第三十七レポート:猛る獣を撃滅せよ⑥

 獣人ワー・アニマルは強力な種族だが一般的にその危険度は魔族――悪魔やアンデッドに一歩劣るとされる。これがその理由だ。

 個体差はあるが、奴らは搦手にめっぽう弱い。


 グレゴリオから送ってもらった悪魔の革。それを巻きつけたナイフを指先でくるくる回す。

 フェルサを名乗った獣人が、ウルツに向けていた物とは異なる悪鬼の如き表情を俺に向けている。


 まるでそれだけで殺せるんじゃないかと思えるくらいに力の篭った視線に肩をすくめる。

 手負いの獣程恐ろしいものはない。俺はその運動能力を考慮し接近まで一拍必要だと想定される十メートル手前に立ち止まって続ける。


 両足首と肩に三投。急所だ、致命傷ではなくとも足にダメージを与えた事は敏捷性を最たる武器にするフェルサにとって大きなディスアドバンテージである。


 ウルツが愕然とした目で口を開きかける。


「アレス――」


「ああ、言いたい事はわかっている。後で聞くから今は黙っていろ」


 悪いことをした。ウルツとアメリアを囮に使うなど人道に反する――が、真実を伝えてしまえばウルツはその案を蹴っただろう。蹴らなかったとしても、挙動に生じる些細な違和感からフェルサに策がバレていた可能性が高い。ウルツは腹芸が苦手なのだ。


 俺は正義ではない。正義ではないが、結果は結果だ。

 こいつらのプライドが正々堂々正面から戦闘し打ち勝つことならば俺のプライドはどんな手を使ってでも勝利することにある。


「フェルサ。お前は恐ろしい戦士だ。俺はお前の討伐適性レベルを――七十五と推定する。もちろんパーティで戦った場合の話だ」


 魔導師と僧侶。多めの前衛と遠距離物理、計六人いて手段を問わなければ五分の戦いができる。

 逆に一人で相対するのはレベルが90あっても難しい。不可能ではなくとも――俺がその対応を取らなかったように。

 この獣人はパワーが有りすぎるのだ。突出した個は度々人間一人の手に負えなくなる。


 ウルツがまともに殴り合って地力で負けていたことから分かる通り、フェルサの派遣を決めたのが魔王だとしたらひどく用心深い。本来ならこのレベルの戦士をこんな辺境に派遣する余裕などないはずなのに……藤堂達が遭遇していたら言うまでもなく一溜りもなかっただろう。


 フェルサがナイフを受けた痛みを忘れたようにぶつぶつと呟く。


「聖……勇者……馬鹿な――何故ここに――いや――75、だと!?」


 聖勇者。呟いた単語からフェルサが魔王関連である可能性が限りなく高くなる。


 フェルサが立ち上がる。だが、痛むのだろう、重心がぶれていた。腱を狙ったのだ、まともに立てる状態ではない。


「パーティプレイという奴だ、勉強になっただろ? お前を俺一人で相手にするのはさすがに骨が折れる」


 話しながら全力を込めてナイフを投擲する。

 狙いはフェルサの目。銃弾のように真正面から飛来したそれを、フェルサが事も無げに爪で弾き飛ばした。


 獣人は物理攻撃に強い。本来、こいつらを相手にするなら魔導師がいる。


 よろけながらも近づいてくるフェルサ。全身を覆う金色の毛、鉤爪に牙。長い尾がまるでその憤怒を体現しているかのように天を突く。


 能力は何割減だ? 情報は引き出せるか? いや、拷問しても吐かないだろう。手負いの虎を無理やり捕縛するようなリスクは犯せないし閉じ込めておけるような檻もない。

 暴力的な光を讃える金の瞳を見据え、再び口を開く。


「鋼虎族だ。鉄の鎧よりも頑丈な金の毛皮、剣よりも鋭い爪。生まれつき鋼の筋肉を持ち、獣人の中でも最上位の能力――一騎当千を体現する力を持つ」


「ッ……てめぇは――」


 ぴくりとその眉が動く。牙が剥き出しになりこちらを威嚇する。その挙動で、推測が正しかった事を確信した。

 相手が獣人とわかった時点である程度敵の種類は推定していた。想像していた獣の中でも最も強いのがこれだ。過去二人程戦ったことがあるが、それでもここまでの個体ではなかった。


 雑兵が何人集まろうと相手にならない万夫不当の戦士。乱戦の中現れれば何人の死人が出たかわかったものではない。


「とても幸運だ」


「……!?」


 メイスを持ち上げ、頭に生えた鉄球をフェルサに向け、挑発する。


「ここでお前を駆除できるのはとても幸運だ。勇者ってのは面倒でね、相手がどんな化物であっても戦わなくてはならないし、仲間を守らなければならないんだ」


「く……て、めぇ、は……俺が――殺すッ!」


 怨嗟と怒りの篭った声。ふらついていたその重心が立ち直る。

 聖銀ミスリルのナイフは確実に毛皮を貫いていた。最後の力を振り絞っているのか、爛々と輝く目は急所を突かれたの獣のするものじゃない。

 長く保つとは思えないが、先程のスピードを出せるのではないだろうか。


 考えを切り替える。保ったとして数分か。前に進むことは出来ても精密な動きはできないだろう。鬼ごっこはこちらが有利だろうが……一つ気になっている事がある。


 大体予想は付いているが――。


「アレス。これは俺の――」


 決闘に水を刺され、混乱していたウルツが再び口を開く。


 それを無視し、虎視眈々とこちらの首を狙う獣に問いかけた。


「お前、仲間はどうした?」


「……は?」


 フェルサの動きが俺の問いに一瞬止まり、その目が大きく開く。

 そちらに注意を向けつつ、空を見上げる。空には雲ひとつ、影一つない。


「仲間だよ。俺はお前の仲間を警戒していた。いるんだろう? 飛行能力を持った優秀な仲間だ。お前より少しばかり頭が良い奴だよ」


「……」


 フェルサの目がすっと色を失い、その耳が忙しなく揺れる。

 それに言い聞かせるようにして続ける。


「俺はお前よりそっちを警戒していたんだ。何しろ、翼のない俺達じゃ攻撃する事も難しい。逃げに徹されたら追いかけるのも大変だ。考えれば考える程厄介な相手だ、まったく。俺がこの場に来るのが遅れたのも、それを警戒するためだった。一人で二匹を相手にするのは難しいからな」


 嘘である。警戒していたのは本当だが、十中八九、挑発では一匹しか釣れないと思っていた。


 何故ならば、賢い方が生きていたら何が何でもフェルサを止めようとしたはずだからだ。つまり、目の前の鋼虎族がここにいるという事はもう一方は生きていない。


 だからずっと崖の下で気配を殺し様子を窺っていた。

 アメリアを置いたのは何もない空間にワンポイントを作るため。それで警戒が均等ではなくなる。

 何もしないアメリアのいる場所を無意識の内に排除するかあるいはそちらを意識して後ろが疎かになるか、今回は前者だったのでアメリア側から奇襲を掛けさせてもらった。もっとも、力比べに夢中だったようだからそんな必要もなかったかもしれないが。


 フェルサがぶつぶつと呟き、忙しくなく周辺を見渡す。そして叫んだ。


「サ……ポ……そうだッ! サポッ! こいッ!」


「ん? 生きているのか……?」


 とぼけた声で尋ねる。わかっていた、生きているわけがない。

 生きているのならば、その口元から、爪から漂う濃い血の臭いは誰のものだと言うのだ。


 まだ現実が見えていないフェルサに告げた。


「てっきり俺は、お前が、俺の期待したとおり、大切な仲間を食らってここに来たんだと思っていた」


「……あ……ああ……は……?」


 フェルサが呆然とした声を漏らした。信じられない言葉でも聞いたような表情。

 そちらに歩みを進めながら、忘我の状態にあるフェルサにも聞こえるように大きな声で言う。


「なに、よくある話だ。我を失うと本能に従う、お前らはそういうところがある、そうだろ? 仲間の一人や二人食らっても不思議じゃない。だから気を落とす必要なんてないし、むしろ俺は礼を言いたいくらいなんだ。厄介な敵を減らしてくれてありがとう、と」


 有り得ると思っていた。可能性は高くはないが低くもない。

 全てのパターンを脳裏に浮かべていた。そして今の状態は俺の想定した状況の中でも最もいいパターンである。

 何しろ飛行という稀有な能力を持つ者を仲間割れで片付けてくれたのだから。


 そして、それにショックを受けて動きを鈍らせてくれると更にいい。


「アレスさん……外道」


 アメリアが引いた表情でぽつりと呟くが、外道になることで世界を救えるなら外道にもなるわ。


「馬鹿な……俺が、サポを、食らった?」


「うまかったか?」


「ッ黙れッ!」


 反射のようにふらつきながら飛びかかってくるフェルサ。傷のためか、がむしゃらだったせいか、その速度はウルツと相対していた時と比べて遥かに遅い。

 飛びかかってきた獣をメイスで斜め下に殴り飛ばす。まるで金属でも殴ったような硬い感触がメイスを伝わってくる。


 聖勇者を名乗ったのはあくまで念のため、生かして帰すつもりなどない。


 フェルサはゴムボールのように数度地面をバウンドして倒れ伏した。

 それに即座に接近し、メイスで打ち上げるようにしてその頭を狙う。瞬間、ほぼ反射なのだろう、フェルサが腕で頭をガードした。


 まだ動けるのか。恐ろしい獣だ。だが、自然治癒力は魔族やアンデッドに遥かに劣る。与えた傷がこの戦闘中に癒える事はない。


「食ったか食ってないか、腹の調子ですぐわかるだろ?」


 揺さぶりをかけながら、まともに動けないフェルサをメイスで殴りつける。


 致死毒があればもっと楽に仕留められた。麻痺毒や拘束具があれば捕縛だって出来たかもしれない。

 だが、ない。このレベルの獣人を昏倒させる毒などそれを専門とする錬金術師アルケミストに頼まなければ得られないし、どうしようもなかった。


 金の毛皮が地面に擦れて薄汚く汚れる。まるでその力の低下を示しているかのようだ。


 腕をついてなんとか起き上がろうとするフェルサの目には、しかしまだ力があった。

 仲間を食らった事に対するショックはある。しかし、同時に一方的に攻撃を受けているという事実が戦士の本能を刺激しているのだ。


 腕を振り上げるフェルサに、俺は正面から接近しメイスを振り下ろす。

 フェルサがそれを受け止めようとするが、メイスはそのまま腕を弾き飛ばしてその頭蓋に突き刺さった。


「ッ――」


「まさかお前、俺がウルツよりも弱いと思っているのか?」


 フェルサの体勢が悪かった。俺には力を十分以上に伝える武器があった。そして何よりも俺とウルツの間には生来の身体能力の差異を凌駕するレベルの違いがあった。

 だが何にしても、舐めすぎである。俺は異端を狩る者なのだ。


「俺が策を弄したのは……それが最適解だったからだ」


 しかし、それにしても硬い。ザルパンの驚異的な防御力は邪神の加護によるものだったが、こいつは骨が、肉が、毛皮が硬い。

 じわじわなぶり殺すのは性に合わないんだが、しょうがないか。


 立ち上がる隙など与えない。接近し、地に伏す獣人をメイスで殴る。脳を揺らし筋肉を衰弱させる。フェルサはそれでも対応してきた。おそらくナイフを警戒しているのだろう、隙を見てナイフを投げるがそれだけは必死で弾かれる。短剣があればもう少し楽だったのだが、あれはスピカにあげてしまった。


 恐ろしい耐久だ。補助も持続回復もかかっていないなど信じられない。

 くそがッ、なんだってまだルークスの中なのにこんな強敵を相手にしないとならないんだよッ!


 内臓に傷がついたのか、ごぷりとフェルサの口から濁った血が垂れ落ちる。何故まだ意識があるのか、戦意が途切れないのか、命乞いをしないのか、俺にはその気持ちが全くわからない。


「だがお前がいてくれてよかったッ! 結果を出さないと次につながらないからなッ!」


 生きている。驚異的な生命力だ。しかし弱っている。後十分保たないだろう。崖から落とすわけにはいかない、その程度では死なないからだ。落としたら追わねばならないだろう。

 恨みを買った、回復されると厄介な事になる。このランクの獣人に追われる立場になるなど、考えただけでぞっとしない。


 両手をつき起き上がろうとするフェルサにメイスを叩き下ろすべく、大振りに振りかぶる。その瞬間、俺の前を一迅の風が吹いた。



「ッ!?」



 旋風のようなそれが俺とフェルサの間を通り抜け、一歩後退る。

 空を確認した瞬間、俺は大きなミスを悟った。


 風ではない。空に浮かんでいたのは巨大な鳥だった。大きさは大体俺と同程度――灰色の鳥だ。首に金色のペンダントのようなものがかかっている。

 地面に転がったフェルサが混濁した目を空に向けた。その目が僅かに大きく見開かれる。


「あ……アレスさん、あれ!」


「来なくていい。……チッ、そうか。二体じゃなくて三体いたのか……」


 魔獣の類か……? いや、獣の因子がかなり強い獣人か。巨大な翼には人の面影が殆ど見えないが、よく見ると身体は人の物に似ている。


 灰色の翼の獣人は怜悧な目でこちらを見ている。

 連絡係か、補給係か。こいつの相方が兼任していると思っていたがなるほど、別枠で一体いたらしい。

 可能性だけは考えていたが、低いと思っていた。飛行能力を持つ希少な個体をこんな辺境で二匹も使うと誰が思うだろうか。


 鳥は知性を感じさせる目で俺と傷ついたフェルサを見ると、即座に逃走を開始した。

 緩やかに、空を流れるように飛んでいく。跳べば追いつけるかもしれない。本気なのか、それとも追いつけるように飛んでいるのか?


 あの大きさならフェルサを抱えても飛べるはずだ。それをしなかったのは速度と高度が落ちるため、か? 自分で判断したのならばフェルサよりも頭がいい。


 ……まぁいい。このタイミングで現れたのは予想外だったし、不運な事だが、既に勝敗は決している。


 ウルツはまだ殆どダメージを受けていない。今の半死のフェルサ相手なら一対一でも倒せるだろう。

 両腕を下ろし、硬直するウルツの肩を叩く。


「ウルツ、俺はあれを追う。逃しても大きな問題はないが、ここで仕留められるなら仕留めておいた方がいい」


 フェルサが死ねばそれはいずれ向こうの陣営にバレる。いつバレるか、どこまでバレるか、ただそれだけの違いだ。

 だが、飛行能力を持つ個体を減らしておく事は以降の戦闘を楽にするだろう。こうした小さな積み重ねが大きな結果に繋がるのだ。


 聖者の光を使いナイフを引き寄せる。傷だらけでまともに動けないフェルサに視線を向け、ウルツに命令した。


「ウルツ、お前はアメリアと協力してフェルサの息の根を止めろ」


「む……」


 ウルツが小さく唸る。しかし、それは了承の声じゃない。

 大きな迷いが見える。俺に対する不満も。


 俺は十分譲歩している。本当ならば優秀な防具の素材になる毛皮や骨をばらしてほしいがそこまでは頼んじゃあいない。好敵手を弄ぶことに対するウルツの感情を慮っているからだ。

 もちろん口には出さないが。


 ため息をつき、冷たい目でウルツを見下ろした。


「これは仕事ビジネスだ。こいつを万が一逃がせば何人死ぬかわかったものじゃない。ウルツ、忘れるな。俺達じゃその結果の責任を――取れない事を」


 だから、ベストを尽くすのだ。どんな不義を犯そうが、結果を得られなかろうが、せめて胸を張って自分の行動を誇示できるように。


 離れていく灰色の鳥の速度とその動きを測る。

 追いつくのはかなり厳しいか? 地上で交戦すれば倒すのは難しくないだろうが、それだけにあれはこちらへの注意を欠かしていない。


 身動きせず、その場で固まるウルツ。アメリアがその影から顔を出して言った。


「アレスさん、ここは任せて下さい」


「ああ。任せた」


 もっとも、すぐに戻ってくるつもりだ。最悪逃がさないだけでもいい。

 ウルツ一人ではまだ不安だが、アメリアならうまいことウルツを焚き付けてくれるだろう。


 俺は、アメリアから視線を外し、遠ざかりつつある鳥に向かって駆け出した。





§ § §






「サ……ポ……」


 世界が歪んでいた。地面が回転しているかのようにぐるぐると回っている。

 身体のそこかしこから感じる鈍い痛み。足首に受けた深い傷のせいか、立ち上がろうとしても力が入らない。

 それはフェルサにとって初めての体験だったが、それよりも男の言った言葉が思考に突き刺さっていた。


 食った。あの男は食った、といったのだ。

 フェルサは鋼虎族だ。サポとは種族が異なるが、今は同じ仲間である。いや、間違いなく同じ仲間だった。

 それを、あの男は食ったといったのだ。そう、聖勇者を名乗ったあの男は。


 ブツブツつぶやきながら空を見上げる。


 サポは弱かった。自分と比べどうしようもなく脆弱だったが、それでも長所はあった。フェルサをつかみ大空を羽ばたく力強い翼。策を立てる思考力。何よりも、彼はフェルサの理解者だった。種族は違ったが間違いなく友だと言えるだろう。


 血に濡れた爪を見る。自分の血ではない。ウルツの血でもない。


 否定。否定せねばならなかった。だが否定できなかった。

 記憶には残っていない。気がついたら相対していた。フェルサの記憶に残る最後の映像は、遠くからの挑発を聞き取った瞬間、頭に血が上り意識が飲み込まれるその瞬間だ。


 だが、満たされた腹が、身体に満ちる力が、鉤爪に、牙に残る血の臭いが男の言葉が真実である事を示している。


 そうか……俺は仲間を食ったのか。


 その言葉がようやく中に入ってくる。

 嵐のような攻撃、こちらに投げかけられる言葉の中、飲み込めなかった内容を今、フェルサは不思議と静かな気分で理解していた。


 両腕を突き、ゆっくりと身体を起こす。

 強い痛み。疲労。身体全体がばらばらになりそうな苦痛は友だ。最強の血筋に生まれついたフェルサとて苦難なくして戦士になったわけではない。


 目に入りかけた血を指先で拭う。怒りがあった。どうしようもないわだかまりも。しかし、口には出さない。声を出す力も惜しい。


 今やるべき事はわかっていた。何としてでもやらねばならない事。

 サポを、仲間を食らった以上、何もせずにただ死んでいく事など、鋼虎族として許されるわけがない。


 ゆらりと立ち上がる。足首に激痛が奔るが我慢した。急所は突かれたが痛みを我慢すれば、一時ならば動ける。そして、動く事ができれば鍛え上げた鋭い爪は万物を切り裂くだろう。


 命の炎が燃えている。窮鼠猫を噛む。

 フェルサは鼠ではなく虎だが、確信していた。捨て身の自分は誰よりも強い。


 動きに気づいた女が眉を顰めて傍らのウルツを呼ぶ。岩のような男がその声に反応し、フェルサを見る。


 聖勇者はいない。だが、確実にここに戻ってくるだろう。

 それまでに片付ける。


 ウルツが唇を結び、拳を構える。女が少しだけ距離を取る。問題ない、どちらにせよウルツを殺した後に食らうだけだ。

 しっかりと二本の足で立ち上がり、目の前の敵を睨みつけた。


 脳内麻薬のせいかそれとも覚悟したせいか、全身を苛んでいた痛みが消え去る。そして、フェルサは身体全部を使い潰す覚悟で思い切り地面を蹴った。



 聖勇者を名乗った男を、ウルツを名乗った戦士を、そして傍観者であるその仲間を、殺さねば冥府でサポに顔向け出来ない。






§ § §




「終わったか……」


「おかえりなさい。追いつけましたか?」


「いや、無理だった」


 迷いのない逃走。精密な旋回能力に注意力。優秀な戦士だ。何度かナイフを投げて攻撃も試みたが結局逃げ切れられてしまった。


 戻った戦場は散々たる様だった。どうやら最後に大暴れしたらしい。


 地面は砕け、爪痕が無数に残っている。

 ウルツが苦しげに呻く。法衣が切り裂かれ、その体幹と右目に深い傷跡が刻まれている。それに回復魔法を掛けながら、地面に倒れ伏すフェルサを見た。


 まるで眠るように、しかし確かにその獣人は息絶えていた。

 地獄の鬼でもこうはならないだろう、最後の最後まで敵を噛み殺そうという意志の見える凶悪な死相。金の毛皮は血で斑に彩られ、力を入れすぎたせいか腕があらぬ方向に曲がっている。地面に突き立てられた鉤爪がその無念を示しているかのようだ。


 あそこまで徹底的に痛めつけたにもかかわらずここまで戦えたというのならばそれは間違いなくこの獣人の強さの証明と言えるだろう。


 皮剥ぎてえ……が、ここは我慢しておくか。


 うつむきその死骸をぼんやりと見下ろすウルツに言う。腕を回し固まった筋肉をほぐしながら。


「戻るぞ。これでしばらくすればゴーレムの数も戻るはずだ」


 今後の事を上と相談しなければならない。異常の原因は排除出来たと思うが、また新たに魔王の手先が派遣されてくる可能性だってある。警戒は必要だ。


 もっとも、強力な獣人が潰された以上魔王がこれ以上ゴーレム・バレーに固執するとは思えないが――。


 いつも通り渦中にいたとは思えない様子のアメリアの手を引っ張り、崖を降りる。

 その直前に、まだ跪いているウルツに声をかけた。


「ウルツ、手早く済ませろよ」


「……? 何が、だ?」


 のっそりとした動きでウルツが顔をあげる。

 酷い表情だった。こりゃマダムに叱られるかもしれないな……。




「供養だよ。死者に敵も味方もない、だろ?」

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