第五レポート:雇った傭兵の能力について

「海を渡るって言われた時点で薄々感づいていたけど……何で師匠がボクを派遣したのかわかったよ」


 嵐をなんとか抜け、船は再び平穏を取り戻していた。

 与えられた船室で、大きく背筋を伸ばしながらサーニャが言う。濡れたローブは完全に放り投げられ、濡れていた尻尾もすっかり乾いていた。


「師匠は嫌がらせをするんだ。いつだってボク達をとんでもない仕事に放り込む」


「不満があるなら聞こう。食料や備品支給、給料も戦闘の有無にかかわらず一律で出している。回復魔法もあるし、場合によってはボーナスも出る」


「鋼虎と戦うことは聞いていたけど、塩水を頭から被って巨大な蛸やアンデッドを相手にするとは思わなかった。これは詐欺だよ」


「違う。鋼虎と戦うなんて言っていない。鋼虎に勝てる人材が欲しいと言っただけだ。『僧侶プリースト』は嘘をつかない。そもそも、アンデッドはお前、戦ってないだろ」


「あああああああああ、騙されたああああああああ!」


 髪をごしごし掻いてサーニャが叫ぶ。しかし、もともと俺が契約を交わしたのはその師匠のブラン・シャトルであって、彼女ではない。

 経験豊富なブランが俺の言葉の意味を取り違えている事はありえないだろうから、確信犯だろう。


「帰るか?」


「冗談。逃げ帰ってきたことがバレたら師匠に何をされるか……」


 俺の言葉に肩を竦めてみせる。どうやら途中で仕事を放り投げる程無責任ではないらしい。

 塩水を吸って乾いた尻尾を忌々しそうに撫で、サーニャがこれみよがしにため息をついてみせる。


「後でちゃんと洗わないと……」


「仕事に支障が?」


「……ボスは戦闘に支障がないと身体を洗わないの?」


 銀狼族、と言っていた。

 勇猛で秩序ある群れを作る、鋼虎とはまた異なる性質を持った獣人の一種だ。サーニャはそれと人との混血で、耳と尾、そして髪の毛の色を除けば人と変わらないが、森や山の奥に群れを作って静かに暮らしているらしく、鋼虎族とはまた異なる意味で人里で見ることがない。俺も戦ったことはない。


 肉体能力に秀でた獣人は鎧などほとんど纏わない事が多い。サーニャも同様で、ハーフパンツと上半身を覆う水着のようなシャツを除けば健康的な褐色の肌が露出している。フードつきの外套を着せるのにも苦労したくらいだ。

 アメリアにもう一人――ラビをつけたのは、サーニャの方が手を焼きそうだったからでもある。


 俺はサーニャの言葉には答えず、話を変えた。


「船乗りから、獣人であることに対しての反応はあったか?」


 獣人差別はどこに潜んでいるかわからない。大部分が人であっても、色眼鏡で見られることもある。

 サーニャは尻尾から手を離し、俺の方をその銀の瞳で真っ直ぐ見る。


「大丈夫。亡霊船ゴースト・シップを追いかけようとするイカれた僧侶プリーストの話しかしてないよ」


「……」


「ボスには負けた、負けたよ。インパクトが違うよね。ボスから比べたらボクなんて綺麗な耳と立派な尻尾のついた、ただの人だ」


「別に勝負してるわけじゃねえ」


 俺のレベルを上げる機会はほとんどない。数多の魂が混ざってできた存在のせいか、あれはいい存在力を持っていた。できれば吸収しておきたかった。


 まるで自分に言い聞かせているようにサーニャが吠える。


「でも、次は負けない。ボクは水浸しになって蛸と戦うために来たわけじゃないんだ。ボスがいくら戦闘狂だったとしても、ボクの仕事を取ってもらっては困る」


 誰が戦闘狂だ、誰が。グレゴリオと一緒にするんじゃない。

 胸を突き出し自信満々に言うサーニャに答える。やる気があるのはいい事だが、この気性が問題にならなければいいが。


 いきり立つサーニャを落ち着かせるように言う。


「ああ、分かってる。ここはまだ前座ですらないさ。レーンについてからが本番だ。そんな興奮しなくても、これから魔族をたっぷり食わせてやる」


「……ボク、斥候スカウトで、戦闘は本業じゃないんだけど?」


「俺は僧侶プリーストだ」


「嘘だ」


「……」


「ゼッタイ嘘だ」


「……」


 俺が僧侶じゃなかったら何だと言うのだ。好きでメイス振るってるんじゃないんだぞ、俺は。

 そして、それをなんとかするために高い金をはたいてこいつらを雇ったのだ。もう俺は二度と鋼虎となんかと戦わない。


 早速俺に変な評価をつけてしまったらしいサーニャの肩を叩く。


「弓の腕は見事だった。期待してる」


「……うん。出来ることはやるさ」


 褒められるのに慣れていないのか、サーニャは全て無視して話しかけた俺に、しおらしく頷いた。


 しかし、確かに嵐の中、テンタクルの急所を見極め一矢で貫く腕前は素晴らしかったが、それだけで鋼虎族を倒すのは難しいだろう。

 鉤爪も持たず半獣人故に肉体能力は純粋な獣人よりも低いはずだ。武器もナイフと弓の他持っている様子はない。他にも何か奥の手でもあるのだろうか。


 確認するか迷う。傭兵にとって己の手の内は命と同義だ。易易と明かすべきではないし、詮索するようなものでもない。ましてやサーニャはステイのように身内じゃないのだ。


 弓の整備を開始し始めたサーニャを見ていると、ふと船の外が騒がしくなってきた。


「おい、オーシャン・サーペントの群れが近づいてくるぞッ! クソッ、亡霊船に出会っただけでも最低の不運だってのに、この広い海で両方に出会う日がくるなんてッ!」


「護衛を呼べ。急げッ!」


 どたばたと足音が近づいてくる。

 嵐に出会った上にさらに魔物の群れか。海は陸よりもずっと危険だな。


 サーニャが小さく吐息を漏らし、立ち上がる。整備したばかりの弓を背負い、柔軟を始める少女に、眉を顰めて尋ねる。


「サーニャ。お前、運が悪いって言われないか?」


「え? ボクのせいにしないでよ。ボスでしょ」


「いやいや。俺は割と運には自信がある。お前が死神だ」



§



「レーンが見えたぞ!」


 見張りの声に、ロモロ船長が拳を握り短い息を漏らす。

 一瞬の気も抜けない航海。それまで必死に船を操っていた船乗りたちが歓声をあげた。


 広く取られた窓の向こう、水平線の近くに小さな町並みが見えた。この距離までくれば流石に大物が襲ってくる事はないだろう。

 十一日に及んだ航海は一日たりとも平穏な日はなく、毎日何かしら大物が襲ってきていた。テンタクルに始まり、亡霊船やサーペント、船の数倍はある巨大な亀に、空を飛ぶサメから、太陽を覆い隠す程巨大な鳥まで。半分くらい嵐の中だった気すらする。恐らく俺一人だったら船を守りきれなかっただろう。


 船員達の歓声に、日を追うごとに表情がこわばっていたサーニャもほっとため息をつく。

 常に揺れ動く地面に、冷たい水、そして弱い船員達を守らなければならないプレッシャーはさすがにブランの下、厳しい鍛錬を受けたサーニャでもくるものがあったらしい。


「……海の戦闘がこんなにしんどいとは思わなかった。威嚇が効かない奴が多すぎる」


 この危険な時代に海に出ることを決意した勇猛な船乗り達が次から次へと倒れていく様子は悪夢だった。回復魔法で即座に治療していかなかったら、船を操作出来る人間がいなくなってしまったかもしれない。


 最後まで海を確認し、油断なく指示を出しているロモロ船長が俺の言葉を聞き取り、呆れたように言った。


「……いや。今回の航海は酷かった。海の災害の見本市みたいなもんだ。俺が船乗りになって最低最悪だ。無事に辿り着けたのが奇跡だよ」


「よかった……これが最低最悪なのか。これ以下はないんだな?」


「……これ以下となると、件の海魔に出会うくらいしか想像できん」


 顔をくしゃっと顰める船長。

 これが最悪だというのならば、俺は最悪を乗り越えたという事だ。レベルは上がらなかったが、経験はできた。もう海は怖くない。

 そしてやはり、そんな災害を呼び寄せてしまうサーニャの運は最悪なのだろう。


 俺の考えている事を察したのか、サーニャが心外そうな目で俺を見る。

 サーニャを連れて船に乗る際、俺は彼女と船員との間にトラブルが起こることを覚悟していたが、結局戦いに継ぐ戦いでトラブルが起こるような余裕はなかった。そういう意味ではラッキーだったかもしれない。

 さすがに気性の荒い船乗り達も、自分の数倍、ともすれば数十倍もの大きさの相手を何度も退ける少女を見て、何かしでかす者はいなかったようだ。


「……先に言っとくけど、多分死神はボスだから」


「喧嘩はやめておこう。今は無事にたどり着いたことを喜ぶべきだ」


「……もう海は当分いいかな」


「大丈夫、海上はもう終わりだ。次は海底だ」


 神殿は海底にあるらしいからな。

 大真面目な俺の言葉に、サーニャがこの世の終わりでも見たかのような表情をした。


「……ちょっと外の空気、吸ってくるね」


 重々しい足取りで、サーニャが消える。まだレーンに移動しただけなのに、本当に堪えたらしい。

 尻尾を垂らして去っていった少女に、ロモロ船長が同情したような声を出した。


「彼女、傭兵なんだって? まだ若いみたいだし、ちゃんとケアしてやった方がいい」


「……ああ」


 年配者のごもっともな忠告に、軽く頷く。

 あらゆる手を使ってようやく見つけた人材なのだ。そう簡単に逃してなるものか。


§



 サーニャは船首にぽつんと立っていた。その哀愁漂う後ろ姿に流石に船乗り達も声をかけられないようで、ちらちらと気にしながらも側に近寄る者はいない。


「ラビがボスにつけばよかったんだ」


「……」


「ボスの方が強かったからって、こっちについてきたボクが間違いだった。ボスは頭おかしいし、いくら海が危険だと言っても魔物があまりにも多いし、ボスは頭おかしいし、ブラックだ。百本も持ってた矢がもう十本しかない」


 どうやら精神疲労が限界らしい。尻尾をゆっくり振りながら立ちすくむサーニャの細い肩を叩き慰める。


 サーニャは傭兵で、背負っているものがない。逃げようと思えばいくらでも逃げられるのでなんとか留めねばならない。


「サーニャ……矢がなくてもナイフがあるだろ」


「ボスさぁ……もっと何か言うことないの?」


「矢は経費で落ちる」


「違う。違うよ、ボス。それは当然だし、情緒の欠片もないよ」


 お前ら雇った金、私費なんだけど……。

 というか、思ったよりも繊細なんだな。銀狼族はもう少し勇猛なものだと思っていた。こんなんで鋼虎族に勝てるのだろうか? 猪突猛進よりはマシだが、不安でならない。


 瞳を伏せるサーニャの姿からは気高さも強さも見えない。最初に見た時の小生意気な様子はすっかり海に流れてしまったようだ。海って怖い。


「サーニャ、よく聞いてくれ。お前は前任者よりもずっと優秀だ」


 なにせ、サーニャはドジったり転んだりしない。メンタルは多分前任者の方が上だったかもしれないが……。

 俺の言葉に、サーニャが瞬きしてこちらを見上げる。髪の色よりも濃い銀の目には涙が浮かんでいた。


「報酬には色をつける。お前の師匠にも活躍は話しておこう。だからもうちょっとだけ力を貸してくれ」


 もうちょっと――そう、藤堂が魔王を討伐するまでだから、後三年くらいかな。


 さすがにアメリアと二人でのサポートは避けたい。船に一緒に乗っていたのがアメリアだったら体力的に持たなかっただろう。

 真剣な表情で頭を下げる俺に、サーニャが戸惑ったように言う。


「……本当に、優秀だった? 前任者より?」


「ああ」


 前任者はやべえやつだったからな。それと比べたらメンタルが多少柔いくらいなんだろうか。実力もあるし、癖がなくて使いやすい

 どうやらサーニャは単純らしい。少し目の色が明るくなる。


「大丈夫。船長も言っていただろ、最低最悪の航海だった、と」


「そ、そうだよね」


「多少、大変ではあったが――もうこんな事はないはずだ」


 もちろん、お前の運が悪いせいだなどとは言わない。結果良ければ全て良しだ。

 俺の慰めに、しかしサーニャがジト目を作る。


? 今、多少って言った? 正直、ボスと一緒にやっていく自信ないな」


 多少だ。海の魔物は巨大で船上という不利な場での戦いを強いられたため厄介ではあったが、強くはなかった。必死で撃退したおかげで死者も出ていない。

 やはり人員が一人増えるというのは非常に助かる。さすがに十一日は不眠不休で働くには長すぎる。それをせずに済んだだけでもサーニャを雇った意味があった。


 遠く、レーンの町並みに視線を向けながら続ける。


「サーニャがいなかったら、俺はボートでレーンまで来る羽目になっていた」


「冗談に聞こえないよ……」


 冗談ではない。IFを考えることに意味なんてないが、海でこんなに魔物が現れることを知らなかった頃の俺ならば、決行していてもおかしくない。

 いや……運が悪いサーニャがいなければ魔物は出てこなかったのか?


 白い目で俺を見るサーニャに、悔しげに言う。


「惜しいが……本当に惜しいが、サーニャが本当に嫌ならば契約はここで解除してもいい。もちろん、金は返してもらうが……ブランには俺から話を通しておこう」


 こう言っておけば、さすがに嫌とは言うまい。


 意気消沈したように頭を下げる俺に、サーニャが息を呑む。そして、唇を開きかけた。


「い……いや――」


 その言葉を聞き、俺はさっさと頭を上げた。


「そうか。それはよかった。じゃあさっさと船長のところに戻ろうじゃないか、皆心配してるぞ」


「え……? ちょ――ええ?」


 混乱するサーニャの背中に手を回し、前に押す。

 サーニャはブランの弟子だ。伝説の傭兵の弟子がたった十日で任務をギブアップしたなど噂になれば、今後の要員追加に影響が出る。


 背中を押され、ふらつきながらも歩き始めたサーニャが腑に落ちないような表情をする。


「あれ? ……まさか、騙された?」


「騙してなんかない。さー、大丈夫だ。海の上は本領じゃないんだろ? アメリア達と合流すればもっと楽になる」


 動きに問題はなさそうだったが、狼は陸の生き物だ。本領は陸上だろう。

 俺の言葉に耳をピンと立て、戸惑っていたサーニャの顔色が若干回復する。ぐっと拳を握りしめ、耳をぴこぴこ動かしながら言った。


「だ、だよね。そうだよね! ラビがいれば……海の中だってへっちゃらさ」


「お前らの師匠には、二人合わせれば自分以上だと伝えられている」


 リップサービスも多分に含まれているだろう。獣人の血が混じっているとはいえ、さすがに十代半ばくらいの女の子二人で王国全土で名が轟いた傭兵を超えるようなことはあるまい。


「うん、そうさ。ねぇ、ボス。ラビ達はどれぐらいにここに来るんだっけ?」


 俺の言葉を聞いて、サーニャが完全に復活する。

 余程仲間が恋しかったのだろう。そういえば、銀狼族は群れを作るものだと聞く。半獣半人でも、習性のようなものはまだ残っているのかもしれない。


「向こうは何事もなく順調に進んでいるらしい。昨日の連絡ではもう少しで山間にある村にたどり着くと言っていた。山を越えればレーンまでは一直線だ。後一週間から十日くらいで辿り着くだろう」


 藤堂の方で何も起こっていないのは幸いだ。まぁ、そう何かする度に事件に合ってもらっては困るんだが……


 まるで恋する乙女のような熱の篭った目でサーニャが呟く。


「ラビ、早く来ないかな……」


「それまでに神殿の情報を調べるぞ」


「うん。そういうの、得意だよ」


 徐々に近づいてくる港を見て、銀狼族の少女は満面の笑みを浮かべた。



§ § §




「……え? 山の神が生贄を?」


 目がまるで獣のように爛々と輝いていた。その目に篭った底知れない感情に、思わず藤堂は歯を食いしばる。

 絶望か、怒りか、悲しみか、あるいは歓喜か。くたびれたボロ布のような服をまとった老人は一度咳き込み、まるで神に乞い願うかのような口調で言った。


「げほっ……ええ……満月の日から……三日目の夜。村から一人、うら若き乙女を生贄にせねば、この村を滅ぼす、と……」


「満月の日から三日目――明日、ね」


 強張った表情で、リミスは既にすっかり暮れてしまった空を見上げた。

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