アメリア・ノーマンの憂鬱②
『海は広い。海はいいぞ、アメリア』
アメリアの上司は時折、よくわからないことを言うことがある。
魔法を通じて伝わってきた言葉に、アメリアは頭に手をあてて眉を顰めた。
探査魔法は扱いが難しいが、その対象が慣れているアレスの場合に限って言えばアメリアの魔法は完璧と言えた。
探査可能距離も本来よりも遥かに遠く、今もアレスの反応を完璧に捉えている。
暗く静かな……海の底から。
『これはいい、凄い数だ。なんだこれは!? マーマンだけじゃない、これは……神殿か? アメリア、距離を』
「……神殿から北東方向ににおよそ五十キロくらいです」
『ならば海底神殿とは別物か。神殿じゃあない…‥こいつら……こんな近海に住み着いているのか。随分古いぞ。遺跡か? 半壊した遺跡を根城にしているのか?』
「あの……あまり無理はしない方が――」
ラビは砂浜に直立し、ピクリとも動かずにアメリアが報告している様子を見ている。
一緒に藤堂の追跡を行い、そんな挙動にも慣れてはいたが、誰もいない夜の海辺で二人っきりというのは少し不気味だった。
「だ、大体、それ、本来の趣旨からずれて――」
『まてまて、大漁だ。高度に構築された群れだ。何故こんなに沢山いる? 魚人とはここまで高い社会性を持つものなのか? 力づくで全て残さず駆除するのは難しい。方法を考える必要があるな』
静かな声だが、そこには押さえきれない興奮が滲んでいた。
何でテンション上がってるんですか……。
危険な海底に潜っているにも拘らず、アレスの口調には緊張一つない。
『一網打尽にしてくれる。だが……時間が掛かる、な。アメリア、一端そっちは解散だ。藤堂達は任せた。クレイオへの連絡も頼む。こちらへの通信は定期的に投げてくれ』
「え……? ちょ……ど、どうやってこちらに戻って来るつもりですか……?」
つい数時間前までは魚人アーマーにうんざりしていた人間のものとは思えない言葉に、慌ててアメリアが聞き返す。
『命令違反してついてきたサーニャに道案内させる』
サーニャがいつの間にかいなくなったことに気づいたのは、アレスが海に潜ってしばらく経った辺りでのことだった。
無自覚で命令に違反するステイがいなくなったので油断していたのだ。さすがに
言葉を返そうとするが、その前に通信が切れていることに気づく。どうやらアレス側で切断したらしい。
深々とため息をつき、舌打ちする。
「……チッ。……切れました」
もともとアメリアの方から行使した通信魔法だ。もう一度使ってもいいが、どうせまた切られるだけだろう。
肩を落とし、深呼吸してつぶやく。
「一人だけ楽しそうにして……ずるい」
ラビとアメリアの分の人魚アーマーは間もなく出来るはずだが、勇者が何をしでかすかわからない以上追いかけるわけにもいかない。アメリアまで命令違反をしてしまったら、うんざりされてしまうかもしれない。それは耐えられない。
ラビがぴくりとも動かず、何も言わずにアメリアの言葉を待っている。余計なことを勝手にするサーニャと違って、良かれ悪かれ、ラビは命令しなければ動かないようだ。
勇者の動きは一時停止していると言っても、今後を考えればやることはいくらでもある。
「アレスさんはしばらく戻らないらしいです。こちらは戻って予定通り、藤堂さん達のサポートに入ります。アレスさんが戻ってくるまでは私がアレスさんに代わり指揮を取ります。ラビさんはサーニャさんの代わりに周囲の警戒をお願いします」
「……了解です。ボス」
ラビが小さく頷き、掠れた声で答えた。
ベストを尽くすのはチームの方針である。リーダーがいない程度で立ち止まるわけにはいかないのだ。
§
聖穢卿、クレイオ・エイメンはアメリアからの報告を聞いても声色一つ変えなかった。
特に想定外のことはないとでも言うかのように短く返してくる。どうやら随分とアレスの奇抜な作戦には慣れているらしい。
『ああ、わかった。引き続き頼む』
「そういえば……最近、アレスさんが私に冷たいんですが、どうしたらいいでしょう?」
『アメリア、常々思っていたのだが……君は私を……友達かなにかだと思っているのかね?』
報告を聞いていた時とは異なる呆れたような声色。
ラビは任務のために外に出ており、宿の一室にはアメリアしかいない。他に会話を聞いている者がいないことを確認し、壁を向いて続ける。
「いえ……しかし、私を派遣することに決めたのはクレイオさんですし……」
『君が手を上げて立候補して、もしも採用しなかったら呪うみたいな目で見てきたからだ。まぁ、もちろん実力も審査の対象ではあったが』
「でもずっとばらばらで仕事仕事仕事ですよ? ステイがいなくなったので少し余裕が出来るかと思ったらそんなこともありませんでしたし……」
『君とアレスでは役割が被っているからな……別れて行動をすることになるのは当然だろう。恨むなら魔王を恨むといい』
その通りだった。もしもアメリアがアレスだったとしてもそうしていただろう。
アメリアは優秀な僧侶だが、アレスの神聖術は更に強力だ。魔導の知識はあるがそれが使える機会は限られている。
それでも二人しかいない状態だったら主にアメリアの安全性の問題で共に行動する機会があっただろうが、今では人が増えている。二手に別れるのは道理だった。
言い訳をしようとするが、その前にクレイオがはっきりと言う。
『そもそも、共に行動したところでそれはただの仕事だろう』
「…………一刻も早く平和になることを祈ります」
『……まさか今まで祈ってなかったのか。忘れるな、君はもう
「…………」
黙ったまま、アメリアは周囲を見回す。アレスはまだ海の底だろう。何をしているのかはわからないが、今すぐに帰ってくる心配はない。
アメリアは後から僧侶になった者だ。不真面目に僧侶をやっているつもりはないが、生まれた直後から信仰を積み重ねてきた他の僧侶と比べると何かが違う。
アメリアの様子を見えているわけでもないだろうが、クレイオがふと今気づいたかのように付け足した。
『そんな君に朗報……かどうかは分からないが、未確認の情報が一つある。各国、今まさに魔王軍と戦っている前線からの情報だが――ここ最近、相手の手が緩んでいるらしい』
その言葉に、アメリアは一瞬何を言われたのかわからず、数度瞬きをする。
しばらくじっくり考え、そして答えた。
「……何かの間違いでは? 戦力は向こうの方が上と聞いていましたが……」
『あくまで未確認な情報だ』
「でも藤堂さん達、まだ何もしていませんが……」
召喚されてからしばらく経つが、聖勇者がここ数ヶ月でやったことはレベル上げだけだ。もちろん細かいことを言うのならばアンデッドを克服したり色々やったが、魔王側に大きな打撃は与えられていない。
ルークスが勇者を召喚するきっかけになったのが友好国の滅亡だった。人族の領域は少しずつ、だが確実に魔王の手に落ちている。アレスが魔族を数体片付けたが、それで手が緩む程、魔王軍の層は薄くないだろう。
『何が起こったのかはわからないが、これは好機だ』
「……少し不気味ですね」
『ああ、その通りだ。だが、原因がわからないからといって足を止めるわけにはいかない。魔王軍側の戦力は強力だが無限ではない。押し返すチャンス、体勢を立て直すチャンスでもある』
クレイオの言葉にはしかし、その言っている内容と比べてあまりにも冷静だった。
『アメリア、相手にどのような思惑があろうと、魔王の首さえとってしまえば聖勇者の役目も終わる』
その言葉に、今更、アメリアはクレイオの台詞が激励であることに気づいた。
仕事をしたくなければさっさと終わらせろと言っているのだ。恐らくはそんなこと――不可能だろうが。
「……わかりました。アレスさんに伝えます」
『健闘を祈る。君達に神のご加護があらんことを』
慣れ親しんだ句を最後に通信が切れる。
アメリアは目を瞑り、しばらく脳内でその言葉を反芻していたが、すぐに目を開き首を横に振った。
神のご加護になんて頼るつもりはない。今も昔も。
未来は切り開くもの。欲しい物があるのならば、自らの手でそれを手に入れるだけだ。
そうやって生きてきたアレスをずっと見てきたのだから。
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