第五報告 ゴーレム・バレーの調査とその顛末について

第二十九レポート:異常の原因を突き止めよ①

 冷たい風が峡谷を吹き抜けた。岩石の欠片が微かな音を立てて地面を滑っていく。


 地面を注意深く観察し終え、立ち上がる。強い風は痕跡の殆どを消してしまう。臭いを散らし、例えば獣人の追跡材料として一般的に使われる体毛など残っていてもすぐにどこかに飛ばされてしまうだろう。


 俺の後ろで周囲を警戒していた壁のような影が動く。


 マダムに小言を言われながらも派遣してもらったウルツだ。丈の長い法衣はその内に着込んだ鎧の形に膨らんでおり、とても僧侶には見えない鋭い眼光が遠く空を眺めている。


 その目つきからは、長いブランクがあってもその腕が鈍っていない事が窺える。

 日常的に鍛えているのだろう、生まれついての優れた身体能力、勘は健在だ。


 ひくひくと鼻を動かし、ウルツが難しい表情で唸る。


「なるほど……確かに――ゴーレムの数が減っているようだ。久方ぶりに来たが……気配の数が違う」


 これで俺の気の所為だという線は薄くなった。現地の僧侶の言葉には強い説得力が付随する。


 これならばもしも仮に今すぐ異常の原因が見つからなかったとしても、俺達がいなくなった後に調査隊を派遣してもらえる事だろう。


「ゴーレム・バレーに生息するゴーレム達の数を減らすには製造元を減らす必要がある。そうでもなければこの魔物の減少は説明がつかない」


 俺の言葉に、ウルツが数秒沈黙していたが、すぐに重々しい声で答えた。


「……マザー・ゴーレムは複数体確認されている。全滅している可能性は低いだろう。マザーが全滅したのならば、ゴーレム達の動きにもっと大きな変化が現れるはずだ」


 マザーの全滅はゴーレム・バレーの破滅を意味する。たとえ他のゴーレムが生き延びていたとしても、増える手段がなくなればいずれゴーレム達はいなくなる。


 遠く地平を眺めていたアメリアが小さく息を吸い、唇を開く。

 胸元が呼吸に従い小さく上下していた。怜悧な表情で分析する。


「相手が獣人ならば、魔術は使えないでしょう。魔術に高い適性を持つ闇の眷属ならばいくらゴーレム・バレーが広くても、わかるはずです」


 然り。相手が闇の眷属であるのならば俺達が存在を認識できないわけがない。


 追跡するにあたり頼りになるものは集めた情報だけではない。


 ゴーレム・バレーは広大だ。フィフス・タウンから先と一口に言っても限りがない。マザー・ゴーレムを見つけ出すには敵方も苦労しているはずだ。

 獣人は身体能力は突出して高いが、魔力の面において人よりも劣る傾向がある。アメリアが魔術を駆使しても見つけられないマザー・ゴーレムが獣人の魔導師の魔法で見つけられるとは思えない。


 となると、方法は限られる。


「ゴーレムは臭いも薄いが――ふむ」


 眩しそうに眼を細め、ウルツが切り立った崖を見上げた。

 半巨人族と獣人は共通点が多い。一度髭を撫で、壁際に近づく。


「空、か……」


「ああ」


 俺も蒼穹を仰ぐ。飲み込まれるような一片の陰りもない青空。

 メイスを何気なくぶら下げ、俺もごつごつとした崖を手の平で確かめる。


「ゴーレム・バレーで何よりも厄介なのは地形だ。俺が魔王ならばこの地に派遣する者には飛行能力を持つ者を選ぶ」


「飛行能力……獣人族ワー・ビーストの中でも希少だな」


 飛行能力を持つ獣人は数え切れないくらいに種類がある獣人の中でもほんの一握り、滅多に合わない存在だ。機動力に秀で、情報を収集する斥候として極めて高い適性を持つ反面、戦闘能力はそれほど高くない。狙われ易く幾度もの戦争でどんどん数が減っていると聞く。

 魔王軍の中でもほとんどいないはずだ。


 足を潰せば獣人自体は怖くない。強い弱いではなく、手がかり・手段を失った状態でマザーを全滅させるのは不可能だ。


「俺達もそれに習い、上から探す。獣人を発見したら捕縛し情報を吐かせる。マザー・ゴーレムを見つけたら監視する」


 俺達は空は飛べないが、崖の上からならば視界が広いし、気づかないうちに接近される心配もない。


 黙って首肯するウルツに、ポツリとアメリアが零した。


「……ちょっと待って下さい。どうやって崖の上に行くんですか?」


 崖のごつごつした部分を手がかりに登り始めていたウルツがアメリアを見下ろした。

 半巨人族は体格がよく体重も人族と比べれば遥かに重いが鈍重ではない。身のこなしは人間以上だ、レベルも高いウルツならば崖登りくらい容易いだろう。


 不思議そうな眼でウルツがアメリアを見る。


「? 何か問題が?」


 上を見上げる。切り立った崖だがたかが二、三十メートルほどだ。まさかウルツが登れないとでも思ったのだろうか?


 何を言うべきか迷い、無難な言葉を返す。


「登るに決まってるだろ」


「……これだから脳筋共は……アレスさん」


 アメリアがこめかみを押さえ、深々とため息をついて言った。


「私、崖登りできません。やったことありません」


「……登れ。やればできる」


「無理ですって。できるように見えますか?」


 アメリアの全身をまじまじと見つめる。華奢な身体に傷のない指先。肌は透き通るほどに白くシミ一つない。


 確かに余り肉弾戦をやるようには見えないが、レベル50以上ともなれば身体能力は相応にあるものだ。

 体重も軽いし、全身金属鎧を装備しているわけでもない。確かに初めては不安かもしれないが、やればできると思う。

 しかし、まさかクライミングスキルを持っていないとは思わなかった。俺なんて駆け上ることだってできるのに。


 後で時間ある時に教えてやろう。


「ウルツ、背負ってやれ。小脇にかかえてもいい」


「……」


 アメリアは無言で俺の背中に回ると、腕を回してきた。

 柔らかい感触が背中に当たり耳元にまるで抗議のように吐息が当たる。


 どうやら小脇に抱えられるのは嫌だったらしい。



§



 踏み込みで大地が揺れ、巨体が風を切り弾丸のように前身する。

 金属製の手甲ガントレットで包まれた拳がまるで砲丸のように頭上からゴーレムを打ち据える。


「――――ッ!!」


 咆哮はないが、気迫で空気がびりびり震える。連続して放たれた拳に対してゴーレムの装甲が耐えきれなくなるのに時間はかからなかった。


 アメリアがウルツの戦いっぷりに呆れたようにぽかんと口を開けている。


「なんですか、あの人……僧……侶?」


 巨人族。ハーフとはいえ、身体の大きさとは力である。振り回される腕はまるで丸太のようで、その一撃は熟達した武道家でも受け流す事は難しいだろう。


「元は剣を使っていたようだが、僧侶プリーストは教義で剣を持てないからな」


「剣なんて持たなくても、全身凶器じゃないですか」


 その通りである。だからこそ、俺は無理を言ってウルツを派遣してもらったのだ。アメリアの安全を確保するならこれくらいは必要だ。


 沈黙したゴーレムの残骸を踏みつけ、ウルツが興奮さめやらぬと言わんばかりに蒸気のように熱い息を吐き出す。

 ウルツの神聖術の腕はそれほど高くないが、俺が補助魔法をかければ高レベルの獣人が相手でも十分渡り合えるだろう。


「教義の解釈って曖昧ですよね……どうせなら暴力禁止にすればいいのに」


 新たに現れたゴーレムを手刀で切り裂くウルツに、アメリアが憮然として呟いた。まぁ余り厳密に定められても動きづらくなるだけだから……。


「ウルツさんを藤堂さんのパーティに入れたら楽になりそうですよね」


 いや、案外ウルツも加減知らないから面倒だよ? マダムしかり、奴には手綱を握れる人間が必要なのだ。


 手を大きく打ち鳴らし水を差す。

 久しぶりの戦闘のせいか完全に頭に血が上っているウルツがギロリと戦意に染まった眼を見せてきた。


「さー、さっさと移動するぞ。頭を冷やせ」


「……うむ」


 肩で息をしながら、ウルツが小さく頷いた。


 探索は困難を極めた。視界が良好になったからといえ、心当たりを虱潰しに探していく必要がある。


 ウルツからなるべく離れようとしているかのように、アメリアが寄り添い、囁いてくる。

 もしかしたら、強面なウルツが苦手なのかもしれない。


「しかし……アレスさん。昨日探索した際に『白の地』の大部分は探査魔法で探しましたが、変わった気配はありませんでした。存在力の高い魔物は結構な数いましたが……非生物ばかりで……さすがに生体と魔導人形ゴーレムの区別くらいはつきます」


「仮定しよう」


 眼下に広がる峡谷。どこまでも続く険しい道と所々に見えるゴーレムの影を具に観察しながら続ける。


「俺が魔王だと仮定しよう。部下の獣人をゴーレム・バレーの制圧に向かわせると仮定しよう。目標はマザー・ゴーレムの殲滅だと仮定しよう。マザー・ゴーレムの生息地は有名だ。特にゴーレム・バレー内部の街では有名だが、谷の外でも調査しようと思えば調査できる」


 何しろ、王国の討伐隊が一度派遣されたのだ。過去の話なので精度の問題はあるが、ゴーレム・バレーの地図を事前に手に入れることは難しくない。

 特に機密の情報というわけでもない。


 何か言いたげな視線を向けてくるアメリアに宣言する。


「一旦、今までの魔王とは行動が違い過ぎるという点は外に置く」


 魔族は狡猾だ。傲慢さ故に細かい策を好まなかったが、魔族は寿命の長い者が多い。

 個々の知性は寿命に縛られる人間よりも遥かに高い。だから俺は魔王の気持ちになって考える。


「俺が魔王だったのならば、まず『白の地』を探らせる。魔王軍だって人手不足だ、多数のゴーレムを相手にできる配下を遊ばせていく余裕はない。短期決戦が望ましい」


 言葉を吐き出しながら頭の中を整理する。


 そうだ。短期決戦だ。


 傾向を見る限りでは、ゴーレムの減少は傭兵や商人達に気づかれない程に少しずつ進行していた。だがこれは冷静に考えるとおかしな話である。

 レベルアップリソースであるゴーレムを絶滅に追い込みたいならば、さっさとマザー・ゴーレムを全滅させればいいのだ。何しろ、ルークスにはマザーを再現できる魔導師が未だ現れていないのだから。


 だが現実、そうなってはいない。

 これがイレギュラーかあるいは俺の理解し得ない策の内なのか。


 アメリアが動揺のない静かな湖面のような眼で俺を見上げる。


「今の状況は想定外、というですか」


「……そうだ。少なくとも俺はそう考えている。アメリア、マザー・ゴーレムは『人形遣いドール・マスター』として名を馳せた魔導師の傑作だ。俺達の知っている、ただ命令に従うだけの存在とは違うと考えるべき」


 おそらく、それは魔王にとっても想定外だった。


 前提条件として、人の間ではマザー・ゴーレムは特定の範囲に巣を作る存在だと考えられていた。


 それが――白の地。組み込まれた魔法によりゴーレム・バレーの大地から特定の成分を抽出し鉱物を生成――魔導人形ゴーレムを生み出す。白の地の色はその結果だとされていた。

 もしもマザー・ゴーレムが縄張りから出ないようにインプットされていたのならば、いくら範囲が広かったとしても、いくら個体数が多かったとしても、それほど長い年月掛けずに全滅していただろう。


「動いている。間違いなく動いている。逃げているのかそれともそれ以外の理由なのかは知らないが――」


 マザー・ゴーレムに知性があると仮定しよう。

 俺がマザー・ゴーレムで、天敵が白の地を重点的に狙っていたと知ったのならば、当然その外に逃げ出す。


 そこから先はいたちごっこだ。

 地の利はゴーレム達にあり、個体数も多い。複数体のマザー・ゴーレムがばらばらに逃げているのならば、魔王の手先がそれを全滅させるのは骨が折れるはずだ。


 それがまだこの地からゴーレムがいなくなっていない理由。


 俺のこぼした言葉から真意を読み取ったのか、アメリアが表情のない眼で崖下を見下ろす。


「……見つけるの、大変そうですね」


「まぁ、時間の問題だな」


 ゴーレム・バレーは確かに広いが、無限の広さがあるわけではない。アメリアの探査魔法もある。

 陣営は三つ。マザー、マザーを追う獣人、そしてその二つを探る俺達。

 鬼ごっこは俺達に一方的に有利だ。追われる側がまだこの地に入れば、の話だが。


 それにそもそも、本音を言わせてもらうと、別にゴーレム・バレーが滅ぼうと俺は何ら構わないのだ。

 俺の役割はあくまで魔王討伐のサポート。ウルツやマダムは思う所があるかもしれないが、俺は本来ルークスの人間ではないし思う所はない。アメリアもそうだろう。


 だが、ここで魔王の手の内を少しでも掴めれば今後の旅が楽になる。戦力だって削れる内に削っておいた方がいい。


 後は完全に藤堂達の動向との兼ね合いである。


 ステイは今のところうまいことやっているらしい、異常なしの連絡が来ていた。

 異常ありの連絡が来る前になんとか着地点を見つけたい。


 その時、ふと崖下の道の色が微かに薄くなっているのに気づいた。俯瞰で見なければ絶対に気づかない微妙なコントラストだ。


「アメリア、一度下りて調べるぞ」


「……接触は私としては非常に不本意です」


 アメリアがもったいぶったように言うと、再び俺の背中に身体を預けた。

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