第十六レポート:アレスさんは……色々ひどいです。
「お前を少しは使い物になるようにすると言ったら、尊敬されてしまった」
「え……えぇ……」
ステイが眉を歪め、微妙そうな表情をする。俺はじゃらじゃらと太さ一センチもある頑丈な鎖を手元に引き寄せながら、文句を言った。
「『アレス、幸運を祈る』、じゃねえ! 祈るだけだったら誰だってできる。もっと具体的なものをよこせ!」
元々食えない男ではあったが、最近のクレイオは俺の忍耐を試している節がある。
「あ、荒れてますねえ……そ、で、アレスさん? あのー……」
足元を気にしながらステイが言う。スカートのような法衣から伸びるステイの右足首には金属の足輪がしっかりと装着されており、俺の手元の鎖に繋がっていた。
冷たい風が身体を打つ。藤堂達は遠くを進んでおり、音から窺えるその戦闘に問題は見られない。
周囲には他の傭兵の気配はなく、完全犯罪にはもってこいの日だった。
ステイがかがみ込み、足首に嵌められた装着具を撫でる。
唇に指をあて、何か考え込んでいたが、すぐにこちらを見上げて言った。
「うーん、アレスさん、これ私、見たことあります」
「罪人の連行に使うものだ。頑丈さは折り紙つきだ、足が千切れても取れることはない」
「へー、凄いですねぇ。……あれ? な、どうしてそれが私に??」
まだ状況が分かっていないステイにため息をつく。やはり彼女には足りていない。
わたわたしているステイの方を見下ろし、断言する。
「ステイ、お前に足りないのは危機感だ。少なくとも、俺はそう判断した」
「えっと……危機感?」
「そうだ。正直、俺はいつまでもお前とお手々繋いで先導してやる事はできない。いや、短い期間だったから繋いでやろうと思っていたが、もう面倒だからやめる」
憐れんでいるわけではないが、このままずっとステイが今の状態なのは彼女自身のためにもならない。藤堂の方で手が取られなくなったのならば、内部を改善すべきである。小さなことの積み重ねが重要なのだ。
ステイについては、みんな改善を試みて失敗しているようだが、俺はまだ試みてない。
「? ????」
戸惑いを隠さないステイに念のため
結局考えることを諦めたらしく、ステイははにかんだように笑った。
「え……っと……ありがとうございます??」
「どういたしまして」
ステイの首根っこを捕まえ持ち上げる。ステイの身体は驚く程軽かった。
左手の鎖を強く握り直す。さすがにおかしいと思ったのか、ステイが身体を震わせ暴れ始める。脚や手が俺にぶつかるが、レベル72じゃ振りほどく事はできない。
「ちょ……ああああれすさん!? あれすさん!?」
「舌噛むぞ」
「!?」
そして、俺はステイを絶壁の下に放り投げた。
ステイの悲鳴が尾を引いて蒼穹に消える。手の中の鎖が一気にピンと張り、重力が加算された力が腕にかかる。
続けて、ステイが崖に叩きつけられる鈍い音。
俺は無力だ。人に物事を教えるのにこんな手段しか使えない。
ずるずると引き上げたステイはまるで水揚げされた魚のようだった。
ゴロンと横たわりあられもない格好でステイが荒く息をする。その目には涙がたまり、まともにぶつかった顔は少しだけ赤みを帯びていた。
「はぁ、はぁはぁ……ぃたい……」
「嘘つくな。レベル72で
ましてや力をかけたわけでもない。落下して地面に叩きつけられたならともかく、ダメージになる理由が無い。
というか、本来ならば叩きつけられる前に反応できるはずなのだ。たとえ……不意を突かれたとしても。
まくり上がったスカートを気にする様子もなく、ステイがばんばんと駄々をこねるように地面を叩く。
「い……言いたい事は……それだけなんですか!? こんな酷い事して――」
「いや、まだある」
「……え?」
決まっている。俺は、別に好きでこんな事をやっているわけではないのだ。
枢機卿の娘。その教育の下で改善しないのならば荒療治するしかない。
俺は再びステイを持ち上げた。絶壁の寸前まで歩みを進め、空中に吊り上げる。
数メートル下には細い道が、その更に向こうには底の見えない奈落がある。たとえ鎖が切れても運が良ければ下の道で止まるだろう多分。
ステイはしばらく呆然と下を見ていたが、引きつった笑顔を俺に向けた。
「あのー……アレス……さん? じょ、冗談、ですよね?」
「もう一度だ。ステイ、これは遊びではないし、ストレスを解消しているわけでもない」
戦場でドジをすることの意味を教えてやる。
§ § §
三体のボール・ゴーレムとの戦闘を終え、ふと藤堂が後ろを向いた。
グレシャと並んで杖を構えていたリミスが、突然振り向いた藤堂に訝しげな表情で尋ねる。
「どうかした?」
「いや……」
周囲には自分達の他に人影はない。
そもそも、ゴーレム・バレーには無数の道が存在する。その中でも洞窟の内部を進んでいく道と比較し、外周を行く道は効率が悪いとされ、あまり人はいない。
きょろきょろと辺りを見渡していたが、魔物の気配も生き物の気配もない。そもそも、藤堂のパーティは四人もいるのだ。警戒しているのは自分だけではないし、何かあったら気づくだろう。
分厚く金属板の入った頑丈なブーツのつま先をとんとんと整え、小さくため息をつく。
剣を鞘に戻したアリアが瞬きをして聞いてくる。
「どうかしましたか?」
「いや……少し悲鳴のような物が聞こえた気がしてね」
「? 私は聞こえませんでしたが……」
「きっと気のせいだ」
「変なナオね」
ため息の混じったリミスの言葉に、頭を切り替え、次の戦闘の事を考える。
ヒビの入った盾もまだ壊れる気配はなく、遭遇する数種類のゴーレムの動きにも慣れてきた。レベル上げがようやく順調に進み始めたのだ。ただの気のせいに気を取られている暇はない。
§ § §
「うわーん。せんぱーい!」
「……何したんですか?」
一通りの尾行を終え、本日の宿を取っているセカンド・タウンに戻る。アメリアの顔を見るや否や、ステイが危うい足取りでその胸の中に飛び込んだ。
人目のある場所で足輪は目立ちすぎるので、もう外してある。だが、何度も落としたせいか、足輪がついていた場所はやや赤くなっている。
しかし、泣きはらした様子のステイを見てもアメリアの表情は変わらない。ただ飛び込んできたステイを受け止め、こちらをじっと見た。
「少し訓練したんだ。だが、まったく目が見えない。運動神経が悪いわけでもなさそうなんだが、本当に不思議だ」
正確に言えば、一度落としたり落ちたりするとしばらくは転ばなくなる。だが、一定時間でまた元に戻ってしまう。
鎖を繋いでいるので落下死する危険はないのだが、手を取るのをやめたステイは俺が突き落とすまでもなく自分から何度も落ちており、自分から勝手に落下するステイの姿はジョークにしか見えなかった。それも、乾いた笑いすら出ない、質の悪いジョークだ。
「うぅ……アレスさんなんて……大っ嫌いですぅ」
何度も響き渡ったステイの悲鳴がもうきっちり耳に残っている。こいつ、何なの?
ベルト代わりに腰に巻いていた鎖を外す。
「脚に巻いて宙吊りにしたんだ」
「アレスさん……スパルタですね」
「だがどうにもならなかった」
呆れたようにアメリアが言う。
しかし、それだけではない。こいつ、徐々に慣れ始めていた。もう一度言う、徐々に慣れ始めていた。こいつ何なの?
「ぐすっ……ちゃんと、私ちゃんとひとりでできるって……いったのに」
アメリアの細身の身体を盾にするように背中に回り、ステイがうじうじ呟く。
本当に毎回毎回その自信はどこから来ているのか。
「続きは明日だ」
「え!? まままままだやるんですか!?」
藤堂がうまくいっている今がチャンスだ。着地点が見つかるまで徹底的に付き合ってやる。
泣きわめきながら頭をぐりぐりこすりつけてくるステイを、アメリアが平手で払う。軽めの平手だったが、ステイはよろよろと地面に倒れ伏した。酷いことをする……。
「正直、アレスさんがステイと一緒に行動すると聞いた時はどうなるかと思いましたが」
「思いましたが?」
それは俺も思いましたが?
「とても安心しました。仕事とプライベートを分けるのは当然ですね」
アメリアが薄い笑みを浮かべ、ティーポットからお茶を注ぐ。うつ伏せに倒れたステイのしくしくという泣き声とお茶を入れる音が奇妙なハーモニーを生み出していた。
もうめちゃくちゃである。俺は一端その光景から目を背け、目の前に置かれたカップを取って、アメリアの方の進捗を確認することにした。
「そっちの調子はどうだ?」
「骨ですね。傭兵達は自分達が倒した魔物の種類や数なんて覚えてませんから」
アメリアが小さくため息をついて答える。
彼女には魔物の分布について更に綿密な調査を頼んでいた。
数と種類。かつてザルパンが行ったように、魔族が手を入れるのならばそこだからだ。
だが、傭兵達は大抵、ちゃんと自分の倒した魔物など覚えていない。手に入れた素材からなんとなくの数は割り出せるが、それだってどこまで正確か……。
誰も把握していないから、調査には足を使う必要がある。金銭や愛想で記憶を掘り起こし一パーティずつ確かめる必要がある。
「ただ、やはり変わった魔物などが現れたり数が増えたりなどという情報はどこからも出てきませんでした。むしろ、最近は順調で大きな被害を受けたパーティなども少ないようです」
「先行して漁るしかない、か」
「心配性では?」
「アメリアやウルツがそう言えば言うほどに心配になってくるんだよ」
杞憂ならそれでいい。
どちらにせよ力押ししかできないのだ。ステイをぶん回しながら芽を一つずつ潰していこう。
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