第三十五レポート:猛る獣を撃滅せよ④

 一般の傭兵と異端殲滅官クルセイダーの最も大きな違いは経験の幅だ。


 傭兵や魔物狩りは勝てる戦いにしか参加しないが、異端殲滅官は教会の命に従い相手が何であれ立ち向かわねばならない。もちろん依頼はその異端殲滅官の力量を考慮して下されてはいるが、討伐対象の情報がわかっていない事も多いのでそんなのあってないようなものだ。


 それが異端殲滅官の死傷率が教会メンバーの中では最も高い理由でもあるのだがともかく、俺はその辺の戦闘中毒者バトルジャンキーと同等以上に戦闘をこなしてきた。獣人を相手にした事だって数知れない。


 崖から落としただけではこの相手は倒せない。広い場所を戦闘予定地にする事にする。

 ほとんど小細工を弄する余地のない視界の開けた場所だ。全力で弾き飛ばさない限り下には落ちないだろうし、相手は絶対に自分の爪でとどめを刺そうと考えるだろう。


 端には巨大な岩が突き出しており、アメリアが隠れるには打ってつけだ。

 だが、俺はアメリアが傷を負う可能性は低いと踏んでいた。獣人は魔族とは異なり高い誇りを持っている。ザルパンなどとは誇りの質が違うのだ、一対一を求めればそれを受け入れるはずだ。


 だから、問題はウルツと獣人の間にどれくらいの差があるかである。


 崖の中心で深く呼吸をして精神を集中しているウルツに丁寧に補助バフをかけていく。猫系獣人は俊敏なのでウルツの腕前では戦闘中に自身に回復をかけるのは難しい。回復は俺のかける持続回復神法リジェネレート頼みになるだろう。


 ウルツのレベルは65。種族の能力として、人と比較すると能力自体は5から10レベル程度上と言える。プラスで俺の補助魔法で能力が大きく上昇する――その値が大体5から10。

 レベルは70に一つの壁があり能力の上昇率が変わるので数字通りレベル90相当の力を得られるわけではないが、ゴーレム・バレーのゴーレム相手ならば上級ゴーレムでも数体同時に戦えるだけの力だ。


 だが、俺はそれを考慮した上で、相手の力を最大限に見積もった場合、ウルツは不利になると考えていた。種族的には巨人族はかなり強力な種だが、ウルツはあくまで人とのハーフだ。純粋な獣人の戦士を相手にすると分が悪い。


 補助をかけ終えると、ウルツは薄く目を開ける。ブラウンの瞳は静かに燃え、迫りくる戦闘の予感で充血している。

 戦士は死を恐れない。これならば相手が圧倒的な格上だったとしても気を削がれずに戦い抜けるだろう。


 まるで岩のような巨体が俺を静かに見下ろしている。その眼差しは味方に対して向けるものとしては信じられないくらいに鋭い。


 ウルツが俺の名を呼ぶ。


「アレス――」


「勝て。お前ならできる」


 俺に言える事はそれだけだ。能力の高低が必ずしも勝敗に直結するわけではない。

 ウルツが眉を顰める。その額にシワが寄る。せめてもの餞別にアドバイスをした。


「正々堂々一対一を挑め。ウルツ、お前の得意な分野だ。アメリアは端っこで見ているだけだ」


「それ、私がいる意味ありますか? アレスさんと一緒にいる方がいいのでは?」


「俺は一人でやらねばならない用がある」


 正々堂々という言葉にウルツの頬がピクリと動く。巨人族の得意とする戦闘だ。


 訝しげな表情のアメリアに説明する。


「アメリアとウルツ、二対一で戦うとなると相手は弱者から狙うだろう、十中八九アメリアが死ぬ」


 無駄死にだ。パーティならば話は別だが、ウルツ一人では素早い獣人相手にアメリアを守りきれない。そもそも、ウルツの性質は守りに余り向いていないのだ。


「アメリア、お前は端っこで見ているだけでいい。サポートも必要ない。それで安全性は保たれる」


 アメリアが数秒間首を傾げ、恐る恐る聞いてくる。


「つまりは……私の役割はアレスさんに戦況を伝える事? ですか?」


「不要だ。アメリアはその場にいるだけでいい」


 ただいるだけで、相手はアメリアの存在を意識する事になる。多少、集中を乱せるだろう。また、ウルツの方も――自分が負ければアメリアも殺されるとなれば必死になって戦うはずだ。


 ウルツにはその意図がわかったのだろう、しかめっ面で俺を見てくる。

 だが、勝率は上げられるだけ上げておく。戦場ではほんの僅かな差で勝敗が決まったりするのだ。

 パンと手を叩いて空気を切り替えると、


「俺は他にやることがある。俺が十分離れて気配が見えなくなったらそれを合図に作戦を開始しろ」



§ § §




 ウルツは生来、考えるより動く方が手っ取り早いと考える気質であった。

 教会所属になってからは自然と戦闘の機会は減っていったが、生まれついての性格は全く変わっていない。


 戦うのは好きだ。それも相手が強ければ強い程いい。強力な相手を打ち破るその瞬間こそが自身の強さを証明できる最たる機会だからだ。


 ウルツは自分を戦士だと思っていた。

 優秀な巨人族のハーフはそのほとんどが恵まれた体格を活かして戦を生業とする。ウルツがその枠から外れ僧侶に転向したのは自分よりも強い者を見つけたためだ。


 アレスは戦士ではない。戦を生業にしているが戦そのものには何の興味もなく、実利だけを見ている。

 ウルツは戦に誇りを持たない人間を戦士とは呼ばない。


 だからこそ、あっさりといなくなってしまったアレスに対して違和感を抱いた。


 アレスの求めるのは結果だけだ。そして、ウルツが見立てでは今回の獣人はかなり強い。

 既に何年も戦場からは離れている。定期的な鍛錬は怠っていないが戦闘の勘という奴は鈍っているだろう。そして、全盛期でも一対一で勝てるかどうか、今回現れるだろう相手はそういう相手だった。


 アレス・クラウンの補助バフ強力だ。上位僧侶ハイ・プリーストの神聖術は実力差を簡単に覆す。僧侶になって数年のウルツの神聖術とは隔絶した奇跡だ。だが、それを考慮したとしても、あの洞窟に残った臭いは脅威だ。


 紛れもない難敵である。

 はっきりと口には出さなかったが、ウルツの見立てでは勝率は――三割。リーチのある武器がないのが痛かった。ウルツには鉤爪がない。


 もちろん、勝率三割というのは悲観するような値ではない。相手のコンディション次第で十分覆る値だ。だが、アレスにとってその値は憂慮すべき値であるはずだった。正々堂々戦えという言葉はウルツの知るアレスの性格からは出てこない物だ。


 一瞬そちらに思考が取られるが、すぐに集中し直す。

 置いて行かれたアメリアが乾いた声で問いかけてきた。


「ウルツさん……大丈夫ですか?」


「……ああ」


 聖勇者に訓練をつけた時の事を思い出す。


 『もう二度と負けたくないのだ』。

 訓練中に勇者にかけたその言葉は本当だ。ウルツが僧侶になったのは二度と負けないためだった。自分にない強さを得るためにそれまで培った剣の術を捨てたのだ。


 しかし、今ウルツの中に燃え上がるのはただ戦意の炎だけだ。僧侶として数年の間に己の本能を律する術を手に入れたはずだったが、ここ数年がまるで夢だったかのように、今頭にあるのは如何に戦うかという事だけだ。


 まだ強敵と相対してもいないのに全身に広がる充足感。

 現れるゴーレムを片っ端から破壊するのも楽しかった。まだ弱い勇者が技術を吸収し成長する姿を見るのも楽しかった。が、強敵を前に挑戦する感覚はまた格別だった。


 アレスの言うとおりに気配が消えるのを待って、空を見る。どこまでも曇り一つない青空。

 強敵と相対するには良い日だ。


 アメリアが落ち着き払った声でウルツに言う。ウルツの勝敗に自身の命運がかかっているにも拘らずその声に乱れはない。


「私まだやりたいこと沢山あるので、絶対勝ってくださいね」


「……ああ」


 言葉は少なくていい。余り口数を多くすれば引き絞った力が抜けてしまいそうだった。

 首肯するウルツに、アメリアは納得したように小さく頷き、端っこ――岩のすぐ前に移動する。

 

 深く一度呼吸をする。アレスから授けられた挑発の文句を頭の中で並べた。


 戦士ではない。故に、あらゆる手段が視野に入る。アレスはウルツにとって恐ろしく理解しがたい存在だった。しかし、ただ一点、友になりうる点があるため、こうして協力している。


 それは――強さだ。戦士は強さに敬意を払う。

 悪魔じみたその強さの理由を、しかしウルツは僧侶となった今でも見つける事ができていない。


 そして、ウルツは大きく息を吸い、できるだけ遠くまで聞こえるように力を振り絞って叫んだ。



「これが最後の通告だ! 戦士としての誇りがあるのならば正々堂々一対一で勝負しろッ! 尻尾を巻いて逃げ出すのならば二度と負うつもりはない、腰抜けの子猫めがっ!!」



§



 ざわつく空気に、反射的にウルツは一歩下がった。

 前回とは異なり、ウルツの挑発に対する咆哮はない。だが、本能でそれが通じた事がわかった。


 どこにいるのかわからないが、距離を開けて尚伝わってくる気配は尋常なものではない。


 虎の尾を踏んだ。文字通り、そういうことなのだろう。

 予想していたよりも遥かに強い気配にウルツは姿勢を正す。ちらりと視線を向けると、日頃ほとんど表情を動かさないアメリアもまた萎縮しているように見える。


 気配に飲み込まれそうになるのをその事実が防いでくれた。ガントレットの心地を確かめる。

 伝わってくる『怒り』の感情は狂気的で、正々堂々とは言ったものの、いつどこからかかってくるかわかったものではない。


 ――そして、それが姿を表した。


 警戒とは裏腹に、それは正面からやってきた。


 不意を打つでもなく、堂々とした佇まい。軽い跳躍音が聴覚を刺激し、次の瞬間目の前にその姿を表す。


 強い血の匂いが風に乗って漂ってくる。

 亜人デミ・ヒューマンの中で巨人族は最も巨大な体躯を持つ種である。現れた獣人もまたウルツより一回り体躯が小さい。

 しかし、ウルツの中には些かの侮りも存在しなかった。


 その容姿にアレスの予想が正しかった事を理解する。


 間違いなく目の前に現れた生き物は獣人の中でも最たる戦士だった。


 金色の毛皮に無駄のない鍛え上げられた肉体は凶器そのもの。無作為に降りている手に生えた鉤爪は剣のように鋭く黒い血が滴っている。


 目と目が合う。金色の瞳孔が静かに、しかし底知れぬ怒りを湛えている。飲み込まれるような濃密な殺意に、ウルツは手甲を打ち鳴らして応対した。


 刃を交えたわけでもないのに感じる途方もないエネルギーはウルツが今まで出会った中でも間違いなく一、二位を争う猛者のもの。

 無言で彼我の戦力差を修正し、立ち回りを思考する。


 強い。予想よりも遥かに。今まで出会ったどの獣人よりも強い。

 残された気配の段階で覚悟はしていたが、こうして目の前にするとまるで別人のような強さを感じる。


 心臓がどくどくと強く打ち、エネルギーを全身に届けていた。

 鉤爪を受けるのは無理だ。少なくとも鎧で受けてはならない。

 ウルツの手甲は特殊合金製である、おそらく打ち合えるが、鎧はそれよりも一段階弱い金属で出来ている。

 ウルツには鎧がその爪を防ぐビジョンが全く浮かばなかった。


 だが、多少の傷ならばアレスからかけられた持続回復神法により治癒されるだろう。ウルツのガントレットは二の腕を包み込むように保護している。いくら相手が素早くても、感覚の強化がかかった今の状態ならば打ち払う自信はある。


 獣人はちらりとアメリアの方に視線を向け、しかしすぐにウルツに向き直った。


 意を決して、ウルツが口を開く。


「ようやく……出てきたか、魔王軍――獣人の戦士よ」


 アレスから言いつけられていた事だ。なるべく情報を取らなくてはならない。


 同等以上のレベルの敵を捕縛するのはほぼ不可能だ。

 カマかけで投げかけた魔王軍という単語に獣人はぴくりとも表情を動かさなかった。ただ、押し殺したような低い声で述べる。

 食事でもしてきたのか、生えそろった牙からは血の臭いがした。


「鋼虎族のフェルサ」


「……」


 何気ない動作の一つ一つから殺意が伝わってくる。相手がまだ攻撃を仕掛けてきていないのは矜持を満たすためだけに過ぎない。ウルツにはそれがはっきりとわかった。

 述べられた単語を噛み砕く前にフェルサを名乗った獣人が続ける。金の瞳の奥には底知れない闇が見えた。


「てめえを殺す男の名だ」


 生まれの種族も陣営もこれまでの経緯も違うが――間違いなくそのあり方はウルツに似ている。

今にも襲い掛かってきそうなこの男から悠長に情報を聞き出すなど無理だ。

 すぐさま戦闘態勢を整えなければ食われる。冷静そうに見えるがその実、目の前の男が冷静とは程遠いところにあるとわかる。


 挑発が効きすぎているのだ。だが、後悔はない。後悔などあるわけがない。このような至高の戦士を一対一で相手にできるのだ、後悔などあるものか。


 乾いた唇を舐め、ウルツも答える。


「ウルツ・ベルド。巨人族の戦士。そこの女は見届け人だ、いざ尋常に勝負を」


 その言葉に、フェルサがもう一度ちらりとアメリアの方を見る。が、すぐに興味を失ったようにウルツに視線を戻した。

 アメリアが脆弱であり、どうあがいても勝負の間に入ってこれるような存在ではないとわかったのだろう。これならば少なくともウルツが戦闘を行っている間にアメリアを攻撃されるような事はない。

 人質を取るような行為は弱き者の行動であり、強さを求める獣人の戦士に相応しいものではないからだ。


 両腕を持ち上げ拳を構える。フェルサがゆらりと鉤爪を持ち上げる。


 そして、戦闘が始まった。



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