第二十レポート:一人でもちゃんとできます

 ステファン・ベロニドは他者に不安を抱かせるという面で類稀な資質を持っているが、その中でも最も人を不安にさせる点を一つ述べるとするのならば、その足取りの不確かさだと言えるだろう。

 こう、夢遊病にでもかかっているようなふわふわした足取りなのだ。俺は歩いているだけで心配になってくる人間を初めて見た。勿論、ステイは寝ているわけではないので元々そういう歩き方なんだろうが、本人はそんな歩き方をしている自覚はないらしく何度言っても治らなかった。


「アレスさん……やはり無謀なのでは?」


 何だかんだ心配なのか、いつも以上に硬い表情でアメリアが進言してくる。その視線の先にはあっちにふらふらこっちにふらふらしながら歩いていくステイの姿があった。どうやら免許皆伝が嬉しかったのか、今にも空に飛んでいってしまいそうである。実際に飛んだら重力に負けて落ちる。


 平均レベルの高いゴーレム・バレーには女子供の数が少ない。いたとしてもそのほとんどは傭兵であり、鎧やローブなど傭兵っぽい格好をしている事が多い。

 そんな中、ミニスカートで出歩くステイの姿はとても目立った。なにせ、耳には僧侶の証こそ下がってはいるものの、シスターにも見えない。そんなシスター普通いない。

 道行く人の目は様々だ。見た目はいいのでナンパくらい受けそうなものだが、いかんせんその足取りのせいで集まる視線は大体、歩き始めの子供でも見るような視線だった。


 数十メートル距離を取っているおかげでステイが尾行に気づく様子はない。


「へい、お嬢ちゃん。なんかいいことでもあったのかい?」


 サンドイッチの露店を出していた、体格のいい爺さんがステイに声をかける。


「……えへへ……実は私、めんきょかいでん、したんです」


 その辺を歩いている傭兵連中と大した変わらない強面の男に、ステイは物怖じせずに元気良く答えた。引き寄せられるように露店を覗き始める。開始十分で道草すんな。


「……免許皆伝? 嬉しそうなのは結構だが、浮かれて転ばないように気をつけろよ」


「? 浮かれてませんけど?」


「……いや、そんなにふらふらしてると――」


「ふらふらなんて、してませんけど?」


 明らかにふらふらしていたステイの言葉に、爺さんが戸惑ったように眉を歪める。いつも百戦錬磨の傭兵を相手にサンドイッチを売りさばいている爺さんもステイのような人間を相手にするのは初めてだろう。

 ステイは並んでいるサンドイッチをきらきらした目で見て、財布を取り出そうとごそごそ探り、どうやら財布を忘れたのか真っ青になった。遊んでないで仕事しろ仕事。


 アメリアがため息をつき、もう一度言う。


「アレスさん、やっぱり無謀なのでは?」


「いや、お前らは甘やかしすぎだ」


 お使いっていってもサンドイッチ買ってこいって言ってるわけじゃないんだから……。


 結局がっかりした様子で頭を下げ、再び歩き始めるステイ。

 ステイの歩行速度は速くないが藤堂達が滞在している宿はそれほど遠くないので十分に間に合うし、今日どこに向かうのかもわかっているので最悪門の側で待ち伏せすれば見つけられるはずだ。また、実際にステイは俺といっしょに藤堂の尾行を体験している。それをなぞればいいだけだ。


「一応確認するんだが、ステイも探査魔法は使えるんだよな?」


「アレスさん、探査魔法が使えなければ交換手オペレータは務まりません。交換手は探査魔法で通信対象を見つけて通信魔法で接続を確立しているので」


 アメリアが目を皿のようにしてステイの方を見つめている。それなら、ステイが藤堂達を見失う心配は薄いだろう。

 あっちにふらふらこっちにふらふらしながらもステイが宿の前にたどり着く。ほぼ同時に、藤堂達が表に出てきた。

 最近調子がいいためか、藤堂達の表情は晴れやかだ。魔族の手の者が送られてきていないのも一つの理由だろう。


 ステイの表情がほんのすこしだけ真剣になり、建物の影に身を潜める。外から見るとあからさま過ぎてめちゃくちゃ目立っていたが、幸いなことに藤堂達からは距離があったのでバレていない。ただ通りすがりの人に奇異の目で見られているだけだ。


「やっぱり無理では?」


「ステイもわかっているとは思うが、一応、尾行がバレたとしても白を切れと伝えてくれ」


 尾行には技術がいる。数日間いっしょに藤堂を追ったとはいえ、ステイの動きはまだ 素人以下だ。

 だが、今回の目的はステイの様子を見ることであって藤堂の尾行を成功させる事ではない。


 黙って通信魔法を使っていたアメリアが一瞬息を呑み、俺を見上げて言った。


「……伝えておきました。……どうやら分かっていなかったみたいです」


「……」


 一体あいつは今まで何を考えながらついてきてたんだ。



§



 街の外に出る藤堂を追って、ステイが外に出る。それを更に追って俺達はファースト・タウンを後にした。


 ファースト・タウンからセカンド・タウンまでの道は一本ではない。上中下、何本も奔る道と幾つもの洞窟はこの地に存在するゴーレムが自然を改造して生み出したものだ。

 藤堂達はセカンド・タウンまで最短とされる下の道を、ステイはその動きを上から見張れる上の道を選ぶ。俺がステイといっしょに藤堂達を追った際に使った道でもある。

 俺達はステイの選んだ道をずっと後からついていく事にした。


「無謀ですよ」


「……」


「無謀です」


 アメリアが四回目の無謀を繰り返す。表情はいつもと変わっていないが、どうやら気が気ではないようで、その手の平はぎゅっと自分の法衣の裾を握りしめていた。


 街の道路も余り整備されていなかったが、街の外の道はその比ではない。凸凹した道は慣れた傭兵ならばともかく、ステイじゃなくても足を取られてしまいそうで、おまけに街中では安全のための柵が設置されているが、街の外にはない。下にも道はあるが、勢いよく落下し、そこも外れてしまえば視認できないくらい下を流れる川まで真っ逆さまである。

 といっても、本来、この地でレベル上げをする程のレベルになれば、多少の道の悪さなど問題にならない。適正レベルを遥かに下回る藤堂でも落下したりはしないのだ。やはりステイが駄目な方向に特別だと言えるだろう。

 陰から遠目に覗き見るステイの歩みはとてもレベル72だとは思えない程覚束ないものだ。


「大丈夫だ、いざという時は『聖者の鎖ホーリー・バインド』を飛ばして繋ぎ止めればいい」


「……腕輪に当たらないと吸着しないのでは?」


「それが何か?」


「的が小さいように思えるんですが?」


 ステイまでの距離は五十メートル程か。腕輪を付けているのは右腕である、確かに的が小さいという意見は間違いではない。

 だが、グレゴリオの戦法を体験して以来、鎖を飛ばす練習を欠かしたことはない。俺のレベルならば変に気を取られていない限り腕輪に当てる事くらい簡単だ。


 アメリアはまだ不安そうだったが、俺の言葉に小さく頷いた。


 先輩の心配も知らず、こちらの尾行に気づく様子もなく、ステイは細い道をふらふら進んでいった。偶然つま先が蹴った石が音を立てて崖の下に転がっていく。

 ここ数日、あれほど足を踏み外し落下したくせに、たった一人で躊躇いもなく歩けるのは一種の才能といえるのではないだろうか。文句を言われる筋合いもないだろうが、度胸の使い所を間違えている。


「なんか胃が痛いんですが……」


状態異常回復神法リカバリー


「……それ、かけない方が良くないですか?」


 風が吹く度にステイがふらふらと揺れる。吹かなくてもふらふらと揺れる。左は崖だが、右側には壁がある。壁に手をついて歩けば多少安定した体勢を保てるというのに、ステイは堂々と道の真ん中を歩いている。


 その時、ふと右手の崖の上から人の頭程の大きさの石が転がってきた。

 がんがんと音を立てまるで狙いすましたようにステイの方に落ちてくる――が、ステイは気づいている様子はない。

 アメリアが目を見開く。石はぎりぎりでステイが通り過ぎたその後ろを転がっていった。驚くべきことに、ステイ本人はそこに至っても落石に気づいた様子はない。

 想像以上に危機感がなくて笑う。あいつはちゃんと目がついているのか。


「アレスさん、絶対無謀ですよ……」


「……」


 心配するアメリアの目の前で、ふとステイの足が止まった。崖のぎりぎりの所まで歩みを勧め、大きく下を覗き込む。アメリアが息を呑み、陰から身体を出しかけたので首元を掴んで引き戻した。


「アレスさん、あれは落ちたいって言ってるようなものです」


「落ち着け。あいつが落ちるときはもっと呆気なく落ちる」


 これは経験談だ。


 ステイの仕草には周囲に対する警戒の欠片も見られない。

 一段下の道を進んでいる藤堂達の様子を目で確認しているのだろうが、俺の目にも自殺行為にしか見えない。視認しなくてもお前の魔法なら状況確認簡単だろうが!

 そもそも、ここは強力なゴーレムがうろついている場所なのだ。今のステイならばちょっと背中を押せば落ちていきそうである。


「まさかアレスさん、事故に見せかけてステイを処分するつもり……」


 アメリアがぼそっと呟いた言葉は聞いていないことにする。きっと冗談に違いない。それに、別に見せかけなくてもあいつ普通に事故るから。


 じっと見守っていると、続いてステイはあろうことか、ぺたりとうつ伏せに寝そべった。そのままずるずると匍匐前進のように進んで大きく下を覗き込む。

 戦場を戦場とも思わぬ所業に呆れを通り越して笑えてくる。隙だらけなんてレベルじゃねぇ、天才かよ。


「あ、あれすさん、今の体勢から落ちたらどうやっても腕輪に当てられないんじゃ……」


 手を伸ばしているせいか、腕輪が見えない。いくらレベルが高くても、鎖を操作出来ても、どこにあるのかわからないものに命中させるのは難しい……が。


「もう死んでもしょうがないなこれ」


「!?」


「まぁ落ち着け。まだ焦る段階ではない」


「基準が……だいぶおかしくなってます」


 ステイはしばらく足をばたばたさせながら下を見ていたが、藤堂が動きだしたのか、ずりずりと後退して立ち上がった。

 今気づいたんだが、ずっと匍匐前進で進んでいけば転ばないんじゃないだろうか……魔物が現れたらどうしようもないけど。


 再び死の行進が始まる。

 尾行を再開しようとしたその時、アメリアが俺の服の袖を引っ張った。


 藍色の目がまるで俺の思考を読み取らんとするかのようにじっと俺の目を見つめている。


「あの……もう十分じゃないでしょうか? やっぱりステイを一人にするのは無理な気が……」


「まだ二時間しか経っていない」


「まだ足りませんか!?」


「足りないな」


 たった二時間で何がわかる。確かにステイは今にも死にそうに見える。隙だらけだし、一歩間違えただけで取り返しのつかない状態に陥りそうに見える。

 だがそれでも俺は――。


「限界を見極めるんだ。手を貸してしまえばステイのためにならない」


「まさか遊んでます?」


 本当に失礼なことをいう奴だ。仕事の中には人材の育成も含まれているのだ。

 アメリアがいつもよりやや語気を荒くして続ける。


「大体、危険なのは自然だけじゃないんですよ? ゴーレム・バレーをたった一人で歩くなんてよほど自信がなければ出来ない事で……」


 その通りである。


 あいつは崖から落ちないだけで精一杯だったが、街の外は正しく魔境と呼べる。

 傭兵でも一人で歩いたりはしないし、商人やその他の一般人が通る際は何人もの護衛をつけるのが通例だ。ヴェール大森林やユーティス大墳墓を一人で探索するのとは訳が違う。出現する魔物の平均レベルが違いすぎる。

 魔物の現れる頻度だって割と高い。藤堂達がここでレベル上げを出来ているのは装備や資質もそうだが、一人ではないからだ。


 俺が一人で歩き回れるのは単純にレベルが高いからで、アメリアでも一人で出歩くのは難しい。


「だがステイは断らなかった」


 俺の言葉に、アメリアが眉を顰める。一歩こちらに近づくと、声を潜めて言った。


「アレスさん、実はここだけの話なんですが……ステイは……少しだけ、あ……の、能天気なんです」


「ステイがあほなのは知ってる」


「……」


 ここ数日でさんざん思い知っている。ああ、思い知ってるとも。ステイを知る誰に聞いても答えは同じだ。


 能天気。ドジ。頭のネジが緩んでいる。だが、ステイのおかげで物資の補給の目処がたった。手に入る物資の分くらいは面倒を見てやる。

 頭が悪いわけでもレベルが足りていないわけでも虚弱なわけでもない。性格が悪いわけでもない。ならば使い道はあるはずだ。


 その時、再び右側の崖から小さな音がした。


 視線を向ける。今度は落石ではない。

 手足の生えた大きなボールが三つ、崖を転がるように下ってくる。藤堂達を尾行している間に腐るほど見かけたボール・ゴーレムだ。

 身体は小さく攻撃力も高くないが素早く攻撃を当てづらい相手。一撃でその装甲を砕ける強力な武器がなければ倒しづらいゴーレムが三体、重力の力を借りてステイの方に降り掛かっていく。


「あ……アレスさん?」 


「まぁ落ち着け」


 石ころを拾い、手の中でその形を確かめる。別に殺す必要はない、崖の下に落とせばいいだけだ。


 アメリアが俺とステイの方を交互に見る。さすがのステイも襲い掛かってくる魔物には気づいたのか、その目がのんびりとボールゴーレムを捉え、ぽかんと呆気に取られた表情をした。


「アレスさん、早く」


「まぁ落ち着け」


 落下してくるボールゴーレムの前足、鉤爪のようなその尖端がステイを向く。ゴーレム・バレーの環境に適応した、岩石を砕きガッチリ身体を固定するための爪に、ステイが慌てて横に回避しようとして――足をもつれさせて倒れた。


 何の前触れもなく体勢を崩すステイに、ゴーレムの鉤爪が空振る。ステイの頭を掻っ切ろうと勢いよく落ちてきたゴーレムは勢いを止めきれずにそのまま崖の下に落ちていった。

 恐らく、先頭のゴーレムがステイの一撃を与えて体勢を崩し、後の二体が左右から襲いかかってそれにとどめを刺す作戦だったのだろう。あえて崩すまでのなく勝手に崩れ落ちたステイに、後ろの二体のゴーレムの攻撃も空振る――どころか、互いにぶつかり弾き飛ばされる。

 そのまま二体のゴーレムも落ちていく。


 ステイが涙ぐんだ目を擦りながら起き上がった時には既に誰も残っていなかった。ぶつけたのか鼻の頭が赤く張れていたが、自分で回復魔法をかけると、不思議そうな表情で辺りを見回して首をかしげる。


 そのまま数秒ボーっとしていたが、考えるのを諦めたのか、再び歩き始めた。


 はらはらその様子を見守っていたアメリアが唾を呑む。

 

「危な……ほ、本当に大丈夫なんですか?」


「知らん。だが、偶然にしろ何にしろ上々だ」


「適当過ぎません?」


 顔がいいという理由でスピカを連れてきたアメリアに言われたくない。


 運も実力の内だ。何しろ、こうして生き延びている。

 連れ回しているとなかなかどうしようもない奴だが、一人にしても何とかやっているのだ。

 つまり、放っておいても問題ない。


「まぁ、確かに生き延びてますが……判定が甘すぎますし、そもそも、一回しか魔物に出会っていないから何とかなってるだけで……」


 そもそも、あのドジっぷりでこの年齢まで生き延びている事が不思議だったのだ。昔から今のような状態だったのならば何人もの人をつけたとしても生きていけまい。

 確信はなかったが、周りが心配しすぎているだけなのではないだろうか。


「まさか……いい話風にまとめようとしてます?」


「クレイオにはあいつは放っておいても大丈夫だと報告しよう」


「いやいや、ちょっと待って下さい」


 むしろ人をつけた時の方がへっぽこになってるような気すらする。

 腕を組んでうんうん頷く俺に、アメリアが縋り付いてくる。アメリアも案外世話焼きだなあ。


「無理ですって……あ、ほら、また魔物が――」


 今度はステイの進行方向からゴーレムが現れた。

 ボール・ゴーレムではない、俺が昔ステイの前で倒して見せた事もある巨大なロック・ゴーレムだ。外の道では余り見かけないタイプである。

 ボール・ゴーレムとは異なり幅があるため、向かってこられると逃げようがない。強い力で突き飛ばせば崖下に落とせるが、重量があるのでステイでは厳しいだろう。頭を潰すか心臓を潰すか、どちらにせよ僧侶が正面から崩すには重すぎる敵だ。


 一歩歩く毎にずしんずしんと振動が伝わってくる。ステイが頬を強張らせそれを見上げ、数歩後退る。

 ロック・ゴーレムの豪腕による攻撃は脅威だが、移動速度はそれほど高くない。奴らは狭い道を通る際、なるべく落下しないように慎重に行動するようインプットされている。


 今度ばかりは運にも頼っていられないかもしれない。

 念のために仮面を被ると、アメリアが元も子もないつっこみをいれてきた。


「それって変装になってなくないですか?」


「案外隠せたりするんだ」


 まぁ、別にステイには気づかれても構わないが、一人での行動を命令しといて実は見てましたというのも……なぁ。

 タイミングを見計らう。石を強く握りしめる。手で顔でも覆ってくれればいいのだが……。


 ゆっくりと迫ってくるゴーレムから逃れるように後ろに下がっていたステイの背中がとうとう壁についた。その手の平が何かを求めるように壁を探る。

 ロック・ゴーレムの腕が大きく振り上げられる。


 そして、駆け出そうとしたその瞬間――ゴーレムが吹き飛んだ。


「……は?」


 ステイの倍はある巨体が轟音を伴い空中に弾き飛ばされ、そのまま落下していく。

 目を擦ってもう一度見直すが光景は変わらない。アメリアも俺と同様、夢でも見ているような表情で小さな後輩を凝視している。


 ステイの隣から杭が飛び出ていた。岩石で出来た、一抱えもある巨大な杭だ。先が尖っているわけではないが、かなりの勢いで飛び出したのだろう。重量数百キロのロック・ゴーレムが弾き飛ばせる程なのだ。


 そして当然、それがただの自然現象であるわけもない。

 反射的に辺りを探るが、周囲に俺とアメリア、ステイと藤堂達を除いて気配はない。


 ゆっくりと呼吸をしながら考えをまとめる。その光景には見覚えがあった。


精霊魔術エレメンタル・マジックだ……土属性の精霊を使った『生える大地ムーブ・アース』」


 土属性の精霊魔術の中では有名な術だ。近くの大地を自在に操る、ただそれだけの術である。


 術者はいないし、そもそも『生える大地』は近距離に作用する魔術だ。ステイが使ったとしか考えようがない。

 が、ステイがそれを使えるのは初耳だったし、土属性の精霊魔術は扱いが難しいと聞く。とっさに術名も叫ばずにあれだけの勢いで大地を隆起してみせたのは想定外も想定外だ。


 魔術を行使するには精神を集中させる必要がある。焦っている状態でそれをなしたというのならばそれは、優れた魔術師の証でもある。余りにもステイのイメージとギャップがあった。


「……知ってたか?」


「いえ……初めて……見ました。いや、確かに白魔導師は魔術が使える僧侶の称号で――……ステイの専門が精霊魔導師である可能性も……でも――」


 動揺しているのか、アメリアがぶつぶつ呟く。


 ステイには事前にできる事を確認している。精霊魔術が使えるだなんて言ってなかったはずだ。


 深呼吸をして動揺を鎮める。

 謀られていた? 嘘をついた? そんな気配はなかったが……忘れていた、とかの可能性の方が高いか? 自分の使える魔術を忘れていた!? そんな馬鹿な話があるものか!


 ステイはしばらく座り込んだまま息を整えていたが、きょろきょろと辺りを確認して立ち上がった。道を塞ぐ程に隆起していた大地が音もなく引っ込む。跡には何も残らない。

 精霊魔術というのはそういうものだが、その証拠隠滅能力が俺の疑念に拍車をかける。


「謀られていた? 隠す意味があるのか? ドジなのは演技だったのか……?」


 そうだ。冷静に考えれば、あんなにドジな人間がいるわけがない。

 演技には見えなかったが、目利きに自信があるわけでもない。何よりも、ステイはクレイオが送ってきたメンバーだったし、アメリアの証言があったのでチェックが甘くなっていた。


 意味を考えろ。メリットとデメリットを。全ての物事には理由があるはずだ。


 ぶつぶつ呟いていたアメリアが復活して俺を見上げる。


「いや……アレスさん、ステイは初めて会った数年前からあんな感じです」


「数年前……子供の頃から演技をしていたというのか!? 油断ならない相手だと!?」


「いや……そうじゃなくて――」


「ドジな演技は俺を油断させるため? それともストレスを与えてくるためか? その為に自ら鎖でぶん回されるような道を選んだと?」


 もしそうならば、なんという強力な意志だ。

 強い意志を持つ人間程恐ろしい者はない。ただのあっぱーな馬鹿だと思っていた。

 だが目的がわからない。パンツを報告されるような目に合ってまで達成したい目的?


 いくら考えても理解できない。さすがに魔王の手先という考えは飛躍しすぎているだろう。色々な意味でマジやめてくれ。


 下唇を噛み、目を細めてステイを観察する。その仕草にはやはりこちらに気づいている様子は見られない。


 が、俺は気づいていた。



 尾行を始めてから――ステイが一切転んでいないことに。


 いや、正確に言えば、部屋から出た所で一度転んでいたが、そこから先一切転んでいない。道草をしたり転びかけたり財布を忘れて真っ青になったりふらふらしたり地面に寝そべって足をばたばたさせたりしていたが一度も転んでいない。死ね!

 危うい場面は沢山あったが、たった一度も転んでいない。俺が連れ回していた時ならば確実に四、五回は転ぶ、それだけの時間を歩いているのに、だ。


 一人でもなかなかやるじゃないかとか思っていたが、これは明らかにおかしい。自分で言っていてなんかもう嫌になるが明らかにおかしい。


 思えば思うほどおかしい。ステイは頭おかしい。


 アメリアにその事を説明して意見を求めると、アメリアは少しだけ沈黙して、珍しいことに困ったように眉をハの字にした。


「気のせいだと……思いますが」


「だがこれが気のせいだとしたらステイは完全にアホの子ということになる」


「ステイはアホの子です」


 アメリアが断言する。そこに迷いや躊躇いなどは一切感じられない。

 アホの子……アホの……子?


 混乱しつつも、ステイの方を睨みつける。当のアホの子はゴーレムを撃退してほっとしたのか、にこにこしながら再び歩き始めた。そして、何もないのに躓いてあっさりと崖の下に消えていった。




「……」


「あ……え……? アレスさん……ステイが――」


「悪い。ちょっとだけ時間をくれ。落ち着きたい」


 わたわたしているアメリアに返す。からからに乾いた口から出た声は酷く暗いものだった。


 ずきんと痛む頭を押さえる。

 五分……いや、三分だけ欲しい。それで自分を納得させるから。






§ § §






「……ひゃ!? な、何? 何で? え??? 女の……子?」


 慣れたはずのゴーレムとの戦闘。

 順調だったはずのゴーレム・バレー内での移動。

 そんな道中で、何の前触れもなく目の前に落ちてきた少女に、藤堂は何がなんだかわからなかった。


 恐る恐る様子を覗き込む。びたーんと勢いよく地面に叩きつけられた黒い格好をした少女がもぞもぞと動き、一声あげた。


「うぅ……痛いですぅ」

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