第三十四レポート:猛る獣を撃滅せよ③

 俺は戦士ではない。騎士道精神など持ち合わせていないし、目的を達するためならばあらゆる手段が許される。


 獣人のいた跡は簡単に見つかった。想定通りウルツを中心とした声の届く範囲。洞窟の中だ。


 壁にめちゃくちゃに刻まれた傷跡を観察する。近くに本体の気配はないが、まだ臭いが強く残っていた。おそらくそう遠くには行っていない。


 アメリアがその縦横無尽につけられた斬撃に似た跡に触れ、視線を下に落とす。


 獣人は同じ種族でも有する獣の因子の量によって能力が上下する。

 基本的に因子が高くなれば高くなるほど獣の姿に近くなり身体能力が飛躍的に向上する。獣人の間では尊敬される要素ではあるが、同時に強く因子を持てば持つほど野性的になるので人族の街ではほとんどその姿は見られない。


 壁についた傷は平行した四本一セットで奔っていた。

 鉤爪は獣人の一般的な武器である。種族によっては下手な剣よりも鋭い代物で、それを元に剣が作られたりする事もあるほどだ。


 俺の隣で調べていたウルツが低い声で唸る。


「……強いな」


 洞窟には強者が滞在した後独特の空気があった。高い存在力を持つ者はただそれだけで世界に痕跡を残してしまうものだ。強い感情を抱いていればなおさらそれは顕著になる。


 鋭い爪痕だけでその種が並の獣人でない事がわかる。

 地面には毛の一本も落ちていない。痕跡からするとこの獣人はかなり獣の因子の強い相手である、ほぼ全身が体毛に覆われているはずだ。

 獣人は攻撃よりも防御に秀でている種族が多いが、毛の一本も抜け落ちていないという事は頑丈な毛皮を持っている可能性が高い。偶然落ちていないだけかもしれないが、相手の力は高く見積もっておくに越したことはないだろう。


 物理に特化した存在はある意味で僧侶プリーストの天敵である。魔法や呪いなどは神聖術である程度対応できるが、身体能力で圧倒的な差が開いてしまうと攻撃手段の乏しい僧侶ではジリ貧になってしまうからだ。回復魔法を唱える暇もないかもしれない。


 ウルツは半巨人ハーフ・ジャイアントだし、身体能力は高いのでまだマシだが――ふむ。

 

 相手の力を見積もり俺と同様の感想を抱いたのだろう、険しい表情で唸るウルツに伝える。


「猫だ」


「……何の話だ?」


 訝しげな表情のウルツ。アメリアも不思議そうな表情をしている。

 傷跡の残る壁を一度撫で続けた。


「次の挑発のワードだ」


 作戦に変更はない。

 相手は人族を脅かす魔王軍だ、その戦力が豊富なのは想定の内。層も十中八九人族の軍よりも厚い。だからこそ、藤堂が魔王を討伐せねばならないのだから。

 多少強いだけで退いてたらいつまでたっても魔王討伐なんてできはしない。


「相手はおそらく猫科の獣人の中でも最上位だ。この手の種族は下位種と揶揄される事を強く嫌う。積み重ねられた怒りは既に限界に近い、次は釣れるだろう」


 間違いない。この獣は次の挑発を絶対我慢出来ない。

 唇を舐める俺に、ウルツが眉を顰め、一言尋ねてきた。


「アレス……お前は勝てる自信はあるのか?」


 俺のレベルは93だがあくまで僧侶である。同レベルの戦士と正面から争えば十中八九負けるだろう。

 だが関係ない。自信云々ではない、勝つのである。そして獣に勝利するのに獣以上の力を持っている必要はない。


 アメリアもウルツも俺の答えをじっと待っている。

 不安を感じさせてはならない、コンディションに影響する。強い口調で答えた。


「ある」


 だが、戦うのは――俺じゃない。


 ウルツを見る。

 人族というくくりから外れた巨体に、頑強な骨格。傭兵として名を馳せた技術と、僧侶に転向するという道を選んだ理性。

 戦闘民族であるウルツがもしも俺と同じレベルだったら俺よりも遥かに強かっただろう。


 その事実にため息をつき、続けた。


「だが、ウルツ。こいつと相対するのは――お前とアメリアだ」


 俺は戦士ではない。騎士道精神など持ち合わせていないし、目的を達するためならばあらゆる手段が許される。




§ § §




 血の臭いがした。頭に登った血の芳香がまるで皮膚を越えて漂ってきているかのようだ、とサポは思う。


 ただでさえその力故に畏敬を集め馬鹿にされる機会など殆どない鋼虎族には単純な挑発も強力な毒に近かった。

 積み重ねられた毒は今や思考を焼き、魂に染み付いた戦闘本能がただその脳に囁いている。


 ――殺せ、と。


 ギロリと窄まった金色の虹彩がサポを貫く。強く踏み砕かれた岩の音に、サポは表情を強張らせた。

 普段微かな音すら出ない足音が今や自分の場所を教えるかのように派手になっている。怒りを発散する代償行為以外の何者でもなく、そしてその代償行為も意味をなしているようには見えない。


「落ち着け、冷静になれ、フェルサ。あれは罠だ。構う必要などない」


「あぁ? 俺が……この俺が、落ち着いていないように見えるかッ!? クソがッ!」


 荒い語気は反論を許さない。

 サポからすると、先程の挑発への行動を抑える事ができたのも奇跡のようなものだ。完全に怒りに飲まれた鋼虎族を止める事は誰にもできない。


 フェルサの腹から地鳴りのような音が聞こえる。腹の音だ。

 フェルサを止める事が出来ている唯一の理由である。

 後数時間もすれば補給が来るはずだった。しかし、そうなればもうフェルサを止める要因はない。


 だが、それでいいとも思っていた。万全の鋼虎族の戦士に勝てる者などいるわけがない。

 たとえサポが十人いたとしても倒すのは難しいだろう。


 任務は隠密だが、こちらを追っている者の存在を許しておく理由もまたないのだ。


 その名の通り鋼のように硬い毛で覆われた腕を軽く叩き、落ち着かせる。


「補給がそろそろ来るはずだ。そうなった時が最後だ、下らぬ挑発の代償を払わせてやるのだ」


「ッ……」


 牙をむき出しにすると、無言でフェルサは歩みを早くした。


 周囲を警戒しながらサポもそれに続く。

 

 少しでも鬱憤を晴らしてやりたいが、こういう時に限って魔物が出る気配はない。血も臓腑もないゴーレムは鬱憤を晴らすにはいまいちだが、数体でも破壊しておけば多少気が紛れるのに、サポはため息をつく。


 空を飛べば見つかるかもしれないが、敵がどこで見ているかわからない以上、空を飛ぶのは避けねばならなかった。

 翼の根本がウズウズするが、補給が来てフェルサが全てを終わらせてからでも遅くはない、と自身を無理やり納得させる。納得させる事で、自分は本能を抑えきれないフェルサとは違う、と自尊心を満足させる。


 だから、何としてでも自分はこの猛虎を引き止めねばならない。


 先を行く大きな背中は怒気を隠しきれていない。それは、いつ爆発するかわからない爆弾を思わせた。


 鋼虎の尾を踏むことほど恐れなければならない事はない。少なくともサポが敵ならば怒れる鋼虎と相対するその選択は絶対に取らない。


 愚かな選択だ。とても愚かな選択だ。

 そして、補給が済んだら敵はフェルサだけでなくサポも同時に相手にしなくてはならないのだ。フェルサ程ではないが、サポも腕に覚えのある黒羽族の戦士である。力に任せたものではない空からの強力な一撃――ヒットアンドアウェイによる戦闘技能は翼のない者にとって鋼虎族に匹敵する脅威となるだろう。


 無論、その時はサポも全力を尽くすつもりである。

 首からかけている金色のメダルを握り締め、その時の事を考える。


 メダルは魔王直々に与えられた強力な魔導具だった。

 世にも珍しい探知魔法を誤魔化す『空蝉のペンダント』。

 魔導具に明るくないサポでもその有用性と希少性はわかる。


 それは、いわば期待の証だ。短気で余り物事を深く考えないフェルサをしてこの辺境に縛り付ける程の力がある。そして、それをフェルサではなくサポが持つ事になったのはサポにとって相方から信頼されている証だった。


 もしもそれがなかったらサポはさっさとフェルサと組むことをやめていたかもしれない。


 長く辛い日々を思い出していると、前を歩いていたフェルサが急に立ち止まった。


 棒立ちになる相方にサポが声をかける。


「? どうした?」


「……」


「!?」


 その横顔に思わず出かけた声を呑み込む。


 怒りが消えていた。今まで表情でなく全身に現れていた憤懣が全て消え去っていた。代わりにその表情にあらわれていたのは――忘我。

 目を見開き固まるフェルサ。尋常ではない状況に一瞬サポの思考が止まるが、すぐに側に駆け寄りその肩を揺らす。


「おい、どうした!?」


 攻撃を受けているわけではない。そもそも、この地のゴーレム程度の攻撃で鋼虎の毛皮は穿けない。

 頭頂に生えた耳がびくりびくりと痙攣のように動く。その顔がゆっくりとサポを見る。

 ぞくりと得も知れぬ悪寒がつま先から頭の先までサポの全身を駆け上る。


 金の瞳がこの上なく見開かれ、ぎらぎらと輝くそれにサポの顔が映っているのが見えた。

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