第三十三レポート:猛る獣を撃滅せよ②

 空高くどこまでも遠くに響いていくウルツの咆哮はまるで遠吠えのようだ。

 びりびりと痺れるような空気の震えを至近から受けながら、俺は気配を殺して崖の影で様子を見守っていた。


 数度の挑発が終わり、音が消える。しばらく待っていたが反応はない。

 どうやら聞こえていないようだ。


 目を開き、顔を顰めて耳を塞いでいたアメリアに言う。


「聞こえていないな。場所を変える」


「これ、意味あるんですか?」


「ある。既にゴーレム・バレーから連中が去っていたら無意味になるが、可能性は低いだろう」


 獣人はプライドが高く野性的な傾向が高い。最初のウルツの挑発に対する反応はそれを如実に示している。

 ならば何故吠えるだけで姿を見せなかったのか。


 本人がぎりぎりで我慢した可能性もあるが――おそらく、それを止めている仲間がいるのだ。


 獣人と言ってもピンきりである、総じて人よりは秀でているが、生まれつき優秀な肉体を持っている種ほど野性が強い。

 もともと飛行能力を持つ獣人と最低二体存在するだろうという推測はあった。飛行能力を持つ獣人は総じて戦闘能力が低い傾向にあるので、そちらが止めているのではないだろうか。獣人の一般的な特性とも一致する。


 ならば後は簡単だ。引っかかるまで繰り返せばいい。


 獣人ワー・アニマル釣りなんて魚を釣るよりよほど簡単だ。なんたって奴らには人に似た知性がある。

 そして俺はそれを予想できる。


 崖の上の目立つ場所に陣取っているウルツに叫ぶ。


「ウルツ、ここにはいないようだ、次の場所に向かうぞ」


「さすがにそこまで単純ではないと思いますが……」


 挑発という案を出した張本人のくせに、アメリアが不安げに呟く。

 大丈夫、俺の知る限り獣人は単純だ。



§




「しかし、今日は魔物が出ませんね。探査によると全くいないというわけではないみたいですが」


 アメリアの言葉の通り、昨日までの探索と比べて魔物の出現頻度が落ちているのは感じていた。


「ウルツの咆哮で警戒しているのかもしれないな」


「ゴーレムにそんな知恵、あるのでしょうか?」


 確かに、一般的なゴーレムは術者の命令に従うだけのものだ。そして、俺の知る限りここのゴーレムにそんな機能は存在しない。

 少なくとも下位のロック・ゴーレムやボール・ゴーレムにはないだろう。


 隣を歩くウルツに視線を向ける。ウルツは意図を察して首をゆっくりと横に振った。そして、何かを考えたように沈黙すると、口を開く。


「だが……この地のゴーレムには未だ解明されていない点が……幾つもある。マザー・ゴーレムに製造手法然り、誰にも認知されていないシステムが搭載されている可能性は……あるだろう」


 ふとその言葉に、この間『白の地』で出会った隊列を組んだメタル・ゴーレムの事を思い出す。あれも一種の異常と呼べるかもしれない。出会って特に何かあったわけではないが……。


 数秒だけ考えて、考えるのをやめる。


「……まぁ……今はどうでもいいことだ。戦闘はないに越したことはない」


「……そうですね」


 何しろ、最低でも後一戦予定されているのだ。

 体調は万全でこちらは三人いるが戦場では何が起こってもおかしくない。

 

 地図を開きながら目標地点まで進む。

 地図にはいくつかの点が記されている。事前に決めたウルツに挑発を行って貰う場所だ。

 できるだけ全土をむらなくカバーできる場所を設定してある。


 二、三日続けてみてはなんの反応もなかったらまた別の対応をしなくてならないが……。


 目標地点にたどり着くと、ウルツは水で軽く喉を潤して一人崖に登っていった。


『まさか本当に現れぬとは、見下げた連中だ! 挑戦を受ける気概すらないとは、貴様らは断じて――戦士では、ないッ! ネズミのように尻尾を巻いて逃亡するならば追うつもりはないが、その誇りが欠片でも残っているのならば、正々堂々とかかってくるがよいッ!』


 感情の混じった言葉――荒々しい侮蔑の混じった言葉が響き渡る。ウルツは演技派だ……もしかしたら、本気なのかもしれないが。


 初めて出会った頃の奴を思い出す。その頃のウルツ・ベルドは獣人に負けず劣らず血気盛んだった。

 今は僧侶プリーストに転向して大人しくしているようだが、種族に起因する生来の気性の荒さはそう簡単に抑えられるようなものではない。


 腕を組み考えていると、横から強い風が吹いてきた。顔をあげる。

 遅れてウルツの挑発を打ち消そうような咆哮が返ってきた。



「――――ェッ――あぁッ――――ぁ―――――――――ぇ――――――」



 一秒、二秒、三秒…………


 昨日のものよりもずっと長い。どうやらだいぶ頭に来ているらしい、意識を集中するがどこにいるのかはわからなかった。

 だが、こちらは地図を元に計算して挑発しているのだ、概ねの場所は割り出せる。


 生物の強さとしてのベースの違い故か、肌が粟立つ。眉を顰めた瞬間、すぐ真上で音が爆発した。


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」


 ウルツの咆哮だ。意味をなしていないただ威嚇するためだけの音。

 隠れていた岩壁が音で震える。レベルが低かったら脳が揺らされて影響を受けていたかもしれない。


 隣のアメリアはちゃっかり耳を塞いでいた。ウルツが返すところまで手はず通りだったとはいえ、しっかりしている。


 ウルツの声が止まってしばらくして再び咆哮が返ってくる。


 こちらから探しにはいかない。俺がすべき事は揺さぶる事だ。獣人というのはそれだけで釣れるのだ。

 たとえ多少知恵の回る者がいたところでそれをコントロール出来たりしない。


 長い間、吠えあっていたが、やがてウルツの咆哮を最後に応酬が止まる。

 ウルツは良く見える所に陣取っている。挑発が成功したのならば襲い掛かってくるはずだ。


 しばらく待っていたがアクションがなかった。どうやら耐えきってしまったらしい。

 よほど優秀なブレインがいるのか……いや、それはないだろう。本当に優秀ならば吠え返す事それ自体を制止できただろう、それが出来ていないという事は後は時間の問題ということである。


 そもそも、連中はそういう動物ではないのだ。

 相手の反応は激しくなっていた。後少しだけ均衡を崩してやれればいい。


 ゆっくりとした動作でウルツが降りてくる。声を使い続け興奮したのか、呼吸に若干の乱れが見えた。興奮させないようにそっけなく伝える。


「……居場所は大体割れた。次の挑発は明日だ」


 焦りは禁物だ。一度深く深呼吸をして呼吸をクリアにする。

 挑発が効いているのはわかった、逃げ出すことは獣人のプライドが許さないはずだ。


 相手の情報が必要だ。

 ゴーレムが何体現れても問題ない程度に強力な個体が派遣されてきていると想定できる、負けるつもりはないが勝率は上げておくに限る。


 二人の仲間を見渡し、地図を取り出す。


「敵の情報が残っていないか探す。種族が特定できれば大体の力も特定できる」


 ゆっくり真綿で首を締めるように始末してくれる。




§ § §




 慎重に慎重に歩みを進める。同時に周囲に視線を向け警戒も怠らない。

 前、右、左、上、下。ステファンの感覚は未だないくらいに研ぎ澄まされていた。足元をちょこまか動くカカオの事も気にならないくらいだ。

 もちろん、契約精霊のカカオの方も遊んでいるわけではない。いつものニヘラとした表情ではなく唇を強く結んでいる。ちょこまか動きながらステファンと一緒に周囲を警戒しているのだ。


 そのおかげか、今日はまだ一度も転んでいない。

 一度も転んでいない、こんな機会ステファンの記憶では一年に一回あればいい方だ。何しろ、昔から大地に精霊に好かれるくらいに大地と親しんでいたのだから。


 街の外を歩くこと一時間、先頭を歩いていた藤堂が後ろを振り返った。いつもなら突然止まった藤堂にぶつかるところだが、余裕を持って立ち止まる。


 藤堂は訝しげな表情で首を傾げてみせた。


「……んー、今日、魔物の数少なくない?」


「確かに……一時間も歩いているのにたった一回しか魔物と出会っていませんからね」


 アリアもまた不審そうな表情だ。


 魔物との遭遇は完全にランダムだ。場所にもよるが多く遭遇する日も少ない日もある。

 だから、一時間歩いて一回しか遭遇しないという事も十分考えられるが、これではレベルが上がらないしステファンも納得しないだろう。


 と、そこまで考えたところでふとアリアは気づいた。


「? ん? ステイ、今日は調子がいいな……一度も面倒事を起こさないなんて」


「……アリアちゃんは私を何だと思ってるんですか」


「……」


 沈黙。目をそらすアリア。藤堂もリミスも何も言わないが、居たたまれなさそうな表情をしていた。

 そこで、ステファンは力いっぱい言った。


「今日は気合が入ってるので!」


「いつも入れてよ……」


「さー、さっさと先に行きましょう! 大船に乗った気持ちで居てください!」


 重大な任務だ。

 万が一、獣人や勇者が敵わない魔物が現れたら躊躇せずに攻撃しろと言われた。それはつまり、護衛ということである。

 聖勇者の護衛がどれほど重要な仕事なのかはよくわかっている。いつも不真面目な気分で仕事をしているわけではないが、否が応でも気合いがはいる。


 変なものでも見る表情で見てくる藤堂達を気にせずに、ステファンはカカオと一緒に拳を握ってえいえいおーと振り上げた。

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