幕間その2

ステファン・ベロニドはお仕事がしたい

  ステファン・ベロニドは裕福な家の生まれだ。


 親は僧侶プリーストだったが、僧侶になる前はルークス王国で屈指の商人として知られており、僧侶になってからはまたたく間にトップに上り詰めた自他ともに認める大人物。物心ついた頃から金銭面で困ったこともない。

 人間関係も恵まれており、父親は忙しかったが家には母がいたし、常に世話をしてくれるメイドがついていた。学校には通っていなかったがルークスでも最高峰の教育者を家に呼んで学ぶことができたし、欲するものはあらかた与えられた。それまでの人生が幸福だったかと聞かれたら、ステファンは幸福だったと胸を張って言える。


 しかし、それでも、贅沢だという事を理解した上でステファンが一つだけ不満を述べるするのならばそれは、周りの皆が過保護である点を上げるだろう。

 ステファンには常に最低二人の侍従がつけられた。食事中も勉強中も就寝時も、ずっと誰かが側にいたし、一人で外に出る事も許されなかった。それは、父親の言いつけで教会に入ってからも大きく変わらなかった。 


 今までステファンはほとんど一人になった事がない。一時的に一人になってもすぐに誰かが探しに来るのだ。自分一人でも大丈夫だと何度も言っているのに。


 だから、免許皆伝を言いつけられて一人で送り出されたその時、ステファンは感無量だった。ようやく認められたのだ、と。

 それまでの鎖でつながれて引きずり回されたり崖から突き落とされたりぶん回されたりパンツ見られたりした諸々の行いを全て許せる気分だった。


 そして、絶対に失敗出来ないと思った。一度失敗したら冷血漢のアレスさんは二度と仕事を任せたりしてくれないだろう、と。


§


 既に数日間で慣れきった浮遊感が身体を襲う。同時に、契約している大地の下位精霊――『土の精霊グノーム』のカカオが契約者の危機に自動的に動作を開始した。迫る地面に潜り込み、慣れきったスムーズな動きで柔らかく耕す。


 そして次の瞬間、ステファンの身体全体に衝撃が奔った。轟音に脳が揺れ痺れるような痛みが奔る。

 だが、ステファンの法衣は特別製だ。魔を遠ざける聖銀ミスリルのボタンこそ取られてしまったが、魔法の掛けられている布は刃にも衝撃にも強い。精霊達の献身もあって、十メートル近い高さから落ちたにも拘らず大きなダメージはない。


 指先から手の平まで力をこめ、手をついて起き上がる。


「うぅ……痛いですぅ」


 レベル72でも痛いものは痛い。ぽろぽろ涙を流しながらステファンは地面に座り込んだ。

 カカオが膝の側でくるくる回って踊っているのが見える。ゴーレム・バレーは土の魔素で溢れているので、元気になっているのだ。

 だが、カカオはステファンを慰めるつもりはないらしい。奇妙な舞を踊っているカカオのほっぺたを指先で突っついていると、


「あ――あの――大丈……夫?」


 意識の外から掛けられた声にびくりと身体を震わせ、顔を上げる。ステファンの目に入ってきたのは今まで仕事で見張っていたはずの勇者だった。


 眉目秀麗な伝説に謳われた聖勇者。藤堂直継その人だ。


 なんで見張っていたはずの勇者が目の前にいるのかよくわからず、混乱しながらじっと見ていると、藤堂が困惑の表情を作った。


「一体何なのよ……は?」


 その後ろからリミスが顔を覗かせ、ステファンを見て一瞬呆けたような表情を作った。透き通った水の底のような碧眼がステファンの顔をじろじろ見つめ、上から下まで格好を観察し、目をこする。

 数秒ごしごしと擦りもう一度ステファンを見て、再度ごしごし擦る。

 そんなリミス――今の事態を打開してくれそうな存在に、ステイは花開くような笑みを浮かべて、ひらひらと手を振った。


「リミスちゃん、ですー。奇遇ですね」


「な……なんであんたがこんな所に居るのよ?」


 リミスの表情が強張り、しきりに瞬きする。肩のガーネットがちょろちょろとリミスの帽子の中に隠れた。

 藤堂がリミスに視線を向ける。


「え? 何? 知り合い……?」


「どうしたリミス……な……ステファン!? ……な、何故こんな所にいる?」


 遅れて顔を出したアリアの表情もまた、リミスと同じように固まった。

 その表情に尋常じゃない何かを感じ取り、藤堂が数歩後退る。


「なんでって……お仕事、ですけど?」


 久しぶりに会う友人の予想外の反応に、ステファンは思わず任務を忘れて言葉を返した。


 リミスの表情がさっと青褪め、首を思い切り上げて、崖の方を見上げる。頭から帽子が落ち、ガーネットが必死にリミスの髪にしがみつく。

 崖の上に誰もいない事を確認し、リミスはこわごわとステファンに尋ねた。


「は? 仕事? 一人で?」


 その表情に、ステファンが腰に手を当て、自慢げに胸を張った。


「ふふん。もちろん、一人、ですけど? 私も免許皆伝? したので……」


「ど……どこの命知らずよ。あんた一人に仕事を任せるなんて」


「知り合い!? 知り合いなの!? え? リミス、突然落ちてきた女の子と知り合いなの!?」


 目を白黒させる藤堂に、荒く呼吸をして必死に気分を落ち着けながらアリアが説明する。


「落ち着いてください。多少……面識がある程度です。彼女は――ルークスの有名人の娘なので」


 その説明に、ステファンはアリアの方を見て、安心させるかのようににっこりと笑いかける。アリアが頬を引きつらせてじりじりと後退った。


「知り合い!? 本当に知り合いなの!? ねぇ、その反応、知り合いに対するものじゃないと思うんだけど!?」


「冷静に対処を。この狭い場所でステイは――


 動揺する藤堂に、更に動揺した様子でアリアが呟く。汗がダラダラと流れていた。ゴーレムと戦っている最中よりもよほど切迫した様子に、藤堂が引きつった表情でステファンを見下ろす。

 腕を伸ばし牽制しつつアリアが叫ぶ。


「ステイ! お前、ここがどこだかわかってるのか!?」


「崖の上ですけど?」


「なんでわかっているのにここに居るんだ!? お前、落下死するぞ!?」


 アリアの怒鳴り声に、ステイは少し今までの経緯を考え、首を傾げて答えた。


「何回か落ちたけど、生きてますけど?」


「パワーアップしてる!?」


 目をこの上なく大きく見開き、リミスがかたかたと震える。


 予想外すぎる反応に、ステファンが困ったようにため息をついた。

 なんだかわからないけど、見つかってしまったけど、とりあえずは目の前の友人を落ち着かせなくてはならない。


 ステファンは照れたような笑みを浮かべてリミスの方に一歩、歩きかけ――


「えへへ……そ、それより再会を祝福して……あ――」 


「危ないッ!」


 地面に注意を向けるのを忘れ、盛大に体勢を崩した。

 とっさに目をつぶるが、覚悟していたような痛みは襲ってこない。そろそろと目を開けると、そこには引きつったような表情の藤堂がいた。


 何とか立ち上がり、自分を抱きとめてくれた藤堂を見上げた。恥ずかしさに頬を染めてお礼を言う。


「ありがとうございます! ここ、歩きにくくって……」


「……ステイなら大丈夫ですが……ナオ殿は人を支える癖をやめるべきですね」


 アリアが額を押さえ、大仰にため息をつく。


「ま、まぁ今は鎧着てるし……無事でよかったよ。ここ、けっこう危ないからね。注意して――」


 忠告する藤堂を押しのけるようにどかし、リミスが前に出た。

 その険しい目に、ステファンの笑顔が曇る。が、すぐに昔を懐かしむような笑顔に変わった。


「ぜんっぜん変わってないじゃない! あんた、本当に何でこんなところにいるの!?」


「リミスちゃんも……変わってないです。背も胸も余り成長してないです」


「そんな話してるんじゃなーい!」


 何故怒鳴られているのかわからず、ステファンが戸惑いの表情を浮かべる。一方でリミス達の方も混乱の極みにあった。

 ステファン・ベロニドはリミスの基準の中で側においてはならないメンバーの上位に入る。特にゴーレム・バレーのような危険な場所では尚更のこと。


 嫌な沈黙が辺りに立ち込める。そこでステファンはようやく自分のすべき仕事を思い出した。

 藤堂の監視。藤堂の監視だ。それも遠くから気づかれないようにしなくてはならない。


 最後に一度藤堂の顔をじっと観察し、一度小さく頷いた。見つかってしまったがまぁそれはそれとして……アレスさんの事を言ってないからセーフ?


「私、お仕事なのでそろそろ戻りますぅ……リミスちゃん、また後で!」


「……は?」


「また後で!」


 いま落下した崖に近づき、そこに右手を触れる。

 小さく呪文を唱えると、術者の目にしか見えないカカオが術を行使した。壁がぐもりと蠢き、手の形を作って柔らかくステファンの身体を掴む。

 ステファンは精霊魔術師だ。全属性の精霊と契約しているが、特に大地の精霊と相性がいい。大地の魔素で溢れているゴーレム・バレーでは特に力を発揮できる。


 腕が術式に従い崖の上を上る。ステファンは眼下の友人にニコニコ手を振ってお別れの挨拶をした。


「また今度、どこかでご飯でも食べましょー」


「ちょ……えええ!?」


 リミスの素っ頓狂な声。呆然とした勇者達の視線を受けながら、ステファンは元の場所に戻っていった。


§



 崖の上に立ち上がると、土の手が音もなく地面に消える。

 ぱんぱんとスカートの埃を払い、深く深呼吸をする。久しぶりに会った旧友に、ステファンは頬が緩むのを止められなかった。

 勇者に影から見つからないようにという話で、なかなか会う機会がなかったがようやく会って話ができたのだ。勇者に見つかってしまったのも転んでしまったのも予想外だったが、差し引きでゼロじゃないだろうか。


 そんな事を考えながら歩き出そうとした所で、


「楽しそうだな、ステイ」


「はい! お仕事、とっても楽しいです!」


「それは良かった。ところでお前、リミスやアリアと知り合いなのか?」


「はい。昔のお友達です! 家が近かったんです!」


「なるほど、お友達か。お友達は大切だな。……で、何故それを言わない?」


「……え?」


 聞き覚えのある声に振り返る。

 穏やかな笑みを浮かべた上司の姿に、ステファンも誘われるように笑みを浮かべた。



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3月31日に書籍版二巻発売予定です。

それに関連して、本文でアレスが苦労し続けているので、アレスが苦労しないぜ企画みたいなのをやります。

いっぱい書きました!

詳細は別途ご連絡しますが、読者参加型の企画らしいのでよろしくお願いします!


***3/29追記

アレスを応援するサイトが立ち上がりました。

応援ボタンを押すことで色々解放されていくみたいなので、是非応援お願いします。

http://fbonline.jp/Maoutoubatsu/


ショートストーリーも書きました

https://kakuyomu.jp/works/1177354054882818125

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