英雄の唄④

「……これを修理するのは難しいな……」


 罅の入った藤堂の盾――『輝きの盾』を見下ろし、短く髪を刈り込んだ壮年の男――鍛冶師が眉を顰めて言った。


 武器は消耗品だ。アリア達の持っている武器防具のクラスになると頻繁なメンテナンスや買い替えなどは必要ないが、一般の傭兵にとって武器の製造やメンテナンスを行う鍛冶師と、それと組んで商売を行う武器屋は最も関係の深い店の一つである。


 聖勇者に与えられた武器防具はルークスに伝わる元勇者の装備だ。

 アリアやリミスの装備もそれぞれが厳選された代物であり、たとえ一流の傭兵だったとしても早々手に入れられるようなものではない。

 だからヴェールの村でもピュリフでも武器屋には訪れなかったが、今回改めて武器屋を訪れたのは装備の修理を依頼するためだった。


 男が装飾のなされた藍色の盾の表面を金槌で軽く打ち付けている。

 かんかんという甲高い音を、少し離れた所で藤堂が観察していた。


 藤堂が王国から与えられた盾は『金剛青石ブルーメタル』と呼ばれる特殊合金で誂えられた一品だ。

 聖剣エクスや聖鎧フリードとは異なりその盾だけは前勇者の使った装備ではなかったが、それでもブルーメタルは物理衝撃にも魔術的な攻撃にも高い耐性を持つ金属であり、一流の傭兵の装備の素材として知られていた。

 竜のブレスですら防げると説明を受けていた盾。あらゆる攻撃を傷一つ作らず乗り切っていた盾が、今ではその全面に細かい罅が入っている。


 まだ完全に壊れていると呼べる程ではなかったし、実際に罅が入った後に墳墓で何度か攻撃を受けて確認してみて破砕する気配はなかったが、戦場において武器防具を常に万端にするのは戦士の間では常識であり、罅の入っている装備を使い続けるなどありえない。リミスの復調を待つ間に盾を修理しようという話になったのは至極当然の話だった。


 男が苦手な藤堂の代わりに、武器防具の知識にも詳しいアリアが鍛冶師に返す。


「それはもう修理の余地がないという事か? ならば代用品を買いたいのだが」


 藤堂の剣術は基本的に盾の使用を想定としている。


 盾がない状態では立ち回りも勝手が異なってくるし、適当に剣を振るならばともかく、今から新たな剣術を覚えるのは難しい。

 少しだけ、アリアの頭に剣術の流派を変えた際の苦労が浮かぶ。


 目を細め、無意識のうちに苦い表情を浮かべるアリアに鍛冶師が小さくため息をついた。

 盾を握った拳の甲でこんこんと叩く。


「いや、修理の余地がねえわけじゃねえ。あんた、この盾どこで手に入れたんだ? 金剛青石ブルーメタル聖銀ミスリル金剛神石オリハルコンには一歩劣るが、相当な貴重品だ。ここにゃ材料もないし、そもそも取り扱えるだけの設備がねえ。おまけに、この盾――成形にあたり高位の魔法が組み込まれていた形跡がある。もう術式が完全に破壊されちゃいるが、これを完全な状態に戻すには鍛冶師の他にも専門の技術を学んだ魔導師が必要だ」


 その言葉に、アリアの後ろで壁に飾られていた武具の類をちらちら見ていた藤堂の表情がわずかに暗くなる。

 恐らく、短い期間とはいえ自らの慣れ親しんだ盾を修理するのが難しいと言われて不安なのだろう。


 アリアは一度こほんと咳払いして、


「どこに持っていけば修理出来るだろうか?」


「修理するくらいなら新しく買ったほうがいい。この盾を売ってくれた鍛冶師に頼めよ。少なくとも、うちじゃ……こんな場所じゃ作れねえな」


 盾に入った無数の罅は全面に広がっており、一種の装飾のようにも見えた。

 技術者としてのプライドがあるのだろう。少しだけぶっきらぼうに答えると、訝しげな表情を作りアリアを見上げる。


「あんた、何と戦ったんだ?  金剛青石ブルーメタルは斬撃、打撃、魔法からブレスまであらゆる攻撃を防ぐ素材だ、そう簡単に傷ついたりしねえ。おまけにこいつには硬度を高める付与魔法、攻撃に対する結界までかけられていやがった。ここのゴーレムの攻撃を正面から受け止めても傷ついたりはしねえはずだ」


「……まぁ、色々あって……」


 まさか僧侶プリーストと戦ったというわけにもいかず、アリアが言葉を濁す。


 元々、藤堂の盾はアリアの家に眠っていた物、リザース家に代々伝わる防具の一つだ。そのスペックは旅を始める前に大体頭に入っている。

 だからこそ、信じられなかった。輝きの盾は幾度もの戦を経て傷ひとつつかなかった一品である。傷つくだけならばともかく、魔術的な補強の成された盾の全面に罅が入るなど早々あることではない。ましてやそれをやったのが僧侶だなど、誰が予想出来るだろうか。


 盾に罅が入ったと聞いた瞬間にアリアの中に訪れたのは安堵だった。もしも盾がもう少し悪い物だったら、もしも盾を出すのが遅れていたら、盾の代わりにばらばらになっていたのは間違いなく藤堂本人だっただろう。


 鍛冶師が壁に掛けられた盾を指差す。ファースト・タウンの傭兵のレベルは高く、それだけ金も持っている。そこに並んだ盾は数々の貴重な武具を見てきたアリアの目から見ても決して悪い物ではない。

 だが、鍛冶師の声は余り明るいものではない。


「うちにも盾は幾つもあるが、ブルーメタル以上の物は正直……ない」


「既に罅が入ってるんだが……」


「罅が入っていても、だ」


 返された盾を受け取り、藤堂に渡す。手慣れた様子でそれを握る藤堂の姿は以前よりも様になっていた。


「ブルーメタルは硬くて軽い。罅は入っているし魔術的な補助も既に働いていないが、余程力がかからない限りこれ以上壊れたりはしないだろう。なるべく早く王都なり大都市に行って修理するんだな」


「……わかった。だが、一応予備の盾を見てもいいだろうか」


 本来、重い武器や防具を複数持ち歩くのは難しいが、収納の魔導具を持っているアリア達ならばそのデメリットも緩和できる。アリアの言葉に、鍛冶師の男は物好きでも見るような目をして一言だけ返した。


「好きに見ていけ。値段は側に書いてある」


 藤堂と一緒に、アリアが一つ一つ盾を検分する。


 武器屋の品揃えは武器メインで、盾は数える程しかない。これは、ゴーレム・バレーでレベルを上げる傭兵のほとんどが盾を扱わない事に起因する。

 そもそも、魔導師は盾を使わないし、剣士についても、盾術をその剣術の一部に組み込んだプラーミャ流正統剣術を扱う傭兵は少ない。

 危険なフィールドを駆け巡る傭兵は攻撃力と身軽さ、継戦能力を重視する傾向があり、守りを重視する騎士とは勝手が異なる。

 ゴーレム・バレーには騎士もレベルを上げに来るが、国に所属する騎士の防具は国から与えられた物だ。武器屋での盾の需要は低く、自ずと選択肢も少なくなった。


 そして藤堂の選択肢は更に少なくなる。

 以前まで使っていた輝きの盾と同じくらいの大きさの盾を壁から下ろし、手に持ってみた藤堂が低く唸る。


「……重いね」


 軽く二、三度上下に動かして見せるが、確かにその動きには輝きの盾を操った時と比べ差が見えた。


金剛青石ブルーメタル聖銀ミスリルほどではなくても、かなり軽いですからね……」


「うーん……戦闘中にのみ取り出すにしても慣れるには結構時間が必要そうかな……」


 ただでさえ藤堂の筋力は高くないし、体力も男の傭兵程ではない。今藤堂がまともに動けているのは才覚もあるが、装備が軽いものばかりであるのも大きい。

 分厚い黒の盾は確かに頑丈そうだが、受け取ってみたアリアもまた僅かに眉を顰める。

 元々プラーミャ流剣術をやっていたアリアからしてもその盾はやや重めだった。


「ゴーレムは攻撃が『重い』らしいのでこのくらいの厚さが必要なのでしょう」


「レベルが上がれば軽くなるのかな?」


「多少は緩和されるかと思いますが……」


 レベルアップは強力な成長だが万能ではない。元々伸びやすいステータスはより伸びるし、伸びにくいステータスは余り伸びない。

 女性である藤堂の上昇幅が高いのは魔力と瞬発力などの敏捷性であり、盾を持つのに必要な筋力や体力の伸びはそれほど大きくないはずだ。


 首を傾げながら二、三度盾を振る藤堂。一応持てるようだが、感覚が違うのだろう。


 それを横目に他の盾を検分してみるが、他にあるのは身体全体をすっぽり隠せるようなタワーシールドや直径三十センチ程の小盾バックラーくらいで、ちょうど良さそうな盾はない。もしもあったとしても、ブルーメタルやミスリルでもなければ、盾の重さは頑丈さに比例するものだ。


「……やはり今の盾を使い続けるしかないでしょう。王都に戻れば修理の目処も立つはずです」


「まぁとりあえずこれ買っていこうか……備えあれば憂いなしとも言うし――うげぇッ……高っ!?」


 藤堂がその値段を見て苦しげな声をだす。

 アリア達には魔王討伐の準備金としてルークス金貨を千枚……武器防具や旅装などの旅に必要な道具の他に一千万ルクスが与えられていたが、その盾の値段には百万ルクスという値が付けられている。


 その声を聞き取ったのか、鍛冶師が射殺すような目つきで睨みつけてくる。藤堂は苦々しい笑みを浮かべもう一度値札に視線を向けた。


「盾は需要が少ないのでどうしても値段が高めになるのでしょう。といっても……武器程ではありませんが」


 そもそも武器防具の値段は生活用品と比較し遙かに高い。藤堂の持つ聖剣エクスは勿論、アリアに与えられた魔剣ライトニングハウルだっていくら金貨を積んでも購入できるような物ではない。


「でも、ただの金属の盾なのに……」


 アリアの言葉に納得いかなそうに呟いた藤堂の声。それを聞き取り、鍛冶師が威圧するように笑った。


「ただの金属の盾じゃねえ。てめえの命を守る金属の盾だ」


 ここ数ヶ月で少しずつ資金を切り崩しながら進んでいるアリア達にとってその価格は簡単に出せるものではない。

 だが、男の言う言葉も尤もである。アリア達は負けるわけにはいかないのだ。節約して死んでしまえば元も子もない。


 眉をハの字にして唸る藤堂。ふとその時、後ろからアリア達を呼ぶ声がした。


「ちょっと、きて。ナオ、アリア!」


 リミスの声だ。藤堂と顔を見合わせると、一度盾を元に戻し声のもとに向かう。


 一度倒れてしまったリミスだが、一晩寝たことである程度体力を回復し、歩けるくらいにはなっていた。万全を期して数日の休みを取ることにしたが、倒れた原因も分かっているし復調するのは遠くないだろう。

 本来ならば宿で休むのがいいのだが、ずっと篭っているのも暇だからとついてきてしまったのだ。


 リミスはグレシャと共に武器の置いているコーナーにいた。

 剣を除いた近接戦闘職の武器が立ち並んだコーナーだ。槍や手甲ガントレット、手斧など、傭兵の間では余り使用されない武器が並んでいる。


「魔導師の武器を見るんじゃなかったのか?」


「ええ……いや、そっちはもう見たわ。それよりもこれを見て」


 リミスが壁に飾られた武器を指す。

 そこにあったのは一つの巨大な武器だった。


 黒の金属で出来た太い柄はリミスの手首程の太さもあり、長さはリミスの身長程もある。だが、それ以上に目につくのは柄の先についた頭だ。横一メートル、縦五十センチ程の金属の箱には飾り気がなく、ただただ重厚そうな雰囲気だけが出ていた。

 大きさもあり、その無骨な見た目もあり、並んだ武器の中でも一際異彩を放っている。


戦鎚ウォーハンマーだな。しかし一般的な物と比べると随分大きい。ゴーレム用の武器か?」


 アリアが目を見開き、品評する。

 騎士でも傭兵でも余り使わない武器だ。どちらかというと、刃物を持てない僧侶などが使う事が多いが、目の前にあるもの程大きな物は見たことがない。

 ここまで巨大だと取り回しも難しいし、鎚頭が重すぎてバランスも悪い。上手く扱うには先程持った盾に必要とされるものと比べ物にならないくらいの膂力が必要だろう。そしてそれほどの力があればもっと有用な武器が使える。

 明らかに実用性に乏しい武器だ。恐らく買う者がおらず長く並んでいたのだろう、その大きさに反して側に付けられた値札に書かれた数字も周囲の武器の値段と比較してだいぶ安い。


「へー、こんな武器もあるんだね……で、これがどうしたのさ?」


 藤堂がアリアの内心を代弁する。武器についてあまり知識を持たないリミスでも自分がこれを扱えるかどうかくらいはわかるだろう。


 視線を下に落とすと、昨日単独で外に出てしばらくして帰ってきてからどこか機嫌の悪そうな表情のグレシャが戦鎚を見上げていた。

 リミスが何気ない動作でその頭に手を乗せ、撫でながら言う。リミス自身もどこか不思議なものでも見たかのような表情だ。


「この子がこれ欲しいって」


 予想外の言葉。思わずグレシャの方をもう一度見る。その様子は全く以前から変わっていない。アリア達に懐いているわけでもなければ、自己主張するわけでもない。何故かついてきたいと言ってついてきてしまった謎の少女だ。


 信じられずに、もう一度リミスに聞き返す。


「……え? グレシャがか?」


「……ええ」


「……これは食べ物じゃないんだぞ?」


 大体、目の前に並べられたウォーハンマーはぱっと見た限り、グレシャよりも大きい。もしも食べ物だったとしてもさすがに食べきれないだろう。


 そんな事を考えるアリアに、グレシャがその深緑の目を向ける。無垢というには感情の見えなさすぎる表情で小さな声で、しかし、どこか途方もない感情を押し殺したような声で言った。


「私も……たたかう」


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