第一報告 水の都までの道程について

第一レポート:水の都に向かう手段について

 純白の馬車が規則正しく平原を走っていた。

 どこまでも続く平野にはこれといった道はなく、ただ疎らに生えた草木がどこまでも続いている。

 見通しのいい風景の中にはぽつぽつと鳥獣系の魔物の姿が垣間見えるが、かなりの速度で走る馬車に近づこうとするものはいない。


 馬車は小規模なパーティが使うような中型の馬車だった。ただ、普通の馬車と異なるりその馬車は一切が白できていた。

 幌も車輪も、そしてそれを引く馬までも。


 『草原の風グラスランド・ウィンド』。

 妖精族が作成したという伝説があるその魔道具は、長距離移動という一点に置いては他の追随を許さない。

 牽引するは、僅かな魔力で動く疲労を知らぬ馬の魔導人形ゴーレム。幌には空間を捻じ曲げる魔法がかけられており、見た目以上の積載量を誇り、おまけに使用していない時には手の平に乗るサイズに縮小できる。もしも金貨で買おうと思ったのならば、千金を積んでも手に入らないような代物だ。


 ゴーレム・バレーから離れること、十日。

 藤堂は馬車を操作しながらどこまでも続く平野を見て、大きなあくびをした。


 変わり映えのしない景色だ。ルークスは広く、その領地のほとんどはまだ開拓されていない土地である。

 ゴーレム・バレーが辺境の地だったというのもあるが、水の都・レーンまでは今まで移動したどの都市間よりも距離があった。藤堂達の使っている馬車は馬を休ませる必要もないのでまだマシだが、ずっと変わり映えのない風景を見せられればさしもの藤堂も飽きがくる。


 五度目の大欠伸をしたところで、馬車の幌が開いた。

 輝くような金髪が藤堂の目に入ってくる。


「おつかれ、ナオ。特に何もない?」


「見ての通り、何もなさすぎて退屈なくらいだよ……」


 リミスの問いに、藤堂は小さく笑みを浮かべ、肩を竦めた。

 一日や二日ならばともかく、十日にもなると緊張感も続かない。


「これじゃ身体がなまっちゃうよ」


「立ち止まって魔物と戦うわけにもいかないでしょ。大体、このあたりの魔物はゴーレム・バレーより弱いんだから、レベルも上がらないでしょうし」


「まぁ、そうなんだけどね」


 人里から離れていることもあり、周辺にはそこかしこに魔物がいる。群れを作る魔物の中には大型の相手でも躊躇いなく襲いかかるものもの少なくない。

 もしも馬車から下りて歩いていたら面倒なくらいに魔物と遭遇していただろう。ただでさえ移動に日数がかかっているのだ。


 疲れたような笑みを浮かべる藤堂を見て、リミスがため息をついて言った。


「まぁ、確かに気持ちはわかるわ。この辺りは何もないし……」


「ヴェールの村の周りも草原だったけど、これはなぁ……」


 初めは馬車の中で次の目的地について話し合ったりしていたのだが、もう既に話題もなくなってしまった。

 いくら広いとはいえ、走っている馬車の中で訓練をするわけにもいかない。


 リミスが幌から出て、藤堂の隣に座る。彼女も彼女でやることがないのだろう。


「水の都、かぁ……どんな所なんだろう……」


「そうね……行ったことはないけど、海底に沈んだ神殿が有名ね。魔王が動き始める前までは船で行くことも出来たんだけど、今は海にも強力な魔物が現れるようになって、船も出てないわ」


 魔王の配下に強力な海の魔物がいるらしく、海上、海中はクラノスが現れてから屈指の危険地帯だ。既に大きな船がいくつも沈められている。

 元々、水の都、レーンを擁する国、ルセルフォは小国ながらもルークスと国交があった。

 船の行き来も頻繁に行われていたが、陸路では遠すぎるため、船が出せなくなってからは国交が滞りがちになっている。


「海底に沈んだ神殿……想像もできないな……」


「まぁ行ってみれば解るでしょ。強力な水の精霊はそこにいるって話だし」


「そうだね。僕もそこで精霊と契約できればいいんだけど」


 藤堂には今、遠距離攻撃の手段がない。今回の機会はある意味、藤堂にとっても渡りに船だった。

 精霊と契約することができれば、選択肢が増える。たとえ水の精霊だけだったとしても、それは必ずや魔王討伐の役に立つだろう。


「早くつかないかなぁ……」


「そうね……方角は間違えていないはずなんだけど……」


 遥か彼方の地平線を見つめ、藤堂は再び大きなため息をついた。




§




「あぁ? レーンまで船を出して欲しい?」


「金はある。許可証も」


 教会を通じて手に入れたルークス王国発行の許可証を差し出す。そこに記された印章を見て、浅黒く焼けた肌の男が表情を強張らせた。

 船着き場は閑散としていた。ルークス一の規模を誇っていた港町、アニスにはかつて存在していた活気はない。

 酒場に屯する元船乗りの男たちの姿だけがどこか哀愁を漂わせている。


 海に生息する魔物が活発化し、遠洋に出る船がなくなって既に十年近い。ルークス王国の領内で海に面している箇所は多くないが、既にその海は魔物に支配されていた。


 魔王クラノスの手下の一人に海の魔物を操る者が確認されている。俺は見たことがないが、海魔、ヘルヤールと名乗るその魔族は特殊な笛を使い、海に存在する無数の知恵なき魔物を操るらしい。

 元々、海の魔物は陸上の魔物と比べ巨体で強力なものが多い。各国の持つ海軍が軒並み敗退したという曰く付きの魔族である、名が知れ渡った現在も倒すに至っていない因縁の相手である。

 近海は比較的安全らしいが、遠く離れたレーンまで向かう船などあるわけがない。


 十年前までレーンに船を出していたという元船長の男はそれを手に持って確かめ、慄く声を漏らす。


「本物だ」


「緊急事態なんだ。上に無理を言って貰ってきた」


 ルークスは海軍の大敗を期に、他国への出港を制限した。その制度が厳格に守られているかどうかは別にしても、海に出るリスクはどんな業突く張りの商人でも忌避する域にまで達している。


 元船乗りの男は俺を見て、続いて俺の後ろに佇む分厚いフードをかぶった小さな影を見て、胡散臭そうな表情をした。

 太い声で言う。


「護衛がいる。いや、護衛がいても難しい。あんた、どうしてレーンへの船が出ていないのか知らねえのか?」


「知っている。そこを押して頼んでるんだ。金もある」


 レーンへの陸路は果てしなく遠い。魔法の馬車を持つ藤堂に先んじて辿り着くにはどうしても船を使う必要がある。

 俺の言葉に聞き耳を立てていたのか、男の周りに船乗り達が集まってくる。魔王の影響で暇になった者たちだろう。

 ほとんど海に出ることができなくなったのに未だその時を夢見ている者たちだ。定期的に船には乗っているのだろう。酒臭いが身体はなまっていないようだ。

 海に出たくて出たくてしょうがないのだろう。船がやられるようになって十年近く経つのに未だこんな所にいるということはつまり、そういうことだ。

 元船長が俺を睨みつける。険しい表情の中には迷いが浮かんでいた。


「……許可証があるってことは、護衛はいるんだろうな?」


「俺とこいつが護衛だ」


「……は?」


 俺の言葉にその表情があっけに取られたようなものに変わる。

 俺とその後ろに経つ小柄な影をジロジロと交互に見る。余りにも予想外過ぎて怒りすら湧いていないようだ。


「目立ちやすい大規模な船団を組めば狙われるだろう。だが、少人数ならばある程度安全に移動出来るはずだ」


 海魔は全ての船を沈めているわけではない。たとえ海の魔物を自在に操れたとしても、海はどこまでも広いのだ。

 少数だが、実際にレーンにたどり着けた船もある。少数の船で海を渡れば襲われる可能性を落とせる。


「自信はある。こうして許可証を持っているのがその証だ。このご時世、護衛を揃えられなけりゃ許可は下りないからな」


 俺の場合は教会の上から申請してもらったので正式な審査を経たわけではないが、別に構わないだろう。

 振り返ると、新規に入れたメンバーも何も言わずに小さく首肯してみせた。


 俺よりも余程その事実をよく理解しているのだろう、元船長がしかめっ面を作った。


 確かに金はあるが、リスクはどこまでも高い。だが、おおっぴらに船を動かせるのは彼らにとって何物にも変えられないはずだ。

 教会もさすがに動かせる船は持っていない。こいつらが頷かなければ俺はレーンまで泳ぐ羽目になる。泳ぐくらいなら藤堂に追いつけないことを覚悟して陸路を行くぞ、俺は。


 難しい問題なのか、元船長はなかなか答えを出さなかった。腕を組み、低くうなりながらじろじろと俺を見上げている。

 しばらく答えを待っていると、ふと後ろから声がした。この場に似つかわしくない年若い女の声。

 何も言わず黙っていろと命令したのに、どいつもこいつも命令を聞きやしない。分厚いフードの下からでも不思議とその声は良く通る。


「ボス、こいつら腰抜けだ。二人でボートでも漕いで行った方がマシだよ」


 あー……その手があったか。



「な、なんだと!?」


 内心感心していると、集まっていた船乗りの内の一人が声を荒げる。

 顔も年齢も性別も不明だった怪しい人物が年若い少女だと知って気が大きくなったのか。

 怒鳴りつけられても少女の声には怯えた様子はない。まるで馬鹿にしたような声で続ける。


「だってそうだろ? 客が金も護衛も用意して、後は船を出すだけだってのに、ボクがあんたらの立場だったらすぐさま船を出すね」


「おい……少し黙ってろ」


「……了解、ボス」


 俺は別に船乗りと喧嘩をしにきたわけじゃない。俺の言葉に、フードが静かになる。

 今まさに近づこうとしていた船員が気勢を失ったように伸ばしかけた腕を下げる。それでいいのだ。


 ため息をつき、元船長の方を向いて尋ねた。


「連れが悪かったな。ところで、船を出せないならそれはそれでいいとして、もし知ってたら教えてもらいたいんだが……ボートってどこで買える?」

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