第十二レポート:レベルと存在格について

 存在力。その単語は、藤堂がこの世界に来て何度も聞かされた言葉だ。

 だが同時に、それに対する認識が薄かった。藤堂がそれを実感したのは訓練の一番最初だ。


 藤堂の目の前でウルツが消えた。

 身体の大きさは藤堂の倍。体重は倍以上だろう、藤堂にとってそれは目の前にそびえていた山が消え去ったようで――気がついた時には藤堂は宙に浮いていた。


 死角に回り込まれ、殴られたのだと知ったのは、訓練が終わった後、遠くから見ていたアリアの言葉からだ。


 つまりそれは、死ぬ寸前まで気がつかなかったということ。

 実際に大きな傷を負ったわけではないが、それはウルツ・グランドという男が手加減したからであって、戦場だったら最低でも重傷は免れない。


 地に仰向けに転がり、ただ身体を大の字にして天を見上げる藤堂に、ウルツがその身の丈にふさわしい重々しい声で告げた。


「聖勇者。貴方は自分自身を理解していない。貴方が今そこで転がっているのは貴方が――レベル29の純人族が出来る事を……分かっていないからだ」


「それは……技術が不足している、と?」


 その言葉に、自分なりに考えて問い返す。


 剣術は学んだ。魔法も、神聖術も。師事したその誰もが藤堂の事を逸材と称した。

 勿論、経験は浅い。平和な世界から召喚された藤堂はこの世界に生まれた人間と比べれば経験が薄い。だが、自信はあった。勝つことは難しくとも――少なくとも、一撃でなす術もなく、無様に転がらない程度の自信は。


 藤堂の漆黒の瞳を受け、ウルツが首を振る。


「違う、聖勇者殿。逆だ」


「ぎゃ……く?」


 腕をつき、起き上がる。立ち上がった藤堂に、リミスが転がっていた訓練用の剣を抱えてきて、手渡す。


「ああ。レベルとは――存在力の強さの指標。忘れてはならない、聖勇者殿」


 ウルツが地面に転がる拳大の石を拾う。重さ数キロはあろうかというそれを持ち上げてみせると、怪訝な表情をする藤堂の目の前でそれを大きく振りかぶった。

 藤堂の倍はある強靭な前足が勢い良く地面を叩き、地面が揺れる。風が鳴る音が聞こえた。


 石が線となり、轟音を伴って空の彼方に消える。一体どれほどの力を込めればそうなるのか。

 絶句するアリア、リミスの目の前でウルツが初めて穏やかな笑みを浮かべて見せた。


「聖勇者殿は己を知らねばならない。もう貴方は――レベルを上げる前の自分とは存在の格が違うということを」



§



「知ってた?」


「ええ……聞いたことは」


「そっか……」


 一日目の訓練を終え、ベッドに大の字に倒れる。アリアの答えに、藤堂は深くため息をついた。


 ウルツの見せた動きは常識の範疇外だった。いくら肉体を鍛えた所で、藤堂の知る人間は見えない速度で動けたりしない。

 自身を遙かに越える膂力。そして、速度。いくら万物を切り裂く剣を持っていたところで当たらなければ意味がない。

 結局その日の模擬戦形式の訓練で、藤堂はウルツに触れる事さえできなかった。


「物理法則に……反してる。魔法なんてあるのに……今更な話だけどね」


巨人族ジャイアントは特に戦闘に適性のある一族ですからね。その血を引き、レベルを65まで上げればああもなるでしょう」


 そういうアリアの表情も険しいものだ。結局、藤堂の後に訓練を受けたアリアも触れる事はできなかったからだ。

 事前の説明で徐々に見えるようになるはずだと伝えられてはいたが、剣王の娘としての挟持もある。

 勿論、アリアの父親は王国最強の剣士の称号を持つ男、ウルツと比べて劣っているわけではないはずだが、剣の稽古で見えない速度で動く事はない。


「世界には強い人が沢山いるね……」


 藤堂の言葉には強い感情が込められていた。


 少なくとも、藤堂は全ての街で自分よりも遙かにレベルの高い人間に遭遇してきた。ピュリフではグレゴリオ相手に何もできなかったし、ヴェール大森林では魔族の戦いに巻き込まれ気絶した。

 大墳墓を最初に歩いていた時とはまた異なる気弱げなため息に、リミスが藤堂のベッドに腰をかける。


「何言ってんのよ、ナオ。貴女が一番強くならなくちゃならないのよ?」


「……なれるかな?」


 見上げる藤堂の目とリミスの視線がぶつかり合う。


「なりなさい。グレシャも頑張ってるんだから」


 呼ばれたのに気づいたのか、ぼーっと立っていたグレシャがリミスの方を見た。

 揺らめく深緑の目からは少女が考えていることは全くわからない。


 だが、グレシャは今日の訓練で唯一ウルツの動きについていけたメンバーである。元竜という情報は知っていたが、自分よりも小さい少女が風のように動く様子はまるで冗談のようだった。


「竜人族は特に戦闘能力に秀でた一族ですからね。竜のグレシャが戦えてもおかしくないでしょうが……」


 アリアが、藤堂の表情を読み取り補足するが、不審げな視線を隠せていない。リミスがそんなアリアに深くため息をつき、グレシャの後ろに駆け寄ってその肩を掴んだ。


「いいじゃない。別にいきなりやる気を出したって。何か不安でも?」


「……まぁ、それはそうだが……ここに来るまでは何もしていなかったのにどうしていきなり……」


 何度か聞いたが結局グレシャは何も教えてくれない。

 そんなグレシャを、リミスがしっかり後ろから抱きしめる。グレシャはむすっとした様子でただ身を任せていた。

 リミスはしばらく視線を宙に彷徨わせていたが、ふといたずらでも思いついたような声色で言う。


「……ナオとアリアが不甲斐ないからじゃない?」


「んな!?」


「大墳墓で悲鳴を上げていたのも散々見られていたし?」


「むう……それは……」


「……」


 藤堂とアリアが顔を見合わせる。

 リミスはその様子にくすくすと笑い、グレシャの耳元で尋ねる。


「ねぇ、グレシャ。どうして貴女、いきなり手伝ってくれる事にしたの?」


「……怖いから」


「? ……え? もう一回」


 極小さな声でつぶやかれた言葉に、リミスが聞き返す。藤堂とアリアも、息を顰めグレシャの方に集中する。

 当の本人はきょろきょろと忙しない様子で周囲を窺い、ぽつりと言った。


「何でもない……です」


「……」


 そのあまりにも悲しげな声に沈痛な空気が漂う。


 グレシャの境遇は特殊だ。藤堂は何か慰める言葉がないか探したが、状況がわからないのでかける言葉も見つからない。唯一、これ以上聞いてはいけないのだという事だけは、聞かれたくないんだろうという事は、その空気からわかる。


 その時、リミスがぱんと手を叩いた。

 重々しい空気を振り払うかのように明るい声で提案する。


「そうだ、グレシャ。ご飯でも行きましょ! 何か食べれば元気出るわよ」


「ご飯……食べる」


 先程食べたばかりだが、グレシャの食欲は折り紙付きだ。武器を購入して懐具合は寂しくなっていたが、藤堂もアリアもそれに反対する程無粋ではない。多少多めの食事を取るくらいの金はある。


「ねぇ、何食べたい? グレシャ」


「……」


 グレシャが幼気な双眸を吊り上げ、今までで一番真剣な表情を作る。

 先程までの暗い空気はそれだけで霧散していた。可愛らしい顔をしたグレシャの考え込む姿は微笑ましい。

 暗い空気と一緒に、先程までの悩みもいつの間にか霧散していた。


 藤堂が立ち上がり、気合を入れ直す。今の実力が乏しくても、レベルを上げ訓練をして高めればいいだけのことだ。


 そこで、町中を歩いていた時に見つけた店の事を思い出した。


「あ、そうだ……あれなんかどうだろう……」


「……あれ?」


 藤堂は照れたような笑みを浮かべ、間接的とはいえ、気分を変えてくれた小さな仲間に、頑張ってくれた仲間に提案する。


「ほら、街を歩いていた時に串焼きの屋台が並んでてさ、いい匂いが――」


「串ッ!?」


「ど、どうしたの!? グレシャ!? グレシャーーー!?」


「お、おい。どうした!?」


 リミスの腕の中でピシリと固まるグレシャ。

 無表情で動かなくなった少女に、藤堂が慌てて駆け寄り回復魔法をかける。


 ふとその時、部屋が微かに震えたが、藤堂達が気がつく事はなかった。





§ § §



 いつも使っている物とは異なる鋼鉄のメイス。轟音。崖にめり込んだそれを中心に巨大な亀裂が入り、世界が震える。

 深くめり込んだそれを力づくで引っこ抜く。パラパラと欠片が落ちるが、メイスには大きなダメージはない。


「実は俺のレベルは……もう上がらなくなってしまったんだ。これ以上、レベルを上げるには化物を超えた化物を狩らねばならない」


 隙を見せた俺に、ウルツは全く攻撃を仕掛ける様子はなかった。

 どうやら昔ぶっ飛ばしたのが相当こりているらしい。ただ、じりじりと距離を取りながら吐き捨てる。


「相変わらずの……化物っぷりだな……」


 小細工をするには距離がいる。そもそもレベル差を覆すのは難しいが、近接戦闘で地力の差を覆すのは難易度が跳ね上がる。

 だから、かつて俺がウルツと訓練した時、俺は距離を取った。上位者と戦うにはノウハウがいる。


 だが、今の立場は逆だ。ウルツのレベルは65。もっとも、今回は殺し合いをしているわけではないが……


 黒塗りのメイスを持ち上げる。いつも使っているメイスと比べると、見た目は似ているが、その強度は極端に低い。だが、強度の低い武器も俺が使うと崖を割る代物となる。存在の格の差というのはつまり――そういう事だった。


「ふっ……アレス……お前まさか、空を飛べるんじゃないだろうな?」


「まさか。だがレベル100になれば――飛べるようになるらしいな」


 肩をすくめ、ウルツの方にゆっくりと近づく。力が強くなると振るう機会は少なくなる。

 少なくとも高レベルの戦士には周囲の環境を破壊しない程度の自重が求められる。俺が魔王を討伐するわけではないが、身体がなまってしょうがない。


 そういう意味で、ゴーレム・バレーは俺にとっても都合のいい地である。

 崖に穿たれた巨大な亀裂――小柄な人間ならば入れそうな穴に一瞬視線を向け、ウルツが苦笑する。


「この地には大地の精霊が満ちている。明日にはある程度修復されるだろう」


「ここで藤堂にもあれくらい出来るようにしてもらいたい」


「それは……」


「聖剣を使えば可能なはずだ。ウルツ、これは冗談ではない。何しろ次の場所には――お前がいないからな」


 まぁ、次にどこに行くか考えてないのだが……ここでどのくらいまで成長出来るか、そしてその能力の指向性をどこに向けるかで決めねばならない。

 滞在期間は最低一月といったところか。魔王の手の者が来なければできるだけ長く滞在したいところだが、どのみちファーストタウンでの滞在期間は絞る予定だった。


 ウルツが低く唸り、苦笑する。鉄柱のような巨大なメイスを軽々と持ち上げ、俺に向ける。

 俺もそれに対して、ウルツと比べれば小枝のように細いメイスを構えた。


「無茶を言ってくれるな」


「無茶は承知だ。俺の今のビジネスはこの無茶を通す事だ。ウルツ――」


 少し考える。マダムもいるし、ウルツなら少しばかりふっかけるくらいがちょうどいいだろう。

 常にある程度の余裕は持たせておきたい。


「ここでレベル60相当の実力まで上げてくれ。一ヶ月で」


「!? いや、それは不可能――」


「後、ステイをまともに動けるように鍛え上げてやってほしい」


「!? 冗談だろ!?」


 俺は冗談が――嫌いだ。


 その時、訓練場の外で、アメリアと一緒にこちらを見ていたステイが声を上げかけた。

 元々の法衣は諸事情により接収したので、今はやたら胸の張ったぶかぶかの法衣を着ているがそのあっぱーな感じの雰囲気は変わっていない。


「あのー……アレスさん? 私は大丈夫……だと……思い……ますです……けど……」


「私は絶対無理だと思います。藤堂さんはともかくこのこは無理です」


「!? 先輩!?」


 ステイの客観性の乏しい言葉を、今日のステイ当番のアメリアが切って捨てた。

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