第四報告 海底の魔物について

第二十四レポート:海底の都について

 深海は前人未到の地である。

 呼吸の問題に、抵抗の問題、そして魔物の問題。一時的に海底での活動を可能にできる水の精霊魔法を使える魔導師でも、海の底に潜ることなどまずない。


 海底を歩くこと数十分。俺とサーニャが魚人共に案内されたどり着いたのは――町だった。

 岩や海藻で組まれた粗末な家屋がずっと先まで延々と並んでいる。そこかしこには青白く発光する石が設置されており、空からの光が届かない海底を照らしていた。

 人族の作る町よりは大きく格が落ちるし、町と呼ぶよりは粗末な村に近かったが、海底にそのような物を作るという事実がまず衝撃だった。


 美しい光とは裏腹に、海底の都市の住人は異形だ。

 感情のわかりづらい魚人達が無数に屯する様は、奴らが雑魚であることを考慮してもひどく悍ましい。


 小脇に抱えたサーニャがそれを見て目を見張る。


「うげ、なにこれ……魚人ってこんなに賢かったっけ?」


 魚人といっても道具を使う知恵はある。実際に見たのは初めてだったが、町くらいは作れるのかもしれない。

 だが、規模があまりにも大きいし、何より――。


「他の魔物と共存してる……?」


 サーニャの目が岩陰に潜む巨大な魔物を捉え、呆気に取られたようにつぶやく。


 そこにいたのは巨大な無数の触手を生やした毒々しい緑色をした蛸だった。初めて出会う魔物なので名前はわからないが、その存在力からして船で戦ったジャイアント・テンタクルと同格であることがわかる。


 ぬるぬると触手が動き、巨大な身体と比べて小さな目が俺を捉える。しかし、手を出してくる気配はない。


 間違いなく、魚人よりも遥かに強い。本来ならば魚人はこいつにとって獲物であるはずだ。

 案内に従い、真横を通り抜けるが、大蛸は何もせず俺達を見送った。そしてまた、他の魚人達にもその蛸を警戒している気配はない。


 魚人は他の水生の魔物と比べて高い知能を誇っている。だが、あんな巨大な魔物を飼いならせる程賢くはないはずだ。

 魔物は基本的に凶暴である。それをしつけるには力か知恵がいるが、魚人達にはそれがない。俺が潰した魚人のリーダーでも今見かけた大蛸には勝てないだろう。どうやって仲間にしたのか。


 歩けば周囲から無数の視線を感じた。魚人共が俺を見ているのだ。だが、ゾランのアーマーが優秀なせいか、怪しむ様子はない。

 奥に進むにつれ、集落はどんどん異質になってきた。魚人も多かったが、他種の魔物の姿が増えてくる。

 凶暴で人魔問わず襲い掛かってくるはずの魔物もいたが、その全てが敵意を見せることなく海中を思い思いに動いている。


 中にはクラーケンやシー・サーペントなど、それ単体で船を沈められるような魔物までいた。嵐を伴い船に襲い掛かってくる災害のような魔獣が魚人共に囲まれている様子は冗談にしか見えない。しかも、一体ではないようだ。

 数こそ魚人が最も多いが、もしもそれら魔物が全て魚人共に襲いかかれば間違いなく全滅するだろう。


 いつの間に奴らは共存をするようになったのか。魚人は群れ単位で過ごすが、クラーケンやシー・サーペントは単体で生きる魔物である。一体ではないということは、偶然飼いならしたわけではないだろう。

 しかし、話し合いでどうにかなるような相手ではないし、魚人が天敵であるそれらの魔物と交渉を試みるとも思えない。


「……ボス……もしかしなくてもこれ、まずくない?」


「……」


 どうやって全滅させるべきか。群れの大きさが予想以上だ。


 すれ違った数だけで考えても、魚人の数は百や二百ではない。魚人以外の魔物の数も考えると果たしてその総戦力はどれほどのものになるだろうか。


 一体一体は大したことがないが、ここまで数が多いと完全駆除は難しい。俺は全体攻撃の手段を持たないし、群れ全体を閉じ込めるような結界を張るのも困難だ。

 相手が魚人では物理的な障壁となる結界を張らねばならないが、消耗が激しすぎる。魚人の姿なので触媒も持っていない。


 今の俺は魚人だと認識されているが、さすがのこいつらも黙ったまま殴られたりはしないだろう。それよりも、主を倒した方がいい。

 これだけ巨大な群れだ、統率している者がいるだろう。魚人とは思えない賢さとカリスマを誇るリーダーが。

 それを潰せばこいつらは烏合の衆になる。自壊すら狙える。


 方針を考えながら歩いていると、先導していた魚人が、周囲で一際大きな建物の前で停止した。


 他の家屋と異なり、高い技術で作られた建物だ。海底に聳える大きな山をくり抜くように作られており、神殿のようにも見える。

 恐らく、魚人共が作ったものではないだろう。劣化は見られるが、柱や階段は滑らかで魚人共の手で加工できるようには見えない。レーンの神殿からそれほど離れていないので、もしかしたら同じ文明の産物なのかもしれない。


 神殿の前にはほとんど魚人がいなかった。それほど重要な場所なのか。

 前に立っていた魚人がちらりと俺を見て、小さく奇妙な声で鳴く。ついてこいとでもいっているのか。


「……ボスって肝が据わってるよね――ぎゅ……ッ!」


 サーニャの身体を抱える腕に力を入れ、締め付けて黙らせる。一般的な魚人は人の言葉を理解しないはずだが、もしものことを考えたほうがいい。

 サーニャがじたばた手足を振って身を捩る。


「お前は我らの繁栄のための贄にする」


 勇者の振りしたり魚人の振りしたり、一体俺は何なんだ。


「じょ、冗談でしょ!? た、助けて、あめりあさーん! きゃ――」


 サーニャが小さく声をあげる。俺は無言で振り向き、後ろに迫っていた一匹の魚人をメイスで叩き潰した。

 メイスが床に突き刺さり、振動で海中が震える。強い生臭さと血の臭いが一瞬広がり、すぐに拡散する。


 興味本位かあるいは俺を舐めているのか、それともそれ以外の理由か、後ろから贄に触った奴がいたらしい。


 案内役の魚人が慌てて振り向き、ペコペコ平伏する。こちらを遠巻きに窺う視線を感じた。

 なるほど、動物である。群れのリーダーには強さが求められる。俺は強者として認識されなければならない。


 即座に先導していた魚人の腹を蹴りつけた。軽く蹴っただけだが、レベル差によりその身体が飛ぶ。そのまま神殿の壁に突き刺さり、沈黙した。


 手加減はしたので、死んではいないだろう。


「……ボスさ、よくそんなんで僧侶名乗ってるよね」


 黙れ。少しは『振り』くらいしろ。

 そして俺はともかく、魚人共の中でサーニャの立ち位置はどうなっているんだ。


 ひょこひょことした動作で、新たな魚人が現れ、ピクリとも動かない案内役の代わりに前に立った。魚人共の違いなんてわからないが、さっきの案内人よりもとんがった背びれが特徴の魚人だ。


 よくわからない鳴き声を上げてきたので、ただ頷いてやる。何言ってるのかわからないが、新たな案内役のようだ。


 それについて、神殿を歩く。内部には魔物の姿はほとんどなかった。時折隅の方で魚が泳いでいたり小さな蟹が歩いていたりするが、静かなものだ。

 通路は幅はそれほどなかったが、細長く左右に幾つもの扉を持っていた。幅の広さと天上の高さ的に、この神殿の作成者は人や魚人のような中型の種族だろう。


 荘厳というよりは寂寞とした風景を目に焼き付ける。時折美術品なのか奇妙な彫刻や錆びた金属器が見受けられた。

 通路には恐らく後付で取り付けたのだろう、外でも見た発光する石が置かれていて光源が確保されている。


 それにしても、(恐らく人間の生み出した)神殿を大事にするなどという感覚がこいつらにあるとも思えない。

 もしや魚人共の神でも祀っているのだろうか? 魚人も神に祈るのだろうか? 最近は俺でさえ神に祈るのやめようかと思っているのに。


 道を覚えているのか、サーニャも真剣な表情で左右を見ている。


 先導する魚人についていく事十数分、特にアクシデントもなく、たどり着いた先にあったのは一枚の扉だった。

 黒い両開きの大きな扉だ。しかし、その前に二体の魔物が立ちはだかっている。


 思わず立ち止まる。先導していた魚人は俺を待つことなく、ひょこひょことした足どりでその前に歩みを進めた。


 魚人とはまた異なる水生の亜人。竜に酷似した顔立ち、鱗に覆われた顔に光る金の瞳。魚人と異なり、青く滑らかな軽鎧を身に着けており、その手にはサビ一つない象牙色の槍が握られていた。


 水生の竜人ドラゴニュートだ。サーニャも驚いたように目を見開いている。


 竜に酷似した頭と人の身体を持ち、その特性から『海竜人シードラゴン・ナイト』とも呼ばれる種である。

 魚人よりも強力な亜人で、シー・サーペントを飼いならしそれに騎乗して襲ってくることもあるという。マーマンと異なり高度な知性を持ち個体によっては人の言葉を解する。どちらかと言うと魔物よりも人に近いが、気性が荒く、交渉が成された例はない。

 絶対数は少ないが種の全てが戦士であり、海上で出逢えば苦戦は必至とされる相手だ。


 だが同時に、滅多に出会うことはない。


 竜人ドラゴニュートはその名の如く竜の血を引いている亜人である。

 竜と同様、絶対数が少なく、例外なく強力な能力を持っているが、引いている血の種類によって大きく特性が異なり、海に適応している者は特に珍しい。


 かくいう俺も出会うのは初めてである。剥製を作って好事家に売り飛ばせば、ラビとサーニャをもう一セット雇えるくらいの大金が手に入るだろう。一ステイである。単純計算だと二体いるから二ステイだが、二体もいると値引きされるだろう。一・七ステイといったところか。


 だがそれよりも、この『海竜人シードラゴン・ナイト』――強い。


 その金の目が意味をなさない言葉を話す魚人から俺に向く。

 もともと竜人は強いものだが……こちらを魚人だと侮ることなく警戒を緩めないその知性。その身から感じる高い存在力と隙のない身のこなし。

 まだ距離があるにも拘らず、いつでもその槍を向けられるように警戒している。種族的な能力もあるが何より、戦闘慣れしているようだ。


 それが二体。同時に相手するとなると労力は倍などではない。厄介である。少なくとも魚人を殺すようにはうまくいかない。俺はとりあえず剥製は諦める方針でいくことにした。命あっての物種だ。


 体勢を変えることなく、敵意を抑え、ハリボテの目を海竜人に向ける。


 あくまで俺は僧侶だ。正面からの戦闘は本意ではない。幸いなことに向こうは魚人と協力関係にあると予想される。隙を狙って一匹ずつ始末するとしよう。


 サーニャが小さく唸る音が聞こえた。今のサーニャはいつも装備している特注の弓を持っていない。泳ぐのに邪魔なためだろう、投擲用のナイフも持っていないようだ。

 剥き出しになった腹部には細いベルトが巻いてあって、ホルダーに短剣が一本。リーチの足りない槍を相手にするにはあまりに心もとない武装だ。後悔しているのかもしれない。


 しかし、竜人、か。まさかこんな海の中で出てくるとは思わなかったが、何よりプライドが高い種族である。そんな種が魚人などという下等種族と協力関係を結ぶなどどういうことだろうか。

 いくら魚人の方が数が多くてもそれに従うなんてありえないし、上に立つと言うのもまた考えにくい。

 殲滅計画は考え直す必要があるだろう。状況の見極めが必要だ。


 案内役の魚人が何度も何度も奇妙な声をあげる。その声を左に立った海竜人が何も言わずに聞いている。

 海竜人は魚人の声を判別できるのか。


 もう一人、右に立っていた海竜人が近づいてくる。

 俺も魚人にしては背が高いが、海竜人はそれよりも更に恵まれた体格をしている。武器も魚人のように粗末ではない。


 プレッシャーが全身を襲う。

 竜はこの世界では強者、捕食者だ。生まれついての能力だけで言うならばヒエラルキーの頂点にいる。竜人はソレよりは劣るが、その代わり武器を握られる両腕と技術を持っている。

 銀狼族も強力だが、血がそれほど濃くないサーニャと比べれば後者に軍配が上がるだろう。もちろん、負けるとは言っていないが。


「しんどいなぁ……」


 サーニャが嫌そうな表情をしてため息をつく。だが、ぶんぶん振られた尻尾が腕に当っている。

 不利な状況なのに、戦いたいのか。バトルマニアの考え方は本当にわからない。


 海竜人がじっとサーニャを見下ろし、不意に声をあげた。嗄れた声。口からこぽこぽと上がる空気の白い泡。


「ニンギョ、か」


 人の言葉だ。こいつ、人の言葉を知っているのか?

 サーニャの声に反応したのか? っていうか、ニンギョ? 人魚? 魚的要素がないんだが? 尻尾も生えているんだが?


 隠していないのでサーニャの伸びた両脚も、布面積の少ない水着から伸びた尻尾も丸見えである。だが、海竜人にはサーニャが人魚に見えているようだ。


 ……あー、人魚アーマーの効果か。


 馬鹿ばっかりだ。

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