第三レポート:水の都に向かう手段について③
空は快晴。航行は順調に進んでいた。
波は緩やかで風も穏やか。海魔などという物騒な存在が海を支配しているのがまるで嘘であるかのようにスムーズだ。
船長室で、ロモロ船長が窓から空を見て、まぶしげに目を細める。
「魔物の一匹も出ないとは……ここまで順調なのは久し振りだ」
「威嚇してるからな。やはりこの周辺には海魔はいないらしい」
本能に従う魔物、知性の低い魔物は自分より強い者には近づかない。逆に好戦的な魔族などを引き寄せてしまう可能性もあるが、雑魚避けには十分だ。
レベル差を利用した威嚇は魔物の生息域を進む
船長はごくりと息を飲み込み、俺をじろじろと見る。
「そうか……いや、話は聞いたことがあったが……あんた僧侶なのに……強いんだな」
「魔物は任せてくれていい。もう一人、マストの上にも監視を出している」
「……わかった。頼りにしてるぞ」
船長室から出る。
威嚇は精神を集中する必要がある。一週間ぶっ続けで継続するのは不可能だ。
雲ひとつない空を見上げ、マストに張り巡らされた帆を視線で辿る。
監視台、その手すりに座る人影を発見した。船員の監視役が少し離れた場所で睨み殺すかのような表情で見ていた。
視線を察知したのか、フードが下に傾き俺の方を向く。そのまま、滑り落ちるように身を宙に投げ出した。
船員があっけに取られる。フードはくるくると空中で回転すると、俺の目の前に両脚で着地した。何事もなかったように高い声で聞く。
「ボス、何か? 特に問題はないけど」
「目立つ真似は控えろ。船員には友好的な態度で接せ」
「だって、向こうが友好的じゃない」
フードが軽く上を示す。
俺達はよそ者だ。そんな連中が――しかも子供にしか見えない小さな影が監視台で舐めた姿勢をしているとなれば文句くらい出るだろう。
「船長に話しておく。ところで、威嚇は使えるか?」
「ああ、海中の魔物が近づいてこないのはそのせいか……もちろんだよ」
マストの上から海中の魔物が見えるのか。表情に出さずに感心する。
半人前と聞いたが、師匠の評価が辛いだけで一般の傭兵としては十分優秀な区分なのだろう。
「何時間持つ?」
「うーん。続けてなら三、四時間くらいかな。それ以上だと精神的な疲労で戦闘力が落ちる。間で数時間休憩を挟めば再開できる」
軽口だが、すぐに答えが帰ってきた。自分の性能を細かく理解しているのは一流の戦士である証だ。
三、四時間集中を持続出来るというのも十分凄い。
「三、四時間か……なら、今から頼む。切れそうになったら言ってくれ」
「……了解」
相当疲れるはずだが、フードは数秒の沈黙の後、文句も言わずに頷いた。
まだ俺の集中は続くが、昼間、まだ余裕のある内に新メンバーの性能を確認しておくべきだ。威嚇を解くと同時に、フードの中の気配が拡大する。ビリビリと空気が震え、風が強く吹く。
監視台の上で船員がキョロキョロ辺りを見渡している。
魚がぴちゃんとはね凄い勢いで遠ざかるのを確認し、視線をフードに戻す。少し威力が大きすぎるが、魔物避けには十分だろう。むしろこれだけの威嚇を三、四時間も持続出来るというのだから、大したものだ。
「それ以外の時間は俺がやる。監視に戻ってくれ」
「……ああ、ボス。ボクに任せて」
返ってくる自信満々の言葉。俺はそれを聞いて、心底ステイを売ってよかったと思った。
ドジじゃないって素晴らしい。
フードが再びするすると危うげのない動作でマストを上っていく。
ステイ……お前の後任は優秀だ。お前も頑張れ。
星になってしまったドジっ子シスターを想い、俺はしばし黙祷した。
§
レーンは水の精霊が祝福した都市だ。
湾岸一帯を覆うように作られた都市は絶景と水属性の精霊結晶が産出される事で有名であり、かつて多くの商人が立ち寄る都市だった。
水属性の精霊を求める精霊魔術師にとっては聖地の一つであり、海底にある洞窟を通り抜けた先には神に限りなく近い水の神性を讃えるため、太古にその地で生活していた人々が生み出した神殿が存在しているという。今回の目的地はそこになるだろう。
町中には運河が通り、都市としての知名度はそこそこあるが、船を使わない限りはなかなか行けない。精霊魔導師でもない俺がその都市について知っていることはあまりにも少ない。
「レーンは水の精霊に守られた都市だ。海の魔物もそう簡単には入ってこれない。まぁ、港に船が入らないようじゃ何の意味もないがな」
意志持つ自然である精霊には魔王も易易と手出しはできまい。船員に聞いた情報を頭にいれる。
今回の目的はあくまでリミスと、そして藤堂に水の精霊を契約させることだ。レベル上げは二の次だ。
「しかし、海底神殿か……どうやって入るんだ?」
海底神殿というからには海の下にあるんだろう。さすがにレベルを上げても完全無呼吸で長時間行動出来るようになったりしないが……
俺の素朴な疑問に、真っ黒に日に焼けた船員が空を仰ぎ、表情を歪めた。
「そりゃあんた………………レーンで聞けばいいだろう」
「……知らないのか」
「俺の仕事場は海の上だからなあ」
確かに、魔導師でもなければ海底の神殿に行ったりはしないだろう。
ある程度手段は確立されているはずだ。どうせ藤堂より先につくのだから、向こうについてから調べればいい。
今は周囲を警戒し、無事たどり着ける事だけを考えよう。海上の戦闘は陸上とはまた異なる。船が沈めば俺は無事でも船員達の命が危うい。
と、その時、何かが風を切る音が響いた。遥か前方、海面に水しぶきが上がる。
監視台に、大きく乗り出すようにして短弓を構える影が見えた。先程の音は矢を射た音か。象牙色の弓に銀色の弦が張られている。
海面がじわりと朱に染まる。
フードが俺を見下ろす。顔の下半分を覆うカーキ色のマスク、その上に銀の双眸が二つ覗いていた。どこか上ずった声で言う。
「でかい魚だ。ボスよりでかい。でも、仕留めた」
「……矢は節約しろよ」
「ああ、これが陸上だったら仕留めた獲物を確認できるのに」
「……余り、遊ぶなよ」
身の置き場がないような、例えようもない居心地の悪さに、身じろぎをする。
さすがに俺も海で戦ったことなど殆ど無い。ある程度は見敵即殺でいくしかないが、なんとなくこいつが半人前と言われた理由がわかった気がした。いや……別にいいけど。
§
『アレス。ステイから……言伝を預かっている。そのまま伝えるが……カカオちゃん、元気にやってますか? 私におしごとがあったらいつでも言って下さいね、だそうだ』
「……見えないから元気にやってるかどうかわからない、と伝えてくれ」
そもそも、本当についてきているのだろうか、それすらわからない。
海に出て三日。クレイオへの定常報告を終え、船室の窓から外を見る。徐々に揺れが大きくなり、空に陰りが見えてきた。どうやら一雨きそうだ。
船長が険しい表情で足早に部屋に入ってくる。開口一番に言った。冷や汗がその頬を垂れ落ちる。
「嵐が来る」
「まさか沈んだりしないだろ?」
「嵐の下には魔物がいる。風雨に紛れ、襲い掛かってくる怪物だ。船乗りの間では――海の悪神と。奴らには無数の船が沈められてきた、海が魔族に支配される前までは奴らが恐怖の対象だった」
「避けられるか?」
嵐はまだ先のはずだ。俺の問いに、船長が額にシワを寄せる
「無理だ、速度が早い。奴らは追ってくる。俺達に出来ることはなるべく早く嵐を抜けられるよう、祈ることだけだ」
海は怖いな……嵐を伴い襲い掛かってくる魔物、か。陸上の魔物とはまた異なる摂理を持っているようだ。
メイスを握り、立ち上がる。まぁ、船の方は船員達に任せてしまっていいだろう。俺にできることはない。
「船長、祈るのは任せた。俺の分もやっといてくれ」
「……はぁ。祈るのはあんたの専門だろ」
ため息をつく船長を置いて外に出ると、既に帆のほとんどが小さくたたまれていた。逃げても意味がないという事なのだろう。船員達が激しい風雨に備えるため、忙しく甲板を走り回っている。
飛沫の混じった強い風が頬を打つ。暗雲は凄まじい速度でこちらに動いていた。雲の隙間に稲光が見える。この風では精霊魔導師が風の魔法を使った所で逃げ切ることはできまい。
俺の横にフードが並ぶ。
めくれ上がりそうな外套を押さえ、だが、その後ろ……外套の下からはふさふさした何かが飛び出ていた。まるで甲板でも掃くかのように左右に振られている。
それに気づく様子もなく、フードが目を細めて暗雲を睨みつけ、言う。
「ボス。ただの嵐じゃない。精霊が乱れてる」
「こういう時は魔導師が欲しいな。強力な遠距離範囲があれば吹っ飛ばせるものを……」
そう考えると、俺が昔所属していた魔物狩りパーティはとても安定していたのだ。
「自慢じゃないが、ボクの弓はなかなかの腕だ。ナイフもいける」
フードが静かな声で答える。だが、興奮は隠しきれていない。獣の因子は低くとも、人と比べると『野性』が強いのだろう。包帯に覆われた右腕が短弓を握っている。
「そうか……お前、
「でもボスは
雇った奴に貧乏とか言われてしまった。
甲板が激しく揺れる。荒ぶった波が高く上下する。
水を吸った銀色の尾が重そうに揺れる。通りかかった船員の一人がそれを見て仰天したように目を見開き、足を滑らせ派手に転んだ。
そろそろ潮時か……タイミング敵にも悪くない。後ろを向き、目を瞬かせるフードに言った。
「おい、サーニャ。戦闘だ。もうフードを取っていいぞ」
§ § §
「鋼虎族は生粋の戦士だ。数は少ないが、天性の資質、長年研鑽された武、生まれ持った肉体が違う。ミスター、鋼虎族の中には、その武が一定に満たない者は子供の内に間引く風習がある。だから――成体の鋼虎族に弱者はいない」
俺に傭兵を融通してくれるという影――全身を黒い布で隠した小柄な影が、手の中で銀色のコインを転がしながら言った。
声は中性的で性別すら不明。だが、初めに自己紹介で上げられたその名だけは聞いたことがあった。
ブラン・シャトル。疾風迅雷の名を持つルークスで最も名の知れた傭兵の一人にして、不意に表舞台から消え去り行方知らずになっていた戦士。
魔王に挑んで負けただとか、街を救うために尽力し命を落としただとか、噂はいくつもあったがよもや『酒場』で屯しているとは思わなかった。声色からすれば年若く聞こえるが、活躍していた年月からして十代、二十代ではないはずだ。
声が静かに続ける。
「初めに立っているステージが違うんだよ。彼らが強いのに……理由なんてない。ストレスに強く魔族を相手に退かない勇気を持ち人当たりがよくすぐに懐に潜り込める可愛い女の子……という条件はともかく、連中に勝てる人族なんてほとんどいない」
「つまり、俺の要望には答えられないってことか?」
まぁ、元々無理な注文であるのは自覚していた。
ため息混じりで聞き返した言葉に、ブランが答える。
「いやいやいや。答えられない、とは言っていないよ、ミスター・アレス」
「それは?」
「つまり、奴らが強いのは……当然なんだ。我々とは別物なんだ。私はその『不公平』について、ずっと思うところがあってね――」
迂遠な言い方に眉を顰める。俺の表情を見て、ブランがにやりと笑った気配がした。
手の中のコインを放ってくる。僅かな光を反射して煌めくそれを受け取る。
「まぁ、結論から言うと――人族では勝てない、ならば単純に人族じゃなければいい。私が一線を引いたのは……私に到達できなかった、『最強』を生み出すためだ。最初に立っているステージが違うのなら、合わせてあげればいい。ミスターの上げた条件に純粋な人族であることは含まれていなかっただろ?」
「……チッ。イカれてやがる」
一体何を出すつもりだ……。
ルークスに住む九割は純粋な人族であり、ウルツのような亜人種は珍しかった。
数十年前までは差別もあった、今はその頃と比べればだいぶマシになっているようだが、やはり文化や生態が違えば共には生きづらい。
受け取ったコインを透かす。特別製なのか、見たこともない大きな金のコインだ。
「ミスター・アレス、獣人を殺すならやはりこちらも獣人を出すに限る。ミスターは運がいい。『疾風迅雷』の名を継ぐ者が、ちょうど空いている。まだ半人前だけど、その分安くしとくよ」
受け取った純金のコインの表面には『狼』を模した彫刻が施されていた。
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