第三十三レポート:傾向と対策

 部屋の中を覗いた瞬間にサーニャは顔を顰めた。


「……ッ……あー、失敗した……」


 今まで見つけた部屋とあまり変わらない広さの部屋だ。だが、ガランとしていた今までの部屋とは異なり所狭しと武器が置かれている。

 見た目だけならばその部屋は武器庫と呼べるだろう。だが、ざっと確認しただけでそこまで上等な武器は置いていないことがわかった。


 立てかけられた槍は一般的な海竜人の兵士が持っていた物。剣に盾、変わったものだと斧や短剣のような物もあるが、そのどれもがそこまで上等な品ではない。


 見張りをしていた海竜人の死体を部屋の奥に押し込め、並んだ武器と武器の間を歩く。少しでも収穫を得るべく一個一個丁寧に武器を見定めていく。魔導具がないか確認するがそんな特別な品はありそうもない。


「ッ……鍵がかかってないわけだ。予備の武器庫……かぁ。ミドルクラスばかりじゃないか」


 今まで見かけた海竜人は皆、完全武装していた。この武器庫の中身を何らかの方法で破棄したとしても影響は薄いだろう。


 やるせないため息をつき、サーニャが首を振る。種類は豊富だがそのどれもがサーニャの保持している武器と比べて遥かに格下だ。決して質が悪いわけではないが、サーニャのようにレベルの高い傭兵が使うようなものはない。


 せっかくなので幾つか見繕う。残念ながら弓はなかったが、短剣を数本取り上げ軽く確認し、ベルトと水着の間に引っ掛けるようにして固定する。投擲用ではないが、武器が一本しかないよりはマシだろう。

 長柄の武器はサーニャの背丈にしては大きすぎたし馴れていなかったので放置しておく。扱えないことはないが、今は身軽さを取ったほうがいい。


 海竜人の死体から漏れ出た血液を緩慢に視線で追いながら、ため息をつく。


「はずれってことは、やっぱり物は他の二部屋か……」


 まだ見ていない部屋はある。そのどこかに存在する可能性もあるが、やはり最も可能性が高いのは当初から想定していたヘルヤールの私室か宝物庫だろう。


 行きたくない。この敵陣の中でも屈指の危険地帯だ。銀狼族は勇猛だが無謀ではない。

 竜人の耐久力は人の比ではない。完全武装の数人の海竜人を一瞬で無力化する術を、今のサーニャは持たない。ひとりひとりおびき寄せるという手も使えないだろう。絶対にバレる。


「薬を使おうにも海中じゃ効果は薄いし、そもそも薬持ってないし……取りに戻るのも無理だ」


 幾つか案を出し自問自答するが、名案は思いつかない。斥候の技術は持っていても、この任務は普通の斥候スカウトの仕事とはかけ離れている。主に場所という一点において。


 心が折れそうになるが意地になって考える。まだサーニャはボスに対してあまりいいところを見せられていない。おつかいすら出来ないと思われるのは業腹だった。サーニャはブラン・シャトルの名を背負っているし、そうでなくとも群れのリーダーに成果を見せつけるのは銀狼族の誇りでもあるのだ。


「あー、ボクが魔法使いだったらなんとか出来たかもしれないのに……」


 斥候とて多種多様な技能を持っているが、その大部分は道具に寄ることが大きい。道具がなければ出来ることは大幅に少なくなる。普段ならばある程度肌身離さず持っているのだが、まさか軽い気持ちで海に入ってこんな修羅場に叩き落とされることになろうとは……。


 やはり一端、アレスの私室に戻って相談するしかない、か。


 愚痴を言いながらうろうろし、そう結論付けかけた瞬間、その脳裏に天啓が舞い降りた。

 視線を扉の外に向ける。


「……あー……魔法、魔法、か。そうだね、ボクが使える必要はないんだ」


 思い浮かんだ策を脳内で軽く精査する。

 行き当たりばったりな感は否めないが、今となってはすがる他ない気もする。

 

 サーニャは一度頷くと、周りを警戒しながら武器庫を後にした。


§


 人魚が囚われている部屋の前には魚人の兵しかいなかった。

 管理権を無理やりアレスが奪い取ったからだろう。残された兵たちの士気は明らかに低く、サーニャを見てもざわめくばかりで、特に助けを呼んだりする気配はない。

 魚人族の目は感情が読みにくいが、何故かサーニャにはそれらの兵たちが何を考えているのかはっきりわかった。


 ボス、めちゃくちゃ恐れられてるよ……。


 おそらく、サーニャの邪魔をしてアレスに殺されることを恐れているのだろう。

 撃退しなければならないかと考えていたが、近づくとまるで道を空けるように魚人兵が左右に割れる。

 もしも襲われても撃退できるように警戒しながら、牢獄の中に入る。


 部屋の中はついさっき見た時と何ら変わっていなかった。首輪をつけられた人魚達がサーニャの姿に気づき、青ざめた表情で部屋の隅に身を寄せ合うようにして寄る。


 人魚は海棲の亜人の中では最も有名な種族の一つだ。

 魚人とは異なり、上半身は人で下半身は魚。種族のほとんどは女性であり、その美しい容貌と歌声で知られる海の姫である。戦闘能力は低いが幾つかの独自の魔法を使えることで有名であり、今は亡き海竜人の牢番が警戒していた魅了チャームの魔法はその最たるものだ。


 魚人達の視線の中、ゆっくりと扉を閉める。部屋の中にはサーニャと三人の人魚たちのみ残された。

 アレスがついてこなかったのがよかったのか、人魚たちは僅かにほっとしたように頬を緩めた。


 あー、ボス、本当にめちゃくちゃに恐れられてるよ……。


 人魚は基本的に平和主義であり、魔物に認定されていない。敵の一つでもある魚人を恐れるのは致し方ないことかもしれない。


 人魚たちがパクパクと口を開くが、そこから音は出てこない。首周りに嵌められた首輪のせいだ。首輪から伸びる鎖は柱に縛り付けられており、数メートルほどしか移動できなくなっている。

 そして、その鍵は今、アレスの手を経由してサーニャの手元にあった。


 本物の人魚の目から見ても今のサーニャは人魚に見えるのか、近づいても逃げる気配はなかった。


 牢番の座を奪い取った際に彼女達を解放しなかったのは、解放しても仕方がなかったからだ。建物内には警備の兵が闊歩し、その外には無数のヘルヤールの軍勢が集まっている状態では逃げることもままならない。時間もなかった。だが、既に協力を得ることの許可は出ている。


 魅了の魔法も決して無敵ではないが、海竜人の動きを数秒止めることくらいはできるはずだ。


 人魚たちはやややつれていたが、それでもその美貌に陰りはない。近づきそっと手を差し出すと、訝しげな表情で近寄ってくる。

 鍵束を持ち上げて見せると、驚いたように目を見開いた。興奮しかけた一人をもう一人、一番背の低い人魚が落ち着かせる。バレたらまずいということは理解しているらしい。


 これならなんとかなるかもしれない。何しろ、サーニャとその人魚たちは一蓮托生なのだ。

 言葉が通じるかわからなかったが、声を潜めて話しかける。


「協力して欲しいんだ。ヘルヤールの持っている魔導具を奪取したい」


 人魚達が目を丸くして互いに顔を見合わせる。

 武器庫の番を倒してしまった。死体は隠したが、いつまでも気付かれないということはないだろう。

 傷跡を見ればそれがアレスの暴虐によるものではないということは明白だ。


 残された時間は少ない。



§ § §



「アレスさんはいつも無茶ばかりするんです」


「そうですか」


「藤堂さん達に同行するなんて、貴女も大概ですけどね」


「そうですね」


 やり取りの間、ラビの声には一切の感情が篭っていなかった。フードのせいでよく見えないが、この分だと表情にも変化はないだろう。


 この子、私と少しキャラが被ってる……とアメリアは思った。違うのは、アメリアの行動が常にアレスを意識しているのに対し、ラビの行動は違うという点だけだ。

 おそらく天然なのだろう、少なくともアメリアならば藤堂に対してそこまで適当なことはできない。


 ラビがテキパキとした動作で支度を整える。大きなリュックサックの中から必要なものを出していく。

 小さなガラス瓶に入った回復のためのポーション。透明で頑丈な糸に、解体用なのか小ぶりのナイフ。分厚い本に、フレームの太い赤縁の眼鏡。


 ……眼鏡?


「そんなの何に使うんですか?」


 アメリアの覚えている限り、ラビがそれを掛けていたことは一度もない。

 ラビはアメリアの言葉に、フードを取ると眼鏡をかけてみせる。出来上がったのは運動の出来なさそうな、どこかやぼったい雰囲気の女の子だった。


 美しい赤の目が気弱げに伏せられ、透き通った白い肌は陽の光をほとんど浴びていないように見える。

 きゅっとその肩が縮み、その華奢な手の平が身体を隠すかのようにローブの襟を握りしめる。目にジワリと涙が溜まり、ふるふるとその身体が震えていた。

 その薄い桜色の唇がまるで乞い願うかのような声を出す。


「た……戦うなんて、そんなこと、できません。だって危ないし、平和が、一番です。キャッ……いやッ! んあ……さ、触ら、ないで――や……あ――眼鏡、返して――ダメ、です。本当に、わたし、ダメ、なんです――あ……アレスさん――」


「は? はあああぁぁぁぁぁぁ?」


「――ってやって、一撃で首を刈るのです。私は非力なので色々工夫しないと……」


 思わず叫び声をあげたアメリアに、ラビがすかさず表情を元に戻した。ギュッと握りしめていた襟は離し、肩を竦めてみせる。先程までの嗜虐心を煽るような弱々しい声は微塵も残っていない。


 頬を引きつらせ、目をぱちぱち瞬かせる。じっとラビを見下ろすが、その表情には悪気の欠片もない。


 しれっとラビが続ける。何事もなかったかのようなその表情には、怒りの感情すら沸いてこない。


「今のアメリアさんも隙でした。私なら首を十回飛ばせます」


「…………ッ……なんて……悪辣な……」


「多分遺伝子に組み込まれているのでしょう。私は……もともと被捕食者なので」


 眼鏡を外し、ケースにしまうと、それを腰のベルトに装着した小さな鞄に入れる。最低限の物しか入らないが、そのくらいの大きさならば水中での動きを阻害される心配はない。


「藤堂さん達に同行しているグレシャさんはやる気があまりなさそうなので、私が行ったほうが手っ取り早いです。私がいれば攻撃もこちらに来るでしょう。通信は私に繋いで下さい」


「……しかし、ラビさんがいなくなるとなると、私は――」


 アメリアの戦闘能力は高くない。もともとラビとサーニャを護衛につける予定だったが、サーニャが不在でラビが藤堂の方に行くとなると尾行できなくなる。

 その言葉に、ラビが少しだけ思案げな表情をした。


「それは……仕方ないです。アメリアさんはボスとの通信の取り次ぎをやって欲しいです。今回はそこまで上位の神聖術ホーリー・プレイは必要無いでしょう」


「…………そうですね」


 予定とは異なるが、アレスとサーニャがヘルヤールに取られている以上、こちらでなんとかするしか無い。

 勇者を狙う勢力がいることがわかっている以上、護衛をつけるのも理に適っている。確認は必要だが、アレスもノーとは言うまい。むしろ、ヘルヤールの軍勢が集結する前に精霊契約までやってしまったほうが安全かもしれない。


「……なかなか計画通りには行きませんね。……せっかく人魚アーマー作ったのに」


「せっかく作るんだし、部屋の中で着ればいいんじゃないですか? 魚人アーマーよりはマシです」


 最後に鞘に収められた大ぶりの鉈を装備し、ラビが肩を竦めてみせる。

 脊髄反射で答えているような適当なアドバイスに、アメリアは深々とため息をついた。 


「あ、あれ? でも、ラビさん……恥ずかしくて水着姿で戦うなんて出来ないって言ってたんじゃ――」


 結局着ることになったがそれは、アメリアとサーニャの三人で潜る予定だったからであって、同性だからなんとか、という話だったはずだ。

 今回同行する勇者パーティ――藤堂は男である。単純な嗜好ではなく、種族的な特性故に無理だという話だったはずだが、大丈夫なのだろうか。


 アメリアの素朴な疑問に、ラビが初めて眉を顰め、そしてあっさりと言い放った。


「ああ、それは大丈夫です。何らかの意図がありそうだったので報告するかどうか迷っていましたが……アメリアさん、藤堂さんは……女性ですよ。中性的な顔立ちをしていますが、間違いないです」


「…………へ?

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