第四部 水の都

Prologue:俺は同じ失敗はしない

 まるで舐るような視線が身体にまとわりついていた。


 ぼんやりとした明かりの灯る狭い部屋だった。窓のない小さなバーのような部屋、いくつもある薄汚れたテーブルを数人の人影が囲み、カウンターには俺の持っている物よりももう少し趣味のいい仮面を被ったバーテンダーが立っている。


 酒瓶が並んでいるテーブルもあるが、酒や煙草などの臭いはしない。ただ、薄い仄かな香草の臭いが漂っている。臭いを消すためのものだ。

 薄暗いランプの下、ぼんやりと見えるその容貌は傭兵と言うには凡庸に見える。容姿もヴェール村やゴーレム・バレーで見てきた傭兵や魔物狩りとは異なり、身体が突出して大きかったり、威圧感があったりはしない。


 傭兵の斡旋所。『入り口テュラー』には特定の条件を満たしたものだけが入れる裏口がある。


 ある程度大きな街ならば間違いなく存在する『入り口テュラー』とは異なり、大規模都市にしか存在しない会員制の『入り口テュラー』を、そのまま酒場のような見た目から、『酒場バール』と呼ぶ。


 『入り口』よりも遥かにレベルのアベレージが高く、そこにいるのは一般のパーティから完全に外れ、雇われ傭兵だけで生きている正真正銘の精鋭たちだ。その大部分のメンバーは既に一生涯遊んで暮らせるだけの金を得て、しかし未だこうして屯している。

 高難易度の依頼を探し、まるで何かを求めるように。


 水の都に向かう前、俺は王都ルークスにたった一つ存在する『酒場』に来ていた。

 ゴーレム・バレーでは優秀な人間が足りなかった。特に、フェルサの追跡は一人特殊なスキルを持った者がいればもうちょっと簡単にできただろう。

 俺は二度同じ失敗はしたくない。幸いな事に、ステイを売り払った金もある。


 客はどうやら俺しかいないようだ。『酒場』は客も厳選する。俺が入れたのもかつて傭兵のパーティに参加していた時のコネである。


 入った瞬間、まるで囁く様な声が聞こえる。囁く様な声とテーブルを叩くこんこんという符丁だけが響き渡っている。部屋には数人しかいないが誰の声なのか全くわからない。諜報や隠密に特化し、高レベルまで至った者はその手の技術に長ける。レベルが高い俺でもそう簡単には見破れない。


 有する情報も経験も並の傭兵とは一線を画する者である。声の一つが言った。


 ――見ろ、あの左手の黒の指輪。司教位の証のイヤリング。秩序神の黒き剣だ。


 それに答えるように、乾いた声が続く。


 ――金剛神石オリハルコンのバトルメイス。銀髪に緑の目の若い男。『超越者エクス・デウス』だ。『異端殲滅官クルセイダー』の一位、アレス・クラウンだ。間違いない。


 ――元特A級の魔物狩りハンターパーティ『終りなき剣』に所属していた高僧ハイ・プリースト


「……」


 ……不思議な事に一瞬で名前がバレてしまった。


 ――レベルは一年少し前で――87。今は……下手したら90を超えてる可能性もある。最強の僧侶の一人だ。


 ――たった一人で闇の眷属を殲滅し続けたイカれた男だよ。


 酷い言われようだ。だが、異端殲滅官クルセイダーは大体そんなものである。だが、どこからレベル漏れてるんだ?

 教会の報告にはレベルは入れていないし、俺は自分でレベルアップの儀式ができるので誰かに知られる機会は少ない。

 そこまで隠していないからある程度漏れてしまうのはしょうがないのかもしれないが、何でこいつら突然入ってきた男のレベルまでわかるんだよ。


 『酒場バール』に来たのは初めてである。存在は知っていたが、何しろ金がかかるのだ。

 密かに戦慄していると、続いてまた別の声が言う。


 ――ゴーレム・バレーの風の臭いがする


「……嘘だろ?」


 既にゴーレム・バレーを出て一週間が経過している。よしんばゴーレム・バレーの風に臭いがあったとして、残ってるはずがない。


 ――ユーティス大墳墓とヴェール大森林の臭いもする。


「……冗談だろ?」


 いやいや、絶対に冗談だ。鼻がいいとかそういうレベルではない。

 だが、既に彼らの中でそれが確定してしまったらしい。声の主はよほど信憑性があるのだろう。


 ――何故、最強の異端殲滅官が今更そんな低位のフィールドに向かう?


 ――ルークスの王城で勇者が召喚されたらしい。クレイオ・エイメンが取り仕切り、光の聖女ティルトが行った。


 ――『英雄召喚サーモニング・ヒーロー


 ――目的は災厄の討伐、か。


 ――召喚されたのは黒髪黒目の――


 情報、どこから漏れてるんだ?

 だが、こいつらはルークスの傭兵だ。しかも、凄腕ともなると貴族にも顔が利く。

 情報網は深く張り巡らされているのだろう。英雄召喚には多くの人間が関わっている。緘口令は敷かれているがどこからか漏れていてもおかしくない。


 だが、これはよろしくない。俺はそれ以上の会話を遮るべく、手を叩いた。会話が一瞬止まる。



「人を雇いたい」



 ――……でかい依頼だ。間違いなく伝説になる。


 ――強いストレスと決意の臭いがする。


 ――リスクも相応に高い。


 ――でもあの人貧乏だよ?


 トランクを持ち上げる。金貨で五千万ルークス、それに残り五千万の手形。元大商人、シルヴェスタ卿の署名入りのそれは極めて信頼が高い。どこでも通じるだろう。


「金はある」


 俺の言葉に、しばらく沈黙が漂う。そして、再び声が再開した。


 ――ルークス金貨の音だ。トランクの大きさと音からして、五千万ルークス。後は……手形で五千万。合計一億。


 ――経費削減か。奴らは金の使い所をわかっちゃいない。


 ――世界の値段が一億か。


 ――いらいらしてる臭いがする。それ以上言わない方がいいよ。異端にされる。


 全員まとめてメイスでぶん殴りてえ。多分死にはしないだろう。


 手に力を込めた絶妙のタイミングで、今まで黙っていたバーテンダーの男が口を開く。立ち位置的にこいつが取りまとめをしているのか。


「どのような人材をお求めで?」


 落ち着いた声に少しばかりいらいらが治まる。

 まだ水の都にはついていないが、ある意味ここが正念場だ。どれだけ優秀なメンバーを引き抜けるかで今後の任務の難易度が変わってくる。


 俺は一度深呼吸をして気分を落ち着けると、要望をあげた。


「討伐適正レベル70超の鋼虎族に勝利できる戦闘能力と斥候スカウト技能を持つメンバー。ストレスに強く魔族を相手に退かない勇気を持ち人当たりがよくすぐに懐に潜り込める可愛い女の子を二人頼む。レベルは問わない」


「……」


 仮面で表情の見えないバーテンダーが、絶句したように黙り込む。


 ――……接待プレイか。苦労してるな。


 誰のものともわからない言葉が状況を正確に示していた。

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