第二十五レポート:観察・接触

 力が漲る。足、脚、腹、腕、手。第一級の付与魔法バフ――ぞくぞくするような万能感が脳裏を焦がし、内に燃えたぎる炎を解き放つかのように目の前のゴーレムにメイスを叩きつけた。


 蒼穹に鈍い破砕音が響き渡り、メイスを腹に受けたロックゴーレムが壁に叩きつけられる。破砕し飛んできた欠片を回避した瞬間、邪魔にならないように後ろで待機していたアメリアが短く叫んだ。


「アレスさん、上ですッ!」


 太陽を隠すように、ゴーレムが飛んでいた。

 蝙蝠のような翼に、銀の単眼。金属で出来ているにも拘らずその身体は自由自在に飛翔する。ゴーレム・バレーではその環境もあいまり最も手強いゴーレムに区分される、ウィング・ゴーレムだ。

 ネーミングは安直だが、崖から落下する心配もなく近接戦闘職が手を出せない遥か上空から金属の弾丸を飛ばして攻撃してくるそれは嫌われ者だ。数こそ少ないが、門を超え町中に入り込んでくることすらあるという危険度の高い魔物でもある。

 弓矢で貫けぬ程に装甲が厚く、剣の届かない空にいるという性質上、強力な攻撃魔法を持っている魔導師でないと倒すのが難しいとも言われている……が、レベルが高ければ話は別だ。


 壁に向かって駆ける。

 アメリアが息を呑む音。背後に落ちる弾丸の音。メイスを強く握り、そのまま俺はほぼ垂直の崖を駆け上った。

 必要なのはレベルと、そして意志だ。横目に見えるアメリアの唖然とした顔に一瞬停止し、再び襲い掛かってくるウィング・ゴーレムの攻撃。それらを無視して崖を駆け上がる。

 ウィング・ゴーレムと同程度の高さまで駆け上ったところで身体を反転させ、跳躍した。


 断続的に飛来するウィング・ゴーレムの弾丸をメイスで弾く。

 鈍い衝撃が腕に伝わってくるが金剛神石オリハルコン聖銀ミスリルの合金で出来た『神の怒りラース・オブ・ゴッド』には傷一つつかない。そのままウィング・ゴーレムの真上まで跳んだ俺は、その奇妙な形の頭にメイスを叩きつけた。


 ウィング・ゴーレムが落ちる。地面に着地する。

 ひしゃげ沈黙したウィング・ゴーレムを確認し、ぱんぱんと法衣の埃を払っていると――


「……化物ですか……一応聞きますけど、一般的ではないですよね?」


「メイスをぶん投げてなくしたら困るだろ」


「……ま、まぁ」


 このメイスは一点物なのだ。

 ひしゃげたゴーレムの残骸にメイスを更に叩きつけ、細かく砕いた。露出した宝石のような黒い核を取りあげリュックに詰める。高く売れるのだ。


 ロック・ゴーレムの残骸は安いのでいらない。

 周囲を警戒し他にゴーレムがいない事を確認して伝える。


「油断するな。今のウィング・ゴーレムは上級ゴーレムだ。警備が厚くなっている。件の場所に近づいている証だ」


「……たった数分で二体も片付けておいて全然説得力がないんですが、つっこみ待ちですか?」


「……俺がつっこみ待ちした事が今まであったか?」


「何度か」


 いやいや、ねえよ。


 §


 ゴーレムを撃退しながら前に前に進む。やがて代わり映えのしなかったゴーレム・バレーの景色がどんどん赤褐色からやや白んだものに変わっていった。

 詳細は忘れてしまったが、それがマザー・ゴーレムの生息地に近づいている事を示している事だけは覚えていた。


 少しずつ道が凸凹の激しいものに変わっていく。殆ど人が通っていない証だ。それに伴い、魔物の出現率もより高くなっていった。


 フィフス・タウンから先に行く者は殆どおらず、その中でもマザー・ゴーレムの生息地帯に向かう者はまずいない。


 そこは一種の不干渉地帯だ。


 ゴーレムだって自らの生命線もわかっている。

 警備は堅牢、リスクも高くリターンが殆どない。マザー・ゴーレムの核は高額で売れるがそれに払うリスクが余りにも高いのだ。命には代えられないし、そもそもマザー・ゴーレムは何体も存在して、一体減ると別のマザーから生み出される事がわかっている。

 それは、ゴーレム・バレーが長らく根絶されていない理由の一つだ。過去、街ができる前には何度かマザー掃討作戦が立ったらしいが結局失敗したらしい。ゴーレムを駆逐するには無数の上級ゴーレムを蹴散らしあちこちに存在するマザーを短期間で全滅させる必要があり、それは限りなく不可能に近いのだ。


 少なくとも――ゴーレム・バレーの適正レベルでは。


 峡谷の強く風の鳴る音が響き渡る。ゴーレム・バレーに入ってからずっと聞いているものだったが、今日の風は一際強く聞こえた。まるで――ゴーレムの悲鳴のようだ。


 日が落ちる。地平線に落ちる太陽の欠片が朱色の光を放っている。そこで、俺は立ち止まった。

 俺の足跡をなぞるようについてきていたアメリアもまたピタリと止まる。腰を落とし、ごつごつとした地面――それに空いた穴に触れた。


 およそ六十センチ、縦長の穴。深さは十センチ程だろうか。境界は半ば風化し区別が付かなくなっていたが、注意深く見ればただの地面との差がはっきりとわかった。


「? なんですか、それ?」


「足跡だ……それも、見たところゴーレムのモノじゃない」


 六十センチ。その足跡はサイズだけで言うのならば俺よりも倍以上大きくウルツよりは少し小さい。この地に生息するゴーレムにそんなサイズの魔物はいないし、そもそも――


 つま先に該当する場所に深い切込みができている。数はわかりづらいが……おそらく四つ。無骨なゴーレムの足跡では到底発生し得ない跡だ。もちろん人間のものでもない。

 足跡の付近の地面を手の平で確かめ、顔をあげた。


「ここ最近の足跡ではないな。それ以上はわからない」


 だが収穫だ。人間のものではなく、ゴーレムのものでもない。この峡谷に本来存在する生き物のものでもない。

 残っている足跡は二つだけだ。アメリアはしばらく沈黙し、すぐに空を見上げた。


 よくわかっている。この足跡、痕跡がわざと残されたものでなければその可能性が最も高い。


「そうだ、空だ。ザルパンのような転移魔法ではない」


 ぞくぞくするような震えが背筋を駆け上る。俺の脳裏にははっきりと浮かんでいた。


 激しい風。流れる雲。ぎらぎらと照りつける太陽とそれを隠す黒の影。そして、その影から飛び降りる人影。


 身の丈は俺以上ウルツ未満。数メートル上空からの落下をものともしない巨体だ。針のような剛毛に包まれた巨体が弾丸のように着地する。その発達した両足が岩盤に突き刺さり二つの跡を残す。巨体は無傷だ。人族を遥かに凌駕する頑強な骨格と筋肉は落下程度では傷ひとつつかない。

 そして、二つの足跡に残る四本の傷。見紛うことのなき鉤爪の跡。ぴんと天を指す耳。激しい咆哮が蒼天を震わせるその光景まで幻視する。


 思案げなアメリア。その表情を見上げて口を開いた。


「獣人――獣人だ。虎か? 獅子か? 猫系の獣人ワー・ビースト


 流石に猫人ワー・キャットではないだろう。体格が良すぎる。


 獣人。半巨人ハーフ・ジャイアントのウルツと同様に人族と魔族、それぞれの陣営に所属する、獣の力を有する亜人だ。総じて肉体機能に秀でるが吸血鬼などと異なり魔術の適性は持たない。

 野生が強く強者に従う資質がある。人族側の獣人も居るが、どちらかというと魔王配下に多いことで知られている。


「陸路は街で封鎖されている。空から来たのならば翼を持つ者と最低二体だ。まだ他にもどこかに足跡があるかもしれないが、数はそれほど多くないだろう」


 真剣に足跡の周辺を調べるが俺の知識と技術ではそれ以上の事はわからない。

 這いつくばるようにして鼻を近づけ臭いを確かめる。当然、岩の臭いのみで痕跡は残っていなかった。


「アレスさん、また魔物です」


「ああ、わかっている」


 ゴーレムの気配は独特だ。だが、見逃す程小さくは無い。

 ゆっくり立ち上がる。アメリアが一歩後退り俺の後ろに隠れる。ボール・ゴーレムにロックゴーレムが混成した群れ。数は五体、幅数メートルの狭い道に現れる群れとしてはほぼマックスの数であり手間取れば更に魔物が寄ってくることになる。


 怜悧そうな瞳で魔物の群れを観察し、アメリアが尋ねてくる。


「痕跡も見つかりましたし一端撤退しますか?」


 空は既にほの暗い。

 フィフス・タウンまで戻る頃には完全に日がくれてしまうだろう。定石でいくならば、だが。


「アメリア、追跡に必要なのは……根気だ」


「……守ってくださいね?」


「もちろん」


「わー、アレスさんかっこいー、ぱちぱちぱち。……僧侶プリーストですよね?」


 やる気のない賞賛が掛けられる。どこまで本気なのやら……まぁ仕方ない。

 吐き捨てるように答える。


「僧侶が殴って何が悪い」


 地面を蹴り、俺はじわじわと距離を縮めてきていた魔物に向かってメイスを振りかぶった。



§ § §



 扉の隙間から見えるステファンに、リミスはまるで冷水をかけられたような気分だった。

 動揺を隠しきれない声で尋ねる。


「……今なんて?」


「えへへ……アレスさ……あ――アレすぎる人に頼まれちゃいました。藤堂さん達をサポートしろって」


 はにかみながら言うステファンに、目を剥いて怒鳴りつける。

 話が違う。


「どういう事よ!? 私達別に困ってないわよ!?」


「え……わからないですよ?」


「え!?」


 呆気に取られるリミス。その隙にステファンが身体をねじ込むように部屋に入ってきた。


 とっさにそれを捕まえようとリミスが腕を伸ばすが、視線を向けられてもいないのに自然な動きで避けられる。そのままステファンはふらふらと室内に入ると、目を丸くしている藤堂、引きつった表情のアリアの目の前で小さく飛び跳ねた。

 自信満々にステファンが言う。


「藤堂さん、サポートに来ました!」


「え……あ……えっと……ありがとう?」


「どういたしまして!」


「まてまて、ちょっと待て。冷静になれ」


 慌ててアリアが間に入る。まだこの事態が分かっていない藤堂を抑えるように、腕を伸ばし、ステファンを牽制する。


「ステファン。冷静に聞いてくれ。よく聞いてくれ。私達は大丈夫だ@。サポートはまだ必要ないんだ」


回復魔法ヒール使えますよ?」


「!?」


 ステファンがちらりとリミスの方を見る。ステファンが精霊魔術エレメンタル・スペルを学んだのはリミスのところで、だ。余り話さないようには言われているが、もう既にそれを知っているリミスはカウント外である。

 視線を足元に落とすと、カカオがまるで応援するようにくるくるダンスを踊っている。ステファンは笑顔で続けた。


精霊魔術エレメンタル・スペルも使えますよ?」


「!!?」


「……ちなみにレベルはいくつだ?」


 アリアが押し殺したような声で尋ねる。その声にステファンは一瞬だけ困惑したように眉をハの字にしたが、すぐに明るい表情で答えた。


「確か、70くらいです!」




 椅子の上でリミスが体育座りしていた。その華奢な肩をステファンがまとわりつくように揉む。

 死んだ目をしたリミスに藤堂が慰めるように声をかけた。


「リミス、気を取り直しなよ」


「前に会った時は同じくらいのレベルだったのに……」


 秩序神に仕える僧侶プリーストは嘘をつかない。もとより、ステファン・ベロニドは嘘をつくような性格ではない。


「だいじょーぶです、リミスちゃん! 人間、レベルじゃないですよ!」


「あんたが言うといろんな意味で説得力あるわ」


「しかし70くらいって……何をどうしたらそんなレベルに……」


 訝しげにアリアが呟く。

 ルークスの騎士の中でも70レベルを超えている者は一握りしかいない。傭兵ならばまず間違いなく超一流に区分されるだろう。それも僧侶プリーストで、となればその存在価値は計り知れない。


「ねー、お仕事なんですよう。頼りにされてるんですよう。私も一緒に行きます。行ーきーまーすー。ねぇ、リミスちゃん? ねぇ!」


「えーい、うるさい! 私に触れるな!」


 邪険にされてもまとわりついてくるステファン。

 辟易した様子のリミスに、藤堂が苦笑いで口を挟んだ。


 藤堂の見る限りではステファンは悪人ではない。


「まぁまぁ……リミス、アリア。ステイさんもレベル高いみたいだし、その……一時的に入れてあげてもいいんじゃないかな?」


「はぁ!?」


 リミスが素っ頓狂な声をあげ、アリアの方を見る。アリアは何も言わず諦めたようにソファに身を預けていた。頼りにならないアリアから視線を外し、最近頑張っているグレシャの方を見る。グレシャは干し肉を齧っていた。

 仕方なく藤堂に向き直る。人差し指を突きつけ、


「ナオ、あんた自分が言ってることわかってるの!?」


「い、いや……まぁ、でも、さ。ステイさんも頑張ってるみたいだし。大体、魔物は僕達が倒せばいいだけじゃん? スピカが戻ってくるまでの期間だけだし……」


 視線を反らしながら藤堂がモゴモゴ言った。

 性格の関係で既にリミスと藤堂の間には力関係が出来上がっている。が、最終判断が勇者の手にあることだけは変わらない。

 しばらくリミスは責めるような視線を藤堂に向けていたが、もうこうなってしまえば藤堂は首を横に降らないだろう。


「……知らないわよ?」


「わーい、ありがとう! 藤堂さん! これで私の手足、無事です!」


「手足……? ちょあ――」


 後頭部に触れる柔らかい感触。いきなり後ろから首元に抱きついてきたステイに藤堂が短い悲鳴を上げる。

 男女問わないその距離感の詰め方に呆れたようにリミスがため息をつく。


「ステイ、あんた相変わらず節操ないわね」


「節操……?」


「ちょ……ステイさん、胸当たってるって!」


 言葉で指摘されてもステファンの表情は変わらない。藤堂の頭を抱きしめたまま不思議そうに首を傾げる。


「え……ん? 別に、気にしないですが?」


「ぼ、僕が気にするんだ! 僕は男だよ!? ダメだよ、そういうことしちゃ!?」


「……え……ん……? あれぇ?」


 その言葉にステファンは数度瞬きして、首を解放した。ほっとする藤堂をよそにその漆黒の髪を一房取り、そっち鼻を近づけくんくんさせる。

 意味不明なその動きをそっと見守るリミスに、ステファンがもう一度首を傾げた。




「えっと……女の子の匂いがしますが?」


「……ちょ……え……ん?」


「女の子の匂いしますが?」


 邪気のないステファンの目。

 時間が止まった。その視線を受けリミスが表情を引きつらせる。


 藤堂が、かちんこちんに身体を硬直させ、だらだらと冷や汗を流している。

 しかし、ステファンの視線がまだ自分に向けられている事を理解すると、動揺の入り混じった声を出した。


「お、男だよ。男だ……僕は男だ。僕、それは男の一人称……」


「いや? 絶対女の子の匂いが――もう一回……」


「ちょ……やめてッ!? いやぁぁぁぁぁ!」


「ステイ、離れろ! ナオ殿、逃げてください!」


 ……はぁ? はぁぁぁぁぁぁああああああ!? なにそれ、持ち悪っ! 怖ッ! はぁ!? 匂い? 何? 教会から言われたとかじゃなくて匂い!? 怖ッ!


 藤堂にじゃれつくステイ。それを引き剥がそうとするアリア。

 余りにもいつも通りに異常な事をやってのけた少女を見て、リミスはその体を大きく震わせた。


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