第十三レポート:海中戦闘訓練について
どこまでも広がる荒野には大地にも空にも遮るものは何もない。
「サーニャちゃんは負けず嫌いなのです」
満天の星空の下、ぱちぱちと燃える焚き火の前で膝を抱え、ラビが言った。
厚い外套が腰に下げた鉈の形を浮き彫りにしている。
ラビ・シャトルは休憩中も決して愛鉈を身体から離すことがない。アメリアはそれを眺めながら気の抜けた返事をした。
「はぁ。負けず嫌い、ですか」
山を越えてから大きな問題は発生していない。もう間もなくレーンにつくだろう。
ラビはお喋りだ。ほとんど愚痴のようなものだったが、アメリアはここ数日ですっかりラビに慣れていた。アメリアの言葉にラビが頷く。
「だから、サーニャちゃんがボスの方に行きました。私からすれば理解し難いことですが、狼であるサーニャちゃんにとってボスというのは重要ですから」
「弱い者には従わない、と?」
アメリアの問いに、ラビはくすりと笑った。小さな枝をぽきりと折り、焚き火に焚べる。
「いえ……野生の銀狼族じゃあるまいし……どちらかと言うと、強い者に敬意を払うといったほうがいいでしょう」
「敬意……」
「それはもう銀狼族の本能と呼べます。私からすれば――理解しがたいことですが」
ラビがもう一度同じ台詞を吐き、ゆっくりと深呼吸をして言った。
輝くような紅の目にはどこか慈しむような色が見える。
「サーニャちゃんは強い者を見ると……勝負を仕掛けずにはいられない性分なんです。たとえ勝てそうにない相手だったとしても」
「……そんなんでよく今まで生き延びられましたね」
それ、無謀さだけならば藤堂さん達と変わらないんじゃ……。
思わず放ったアメリアの言葉に、ラビは少しだけ微笑んで答えた。
「運が良かったのです」
§ § §
「……ほー」
勿論殺す気はなかったが、手は抜いていなかった。思わず感嘆の吐息を漏らす。
完璧なタイミングで振り下ろしたメイスが空を切る。メイスの頭はその身体に掠ることもなく砂浜に突き刺さった。
「な、なんてことするのさ……ッ!」
刹那の瞬間に地面を蹴り回避、一瞬で数メートル離れてみせたサーニャが俺を見て慄く声をあげる。強張った頬、その銀の目が細められ俺を見ていた。
恐ろしい初速である。残像すら残さない神速の回避はまさしく斥候の身のこなしに違いない。
メイスをゆっくりと持ち上げる。その身体が僅かに強張ったのが見える。
「ルールに攻撃しないは含まれていないからな」
「……普通しないよ」
「よく回避出来たな」
心底感心する俺に、サーニャが数歩軽いステップを踏む。余裕がありそうだが、その表情は強張ったままだ。
「……ラビも師匠もやってくるからね。それにボス、師匠との賭けで似たようなことやったでしょ?」
俺が初めてではなかったか……避けられるわけである。
思わず舌打ちする。よく仕込まれてる。吐き捨てるように言う。
「そいつは……頭おかしいな」
ブランはともかくラビまでか。
「ラビもボスにだけは言われたくないと思うよ。じゃあね」
砂浜という不安定な足場も物ともせず、サーニャは凄まじい勢い駆けると、大きく跳んで美しいフォームで海に飛び込んでいった。
警戒の薄かった初撃を避けられた以上、二撃目も当てられないだろう。値引きしそこなった。
「……チッ。……まぁいい。真面目に素材でも集めるか」
功績には報酬がいる。勝負に勝てたとしても、既に報酬はブランに全額払っているのだ。今更サーニャを説き伏せたところで取り戻せるとも思えない。
それどころか、キャッシュバックと引き換えにやる気を失われても敵わない。頼りになるところを見せてもらっただけで儲けものだと思おう。
§
結果は圧敗だった。
「ボスは力は強いけど、遅いね」
結局、サーニャが海から上がってきたのは日も暮れた後、期限が過ぎた後だった。俺を警戒していたのかあるいは本気で素材を集めていたためか、一度も休憩を挟まなかったようだ。
大きな網を引きずって砂浜に上がると、ぶるぶると身体を振り、髪と尻尾の水滴を飛ばす。本当に犬のようだ。
軽く息を乱すサーニャに呆れを込めて返した。
「俺が遅いんじゃない。お前が速いんだ」
「よく言うよ……ああ」
どこか恥ずかしそうに顔を顰めるサーニャ。
曲りなりとも獣人の血の混じった者とただの人間を比べてはいけない。ベースが違うのだ。本人もそれを理解しているのだろう。
網の中に入っている量。詳しく数えなくても勝敗は明らかだった。
サーニャも同じ事を考えているのだろう。網から顔を背け、俺を見上げて言う。
「ボスさー、何でボクの邪魔をしなかったの? ……いや、最初はしたけどさ」
「いや、お前の邪魔をしたら素材が集まらないだろう」
「よく言うよッ!」
俺にペナルティはないのだ。キャッシュバックされないのは残念だが、それを優先して素材が集まらなかったら本末転倒である。
網の中にはきらきら輝くヒトデや貝、透明な海藻が入っている。どうやってこんな素材で人魚アーマーが出来るのか理解できないが、強い魔力を秘めた貴重品なのだろう。
実際に俺も海中を探したがほとんど見つける事が出来なかった。想像以上の難易度だ。
俺は、自分が水中で倒し苦労して砂浜まで引きずってきた巨大なイカを見下ろし、なんとも言えない気分になった。
サーニャがぷくーっと頬をふくらませる。その子供っぽい仕草に目を見開く。
「ボス、本気でやるって言ったじゃん‥…」
「本気でやったが……」
「じゃあなんでジャイアントテンタクルなんて獲ってるのさ!」
海を潜っていたら襲われたので……。
海底でのテンタクルは海上で戦うものよりもずっと強かった。何しろこいつらは俺よりも泳ぐ速度が速いし、海中ならば縦横無尽に動ける。
加えてこちらは海中では呼吸ができないし水中では抵抗だってずっと高い。ずぶ濡れになった法衣の袖を絞る。海水が砂に吸い込まれる。
「相当沖まで行かないと出ないはずだよ、こんなの!」
そんなの知らん。出たんだから仕方がない。そんなに遠くには行かなかったのだが……迷いイカだろうか。
勝負に勝ったというのに、サーニャは不満そうだ。素材を集める勝負をしていたいのに相手がイカと格闘してたらそりゃそうもなるだろう。
網を持ち上げ、中身を確認する。
「素材はまだ足りないな?」
「? そりゃ、一日じゃ集まらない、けど……」
こちらとしても見くびられたままで終わるのは業腹である。良いビジネスには互いへの敬意が必須だ。
腕を大きく回す。海中での動き方も今日一日で大体分かった。呼吸の限界も。
「ならば明日二回戦だ。覚悟しておけ」
俺の言葉にサーニャが一瞬きょとんとし、すぐに目を輝かせる。ぐっと拳を握り立ち上がった。
「ッ! そうこなくっちゃ」
見たところサーニャは負けず嫌いのようだが、俺だってこれでも異端殲滅官の一位を担っている。プライドに賭けてそう簡単に負けるわけにはいかない。
今日はただちょっとだけ運が悪かっただけだ。
§
サーニャの表情には既に拗ねた様子はなかった。ただ眉を顰め、不思議そうに俺を見上げる。
美しい砂浜は巨大で奇怪でグロテスクな魔物で所狭しと埋まっていた。
「ボスさ、別に馬鹿にしてるわけじゃなくて純粋な疑問なんだけど、どうやったらこんなに大物ばっかり獲ってこれるのさ?」
「何かやったわけじゃないッ! 襲われるから返り討ちにしているだけだッ!」
サーニャが不審そうな表情で分厚い藍色の表皮をした十数メートルもある蛇のような生き物につま先で触れる。陸揚げしてからしばらく立っているが表皮はまだ粘液で濡れていた。濁った目が太陽を見上げている。
「いや、シー・サーペントとか相当沖に行かないと出てこないはずだし……」
「……迷いシー・サーペントだろ」
「ボス、昨日も一昨日も三日前も、勝負始めてから毎日似たようなこと言ってるよね?」
ジトッとした視線に顔を背ける。
神に誓っていうが、俺は毎日真面目に素材を探していた。だが出てくる。呼んでもいないのに出てくるのだ。そして魔物が現れたら戦わざるをえない。おかげでここ数日ですっかり海中戦闘に慣れてしまった。
それはそれで構わないんだが――。
「もしかして俺って、運……あまり良くないか?」
「ッ……ほんっと、信じられないよ、ボス。死神に好かれてるんじゃない?」
サーニャがためにためて一気に吐き出す。今日も今日とてサーニャの網の中はきらきら輝いていた。俺が成長しているようにサーニャも素材集めに慣れてきているらしく、ここ数日で一番の戦果だった。
あがいているのにまともな勝負にすらならない。どうやら海は鬼門のようだ。
サーニャが肩を落とし力の抜けるような声をあげる。尻尾がしょんぼり項垂れていた。
「……まぁ、これで多分全部集まったから……勝負はこれでお終いかな。なんだろう、勝ったはずなのに全然嬉しくないよ」
サーニャを雇って本当によかった。
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