第三十四レポート:準備・挑戦
ベッドの上で伏せるようにしながら、ガーネットがリミスの方を見上げていた。
精霊魔導師と言うのは本来、場の影響を受ける。リミスがゴーレム・バレーで倒れたように、海辺や山の上など、特定の精霊に満ちたフィールドでは相反する精霊の能力が激減する。
ガーネットは歴代のフリーディアの当主の多くが契約できなかったほどの格の高い精霊だ。影響は契約した精霊の力により上下する。いくら水の精霊の力が強い地とはいえ、ガーネットが受ける影響はおそらく微々たるものだろう。
だがそれでも影響はゼロではない。
リミスは気づいていた。レーンに来てからガーネットの様子が少し異なることを。ガーネットが少しばかり興奮していること、ここに来てから十日くらい経過しているが、落ち着く様子がないことを。
精霊の変化は魔術に直接影響を及ぼす。安心させるような穏やかな声で、リミスが語りかけた。そのちらちらと光が瞬く目をしっかりと見据えて。
「いーい、ガーネット。怖がらないで? 彼らは敵じゃない。襲いかかってきたりなんかしないわ」
リミスの言葉にガーネットは答えない。ただ頭を上げ、ちろりと舌を出すのみだ。
既に精霊契約の準備は万端だった。契約や精霊を探すためのの道具も準備したし、後は人魚アーマーの完成を待って神殿を訪れるだけだ。
唯一残った懸念点はガーネット、ただ一つだった。
その目に光る感情が理解できず、リミスがため息をつく。精霊と人は異なる生き物だ。その説得もとい交渉は精霊魔導師にとって一つのハードルである。
上位精霊ならば契約できるのではないかというのはただの一つの糸口に過ぎない。だが、ここまで来てしまった以上、失敗するわけにはいかなかった。精霊魔導師としてのプライドだってある。これまで蓄積した魔導師としての全てを出さねばならない。
「……ガーネットの考えていることがわかったらいいのに……」
ため息をつき、独りごちる。ガーネットはじっとリミスを見上げたまま微動だにしない。
精霊も上位になると人語を解する者は少なくない。ガーネットも格だけならば、突然喋りだしてもおかしくはないはずだったが、今のところガーネットが言葉を発したことはない。
と、丁度その時、部屋の扉が開いた。リミスが支えるべき勇者、藤堂直継が顔を出し、リミスを見て声を掛ける。
「リミス、準備が整った。人魚アーマーが出来上がったよ。ゾランさんが持ってきてくれた」
「……予定よりも少し早いわね」
「ゾランさんが相当頑張ったみたいだね。久しぶりにインスピレーションが沸いたって」
「インスピレ――!? …………わかったわ」
指先を近づくと、ガーネットが素早い動きで肩に登る。
定位置についたことを確認すると、杖を握りしめてリミスは立ち上がった。
不安はあるが、ここまできたらやるしかない。
§
手渡された完成品の人魚アーマーに、リミスは頬を引きつらせた。
握りしめたのは小さな赤い布切れだ。丸めれば手の平に収まってしまうかもしれない。
人魚アーマー。水の精霊と契約するために必須の魔導具。
「え……あ……これ……え…………じ、事前に覚悟はしていたとはいえ、こうして現物を手渡されると引くわね。……これのどこがアーマーなのよ。見本よりも小さくない!?」
アリアも遠い目で似たような青い布切れを握りしめ、固まっている。興味なさげにグレシャが自分の分の人魚アーマーを広げる。
グレシャのものは水色だったが、今更ながらとても戦いに行く服装には見えない。魔導具にも見えない。
小柄なせいなのか、それとも胸が小さいのが悪いのか、グレシャ用のビキニはほとんど局部だけを隠すようなものだった。そして、それはおそらくリミスの分もあまり変わりあるまい。
たとえば目的が遊びだったとしても着るのをためらうような代物だ。
届けてくれたカラフルなシャツのドワーフの男――ゾランは自信ありげにワイルドな笑みを浮かべる。
「材料費の節約じゃあああああ! 貝じゃないだけマシじゃろおおおおおお!」
何が!?
「な、なに!? わ、わたしに、こんなの着ろっていうの!? お、お父様に、なんて言い訳したらいいのよ!」
「ま、待った。落ち着くんだリミス――僕はもう着たよ」
「……ナオ、あなた――こんな卑猥なもの着て恥ずかしくないの!?」
「ごめん、ほんとごめん。それ以上言わないで……心痛いから。でも僕のはそれよりはマシだったよ!」
「ナオは上から鎧を着るからいいかもしれないけど……わ、私は、そういうわけにもいかないのよ!?」
既に人魚アーマーの詳細仕様は聞いている。リミスのローブも決して安物ではないが、聖鎧フリードほど特別なものではない。試してみなければわからないが、おそらく上から羽織ることはできないだろう。
唇を震わせ、リミスがきっとゾランを睨みつける。ゾランは笑顔で親指を立ててきた。燃やそうか本気で迷ったがぎりぎりで自制する。
体型の関係で一番大きな水着を受け取ったアリアが不意にぽつりと呟いた。
「……防御力が低い……」
「うしゃしゃしゃしゃ……その人魚アーマーは特別製じゃ。魔力を蓄積する結晶が混ぜ込んでおる、魔力のないお主でも人魚になれるはずじゃああああ! サービスしとくぞい!」
「…………防御力が低い……」
何で無意味に手厚いのよ! そのつっこみをぎりぎりで抑える。
魔力を蓄積できる結晶は有用だが希少品であり、加工できる者も限られていて滅多に手に入らない。
リミスも持っていなかったし、アリアも持っていなかった。
リミスにはわかる。ゾランは変態だが、間違いなく天才だ。
天才には変態が多い、リミスやアリアも立場上そのことはよく知っていたが、知っていたとしても納得できるかは話が別である。
アリアの目は完全に死んでいた。無意識なのか、頻りに人魚アーマーを確かめるその手つきが哀愁を誘っている。
剣士は魔導師と違って男性が多い、その中で育てられたアリアはリミス以上にそういったものに耐性がないのだろう。
そんな半死半生なアリアを見てもゾランのテンションは下がる気配がない。小躍りするように軽快なステップを踏みながら叫ぶ。
「さー、早く着るのじゃ! 儂の前で見事な人魚っぷりを見せてみぃ! はよ! はよ! はよ!」
「ッ…………グ、グレシャ、こら! 脱がないでッ!」
動じることなく、その目の前で着替えを始めようとするグレシャを慌てて止める。
何故注意されたのかわからないのか、グレシャはきょとんとした目でリミスを見上げた。ヒートアップしたのかゾランが拍手を始める、
藤堂がグレシャを庇うように立ち、ゾランを糾弾する。
「セクハラだ! ゾランさん、届けてくれたのはありがたいけど、出てってくれ!」
「心外なッ! サイズがあっているのか確認するのは製造者として当然の責務! このゾラン、老いぼれても魔導具技師としてのプライドを失ったつもりはな――」
「ごめんなさいね、うちの主人が」
「!?」
ゾランの肩を手が掴む。華奢な手の平だ。ほんの添えられただけのそれに、ゾランの動きが完全に止まった。真っ赤に興奮していたその表情が凍りついたかのように固まっている。
いつの間に入ってきたのか、手の主は一人のエルフだった。ドワーフであるゾランよりも頭二つ高い身長に、特徴的なぴんとたった耳。長いさらさらとした金髪は前で編まれており、白磁のような肌と、青い目はまるでおとぎ話の中から抜け出てきた女王様のようだ。
唐突な乱入者に混乱する藤堂立ちの前で、ゾランが頬をぴくぴく引く付かせながら首だけ後ろに回す。その目がエルフの美貌を捉え、びくりと震えた。
「ま、まいはにー……ど、どうしたんじゃ……儂は今、仕事で――」
「もう仕事は終わったでしょ、アナタったら、もう! さー、次の依頼もあるんだからさっさと帰るわよ」
「ま、まだ、サイズの確認が終わって――」
「ふふふ、あなたの腕は私が一番良く知っています。確認するまでもなく、ぴったりですよ」
「い、いやじゃ! 儂は、人魚を見るんじゃあああああああああ! そのためにこの町に来たんじゃああああああ!」
駄々をこね始めるゾランに、エルフの女性は動揺することなく藤堂の方を見て、申し訳なさそうに頭を下げた。
だが、その手はゾランの肩を掴んだままだ。
「ごめんなさいね、この人ったらいつもこんな調子で、言っているのに治らなくって」
「い、いえ……」
「でも腕は確かなの。万が一何か問題があったら、また店におこしになって。そのときは無償で対応させていただきますわ」
「は、はい……」
動揺のあまり生返事をする藤堂にニコリと微笑むと、エルフの女性はゾランをずりずりと引きずりながら部屋を出ていった。ゾランの悲鳴が小さく消える。
部屋に微妙な空気だけが残った。
人魚アーマーを見下ろしながら、アリアが呆れたように言う。新たなショックに上書きされたのか、先程までの途方にくれていた様子はない。
「……マイハニーって……あの男、妻帯者だったんだな……」
「……しかも尻に敷かれているのね」
「何であんなに美人の奥さんがいるのにこんなもの作ってるんだろう。全然わからないよ。人生って……わからない」
藤堂がリミスの手に下がった人魚アーマーを見て、心底理解出来なさそうに頬を掻いた。
だが、とにもかくにも準備は整った。後はラビを呼んで神殿に向かうだけだ。
人魚アーマーを見ていると情けない気分になってくる。リミスはため息混じりに小さく唇を開く。
「……本当に、こんなので大丈夫、かしら。材料費の節約とか言ってたけど……」
「……ま、まぁ、なんとかなるだろう。…………多分」
アリアも自信なさげな表情で呟いた。
§ § §
明らかに過剰戦力だった。
水の都レーンに所属する兵はそこまで大きくない。レーンには軍事的な価値がほとんどないためだ。ただでさえ現在は戦時、兵力の大部分は魔族との戦線付近に集められている。
海運が可能であればまた話は別なのだが、海の奪還は極めて困難である以上、レーンに最低限の兵力しか残っていないのはやむを得ない処置と言えた。
たいていの港町は寂れており、海底神殿があるレーンはまだマシだとすら言える。
数は力だ。ヘルヤール軍のヒエラルキーの最底辺。無数に存在する魚人を全て差し向けただけでもレーンは大騒ぎになるだろう。水路にある格子を破り、町のあちこちを奔る運河を使えば一気に町中を蹂躙できる。
最初から面倒だったが、もはや数を数えることすら適わない。水深はかなり深いはずだが、海上からでもわかるのではないか。そう錯覚するレベルで魔物が集まりつつあった。
パトロールがてら戦力の把握をしていたが、もはやそれも意味をなしていない。今集まりつつある数の半分だけでも、余裕を持ってレーンを落とせるだろう。
水中にここ数日で集められた魔物の数は、大国の海軍を打ち破って余りあるほどのものだ。
一体何を恐れてこれほどの数を集めるのか? 用心深いなどという理由では納得できない。
魔王の命令か? 念には念を入れている? これまでの動向から推測するに、魔王は確かに慎重だが、今回はあまりにも度を越えている。ただでさえヘルヤールはたった一人で海を支配しているのだ、これだけの配下を集めればどこかに穴ができる。
粗末な家屋に寄り添うように群れていた魚人達が俺を見つけ、歓喜の奇声をあげる。
それを無視して、監視役なのか、ずっと後ろをついてきていた海竜人に確認した。
「おそるべきグンゼイだ。あのようなチイさなマチにこれだけのヘイをアツめるとは……これがマオウのチカラなのか?」
海竜人が目を見開き、俺を観察するように見る。しばらく黙っていたが、すぐに槍の柄でとんと地面を叩き、しぶしぶといった様子で答えた。
「……ワレワレのオウは、ただヒトリである。ヘルヤールサマはカイジンのチをヒくオカタ。このグンゼイのスベては、ヘルヤールサマのモノだ」
海神、か。神の血を引くなどと謳う者は決して少なくない。話半分に聞いておいた方がいいだろうが、言葉からするとヘルヤールと魔王クラノスの関係は単純な主従関係ではないようだ。
恐らく、元々は別の勢力だったのが一つに統合されたのだろう。厄介なことをしてくれる。
「そうイえば、マオウのテのモノにアわないな。キョウリョクカンケイにあるのではないのか?」
「……センコウをタてればいずれアえるだろう」
海竜人が一瞬沈黙し、すぐに捲したてるように言う。
何が気に食わなかったのかはわからないが、充血した目がぎょろぎょろと俺を睨んでいる。
「だがワスれるな、グレゴリオ。おマエのイノチは、ヘルヤールサマのモノだ。ヘルヤールサマはウミのオウである。ギョジンのミでおソバにツカえることをユルされるエイヨをココロしてウけよ」
「まずはユウシャをチマツリにあげることでムクいることにしよう」
俺の言葉に、海竜人は何も答えずに小さく顎を引くように頷いた。
いくらレーンが港町とはいえ、町を潰すのならば地上から攻めるのが道理である。その話を一切聞かなかった時点で胡散臭いとは思っていたが、どうやらヘルヤールの内情も色々複雑らしい。
と、その時、鬣の一つに結びつけておいたイヤリングが小さく振動した。
首を傾げ、監視役に言う。
「おマエらのオウが呼んでいるようだ」
「キョカはフヨウだ。オウをマたせるな。さっさとイけッ!」
さて、何の用事か。まだ都を攻めるまでは時間があったはずだ。
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