第三十五レポート:宣戦布告
調査に時間を取られたとはいえ、藤堂達の動向は定期的に確認できているとはいえ、長居をしすぎたかもしれない。
ふとそんな考えが頭を過る。だが、周りの海竜人達は俺を監視している。何かあったらすぐにヘルヤールに伝わるだろう。チャンスを待つ必要があった。時間も必要だった。サーニャの物探しが成功するまで、なんとしてでも引き伸ばす必要があった。
俺が想定していたチャンスはヘルヤールが実際に動く、その直前だった。
襲撃をかけるその直前、連中には隙ができるだろう。いつも持っている様子のない魔物を操る笛だって確認できるはずだ。
だから待った。だが、それは間違いだったのかもしれない。
初めてヘルヤールと出会った玉座の間の前にくる。扉の前には警備を増やしたのか、五人ほどの完全武装の海竜人がいた。
俺を確認すると背筋を伸ばし、目を細める。ぴりりとした殺意に似た気迫が感じられる。
「オソいぞ。オウがおマちだ。ハイるがいい」
「『
「!?」
呆然と目を見開く海竜人の前で順番に
高位の僧侶のみに許された最上級の付与が全身に満ちる。
「ナ……ナニをやっている?」
「ワがカミからのおツげである。カマわんだろう?」
言っている間に、付与をかけ終える。万全に万全を期すのが俺のモットーだ。
物々しい様子を見せられたらそりゃ対策くらい打つ。戦闘中にかける練習もしているが、事前にかけておくに越したことはない。
そして、邪神のお告げだと言えばこいつらは断れない。海竜人はゾクリと身体を震わせると、何も言わずに扉を開いてくれた。
背筋を伸ばし、メイスを握ったまま中に入る。
祭壇のような一段高い場所に誂えられた玉座。そこに座るヘルヤールと、それを警護する兵の視線が俺を射抜いた。
偉そうに脚を組んで玉座に腰を下ろしていたヘルヤールが、狡猾そうな笑みを浮かべ口を開く。
その瞬間、俺は自分の用心が正しかったことを理解した。
「おお、グレゴリオ。よくぞ来てくれた」
「ナニかあったのか? オレのニエが……そこにいるようだが」
メイスを強く握り、努めて平静を保ち聞き返す。
部屋に戻って来ないと思ったら見つかっていたか。ヘルヤールの後ろに立っていたのは紛れもない、サーニャ・シャトルだった。その隣には以前、獄で見つけた人魚達の姿もある。縛られている様子はないが、身動きヒトツしない。
サーニャの目は恐ろしく空虚な色をしていた。脚の横から見える尾もぴくりとも動かない。まるで人形のようで、いつも感情を表に出すサーニャを知っている俺から見ると酷くおぞましいものに見える。
だが、幸いなことにまだ生きてはいるようだ。
「ああ、グレゴリオ。とても残念なことなんだが……お前の人魚が少し暴れていたようでね。非常に心苦しかったんだが、大人しくしてもらった」
「アバれた……ナニかしたのか?」
知らない振りをして尋ねる俺に、ヘルヤールの代わりにその隣に立っていた海竜兵が甲高い怒鳴り声をあげた。
「ナニかしたか、ではない! キサマのニンギョは! ホカのニンギョをセンドウしたあげく、ホウモツコにオしイろうとしたのだ! ケイビにオオきなヒガイがでた! オウがいなければさらなるヒガイがでただろう。スベて、キサマのセキニンだ!」
宝物庫か。宝物庫の警備が少ないということはないだろう。確かに人魚を味方につけろとは言ったがなるほど、だいぶ無茶をしたらしい。
余程怒っているのか、他の海竜人も俺を睨みつけている。ただでさえ胡散臭いのに、問題の発端担ったともなれば睨まれても仕方ない。
俺はその視線をすべて鼻で笑った。
「……はっ。ニンギョにマけたのか。マオウグンのハジさらしめ。オレのニエにマけるとは、そのヤリはミカけダオしか。ウミのオウのハイカはそこまでヨワかったのか」
「ナンだと!?」
「おマエらのハイボクのセキニンはおマエらのヨワさにある。センシのカザカミにもオけぬ。あまつさえ、オレのせいにするとは」
高らかに相手を糾弾しながら彼我の戦力差を分析した。
兵の数は王の左右に五体、壁際の八体。注意すべき相手はいないが、正面から一撃で倒すのは難しいだろう。時間を与えればさらなる兵が集まってくるのは間違いない。
ヘルヤールが激怒する兵に宥めるように手の平を向け、小さくため息をつく。
「グレゴリオ、そこまでにしておけ。私の兵が弱かったのではない、お前の人魚が強かったのだ。他の人魚達のサポートもあったとは言え、鍛え上げられた私の兵を何人も倒せるなど普通ならば考えられん。そして、お前には自分の人魚を監督する責任があった。私は、お前に自由にこの城を歩き回る権利は与えたが、お前の人魚に宝物庫に押し入る権利を与えたつもりはない」
後ろに立っていたサーニャが機械めいた歩みでヘルヤールの隣に立つ。
正気でないことは明白だ。獣人の弱点は魔法に弱いこと。特に精神に作用する魔法には弱い傾向がある。ハーフであるサーニャもその例に漏れない。
ヘルヤールが唇をぺろりと舐め、続ける。
「軍にも規律と言うものがある、罪には罰が必要だ。幸いなことに雪辱の機会はすぐに来るが――」
「……」
なるほど、どうやらヘルヤールは俺に物理的な罰を与えるつもりはないらしい。
勇者と戦うその時が近いからだろうか。海竜人達が不満げに俺を睨みつけているところを見ると、ヘルヤールの意思が強いのだろう。
何にせよ、捕まったにも拘らずサーニャが生きていたのは幸いだった。
サーニャがゆっくりとその腰のベルトに挿していた短剣を抜く。大型の魔物の牙を思わせる大ぶりの短剣だ。流麗な動作でその切っ先を俺にぴたりと向ける。
「人質というわけではないが、今すぐにこの人魚を返すわけにはいかないな」
「オレのニエにナニをした?」
「仲がいいとは言えないが、人魚もこの大海を起源とする者。この海の王に逆らうことはできん」
「……」
確かにゾランは、人魚アーマーは相手を人魚に誤認させることで働いていると言っていたが、デメリットも同時に受けるのか。完全に予想外だった。
例の笛にやられたと思って間違いないだろう。サーニャも斥候ならばある程度そういった能力に対して耐性を持っているはずだが、それが意味をなさないほど強烈に作用するのか。
黙り込んだ俺に、ヘルヤールが愉快そうに笑う。
「安心しろ。やることは変わらない。今ここでお前を断罪するつもりはない。私は忠実な兵には寛容だ。私の命に従い、勇者を殺す。お前には混乱の合間を突いて都市に上陸し、勇者を探しだして殺してもらう。それをもって罪を許すとしよう。この人魚も返そうではないか」
「……いいだろう。だが、ヒトつだけオシえてホしい。オレのニエはモトにモドるのか?」
「ふふふ。もちろんだとも、私が命じれば、な」
ヘルヤールが含み笑いを漏らす。
サーニャの目には知性や理性といったものが見られない。この状態にして元に戻せない魔導具など、役に立つまい。
魅了を初めとした精神汚染系の能力はいくつも存在するが、それらの多くは思考を制限するものである。そして、思考ないし感情は行動に直結している。それはつまり、精神汚染を受けてしまえば本来発揮出来るポテンシャルを発揮できなくなるということを意味している。
サーニャの動きは確かに流麗だったが、今のサーニャでは以前模擬戦した時と同様の力は出せないだろう。
俺を操ろうとしないのも恐らく、俺の力が下がることを恐れているためだ。
「返すまでは、この人魚には私の護衛をしてもらう。倒された兵の分くらいは働いて貰わなければ、な。なに、後数日もすれば襲撃の準備は整う。それまでの辛抱だ」
俺の牽制が目的か。その右隣の少し立派な格好をした海竜人が僅かに緊張を緩めたのが見える。こいつの企み、か。
俺は腕を組み、サーニャを見る。サーニャは気を緩める気配もなく、俺を見ていた。ヘルヤールの言葉通り、攻撃を仕掛ければ襲い掛かってくるだろう。負けることはないだろうが、他の海竜人などよりも余程厄介だ。
ヘルヤールが目を細め、舌なめずりでもするかのような目つきで俺を見下ろしている。持っていたメイスを下ろし、ヘルヤールを見上げた。
「……どうやってアヤツった。クスリか?」
「……くすり?」
ヘルヤールの口が引き裂かれんばかりに開く。その瞳孔が収縮し、俺をじっと睨みつけた。
甲高い笑い声が水中を震わせる。兵たちが緊張に身を固くする。
「ふふふ……ははははははは。面白い、面白い冗談だ、グレゴリオ。この海王が、薬、などという下らん手段を使うわけがないだろう! いいだろう、見せてやろうぞ!」
「オ、オウよ!」
制止する側近を無視して、ヘルヤールが立ち上がった。
右腕をゆっくりと俺の方に伸ばす。次の瞬間、何の前触れもなく、何もなかった手の中に透き通るような青の横笛が現れた。
長さ一メートルほどの大きな笛だ。透き通るような青色の質感に、不規則に空いた幾つもの穴。その端には見たことのない海色の宝玉がいくつもあしらわれている。
ゾクリと得体のしれない衝動が足の先から頭の先まで駆け上る。
持っていた。宝物庫でも自室でもない、持っていたのか。持ち運んでいたのか。魔法か、あるいは別の手段で。
隠しているようには見えなかったが、完全にしてやられた。
呆然とする俺に、ヘルヤールが声高に、まるで名乗りをあげるかのように叫ぶ。
「これこそが、海神の末裔に伝わりし宝玉、海の全ての生命の根源『マル・アニムス』を元に生み出された秘宝、このヘルヤールにのみ許された真なる王の証よ!」
壁際に立っていた海竜人達が一斉に跪く。まるで王に傅く臣下のように。
立ったままなのは意思を奪われているサーニャと他の人魚達だけだ。
薄々勘付いてはいたが、本当に海竜人達は自らの意志でヘルヤールに従っているらしい。
ヘルヤールがギラついた目を俺に向ける。その様子には最初に出会った時のような余裕は欠片も残っていない。
あるのはどこまでも強い力への陶酔と限りなく高いプライドだけだ。
「これがある限りこの海に棲まう全ての生命はこのヘルヤールの下僕よ! グレゴリオ、優れた戦士であるお前とて例外ではない! なに、魚人とは言え、悪いようにはしない」
なるほど……。
メイスを下ろし、ゆっくりと身を低くする。
「……ショウチした。オウよ」
ヘルヤールの口端が持ち上がる。
そして俺は、跪くと見せかけて、一步強く踏み込みヘルヤールに向かって踏み出した。
異端殲滅官に大切なのは迷わないことだ。
いざという時に迷わない。言葉で言うのは簡単だが、それをできない者は多い。ぐだぐだ理由をつけて迷う。
俺だって昔は迷っていた。だが今はもう迷わない。
緊張が緩んだ瞬間の突撃。完全な奇襲。皆の目が曇っていた。海の王の威光に。そして、油断していた。跪きかけたこの俺に。
たった一人を除き、誰も反応できなかった。
ラグのない動作に反応できたのはたった一人だった。小柄な影が俺とヘルヤールの間に入ると、振り下ろそうとしたメイスが斜め下からの鋭い一撃に弾かれる。
迷いのないまっすぐな一撃に、メイスが軌道をずらされ床を穿つ。ヘルヤールが目を見開き現状を認識、一步後ろに下がった。
短剣を振り上げたサーニャの目に俺が映っていた。そこには怒りも悲しみもない。いや、その意志すら見えない。
迷いがないのはサーニャも同じようだ。遅れて兵たちが我を取り戻す。
殺意が身体に突き刺さる。サーニャがまっすぐ立ち上がり、俺とヘルヤールの間の壁になる。
振り下ろしたメイスを持ち上げる。ヘルヤールが俺を睨みつけた。
「……どういうつもりだ、グレゴリオ。さすがに今のは冗談では済まされないぞ」
チャンスだった。千載一遇のチャンスだった。笛とヘルヤール。その二つさえ処理すれば海は人の手に戻る。サーニャは教会に送ってなんとか治してもらえばいい。感情的にはサーニャを助けてやりたいが、平和と天秤にはかけられない。
兵達が俺に槍を向け、俺を取り囲む。俺はメイスを大きくヘルヤールに突きつけて言った。
「カエして――いや、その笛、返してもらうぞ、ヘルヤール」
「返して……もらう……? 何の話だ!? いや――貴様、何者だ!」
ヘルヤールが今度こそその目に殺意を宿す。びりびりした威圧、戦場の空気に高ぶる。
広場にいる全員が俺の言葉に注目する。俺は正々堂々名乗りを上げた。
「演技はもう不要だな。我が名はグレゴリオ・レギンズ。邪神の信徒にして――魔王軍懲罰部隊の一人、グレゴリオ・レギンズ、だ。魔王閣下の命により、その秘宝、返してもらおう!」
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