第十四レポート:サーニャ・シャトルの衝動

 銀狼族は群れを作る種族だ。元々、サーニャ・シャトルの遠い先祖は一年中雪と氷で閉ざされる大陸北方に連なる森林地帯の最奥に棲息していた。

 険しい自然の中、多種多様な魔物や精霊の跋扈する世界で生き延びるには恵まれた身体機能を持つ銀狼族でも統制された群れを作る必要があった。

 人に匹敵する知性を持つ狼。今では大森林から脱出し世界中に散らばり、その血も薄れているが、かつてその魂に刻まれたその習性はまだ消えていない。


 宿屋の中庭、サーニャは一人で立っていた。鋭い銀の目が中庭に立てられた訓練用の小さな的に向けられている。


 銀狼族は数ある獣人の中でも上位の能力を有する。

 切りそろえられた白銀の髪は靭やかながら並の金属糸よりもずっと強く、骨も筋肉も皮も何もかもが普通の人間と同じように見えてその実遥かに強靭。獣人の混血の証である尾も耳も感覚を補うものであり、人の持つ感覚とは根底が違う。

 特にサーニャは嗅覚に優れる。その能力は師であるブラン・シャトルをも超える程だ。

  

 だが反面、サーニャは銀狼族の強力な武器である爪や牙を受け継いでいない。腰にズラリとぶら下げられた投擲用、近接戦闘用のナイフと特注の弓矢はそれを補うためのものだ。


 サーニャは戦士としても一流だ。だが超一流には一歩及ばない。天性の身体能力、優れた五感に平衡感覚。矢やナイフの命中率は既に百発百中に近いし、近接戦闘のナイフ術も修めている。大抵の相手には勝利出来るだろう。だが、アレスの要望――銀狼と同じかそれ以上に強力な種である、鋼虎族の戦士と正面からぶつかり勝てるかというとかなり怪しい。いや、恐らく負けるだろう。ブランがアレスにサーニャを引き渡した時に述べた『半人前』とはつまりそういう事だ。


 サーニャは自分に自信を持っている。自分の強さや才能を確信している。だが、過剰評価はしてない。人と比べたらずっと強いが、何度もその自信をへし折られてきた。

 今でもサーニャは覚えている。ブランに弟子入りして一月目。可愛らしい垂れ耳をした兎人の少女との模擬戦で、殺されかけた時の事を。

 おどおどした態度から放たれた閃光のような一撃。数年たった今もサーニャはそれ以上の一撃を見たことがない。


 短く息を吸う。全身に力が流れる。緊張と弛緩。張り詰められた弓の弦を解き放つかのように、サーニャは手を動かした。

 腰から抜いたナイフが流れるような動作で投擲される。至近で見ている者がいたとしても、その瞬間を見定めることは難しいだろう、神速で放たれた小さなナイフは狙い違わず的に突き刺さった。


「ッ……」


 短く呼吸を繰り返し、サーニャが連続でナイフを放つ。まるで舞でも踊るような動作から放たれたそれは回転することもなくまっすぐに三十センチ程の小さな的に刺さっていく。もしも望むのならばサーニャは誤差一センチ未満の範囲でナイフを命中させる事ができる。大道芸だと揶揄されることもあるが、止まった的に正確に当てる事すらできずどうして実戦で使えるだろうか。

 続いて、身体を動かしていく。地面を蹴り、狭い中庭を電光石火の速度で跳ねていく。地面はもちろん、壁も木などの小さなオブジェクトもサーニャにとっては地面と変わりない。跳ねながらナイフを投擲する。既に数本のナイフが刺さった小さな的。他に刺さったナイフにぶつけないように注意しながら命中させていく。たんっ、たんっと、ナイフの刺さる短い音がサーニャの集中を研ぎ澄ませていく。


 サーニャはまだ成長期だ。手足も伸びるし体重だって増える。胸が成長すれば重心がずれる。五感が磨かれれば平衡感覚だって変わるだろう。日々の基礎演習によって成長により発生する感覚差異を修正するのはサーニャの日課だった。


 強い者を見ると本能が昂る。だが、自分に出来る事はコツコツと積み上げることだけだ。


 少しずつ速度クロックを上げていく。意識の全てを訓練に注ぎ、感覚を引き伸ばす。ふとその時、きらきらした小さな物が視界を横切った。


 サーニャの手がほぼ反射的にナイフを投擲する。


「ッ――」 


 矢のように飛んだナイフは視界を横切ったもの――回転しながら落下するコインの中心を見誤ることなく貫いた。真っ二つになったコインが地面に落ちる。サーニャの耳に賞賛の声が入った。


「大したものだな」


「ふーッ、ふーッ……変なこと、しないでよ」


 出てきた声はかすれていた。足音も立てずに中庭に入ってきたのは現在のサーニャのボスだ。


 アレス・クラウン。サーニャの髪よりも鈍い銀髪と緑の目をした異端殲滅官クルセイダー。まだ若いはずだが、疲労の滲んだ表情はどこか老成して見える。


 教会の保有する強力な戦闘員の話は師から聞いていた。神に反するものを尽く滅殺する神の兵士。しかし、サーニャがそのイカレ具合を実感できたのはごく最近だ。


 実際に目で見なければわからないものがある。強いという話は聞いていた。だが、自分よりも上だとは思っていなかった。相手は僧侶でおまけに人間だ。優位は自分にある。


 片鱗が見えたのは船の中、魔物への威嚇の持続時間を聞かれた時だ。サーニャが精神を集中し魔物を遠ざける事ができるのは二時間から三時間。だが、それを聞いたボスはその時間に感心することもなく、ただそれ以外の時間は自分が受け持つと言った。威嚇出来る時間が強さに直接繋がるわけではないが、並以上に『威嚇』できるサーニャの数倍というのは尋常な話ではない。

 ずっと窺っていた。船の中でもレーンに入ってからも。ボスが弱かったとしても態度を変えるつもりはなかったが、力量を観察してしまうのは銀狼族の性だ。そしてその結果が物語っていた。


 だからこそ、サーニャは居ても立ってもいられないのだ。

 アレスが真っ二つに切り裂かれた金のコインを拾い、ポケットに入れる。馬鹿でかいメイスは置いてきたのか、身軽だ。

 アレスは綺麗に円を描くようにナイフの刺さった的をちらりと見て、サーニャに言う。


「素材をゾランに渡してきた。素材さえあれば作るに時間はかからないらしいが、一つ問題がある」


「……何さ?」


 サーニャは軽く柔軟し、呼吸を整えながら尋ねる。恐ろしく強いボスは深刻そうな表情で額を押さえた。


「サイズが……分からない」


「……」


「これは冗談じゃないぞ、サーニャ。連中のスリーサイズが必要だ。下はともかく、事前に人魚アーマーを用意してもらうには胸のサイズがいる。ああ、お前のはいらない。ゾランは見ただけで胸の大きさが分かる魔導具を持っているらしい、いつ使ったのか知らんが、お前のサイズは知っていた」


 アレスの表情からは冗談を言っているようには見えない。サーニャは脱力した。的に近づき、ナイフを一本引き抜きその刃をしげしげと見る。


「……ボスって大変だね」


「アメリア達はこのままなら後三日程でレーンに辿り着く。三日くらいなら待ってもいいが……サーニャ、お前、ラビとアメリアの胸のサイズ知らないか?」


「知るわけないでしょッ! ボスはボクを何だと思ってるのさ!」


 サーニャはラビの兄弟弟子だし、アメリアとも初めに対面したが、見ただけで胸のサイズが分かるような変態じみた観察能力は持っていない。斥候には観察力も求められるが、さすがにそんなところまで見ているわけもない。


「そうだよな」


 肩を落とすアレス。その姿にサーニャは少しだけ面白くなって茶化すような声色で提案した。


「……アメリアさんから毎日通信きてるんだよね? 聞いたらいいんじゃない?」


「もう確認して……切られた」


「わあ」


「弁明する間もなかったぞ、クソッ。最初に理由から入るべきだった」


「ボスってたまに頭おかしいよね」


 常識人ぶっているが、たまにおかしい。デリカシーってものをどこかに置いてきているとしか思えない。

 呆れ果てながら忠告する。


「一応言っとくけど、ラビはそういうの苦手だから対面して言わない方がいいよ。首が飛ぶから」


「……心に留めておく」


 ラビは一極型で制約が多い。例えば彼女はサーニャが知る限り依頼人殺しを五回程やっている。その中の幾つかはサーニャから見ても自業自得だったが、それ以来サーニャは事前に忠告するようにしてた。それが有効かどうかは置いておいて。


 元々いい返事を貰えるとは思っていなかったのか、アレスがナイフを順番に回収し、サーニャに手渡してくる。至近から感じる膨大で静謐な存在力に、サーニャは気づかれないくらいに小さく息を呑んだ。


「今後の行動について話し合いをしよう。悪いが自主訓練は後にしてくれ」


「……了解」


 ラビが辿り着くまで三日か、と、サーニャは声に出さずに頷いた。

 身体がウズウズする。やはり遊び半分の狩り勝負などでは衝動は消えないらしい。どちらが強いのか、一度実際に矛を交えてみなくてはいけないだろう。

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