教会からの刺客
「あいつらいい判断するなぁ……」
涙の滲んだ目で逃げ帰ってきたステファンに対する感想はそれだけだった。
女好きの藤堂が拒否するとか、拒否させるほどにリミス達が藤堂を説き伏せるとか、ステイは一体リミス達に何をしたんだよ……。
まぁダメ元だったけどな。
「うぅ……ど、どういう意味ですかぁ」
ステイはアメリアにぎゅっと抱きついてしくしく泣いていた。
アメリアが凄い迷惑そうな表情且つ杜撰な手つきで頭をぽんぽん叩いていた。若干力が強いので払っているようにも見えるが、ステイに効果はないようだ。
ステイはドジだ。ドジという単語の意味がわからないくらいにドジだ。未だ嘗て見たことがないくらいにドジで、しかも本人はそれを自覚していない。本人はたまーに失敗するくらいの認識でいる。
そして、彼女の父親は当然それを知っていて、金とコネを最大限に使って対策を施した。その結果、今のステファン・ベロニドがいる。
精霊魔術を使えるのもその一環だ。
詳しく聞いたところ、ステイは元々ルークスで精霊魔術を学んでいたらしい。ルークスで精霊魔術と言えばリミスの家が本元である、知り合いだというのも道理であった。
ルークスはシルヴェスタ枢機卿の故郷だ。元ルークスの商人で現在枢機卿まで上り詰めたシルヴェスタはルークスで広く顔が利く。年も同じくらいだし、ステイの父親が枢機卿だとわかった時点でステイとリミス達が顔見知りである可能性も十分に考慮すべきだった。
というか、自分から言えよ。
本人に悪気はないようだが、抜けていると言うのは下手に悪意を持っているよりも厄介である。悪意を感じ取るのは慣れているが、天然は察知できない。
精霊魔術の事を黙っていたのもくだらない理由だった。精霊魔術を修めた際、父親にいざという時の切り札として誰にも教えるなと言われていたらしい。
無自覚に抜けている娘を持った父親としては、自衛手段の一つも与えたくなるのは道理である。
だが言えよ。俺には言えよ! その『誰にも』に上司をカウントすべきじゃないだろ! 仕事だぞ、おい! てめーは言われたことしかできねえのか!
「使えそうで使えないところが歯がゆい」
「だから私は言ったんです。ステイはやめた方がいいって……時間の無駄ですよ」
「うぅ……ど、どういう意味ですかぁ」
辛辣な事を言うアメリアに何故か頭をこすりつけているステイ。お前のメンタルは鋼か。
だが却下だ。藤堂が加入を断るシスター。これは一つの札である。
リミスやアリアと顔見知りというのも逆に使い道があるのではないだろうか。馬鹿と鋏は使いようとも言う。
「例えばステイの役割としては……藤堂達が何かしでかしそうな時にステイを放り込むという案が考えられる」
「嫌がらせですか」
「戸惑っている隙に俺がトラブルを解決すればいい。藤堂達の中で教会の評価が落ちそうなのが面倒だが……」
それはそれで大問題だが、新たな僧侶を派遣しなかった時点でもう既にだいぶ落ちているので今更だろう。俺の仕事は魔王の討伐サポートそれだけだ。
俺の言葉に、ステイがアメリアに押し付けていた顔を上げこちらをキョトンとした目で見てきた。
「……アレスさん? それ、どういう意味ですか?」
「俺が指示を出したらお前は藤堂の近くに行って場を煙に巻くんだ」
「煙に巻く……ど、どうやって?」
「心配いらない。いつも通りにするんだ。ステイはただ近くに行っていつも通りにするだけでいい」
ステイの場を混乱させる才能には空恐ろしいものを感じる。
彼女を使い物にするのは凄まじく骨だ。しかしそれは、彼女の教育を成功させれば――いや、成功までいかなくとも有効な運用方法を確立できれば大きな功績になることを意味している。
ステイは不思議そうな表情をしていたが、数秒考えて褒められたと判断したのか、笑顔でアメリアから身体を離した。大丈夫かこれ。
「どうするんですか?」
「ステイ、お前に教会からのメッセンジャーの役割を与えよう。顔見知りならば今後の動向とかも聞きやすいだろう」
俺の中ではステイを使った作戦ができつつあった。うまく行けば今後のサポートが楽になる。グレシャから伝えさせるには限界がある。
そこでアメリアが小さく手を上げて異を唱えてきた。
「それ、私がやったほうがいいのでは?」
「ステイの方が警戒されないからな」
「その……警戒はされないですが、信用もされないかと……」
「お前のステイに対する評価ひっでえなあ」
だが、なんでも試しにやってみるべきだ……最悪でも藤堂達が死ぬような目にはあわないだろう。
ステイは死ぬかもしれないが、見たところ魔術の腕は相当なものだ。大地の精霊魔術は攻撃力に乏しい反面、妨害に効果的な術が多いのが特徴である。発動速度も申し分がなかった。
もしかしたらステファン・ベロニドという少女は危険な場所でこそ、その真価を発揮するのかもしれない。
手招きすると、ステイがふらふらとこっちにやってくる。そして転んだ。
白のレースの下着を見せつけてくるステイを冷たい目で見下ろし、足で軽く背中を踏んづけながら伝える。
「いいか、ステイ。色々言っても忘れるだろうから、今からお前に絶対やってはいけない事だけ教えてやる」
「うぐぅ……い、今の状態で言う事ですかぁ??」
俺はステイに対して既にコストを払っている。これでどうにもならなかったら丸損になる。
度量が試されている。プライドの問題からもそれは許せない。
もう少し、もう少しなんだ。もう少しで使えるようになるんだ、きっと……。
拳を握りしめ、歯を食いしばる俺にアメリアが呆れたように言う。
「アレスさんってギャンブルで損するタイプですよね」
「ギャンブルはやらない。運が悪いからな」
「今やってるじゃないですか」
ギャンブルって言うな。
§
アズ・グリード神聖教会はアズ・グリード神聖教国を総本山とし、世界各地に多数の信者を持つ最も巨大な組織の一つだ。その規模はあらゆる大国を凌駕し、その影響力の大きさ故に各国では敬遠されがちである。
ルークス王国でもその例に漏れず、しかしその国から枢機卿が出るとなるとまた話が異なる。現枢機卿位の一人――シルヴェスタ・ベロニドはルークスを出身とする商人であり、その顔もルークス内で広く知れ渡っていた。
金とは力である。時にそれは権力に勝る。貴族でこそないが、大商人であるシルヴェスタの力は並の貴族を越えており、ルークス王国の中でも高い地位を持つリザース卿とフリーディア卿とも親交があった。
リミスがシルヴェスタの一人娘に会ったのもその関係である。
明るい少女だった。可愛い少女だった。だが何よりもその性質を一言で述べるとするのならば、無邪気だと表現できるだろう。
リミスの第一印象はちょっとおっちょこちょいで天然の入った少女だったが、その印象はあっという間に変わる。
ステファンがリミスの家に訪れたのは
ステファンは頭も良く魔力もあり、それ程長い時間いっしょにいたわけではないが、その短い間でリミスはステファンを何回心配したか覚えていない。
昔の事を思い出しながら、机に肘をつきリミスが頭を抱える。当時に戻った気分だった。
「まさかあれから何年も経ってるのに何も変わってないとは思わなかったわ……」
崖の上から落ちてきた時から薄々わかっていたが、成長したのは胸だけである。嫉妬も抱かない。リミスにとってステファンという存在はそういう次元にいない。リミスにとってステファンとはできの悪い妹のような印象だ。
「ところで、あの魔法は……」
藤堂がリミスに尋ねる。 目に焼き付いているのは、崖を上るためにステファンの使った魔法だった。
崖から落ちてきたのにも、その少女がリミス達の知り合いだったのも驚愕だったが、それ以上に藤堂が気になっているのはその少女が使った術だ。
土の手が生命のように動く様子はいつも見ているリミスの炎の魔法とは違った印象がある。
「……大地の
精霊魔術を使うには精霊との契約が必要で、精霊との契約を行うにはそれなりのプロセスを経る必要がある。事前準備も必要だし、強力な魔法を使えるようになるには強力な精霊と契約を結ばなくてはならない。
「強力な精霊のいる場所は大体決まってるから……極秘情報だけど」
勿論、リミスは大体の情報を知っている。
強力な精霊と言うのは秘境に存在しているものだ。人が住みついているゴーレム・バレーで強力な精霊は確認されていない。
リミスの説明に藤堂は残念そうな表情をした。
「ステファンさんの使った精霊は?」
「あれはどこにでもいる下位精霊ね……ステイが修めた魔術はあくまで護身用だし」
藤堂の目的は魔王討伐だ。上位の魔族の討伐を目標とするのならばそれに相応しい精霊と契約しなくてはならない。
剣を磨きながら話に耳を傾けていたアリアが口を挟む。
「とりあえず、ここで上げられるだけレベルを上げてしまいましょう。今のところ魔族が動いているという情報もありませんし、術者のレベルが高いほど強力な精霊と契約し易いと言われています」
藤堂の強さに対する貪欲さはわかっているが、魔術を修めるにも剣術を修めるにも、地道な修行が一番の近道だ。説得力のある言葉に、藤堂が黙って小さく頷いた。
と、そこでアリアが剣を鞘にしまい、顔を顰めた。
「しかし、ステイをどうしたらいいか……」
「? もう断ったけど?」
罪悪感を我慢して追い返した。ステファンの方も特に粘る様子もなく逃げていった。
周囲の注目を集めてしまったが仕方のない事だ。
「……断ってどうにかなればいいんですが……どうも急にパーティ参加を申請してきたところを見ると、何か事情があるようですし……」
「そもそも、あの子に務まる仕事って……あるのかしら……」
顔を見合わせ怪訝な表情をするリミスとアリア。
その時、ノックの音が響き渡った。相変わらず話さないグレシャが顔を上げ、部屋の扉を見つめる。
ふと訪れた酷い胸騒ぎに、リミスがぞくりと肩を震わせた。
アリアが真っ先に立ち上がり、そろそろと部屋の扉に近づきぴたっと顔を密着させる。その瞬間、元気のいい声が部屋に響き渡った。
予想していた声。しかし聞きたくなかった声に、リミスが両耳を押さえた。
「もしもしー、リミスちゃん? アリアちゃん?」
「な、何しにきた……?」
戦々恐々とした声に、しかしステファンの声のトーンは変わらない。まるで友達に会った時のような声で言う。
「お仕事ですよ! 教会からのお使いで……」
「教会からの刺客……だと!? 何故教会が刺客を!?」
「刺客じゃなくてお使いです。開けてください! どんどんどんどん!」
声でノックの音を表現し始めるステファン。
アリアの表情は強張る。身体全体で扉を押さえつけるようにして質問する。
「お使い……? 教会がステイに仕事を任せる判断をしたというのか? 誰からの使いだ?」
「それは、もちろんアレ――」
そこで、ステイの声が切れた。今までの騒がしい様子が嘘のように静まりかえる。ステファンがこんなにあっさりと様子を変えるのは初めてだった。
扉の向こうの変化に戸惑いつつも、アリアが問いただす。
「……アレ?」
「あ……あ……あれぇ? 誰でしたっけ。忘れちゃいましたぁ。え……えへへ……でもお使いってのは本当ですよう!」
大丈夫なのか? 本当にこれは大丈夫なのか?
激しい疑問がパーティ間で渦巻く中、アリアが嫌そうな表情を作ったまま鍵を開けた。
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