第二十七レポート:海の悪魔について

 牢獄は神殿の地下にあった。といっても、牢獄という割には人族が使うように格子などはない。

 地下に閉じ込められたのはまさしく人魚マーメードだった。サーニャが振りをしている似非人魚などではなく、ちゃんと尾びれのある人魚である。波打つ金髪に、憔悴した青の目。その美貌で有名な海の姫が三人。それぞれの首には分厚い首輪が嵌められ、そこから伸びた鎖が柱に巻きつけられている。


 人魚マーメイドは人よりの亜人である。割りと人間にも友好で、海洋国家の中には交流している国もあるらしいが、ほとんど海から出てこないため滅多に出会うことはない。最近、滅多に出会うことがないとばかり言っている気がするが、海底に行く機会なんてまずないので道理である。

 その声は魔力を帯び、特殊な魔法を扱えるが反面身体能力が低く、魚人や他の魔物に狙われることも多いらしい。細腕では金属製の鎖を引きちぎることはできまい。


 おいおい、ボーナスステージかよ……違った。人魚を監禁するなんて酷い奴らだ。噂では人魚は特殊な文明を持っているらしい。解放すれば謝礼が見込めてしまう。これが神の思し召しか。


 部屋に一步入り、牢獄の構成を確かめる。

 恐らくもともとは物置のような部屋だったのだろう。もしもここが本拠地だとしたら、設備が杜撰過ぎる。やはりここはヘルヤールの本拠地ではないようだ。


 人魚達は俺の侵入に顔をあげたが、すぐに怯えたように部屋の隅に固まってしまった。

 

 出口を見張るのは武装をした魚人の兵、数匹に、それらのリーダーなのであろう海竜人が一人。恐らく警備はあくまで念のためで、あまり重要な場所ではないのだろう。

 リーダーの竜人が鎖のついた首輪を渡してくる。


「キをツけろ。ユダンすれば、マホウをかけられる」


「ナンのマホウだ?」


「……ミリョウのマホウだ。シらないのか?」


「オレにはツウじない」


 魅了チャームって。人魚の魅了って。

 淫魔や吸血鬼を始めとした精神汚染を得意とする闇の眷属をダース単位で葬ってきた俺にそんなもの通じない。というか、通じていたら異端殲滅官クルセイダーなどなれない。もともと僧侶にその手の状態異常は効きにくいのだ。

 ていうか、尾びれがある相手にどう魅了されろと……。


「……ブキミなギョジンだ」


 失礼な。どこからどう見ても魚人以外の何者でもないだろ。


 その声に答えず、メイスを一端壁に立てかけ、片手で抱えていたサーニャを両腕で抱き上げるようにして持つ。サーニャの顔が耳元に近づく。分厚い鱗越しに囁くような声が聞こえた。


「ボス、無理だ。これは引きちぎれない。外せない」


 ヘルヤールの目的が勇者であることはわかった。由々しき事態である。

 だが同時にそれは情報を得るチャンスであることを示している。なるべく搾り取ってから殺す。信頼を得なくてはならない。時間が欲しい。


 見たところヘルヤールは馬鹿だ。配下の竜人の方が用心深いくらいだ。うまく行けば短時間で欲しい情報を引き出せるだろう。

 捕虜にするつもりはない。生かしておくには危険すぎる。捕虜にするくらいなら殺す。


「ボス、たてがみを一本もらってもいいかな? 針金代わりになるかも」


「ダメだ」


 ふざけた格好だがこれは魔導具である。変なことをして効果がなくなったら困る。

 首輪をサーニャに取り付ける。何製なのかは知らないが随分頑丈な首輪だ。

 鎖の一端を掴み、サーニャを床に転がす。振り向き海竜人に尋ねる。


「これのカギはドコだ?」


「……ここにあるが、それがナニか?」


 海竜人が腰に巻いたベルトを示す。鉛色をした鍵がぶら下がっている。

 行動を制限されたサーニャが一人でこいつを倒せる可能性は高くない。やはり人魚アーマー……ゴミか。サーニャの分も魚人アーマーにしてもらえばよかったな。

 だが首輪さえ外れれば一体の海竜人くらいはどうにかなるだろう。いや、どうにかしてもらわねばならない。俺はサーニャを雇うのに大金を払っているのだ。


 床に転がり、怯えたような演技で俺を見上げるサーニャを指して言う。


「これはオレのモノだ。こいつのブンのカギをヨコせ」


「……キョカできない。カギのカンリはワタシのヤクワリだ。レイガイはない」


「そうか」


 俺は壁に立てかけたメイスを取り上げ、何か反応される前に海竜人の頭を横薙ぎに叩き潰した。

 悲鳴を上げる間もなく、海竜人が死亡する。遅れて何かが弾ける音が響き渡る。誰もが絶句する中、オレは魚人の振りをした。


「サカらうモノは、ミナゴロしだ」


「こ……こっわ。素じゃないよね?」


「コウショウの、ヨチはない。コロせるモノは、コロせるウチに」


 言い合いするつもりもない。時間がもったいない。レベルを上げるコツは余計な時間を省き全て殺しに費やすことだ。

 突然の暴虐に、人魚達が部屋の隅でガタガタ震えている。頭を失い地面に崩れ落ちた海竜人の側に屈み込み、鍵束を奪い取る。槍はいらないな。


「キョウからオレが、ロウのアルジだ。ジャシンに、エイコウあれ」


「邪神って言えばなんでも済むと思ってない!?」


「ダイジョウブ、マゾクのセカイ、ツヨいモノが、セイギだから」


 サーニャがドン引きして部屋に広がる海竜人の血を避けている。


「大丈夫じゃないよ、多分! ねぇ、ボス!? 今すぐ逃げよう!? チャンスを待とう!? 絶対無理だって!! 魚人だってもう少し賢いよ!?」


「ギョジンは、カシコくない。オレイガイは」


 突然の出来事に固まっている看守の配下の魚人達に振り向く。どうやら頭がいなくなったことでどうしていいのかわからないようだ。手に持った海竜人の持つものよりもだいぶ粗末な槍も、構える気配はない。


 一秒で全員殺せる。だが俺は、あえて何もしなかった。海竜人の死骸を踏みつけ、はっきりという。

 言葉が通じる通じない関係なしに要求する。


「これからは、オレがボスだ。シタガえ」


 そしてシね。



§ § §



「あのギョジンは、キケンです、オウよ」


 玉座の間。深々と頭を下げるのは、ヘルヤールの片腕である海竜人の戦士だ。

 海竜人シードラゴン・ナイト。海に棲む亜人の中では最も強く最も賢く、そして戦いを知っている。武技を修め戦術を学び、時にその血の起源とされる海竜とさえ交流をもつ。

 数はいても知能が低く力も弱い魚人などとは比べ物にならない、練達した戦士の言葉に、ヘルヤールは鼻で笑ってみせた。


「ふふふ……精強なこと、真に結構ではないか。凶暴で誇り高く欲望に忠実。海の戦士はああでなくてはならん」


「しかし――」


 突然、ヘルヤールの軍でも末端である魚人の一人が連れてきた戦士は、魚人とは思えない強さを持っていた。

 まるで金属の装甲のような鱗に、背に生えたシー・サーペントにすら匹敵する鬣。その目には冷徹で感情が見えず、にも拘らず本来魚人が理解しない人語を自在に操る知恵をもつ。そして何よりその声から感じる禍々しい邪気。邪神の加護を得ていると言うのも納得だ。


 ヘルヤールは魔王クラノスが世に出る遥か前から海に君臨してきたが、あそこまで強力な魚人を見たことがない。

 ヘルヤールは海の王だ。そこに生きる全ての生命はヘルヤールに服従して然るべきだと考えているが、戦士の我儘をある程度許容する程度の度量はある。

 海は弱肉強食。強者こそが正義。弱さは罪である。そして、その戦士はヘルヤールの恭順の意を見せているのだ。


 漆黒の杖――魔王クラノスから下賜された魔力を増幅する杖を撫で、ヘルヤールが歓喜の笑みを浮かべる


「海神が祝福している。くっくっく、このタイミングであのような者が現れたのは神の思し召しに相違あるまい」


 牢番を殺されたことなどなんだろうか。所詮あそこに囚われているのはただの人魚、貢物として捧げられたのでとりあえず牢にぶち込んでおいたが、仮に逃した所で痛手ではない。

 人魚の数体が反乱を起こしたところで、海竜人の戦士が数人もいれば鎮圧は容易い。


 いや、そもそも、もしも人魚が欲しくなったらその時新たに捕らえればいいのだ。数百万を優に超えるヘルヤールの軍勢ならば人魚の数匹を捕らえることなど容易い。それどころか、南国の海に存在する人魚の国を落とすことさえ可能。


「あのモノのツヨさは、ワかります。しかし、アマりにもキョウボウにスぎる。オウへのハンギャクのカノウセイさえ――」


「ふ。それも全て想定の上よ」


 余りにも臆病な配下の言葉を、ヘルヤールは鼻で笑った。

 海の王は人の王と異なる。海で弱者は王になれない。

 海王とは海で最強を誇る戦士の称号。故に、自身が最強である自負があった。


 何よりも、ヘルヤールには切り札がある。海に祝福された生き物や亜人、魔族までもを服従させる切り札が。


 仮にあのグレゴリオという魚人がどれほど強かろうと、ヘルヤールの敵にはなりえない。


 ヘルヤールが立ち上がる。海竜人が床に頭がつくほどに深々と平伏する。

 理性的だった先ほどまでとは異なり、身の毛もよだつような声が響き渡る。


「ふふふ……ははははは。勇者――勇者は、このヘルヤールが殺す。魔王クラノスに、我が力を示す。そして――怯え震え、前線に出る覚悟もなく、クラノスの影に隠れ指示することしかできないあの小僧に目にものを見せてくれる」


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