第九レポート:状況と訓練について

 ゴーレム・バレーはルークス王国でヴェール大森林と並ぶ有名なレベルアップのフィールドだ。名高いルークスの騎士団も皆その二つの場所をベースにレベルを上げる。

 人選は誤っていたが、大森林に配下の者を送っていた魔王は慧眼だ。大森林に配下を送ってゴーレム・バレーに送らない理由はない。

 むしろ、フィールドの適性レベルはこちらの方が高いので、俺が魔王だったらザルパンよりももう少し有能な者をゴーレム・バレーに送るだろう。


「そうか……ああ、ありがとう。助かった」


「ぎゃははは、またなんかあったら何でも聞いてくれよ、あんちゃん!」


 後ろから投げかけられた陽気な声を背に、酒場を出た。


 高地故の強く冷たい風に外套の襟元を正す。これで三軒。ファースト・タウンに存在する主要な傭兵のたまり場を回りゴーレム・バレー近辺で最近何か起こっていないかを探ったが碌な情報は入ってこなかった。


 結論、異常なし。ヴェール大森林とは異なり、この地では特に何も起こっていない。


 それほど多くはないが金銭を、そして神聖術を代価に払っている。ゴーレム・バレーまでやってこれる傭兵が嘘をつく理由はない。


 それは俺がマダムから事前に収集していた情報とも一致している。念のために自分の足でも回ったが、成果はない。だが、『異常なし』の結果が今の俺には『異常あり』よりも不気味なものに感じられた。


 何もない事を証明するのは難しい。警戒を続ける他ないだろう。


 そもそも、この地の傭兵達はヴェールの森とは異なる。この地に生きる傭兵はパーティを組めば竜すら屠り得る猛者共だ。栄光あるルークスの騎士団が最終修練の地として挑むような土地なのだ。実力もあるし、何よりも自負がある。

 最近は戦線が激化しているようで今回はいないみたいだが、正規の騎士団が詰めている可能性だってある。グレシャのような存在が放たれた所で、傭兵達が勝手に解決してしまうことだろう。

 魔王側がヴェール大森林でやったような戦法を取ろうとしたとしても……上手くいくとは思えない。


 まぁ、ここはまだゴーレム・バレーの入り口だ。もしかしたら奥まで行けば何かわかるかもしれないが……。


 俺はそこまで考え、深くため息をついた。どちらにせよ、最終的に俺に出来る事は力押しで、俺の役割は藤堂の補佐で、難しい事を考えてもうまくいかない。

 藤堂達の戦力アップがどうなるのか。俺はマダム達を信用している、顔を見せられない俺よりも上手くやってくれている事だろう。穏便に効率よく。


 心の中で祈りを捧げると、俺はすべての懸念を一端置いておき、続いて装備の補充を試みる事にした。




§ § §




 ――大きい。


 その姿をひと目見て藤堂の頭に過ぎったのはその一言に尽きた。

 岩のような、を超えて山のような巨体。隣に立つ巨漢の町長と比べても頭二つ分大きく、しかし痩せているという印象はない。その身に纏っているのは灰色の法衣であり、耳には僧侶の証も下がっていたが、藤堂の目にはそれがとても僧侶には見えなかった。


 呆然として目を擦るが、男は消えない。

 恐らく身長の低い藤堂の目の前に背を向けて立てば、壁のようにさえ思えるだろう。アリアもリミスもその男の姿に呆然としている。いつもと変わらないのは一番小さなグレシャだけだ。


 町長の部屋。ファースト・タウンの町長がどこか自慢げに頷く。最初に会った時には合わないなと思ったが、『それ以上』を前にした今、藤堂にできるのはただただその言葉を聞く事だけだ。


「このファースト・タウンの教会で僧侶プリーストとして働いてくれているウルツ殿だ。本日は多忙のところ、わざわざ勇者殿の訓練に志願してくれた」


 ウルツがその言葉を受け、鷹揚に頷く。

 藤堂の後ろで、同じように瞠目していたリミスが小さく言葉を出す。


巨鬼族ギガース?」


 リミスの小さな言葉を聞き取り、町長がうめき声を上げる。大げさに額を抑えると、首を大きく横に振った。


「ノーノー、フリーディア殿。それは――魔物に対する呼び方だ。彼は巨人族ジャイアントの血を引く勇敢なる戦士だ。ウルツ殿、気になさらないでくれ。彼女にも悪気があったわけではないんだ……少しばかり、学がないだけで」


 その言葉にリミスがむっとするが、何事か言う前にウルツが深く頷き、前に出た。

 一歩歩いただけで部屋が微かに揺れる。アリアの表情が緊張に歪み、自然な動作で藤堂の方に一歩寄る。


 そのままゆっくりととした動作で腕を差し出した。巨大な腕は白い薄手の手袋で包まれている。


「ウルツ・グランドだ。聖勇者殿、こうしてお会いできて光栄だ」


「あ……ああ?」


 見た目から想像していたよりもずっと穏やかな声に、藤堂の目が丸くなる。アリアもリミスの表情も同じように。

 藤堂が恐る恐る、その手の先を軽く握り握手する。ウルツ・グランドを名乗った僧侶は大きく頷き、リミスの方を向いた。

 声を潜めるようにして続ける。


巨鬼族ギガースは魔物の種類だ。人に似て人ならざるもの。高い知性を持ちつつそれを上回る闘争本能、残虐性故、私の祖先はこの世界で最も恐ろしい魔物の一種だった」


「今では違う?」


「今でも……そうだ」


 藤堂の問いに、茶色の目が爛々と輝く。その目は確かに捕食者の持つ目だった。

 声が理知的でなかったら逃げ出していただろう。だが、同時にその言葉は静かではあっても力が込められている。


「だが、巨鬼族ギガースの中にもほんの少しばかり理性の強い者がいた。その者達は弱き者と生きる事を選んだ。古い話だ。人の中で生きるその者達の子孫――我々は今では、巨人族ジャイアントと呼ばれている。だから……巨人族ジャイアント巨鬼族ギガース呼ばわりするのはやめたほうがいい。無駄な軋轢を生むだろう」


「ご、ごめんなさい……知らなくて」


 言葉が自分に向けられている事を悟ったのか、リミスが慌てて頭を下げる。

 町長が面白そうな表情で口元を歪めた。


「くっくっく、ウルツ殿は巨人族ジャイアントの中でも特別に理知的だ。理性があるといっても、巨人族ジャイアントには血の気の多い者が多い」


「私も昔はそうだった。だが……変わった。聖勇者殿、だから今はこうして私は――僧侶プリーストとして刃を置いている」


 目を瞑り、感慨深げに言う。その言葉の通り、その腰には儀礼用のメイスが差しているだけで武器などは持っていない。もっとも、法衣の上からでもはっきりわかる極度に発達した筋肉を持ってすれば武器の有無など関係ないようにも思える。


「私のレベルは――65。もう長らくレベルは上がっていないが、この地での戦い方は……良く知ってる。まだこの地に来たばかりならば……聖勇者殿の力になれるだろう。魔導の術については詳しくないが……」


 ちらりと視線を向けられ、リミスが目を瞬かせて首を振った。


「……大丈夫。魔術については勝手にやるから……」


「そうか……ならば良い」


 特に何も言うことなく、ウルツが頷く。その時、部屋の扉が開いた。

 慌てる様子もなく入ってきたその影に、ウルツが敬々しく頭を下げる。町長が嬉しげな声を上げて入ってきた人物に近づく。


「おお、マダム・カリーナ。お久しぶりです、お待ちしておりました」


 マダム・カリーナ。事前に藤堂もアリアから名前だけは聞いていた。

 ゴーレム・バレーにおいて最も有名な人物であり、様々な伝説を持つ女傑。


「あんたらが聖勇者かい……」


 しかし、入ってきた老女の容貌はあまりにも藤堂のイメージと違っていた。

 派手な紫の髪に皺の刻まれた容貌は見た目とは裏腹にエネルギーに満ちていた。纏っている雰囲気も今まで見たことのある何者とも異なり、控えめに言って魔女にしか見えない

 ここは町長の屋敷のはずなのに、その主人よりも遙かに堂々として見える。


 先程まで圧倒されていたウルツが、その隣にいると何故か小さく見える。

 ウルツの半分くらいの身長しかないのにその印象は衝撃的だ。言葉を失う藤堂に、魔女が歯をむき出しにしてにやりと笑う。


「話は聞いているよ。僧侶プリーストもなしに、随分と各地で大活躍しているらしいじゃないか」


「え……? はい……まぁ」


 大活躍? あまり実感はしていなかったが、その言葉に思わず頷く。

 カリーナは満足げに頷くと、藤堂の目をじっと見上げて宣言した。


「だが、教会うちからしてもそれではなかなか心苦しい。これはいい機会だ。坊やの訓練を行いたいといったのはうちの要請だよ。坊やにはここで世界最強になってもらう」


「へ……世界……最強……?」


「ってのは冗談だけどね。今の坊やはまだ弱い。こちらとしても都合が悪いのさ、最低でもゴーレムくらいは楽に倒せるようになってもらう」


 目を丸くする藤堂に、言いたいことだけをいい終えたカリーナが踵を返す。足早に歩き、扉に手をかけたところで、立ち竦む藤堂を怒鳴りつけた。


「何やってんだい、さっさと修練所に行くよ。私にはとろとろやってる時間はないんだ。ウルツ、あんたも準備しな」


「承知した。マダム」


 ウルツが頷き、藤堂を見て小さく顎でついていくよう示す。

 町長の鼓舞の言葉を背に、足取りを緩める気配のないカリーナについていった。


 後ろに続くアリアにこそっと尋ねる。


「ねぇ、アリア。僧侶って皆こんなんなの? 僕が……抱いていたイメージとだいぶ違うんだけど」


「安心してください、ナオ殿。私のイメージとも……違いますから」



§




「最初に現在のあんたらの力を見るよ」


「は、はい」



 修練所は大きく開けた空間だった。四方百メートル。一方には岩の壁があり、無数の穴が開いている。

 他方は大きな柵で囲まれており、そもそもこれだけ広いスペースならば崖の下に落ちる事はないが、たとえ吹き飛ばされても落下は防止できるようになっていた。

 強い風の中、ウルツが立っていた。室内で見ても圧迫感はあったが、外で見てもそれは何ら変わらない。


 ウルツの姿は先程とあまり変わっていない。ただ両手につけていた手袋が頑丈そうなガントレットになっており、足元のブーツもまた頑丈そうなものに変わっているだけだ。


 一方で藤堂の方の装備もほとんど変わっていなかった。唯一、聖剣では訓練にならないからという事で、腰に差した武器が鋼鉄の長剣に変わっている。


 いつもの聖剣よりも重い剣に眉を顰めながら、側に佇むカリーナに尋ねる。


「一対四でいいんですか?」


「気が済まないなら一対一でもいいが、今のあんたらのレベルなら一対四でちょうどいいくらいかね」


 多対一の訓練は余程の実力差がなければ成立し得ないものだ。

 カリーナの軽い言葉に、藤堂が目を見開く。今まで丁寧な対応をされてきた藤堂にとって、カリーナの言葉にはどこかトゲが感じられた。

 短く呼吸をしながら、カリーナに提案する。


「まずは僕一人でやってみてもいいですか?」


 その言葉に、カリーナが大きく目を見開く。面白そうなものでも見るような目で藤堂の顔を眺め、熱い呼気を吐き出す。


「くっくっく、勿論構わないよ。勇者ならばそれくらいの蛮勇があってもいいと、私は思うね」


「蛮……勇……」


 出されたあけすけな言葉を口の中で復唱する。小さく拳を握る藤堂を、リミスとアリアが心配そうな目で見ていた。

 カリーナが、まるで眠っているかのように目をつぶっていたウルツに叫ぶ。


「ウルツ! この坊やを……殺さないように手加減しな。坊やはまだ力の出し方をわかってないんだからね!」


「……承知している、マダム。私は昔と……違う」


 ウルツが目を開き、静かに藤堂を見下ろした。その目の中に燻る情動に、藤堂の背筋がぞくりと震える。

 声を荒げてもいないのに、戦闘態勢に入っているわけでもないのに。


 目の前でなされるこちらを侮るようなやり取りを、感じる視線を、藤堂は全てシャットアウトした。

 浅く呼吸をして気合を高める。腰から流麗な動作で剣を抜き、右手に罅の入った盾を顕現する。


 集中するのは昔から得意だった。目の前の世界から、周囲からすべて消え、目の前の巨躯の男だけが残った。

 ゴーレムは何体もいたが、今の相手はたった一人だ。レベル65。侮るつもりはないが負けるつもりもない。


「勝敗はどのように?」


「意識を失ったら負け。殺すのはなしだ。鋼鉄の剣で一撃でウルツを殺すのは難しい、坊やは思い切りやって構わないよ」


「……わかった」


 藤堂はこれまで強力無比の聖剣で戦ってきた。が、それ以外の武器を使えないわけではない。

 旅に出る前、ルークスの王城で一通りの武器を使っている。当然、聖剣以外の剣だって使ったことはある。

 鉄の剣は長さも聖剣と同じで、重さだけが気になるがレベル27の藤堂にとって問題になるような重さじゃない。


 彼我の距離の差は十メートル。ウルツの手足は藤堂よりも遙かに大きいが無手であり、リーチの差はそれほど存在しないだろう。図体がでかいのも決してメリットだけではない。ウルツの巨躯は常識から外れており、視界も広いがそれだけ死角も本来の人間のそれよりは遙かに広いはずだ。小柄な自分ならそこに潜り込むのも難しくはないだろう。


 強い風が吹いた。僅かに流れ落ちた汗を冷気が冷やし、その瞬間にカリーナが開始の声を上げる。


 藤堂が一歩踏み込んだその瞬間、ウルツの表情が変わっていた。

 目が真紅に燃え上がり、形相が朴訥そうな表情から鬼面のそれに変わる。その形相から放たれた咆哮が空気を強く震わせた。








「うおおおおおぉぉおぉぉぉぉぉおぉぉぉぉぉぉぉッ! 死ねえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええッ!!!」

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