死ぬが良い」


「下らんな。情などない」


「ッ!?」


 異端殲滅官は皆総じて高い戦闘能力を持っている。任務の都合上部下を使うことは少なくないが、その部下は大体異端殲滅官本人よりも弱い。

 人質を取られることなど日常茶飯事である。


 ためらいなく、その頭蓋目掛けてメイスを振り下ろす。サーニャが短剣でそれを受けた。


 武器がぶつかり合う激しい音。

 短剣とメイスでは強度が違う。受けるではなく、力に逆らわずいなす。一撃が再びずらされるが、短剣を持つサーニャの手が衝撃で微かに震えるのが見えた。すかさず放ったハイキックをサーニャが右腕で防御する。

 サーニャの細い身体が僅かに浮く。肉が軋むみしりという感触が伝わってくる。衝撃を逃すようにその細身の身体が回転する。


 そもそもサーニャの性能は護衛には向かない。


「残念だったな。その女は部外者だ。我が前に立った時点で用済みよ。その生命、残る役割は我が神への贄となるのみ。まさかこのグレゴリオに人質など通じると思ったか?」


「ッ……なんというジャアクな」


 レベルの差がある。万全の状態でも余程ヘマをしない限り負けないのだ。この状態のサーニャなど恐るるに足らない。

 なるべく殺したくはないが、洗脳された時点でサーニャ側にも問題はある。ブランも俺を責めることはあるまい。


 何度も言うが、異端殲滅官をやるコツは迷わないことだ。

 俺はサーニャの生命をヘルヤールの殲滅の下に置いた。


 再びこちらを向いたサーニャが不意に表情を取り戻す。その整った容貌が崩れ、今にも泣きそうな声をあげる。

 だがその身体、構えはぴたりと俺に構えを向けたままだ。ヘルヤールが意識だけ戻したのか。


「ッ……痛っ! ボスッ! やめてッ! ボクが悪かった、ちょ、それ本気でしょッ!?」


「下らん策だ」


「意識! 意識はあるよ! ボス!? ボス!?」


 その動揺の混じる声とは裏腹な流麗な動きでサーニャのナイフが伸び、メイスを握る手を目掛けて鋭い刺突を放ってくる。

 意識が戻ったためか、甘い一撃だ。俺は一步下がりそれを躱すと、その柔らかそうな腹にメイスの突きを叩きつけた。


「ッ……」


 サーニャの身体が浮く。目が大きく見開かれ、半端に開いた唇から苦悶の吐息が漏れる。サーニャの身体が吹っ飛ぶ。囲んでいた兵が慌てて回避する。

 受け止める者のいなかったサーニャの身体はそのまま受け身も取れず、壁に激突した。衝撃に広間が揺れた。


 少しくらい時間を作れると思っていたのか、ヘルヤールが目を剥いた。兵たちにも動揺が奔る。

 後ろから飛びかかろうとした兵が二の足を踏む。


「馬鹿な……一瞬の躊躇いもない、だと!?」


「試しにその後ろの人魚もけしかけてみるか?」


「ッ……かかれッ!」


 背後から、左右から、前から、一斉に兵が飛びかかってくる。

 俺はそれらを全て無視し、ヘルヤールだけを目掛けて床を蹴った。



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