幕間その1

英雄の唄⑦

「……本当に大丈夫ですか? 魔導具の確認で海に潜ってから――随分と表情が硬いですが」


「……うん、もう大丈夫だよ。気にしても仕方がないしね」


 アリアの心配そうな言葉に、藤堂が暗い表情で頷く。


 かつては観光地としても知られていた美しい水の都にはあまりにも似つかわしくない表情。

 海の底で大物との邂逅を果たしてから数日が経過したが、未だ藤堂の調子は戻っていなかった。


 そこにあるのは恐怖ではなく――困惑だ。


 今までだって命を賭けて戦ってきた。死ぬほど苦手だったアンデッドだって克服した。多少強敵が出たところで、藤堂が気圧されるようなことはない。


 だがしかし――。


 黙って言葉を待つアリアに、言い訳のように続ける。


「いや、僕もこの旅の中で成長してきたつもりなんだけど……勝つ方法が……見当も付かなくてさ」


 目と目があったのは一瞬だが、その姿形は鮮明に藤堂の脳裏に染み付いていた。

 そしてそれ以降、何度か脳内で戦闘のシミュレーションを行ったが、その全てで藤堂は為す術もなく殺されていた。


 もちろん、即座に撤退に移った藤堂がその戦闘風景を見たのはほんの一瞬である。シミュレーションがどこまで正しいのかという問題もあるが、藤堂とてレベルアップによって、そして経験によって、力量差の見極めについてはそれなりに精度を上げている。

 何度確認してもどうにもならないというのは尋常なことではない。


「そこまでですか……マーマンはそれほど強くない種族のはず――もちろん個体差はあるでしょうが、短期間とはいえ、ゴーレム・バレーでの戦いを経験した我々にとってそこまで苦労する相手には――」


「何ていうんだろう……存在力が違った。もしかしたら、あれが『魔族』という奴かもしれないな……」


「……完全に魚人だったんですよね?」


「うん。完全に魚人だった」 


 即座に頷いた藤堂に、アリアは眉を顰めた。


 魔族はその全てが人を越えた存在だが、しかし魔族と一口に言ってもピンからキリまである。

 魔王が猛攻を奮っているこの時代、強力な魔族というのはすぐに各国に知れ渡る。戦闘経験のほとんどない一般人ならばともかく、聖勇者である藤堂がそこまで言う相手となると、限られるはずだ。


 アリアもそのお家柄、魔族の情報については詳しい。魔王に与している魔族の名前や能力、容姿などについては一通り教えられてきた。だが、その中に魚人に似た魔族などいない。

 そもそも、魚人は海で出会う魔物の中では弱い方だ。


「情報がないということは野良の魔族……? 可能性はありますが……といっても、海は完全に魔王の手の内にありますからね」


「ああ……海魔って言ったっけ?」


 藤堂の言葉に、アリアが小さく頷く。


 魔王軍の手により、船はその尽くが沈められている。海軍を持つ国も少なくなかったが、現在ではかろうじて抵抗出来ている国が少しあるくらいで、状況は惨敗と言っていい。

 それを為した魔族――魔王軍の幹部とされている海魔ヘルヤールは有名だ。高い知性と狡猾で残虐な性格。そして何よりも、歴史上他に類を見ない海に住まう大小様々な魔物を自在に指揮する能力により、人族を陸に閉じ込めた。


「海の魔族というと、それくらいしか――しかし、ヘルヤールは魚人ではないと聞いています」


「うーん……」


 となると、現時点でわかることは、正体不明の凶悪で魔族に匹敵するほど強力な魔物が近海にいることだけだ。


 藤堂が再び思考に入りかけたその時、それまで黙って話を聞いていたリミスが手を叩いた。

 呆れたような声色で話を変える。


「まったく、アリアもナオもそんな辛気臭い顔して――強い魔物がいるのはわかったけど、今やるべきことは精霊との契約でしょ」


 いつの間にか、港近くまで移動していたようだ。顔を上げ、潮気を含んだ冷たい空気を吸う。

 透き通るような青空に穏やかな水面。係留している船が港の規模に比べて小さいことを除けば、そこには平和な光景が広がっていた。


 藤堂達が港までやってきたのは、神殿に潜り水の精霊と契約を行う前に、その手順を確認するためだ。

 人魚アーマーが人数分出来上がるまでまだもう少しかかる。海岸に存在する水の精霊は下級だが、契約を交わす寸前までの手順を確認することくらいはできる。


 まだいつもの調子が出ていない藤堂の背を軽く叩き、やや語気を強くしてリミスが続ける。


「大体、ナオがその魚人と出会ったのって神殿から遠くなんでしょ? もう沖の方に行っちゃっているかもしれないし、万が一また出会ったとしても次に神殿に潜る時は私達も一緒なんだから――気をそらして逃げることくらいはできるわよ。私も、アリアも、グレシャもいるんだし」


「……そうだね」


 小さく頷いた藤堂に、アリアも付け足す。


「気にはなりますが、あまり深く考えるのも良くないかもしれませんね。それが魔王の手の者だったとしたら――たった一人海中にいるナオ殿を見逃したりはしないでしょう」


 確かにその通りだ。あの状態でもしあの魚人が襲い掛かってきたら――藤堂は逃げられる自信がない。それほどまでに力量差を感じた。

 これまでの経験があるからこそ、あの魚人の強さはわかる。


「ふふ……そもそも、魚人って頭悪いらしいし……もしも戦うとしても、なんとかなるんじゃない?」


 リミスがくすりと笑い、透き通るような青い目を藤堂に向ける。

 その言葉に、藤堂は改めて、仲間である魚人達に攻撃を仕掛けるその魚人の姿を頭に浮かべた。


 確かに……あまり物を考えてなさそうではあったなぁ。


 アリアとリミスがじっと藤堂を見ている。いつもつれない態度をとっているグレシャもこちらを窺っているようだ。


 そこでようやく、藤堂はぱちんと自分の両頬を叩き、気合を入れ直した。まだ腑に落ちないような気がするが、ずっと悩むのも性に合わない。仲間にずっと不安を見せるわけにはいかない。

 まだこれといった成果は出していなくとも、藤堂は勇者なのだ。


 気持ちを切り替え、藤堂は大きく深呼吸をした。


「……よし、考えても仕方ない。魚人については後で教会に報告を入れよう。リミス、さっそく精霊契約のやり方を教えてよ」


 勇者一行。未だ魔王討伐の見込みはつかなくとも、その歩みは一歩一歩、確かに前に進んでいる。

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