第二十六レポート:計画と資質について
扉の先には玉座があった。
恐らくもともとは祭壇があった間なのだろう、美しい対称に伸びた柱に、小さな階段。その奥にある台の上に、濃い青色の石で出来た機能的な玉座が設置されている。
だがそれよりも、広々とした空間に整然と並んだ海竜人の兵の数を数え、俺は息を呑んだ。
陸上でならばともかく、海中ではほぼ無敵を誇る海竜人の戦士が十体以上。もしも仮に人族がこの本拠地を知ったとしても二の足を踏むような数である。
船を使える海上ならばともかく、海底という環境はそれだけ人間にとって厄介だ。海中活動を可能とする魔術を修めた魔導師を揃えたとしても大きなハンデである。魚人アーマーがなければ、俺でも攻略は難しい。
だが、だからこそこれは千載一遇のチャンスだ。
この建物の中には巨大な海の魔物は入り込めない。ヘルヤールも魔物としてはかなりの力を持っているだろうが、入り組んだ通路はその移動速度を制限する。
不意をついて確実に仕留める必要がある。そして俺は手に入れた金でラビとサーニャをもう二百五十セット雇う。
サーニャはもがくのをやめ、何も言わずにじっとしていた。状況を集めているのだろう。
それに習って黙って相手の戦力を確認する俺に、ヘルヤールの周りを護衛するように付き従っていた海竜人が口を開く。
無機質な目がぎょろりと俺を射抜いている。
「オソれ、ヒザマズけ。このオカタこそがタイカイのハオウである」
完全に警戒されている。こうなればヘルヤールだけを潰そうとしてもうまくいくまい。
そして、一瞬でも時間を与えれば室内に控える護衛兵の全てを相手にしなくてはならなくなる。今は行動に出る時ではない。
逃げられたらまず追いつけない。幸いなことにまだ俺が人間だとはバレていないようだ。
最初に魚人アーマーを渡された時はどうなるかと思ったが、ゾラン天才かよ。今度もっと別のアーマーも作ってもらおう。
ヘルヤールが鷹揚に手を上げ、竜人の言葉を止めた。鋭い鉤爪が光を反射しギラリと光る。
「良い。魚人としては突出した戦闘技能である。どれほどの修羅場を潜ってきたか」
現在進行系でこの上ない修羅場なんだが……許す。全て許す。魚人の振りももう厭わん。
――神の名に賭けてお前を殺す。
魔族の中では強さこそ最上の指標であるためか、ヘルヤールの声は怪しげな魚人を前にしては穏やかだ。信頼すら感じる。
「その研鑽に敬意を表そう。魚人族の戦士よ、名はなんと言う?」
名を正直に言うのはまずいな。
俺の名が奴らに知れ渡っているとは思わないが、魔王討伐の旅を始めてからのみをカウントしても、魔族共には二度名乗りを上げている。念には念を押しておこう。
ステファン・ベロニド……いや――。
「グレゴリオ・レギンズだ」
殺す。このグレゴリオ・レギンズがお前を殺す。
「ふむ……グレゴリオというのか。良い名だ」
「……どこかでキいたナですが」
ヘルヤールの側についていた竜人がぽつりとつぶやく。マジか。何で海の底で生活する海竜人が奴のことを知ってるんだ。
向けられた鋭い視線に一言返した。
「……ヨくあるナだ」
「まぁ、良かろう。今はただこの軍に新たな戦士が加わったことを祝おうではないか」
ヘルヤールが玉座に腰を下ろし、笑みを浮かべてみせた。それを守る形で、左右に護衛が二人立つ。
飛びかかっていても止められるだろう。深い海の底にあるこんな場所に来る人間など本来いるわけがないのだが、体制は整っているらしい。
随分と用心深い。観察して感じたヘルヤールの性格とは正反対だ。魔王クラノスの指示か? ただただ厄介だった。
さらなる好機を待とう。焦ると失敗する。
それに、すぐさま潰すのが無理ならば、情報を引き出したい。
目的が見えない。
ヘルヤールの縄張りは海だ。諸国の海軍が潰滅してからほぼその出番はなかったはずだ。海の魔物を自由にコントロールする力を持っているがそれは海というフィールドで戦うからこそ無敵を誇ったのであって、陸ではその力を十全に発揮できない。
一番近い町はレーンだろうが、レーンは重要地点でもなんでもない。海底神殿はあるが、それだけだ。
そもそも、たとえ攻めるとしても効率を考えるとそれは陸からであるべきだろう。
こんなところで魚人や海竜人に傅かれている理由はなんだろうか? ここが本拠地?
だが本拠地にするには、周囲に大きな海洋国家があるわけでもないここは位置が悪い。
メイスを強く握り直し呼吸を整え、ヘルヤールに尋ねる。
「オレは、どうしたらいい?」
俺の問いに、ヘルヤールはその手に握った漆黒の杖を撫でながら、少しだけ考え、答えた。
「現在、戦力を集めている。しばし待て、すぐにその力を示す時が来るだろう」
「……ナニをセめるつもりだ。フネか?」
「ふふ……ははは…………船? 船だと? くっく……はっはっはぁ――」
情報を誘い出すために出した問いに、ヘルヤールが突然高笑いをあげた。
乾いた声が玉座の間に響き渡る。護衛の海竜人達はピクリとも動かない。
嘲笑じみた笑いはすぐに止まった。ヘルヤールがその杖を俺に向けてくる。
魔術か? だがその気配はない。
その深紅の目が爛々と輝いていた。海竜人の視線がヘルヤールに集中する。
無数の視線の中、ヘルヤールが陶酔しているような口調で言った。
「勇者、だよ。閣下を悩ませる人類の希望、だ。薄汚い吸血鬼や、殴ることしか脳がない獣人共が失敗した勇者を、この私が殺す。とくと見よ、魚人の戦士よ! ここからこの海王の伝説が、始まるのだッ!」
§ § §
天才だ。
精霊魔術の大家に生まれ、知識を蓄え色々な物を見聞きしてきたリミスから見ても、藤堂直継という少女は天才以外の何者でもない。
知識が有るわけではない。経験だって足りていない。だが、ただ資質の一点のみにより、リミスは藤堂を天才と断じることができる。
魔術は才能だ。それを得るために、魔導師達は血筋に固執する。
フリーディア家だって長きに渡り時間をかけ魔導の才能を深めてきた。だが、藤堂直継はそれを八霊――精霊王からの加護という形で手に入れている。
波止場に描いた精霊を可視化するための魔法陣の上。黒髪の勇者が青いきらきらした光に囲まれていた。
アリアが目を見開き、ただその光景に見惚れている。恐らくリミス自身も同じような表情をしているだろう。
きらきらした青い光は本来目に見えない水の下位精霊である。
海の近く故にこの地に大量に存在しているそれが、藤堂直継との契約を求めて近寄ってきているのだ。いや、それはもはや近寄ってきているなどというレベルではない。
水精霊に特化した家柄の魔導師でもなければ見られないような極めて強い親和性。もしも藤堂が望めばすぐにでも契約は成立し、精霊のチカラを借りることができるだろう。
資質だけならば間違いなくリミスよりも上。もちろん、精霊との親和性は
藤堂が目を細め、そっと腕を空中に差し伸べる。本来目に見えない下位精霊がその手の平に集まる。まだ契約を交わしていないにも拘らず――まるで藤堂の指示に従っているかのように。
もともと加護があるのは聞いていた。だから、こういう結果になるのも予想はしていたが、実際に目で見ると信じられない思いだった。
これが魔王に対抗するためのみに召喚された異界の戦士。神々の使徒。人類の希望の星。
「凄い……これなら、少し訓練すれば水属性の魔術を使えるようになる、かも……」
「あは……は……そうなればいいんだけど」
今回の目的は精霊契約ではない。
どこか夢でも見るかのように精霊に触れていた藤堂が我を取り戻し、魔法陣から出ると、呆然と立ちすくんでいたリミスの側に駆け寄ってくる。
通常時の下位精霊は目には見えない。だから藤堂ももう光を伴っていないが、もしもリミスが下位精霊を見ることができる目があれば、今もまだ藤堂の側に精霊がつきまとっているのが見えていただろう。
肩の上に乗っていたガーネットが藤堂に鋭い目を向けていた。近寄ってきた藤堂に、リミスが正直な感想を述べる。
「これなら……上位の精霊とも契約を、交わせる……かも」
「良かった……。実は、相性が悪いとか言われたらどうしようかと思ってたんだ」
人と変わらぬ意志を持つ上位精霊との契約は親和性のみでは成立しない。
だが、先程の神秘的な光景を見てしまった今では、うまくいく可能性も十分あるように思える。リミス本人も――幼少期、ろくに知識も魔力もなかった頃に、どんな高名な魔導師も契約できなかったガーネットと契約してしまった実績を持っているのだから。
見込みが立ち、晴れやかな表情をする藤堂を漫然と眺めながら、リミスが呟く。
「私も……頑張らないと」
あくまで今回ここに来た主目的はリミスの精霊契約だ。藤堂の契約もするつもりだったがそれはついでだ。
ガーネットがぎょろりと目を動かし、海を見る。
どこか不安げな言葉は誰にも聞こえることなく、潮騒に消えていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます