第十レポート:手段を手に入れる手段について

 まさにその速度は閃光のようだった。アメリアの眼には抜刀の瞬間すら見えない。

 牛程の大きさの狼の首がゴロリと転がる。遅れて残ったその身体が大地に崩れ落ちた。鉈を振り切ったラビが、血の一滴もついていないそれを下ろし、腰の鞘に収める。


 一流の剣士でも成し遂げ得ないようなその卓越した腕前に、アメリアはブルリと首を震わせる。


 肌の見えないだぼだぼの袖。伸びた細腕からその戦闘能力は欠片も予想できない。実際に、アメリアが彼女に狙われたとしたら殺されるその瞬間までその挙動に気づかないだろう。

 それほどまでにその動きは速くそして的確で、慣れていた。


 切り離された首。その綺麗な切断面からは断ち切られた太い首の骨がよく見える。ラビはそれに注意することもなく、とんと地面を蹴って騎乗蜥蜴に飛び乗った。


「さぁ、さっさと藤堂さん達を追いましょう」


「……」


 山を下り、視界には地平線の先まで荒れ果てた地が広がっている。数少ない獲物を求める魔獣の姿もぽつぽつと見えた。

 食わせ者だ、とアメリアは思う。それまでの旅路でラビは一切その力を見せる気配はなかった。魔物が襲って来ても逃走を選択していたが、村を全滅させてからはその力を隠すつもりはないらしい。


 刃は勿論、衣装や肌にも血の一滴もついていない。恐らく匂いもついていないのだろう、荒野で襲い掛かってくる魔物は皆ラビを獲物だと見なし、そして断末魔を上げることもなく死んでいった。

 巨大な魔獣ソド・ベアーの首を引きずってきた時点で分かっていたが、アメリアが改めてため息をつく。


「……強いんですね」


「隙を狙っているだけです」


 事も無げにラビが答えた。

 生贄名目で旅人を食い物にしていたとはいえ、小さな村を全滅させ証拠まで隠滅してのけたとは思えないあっさりとした回答。驕りの欠片もないその声に、逆にアメリアは戦慄を禁じ得ない。


 多少の犠牲は覚悟の上だ。村の全滅なんてよくある話でもある。恐らく、村を訪れその真相を暴いたのがアメリア達ではなかったとしても、村長達は何らかの制裁を受けていただろう。

 だがしかし、ラビは一切の釈明の余地を持たなかった。まるで雑草でも狩るように殺戮を執行する様子は常人ものではない。

 じっと進行方向から視線を外さず、ラビが言う。


「私は弱いので、ためらうと死ぬのです。師匠からも教えられました」


「……傭兵なんてやめればいいのでは?」


「自衛手段が必要でした。兎人のハーフは……人やエルフよりもずっと高く売れますから。特に私の身体に発現した獣の因子――血の混じり方はとても高く売れる混じり方なのです」


「……」


 ラビの言葉には感情が込められていた。高く売れる、という言葉にアメリアは口を噤む。

 その手の噂は場所を問わず聞くものだ。珍しい獣人が高く売れるというのはその手の情報にあまり詳しくないアメリアでも知っている事だ。ルークス王国は大国で法も整っているので人身売買の噂はあまり聞かないが、一部の国では国が率先して人を売り買いしている所もあるらしい。

 ラビの容姿は整っている。血管まで見えそうな透き通った白い肌に宝石のような瞳。見た目も人間にかなり近い。さぞ好事家に高く売れる事だろう。


 むっとしたように黙り込んだアメリアに、ラビが早口で付け足した。


「それに、傭兵にならなかったら……誰の首を狩ればいいんですか。犯罪者になってしまいます」


「……」


 アレスさん、助けてください、この人犯罪者です。


 アメリアは額を押さえ、眉を歪めてため息をついた。


§


「はい、こちらは順調です。恐らくあと数日でそちらにたどり着きます」


 旅路は順調だった。山を越えれば後はレーンまで一直線だ。

 レーンを擁するルセルフォは小国だ。国としての成熟度は大国ルークスよりも遥かに劣るが、山と海に囲まれた立地故に魔王軍の猛撃にさらされていない、平和な国の一つである。

 荒野の魔物も魔王軍配下ではなく、特筆するような強力な魔物はいない。


 実際に、山を下ってからアメリア達が魔物と戦闘をしたのは数える程だ。それも、ラビが騎乗蜥蜴の体力を慮ったからであり、鞭を打てば逃げ切れただろう。


 アメリアの報告に、遠くレーンから上司の言葉が返ってくる。


『そうか。よくやった。問題がなくて本当によかった』


「そちらでは何か問題が?」


 疲れているような声。しばらく沈黙した後、アレスが言った。


『……神殿へ行く手段の取得に手間取っている。下らない問題なんだが……アメリア、一応聞くがお前、精霊魔術は使えるか?』


「……使えません」


 魔術の種類は数え切れないくらいに存在し、しかもそれぞれ理論が違う。精霊魔術は有名な魔術だが、魔力はあっても精霊と契約しなければ使えない代物だ。アメリアがいくら優秀な魔導師だったとしても一朝一夕で身につくようなものではない。

 アメリアの答えに、深々とため息が返ってくる。


『やはり使えないか……ああ、大丈夫だ。アメリアが使えたとしても、藤堂達がどうにもならないんじゃ意味がない』


「何があったんですか?」


『神殿に向かうために必要な魔導具の製造者がクソジジイなんだ』


「ク……ソ……?」


 本気で怒っているわけでもない、ただただ力のない声。ラビが焚き火を調整しながらアメリアを見ている。

 そちらを眺めていると、アレスはもう一度深々とため息を漏らして続けた。


『まぁともかく、こちらの心配はしなくていい。アメリアは無事辿り着く事だけ考えてくれ。ああ、なんとかする。なんとかするとも』


「…………わかりました。しかし、魔導具ですか……なんという名前の魔導具ですか? もしかしたら心当たりがあるかも……」


『……『人魚アーマー』だ』


 ぶちりと通信が切れる。アメリアはその言葉を頭の中で反芻し、ぱちぱち瞬きした。

 相変わらずフードを深々と被ったラビがアメリアを見上げて可愛らしい声で尋ねてくる。


「何かあったですか?」


「……いや、いつも通りみたいです」


 アメリアは少しだけ迷い、憮然とした表情を向けた。




§ § §



 レーン唯一の魔導具職人は俺の半分程の背丈しかない老年の男だった。

 全体的にずんぐりむっくりした身体、髭面に半月型の眼。赤茶色の癖のある長髪にブラウンの眼。身体の大きさからして手先が器用な事で有名なドワーフ族の男だろう。

 鍛冶師や細工師など、技術の必要な職についている事が多く、真面目で有名な種族だが、その男は派手な柄物のシャツを着ていて、どことなく浮ついた雰囲気があった。


 店構えにも重厚さはなく、大きな看板には黄色のペンキで店名が書かれている。外部からはとても貴重な魔導具を販売する店には見えない。


「悪いが、もう一度言ってもらえるか?」


「うしゃしゃしゃしゃ……残念じゃが、儂の魔導具は男には売らーんッ!!」


 奇妙な笑い声と無駄に力強い言葉。どことなく嫌らしい目つきが俺の後ろに立つサーニャの剥き出しの太ももに這うように向けられていた。事前に知っていたのだろう、サーニャが諦めたような疲れた笑みを浮かべている。


 俺は久方ぶりに胃がキリキリ痛むのを感じていた。


「何故だ?」


「なぜだもなにもあるかいッ! 儂は可愛いおねーちゃんを救済するために魔導具職人になったんじゃああああああッ! この美しい『人魚アーマー』を見てまだ寝言ほざけるか? ん? お主まさか着るつもりか? 儂の最高傑作を汚すつもりかぁ!? うしゃしゃしゃしゃ――」


 ばんばんカウンターを叩き、その裏から出してきた布切れを持ち上げ、目を輝かせ嫌らしい笑い声を上げる。

 男の手がしっかり握っているのは水色のビキニだった。 


 おかしいな……俺、魔王討伐の旅をしてるはずなんだが、これは夢かな?

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