第三十二レポート:猛る獣を撃滅せよ①

 まるで砂漠の風のように荒く熱い息がほの暗い洞窟を満たしていた。


 頭部を覆う鬣はその種族で勇猛と強さの証明。

 顔を除き全身に生えたビロードのような金色の毛皮は靭やかな強靭さを有し下手な刃では傷一つつかない天然の鎧であり、細身に見える体躯はしかし人の物とは質の異なる超高質の筋肉で詰まっている。臀部から伸びた尾が怒りを示して太く高く立っていた。


 鋭い爪が洞窟の内壁に突き立てられ、音一つなく数本の線を刻む。またたく間に増えていく傷跡を横目に、長身の影――サピは眉を顰め、ため息を飲み込んだ。


 獣人ワー・ビースト

 獣の因子を持つ亜人デミ・ヒューマンの中でも突出した武勇を誇る『鋼虎族』。その強さ故死神と呼ばれ、その気性の荒さ故に破滅の道を辿っている種族だ。

 サピに与えられた相棒は極めて優秀な戦士であり、それと同時に噂に違わぬ気性の荒さとプライドを持っていた。


 サピと殆ど変わらない大きさの体躯からは見るだけで寒気を感じる荒々しいオーラが立ち上り、爛々と輝く金の瞳がその殺意を周囲に振りまいている。


「くそっ、何故、何故この俺が――人間なんぞになめられねばならぬのだ!!」


 壁につき、何気なく握られた指先が硬い岩を軽々と抉る。純粋な筋力という意味で獣人は最も強い力を持つ種の一つだが、その中でもその相棒の力は突出していた。

 獣人は強ければ強いほど尊敬される。サポにとって自分を遥かに超えた能力を持つその相棒は憧れを抱いてやまない存在であると同時に付き合い難い存在であった。


 ある程度その衝動が治まるのを待って、サポが声をかける。どのように話しかけるか迷い、結局いつもと同じ口調になってしまった。


「フェルサ、落ち着け。あれはどう考えても罠だ」


 名を呼ばれた鋼虎族の戦士がサポを振り返る。


 その一挙一投足から憤懣やるかたない感情が如実に伝わってきていた。

 が、鋼虎族のフェルサとサポは純粋な戦闘能力の差こそあれど地位は同等だ。フェルサが人族の安い挑発で怒りを隠しきれないのと同様、誇りある黒羽族の一人として対等の仲間にへりくだる事は考えられない。


 サポの外見はフェルサのように勇猛ではない。細身の身体にはフェルサほどの筋力も瞬発力も宿っていない。

 だが、両腕の外側に生えそろった艷やかな黒の翼は空を支配する得難い力をサポに与えているし、鋼虎族と同じくらいに珍しい黒羽族の飛行能力はゴーレム・バレー攻略の上で欠かせないものだ。

 力を至上とする短気なフェルサがサポと組み続けることができている理由の一つでもある。鋼虎の戦士は認めた物の言葉しか聞かない。


 フェルサが一歩サポの前に歩みを進める。


 身長差は殆どないが、戦闘に特化した生粋の戦士であるフェルサと飛行能力のために戦闘能力を犠牲にしたサポでは威圧感が違った。


 フェルサが唾を飛ばし、ギラついた目でサポを睨みつける。


「罠ぁ……? ならばぶち破ればいいッ! 蹂躙すればいいッ! 小賢しい策謀など何の役にも立たぬと、己の矮小さを、その血で思い知らせるのだぁああッ!」


 空気が震え、至近からそれを受けたサポの綺麗に生えそろった羽毛が微細に震える。

 サポとて誇りはある。黒羽族の力は黒鋼族には遥かに劣るが、純粋な人と比べると数段上だ。下等な種族に馬鹿にされて腹が立たないかと言うと嘘になる。


 だが、サポは一度大きく深呼吸をすると努めて冷静な声で答えた。


「忘れたか、王から賜われた我らの任務は……誰にも気づかれてはならぬ」


 黒羽族にもプライドはある。だが、鋼虎族とはその質が違う。

 抱きかけた怒りなど王からの命令を完遂するためならば飲み込める。


 与えられた隠密の任務。

 随一の戦闘能力を持つが故に余り物事を深く考えない鋼虎族と高い機動能力を持ち獣人の中では知恵者と呼ばれる黒羽族が組まされたのはそのためだ。希少な探査避けの魔導具だって二つも賜われている、失敗するわけにはいかない。期待に答える、それがサポの誇りだ。


 返されたサポの鋭い視線にしかし、フェルサの感情は毛ほども治まる様子はない。激情を表に出す方法として、フェルサは戦闘以外の手段を知らない。たとえ咆哮したところで何の気休めにもならなかった。


 臆病者だ。たとえ理由があったとしても、挑発を受けて黙っているなど臆病者のすることだ。断じて最高の戦士のすることではない。

 もしもサポが止めなければ今頃挑発してきた愚か者を始末出来ていただろう、フェルサはそう確信していた。


 押し殺すような声でフェルサが言う。


「殺せばいい。目撃者など、消せばいい」


 その目に本気を感じ取り、サポがうんざりした気分で頭を横に振った。


「ダメだ。あれはこちらを燻り出そうとしている。万が一仕留め損なったら死んでも死にきれん」


「ッ……貴様は、無敗の俺が、敗北するとでも言うのか?」


 今にもサポを噛み砕かんとせんばかりにフェルサが犬歯をむき出しにする。

 ゴーレム・バレーで最硬を誇るメタル・ゴーレムの手足すら粉砕する牙だ、防御に特化していない獣人の手足くらい簡単に噛み千切れるだろう。


 ひやりとする何かを感じ、しかしサポは気丈に反論する。

 そもそもの性格が余り合わないのだ。この程度の口論、既に数え切れないほど繰り返していた。


 経験を活かしてプライドを刺激しないように注意しつつ矛先を変える。


「いや、フェルサ。貴公の力を上回る戦士など、人間の中には何人もいないだろう。王もそれを認めたからこそ、この地に貴公を遣わしたのだ」


「……ッ……」


 フェルサの呼吸が僅かに収まった瞬間に続ける。


「だが、忘れてはならぬ。我らが未だ王の命を――完遂出来ていないという事を。大幅に想定を超過しているという事実をッ!」


「くッ……魔導人形め……弱者の分際でちょこまか逃げやがって……」


 ようやく思い出したのか、フェルサがいらいらしたように地面を蹴った。


 サポは覚えている。超越した力を持つ鋼虎族ならば人の作った魔導人形マザーなど容易く殲滅できるというフェルサの自信満々の言葉を。


 それはあながち間違いではない。人族の中では強力と区分されているゴーレム・バレーのゴーレムも、万物を切り裂く鉤爪と強力無比な身体能力を有するフェルサからすれば木偶人形と変わらない。

 それと複雑な地形を無視でき、鋼虎族の短所をある程度カバーできる黒羽族が組めば任務を達成するのに長い時間はいらないと、サポ自身が提言したのだ。王がその意見を認めサポ達を派遣したことからもそれが共通認識だったと言える。


 想定外だったのは魔導人形の賢さと学習能力だ。翼を持っても一度に認識できないほど広範囲に分かれて生息していたマザー・ゴーレムと、すぐさま逃走を選択した判断能力。

 誰もが想定していなかったその能力こそが、何年もかけて未だマザー・ゴーレムの殲滅という任務を達成出来ていない理由だった。


 だが、サポは焦ってはいない。時間こそかかってはいるものの、誰にもバレる事なく前に進んでいたからだ。


「落ち着け、後少しだ。マザーの数はもう殆ど残っていない、後一年もせずに全て破壊できる。マザーさえ破壊できれば人の一匹や二匹気にする事はない。王は忍耐強い我らの功績を高く評価してくださる事だろう」


 想定外の出来事だ。確かに誰にも気づかれていないはずだった。数年間、人と出会った事は一度もなかった。

 だが、あの挑発は間違いなくサポ達を意識している。


 嫌な予感がした。定期的な連絡で勇者が現れたという報も受けている。フェルサは勇猛なだけだが、サポは勇猛と慎重を兼ね備えている。フェルサはそれを臆病と評すが、サポはそう思わなかった。

 サポが臆病ならばフェルサとサポが尊敬してやまない王もまた臆病という事になる。


 頭を回転させる。早口でサポは心にもない事をいう。


「あれはブラフだ。我らの存在がばれるわけがない、炙り出そうとしているのだ」


 ミスは二つだ。

 探知阻害の魔導具を持っているサポがフェルサから離れた瞬間に探知魔法を受けてしまった事。

 そして、安っぽい挑発にフェルサが反射的に吠え返してしまった事。


 だが、まだ全て終わったわけではない。存在はばれてしまったがまだ遭遇まではいっていない。

 広大なゴーレム・バレーで、探知魔法を阻害する魔導具を持つサポとフェルサが見つかる可能性は極めて低い。


 冷静に頭の中で計算しながら続ける。


「大体、貴公は今空腹であろう。補給せねば力は半分も出せまい」


「……その通りだ」


 生き物が殆どいないゴーレム・バレーでは食事の機会は限られる。フェルサはある程度食べずに動く事ができるが、空腹時は力が大幅に削られる。

 サポがフェルサを止めたのは今がちょうど枯渇している時だったという事もあった。


 フェルサは猪突猛進だが決して馬鹿ではない。ある程度の知性は持っている――ただ、それが暴力を最上においているだけで。

 フェルサの怒りが弱まるのを確認し、サポは気づかれないように安堵のため息をついた。


 長年うまくやってはいるが、フェルサを宥める度にサポは捕食者の前に無防備に身を差し出している気分になるのだ。


 屹立していたフェルサの尾が僅かに緩む。

 

「そもそも、奴らがまだゴーレム・バレーにいるとは限らないだろう。貴公の咆哮を真正面から受けて耐えられるとも思えん。既に尻尾を巻いて逃げた可能性も――」



 サポがそう言いかけた瞬間、


『まさか本当に現れぬとは、見下げた連中だ! 挑戦を受ける気概すらないとは、貴様らは断じて――戦士では、ないッ! ネズミのように尻尾を巻いて逃亡するならば追うつもりはないが、その誇りが欠片でも残っているのならば、正々堂々とかかってくるがよいッ!』


「ッ――」


 遠くから小さく聞こえる昨日の挑戦と同じ声。

 余り耳のよくないサポで聞こえた音を五感の鋭いフェルサが見逃すわけもない。

 誤魔化す間もなく落ち着きかけていたフェルサの尾がぴんと立つ。その毛が逆立ち、金眼が声の方向を向いた。

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