幕間その1

アメリア・ノーマンの憂鬱

 別にアメリア・ノーマンはステファン・ベロニドの事を嫌ってはいない。


 同じ、白魔導師ホーリー・キャスターとして過ごしてきた時間が長いのもあるし、そもそもステファンの性格は人懐こく、さすがに先輩先輩と慕ってくる者を無碍にするほどアメリアは冷徹ではない。

 何よりも、ステファンはアメリアに持っていないものを持っていた。基本的にドジだが学ぶべき所も多く、特にアメリアの持つ社交力の多くはそのステファンから学んだものだ。


 だが、人物的な好き嫌いは置いておいて、今この状況に即しているかというと全くもってそれは違うと胸を張って言える。

 ステファンは愛らしくそこそこ優秀な面もあるが余り……慎重な性格ではないのだ。


 ベッドの中ですやすやと眠るステファンを見ながら、アメリアはクレイオと通信していた。


 ピュリフまでは宿泊はアレスと同室だった。宿には三人部屋もあるが、余り寝相が良くないこの少女が何をしでかすかわからなかったので部屋を分けざるを得なかった。

 その事実もまたアメリアを脱力させる。


「ステイを殺すつもりですか? クレイオさん」


 夜中であるにも拘らず、脳内に響いてくる聖穢卿の声はいつもと変わらない。


『死なない。アメリア、ステイは有能だ。レベルが高く神聖術は強力で魔術まで使える。教会広しと言えどもそれほどの人材はいないだろう』


 そんなことは分かっている。数字だけ見ればステファンは類を見ないくらいに優秀なのは分かっている。

 アメリアは、軽く舌打ちをして聞き返した。


「性格は?」


『……アメリア、これはアレスの決定だ。私も注意喚起はした』


 考えの読みにくい上司が窘めるように言う。


 アレスから新規メンバーの話を聞いたその瞬間、アメリアは何がなんだかわからなかった。それくらいに混乱した。アメリアは表情豊かではないが、もしアメリアの内心をその表情筋が正確にあらわしていたら、アレスも唖然としていただろう。


 少なくともアメリアの知る限り、ステファンほどこの任務に適していない存在はいない。


 だが、冷静に考えてみれば今の状況はおかしな話だ。

 白魔導士は確かに貴重だが、何人も存在する。その中にステファンほどレベルの高い者はいないが、ステファンほど不適合な者もまたいない。

 そんな人材が偶然アメリアの後釜としてアレスの交換手につき、そして派遣されるような事があるだろうか。


 ベッドの中で規則正しい寝息を立てるステファンを見下ろしながら、アメリアが外気にも負けないくらいに冷たい声で言う。


「クレイオさん……わざとやりましたね?」


『何を言っているのかわからんな』


「アレスさんの性格を考えればすぐわかるはずです。私の他にも通信魔法の使い手を求めることも、その候補として次の交換手が一番選ばれる可能性が高いことも。大体、交換手としてステイよりも適性の高い白魔導師はいくらでもいたはずです」


 交換手オペレーターの仕事は難しくない。魔導具を使ってかかってくる通信を、その相手に取り次ぐ。それだけである。

 任につくのにそれなりの魔術の才能は必要だが、最低限の才能があればその仕事に大きな差は出ない。

 ステイは高い魔術の才能を持ちレベルも高いが、性格上交換手としては余り適切ではない。慌ててしまい取次にラグが出てしまうからだ。

 魔王討伐の任――緊急性の高い任務につくアレスの交換手として余り相応しくはない。


「ステイが崖から落ちたらどうするんですか」


『……それをどうにかするのが君の仕事だ。アメリア、君は知らないかもしれないがステイは――その、少々性格に難はあるが、アレスに必要なものを持っている』


 元々、クレイオはもったいぶった物言いをするきらいがある。それは枢機卿として常に言葉尻を捉えられる立ち位置にいるせいなのかもしれない。

 その言葉に、アメリアは少し沈黙して考えた。


 必要なもの……確かに、持っているかもしれない。緊張感をぶち破る能力とか。


「でも、必要ないものも持ってます」


『アメリア、秩序神の加護があらんことを』


 厳かな声を最後に通信が切れる。

 枢機卿の祝福。それを望む信徒がどれだけいるだろうか。だが、その言葉を受けてアメリアの心に広がったのは得体の知れぬ黒い何かだけだった。


 クレイオを呪おうという思いが頭の中に湧き上がってくる。

 殺意にかなり近いそれを抑えるアメリアの前で、ふとベッドの上に影が起き上がった。


 ステファンだ。胸元まで伸びた黒髪に黒の目。ぼんやりとした表情で、その目がきょろきょろと室内を見渡す。その視線はアメリアを見つけると、にへらと笑みを浮かべた。

 一見起きているように見えるが、眠っている。それをアメリアはこれまでの経験から知っていた。

 頭を押さえ、相変わらずのステイにため息をついていると、ステファンが覚束ない足取りで立ち上がった。


 ワンピースタイプの生地の厚い寝間着はいつもの法衣と異なり踝まで丈があり、ボタンをいくつも外さなければ脱げない様になっている。全てステファンが寝ぼけてしでかした事件を元に試行錯誤して生み出されたステファンの固有装備だ。

 ボタンが多いのは寝ぼけて服を脱いだりしないようにで、丈が長いのは寝ぼけて歩きまわった際に転んで目を覚ますようにするため。


 ステファンはよろよろと立ち上がると、ふらふらとアメリアの方に歩いてくる。今にも倒れてしまいそうな足取り。

 だが、倒れない。


「……ああ。何で貴女は寝ぼけているとなかなか転ばないんですか」


「……むにゃ」


 これが起きている時だったら何度も何度も執拗に転んでいたはずだ。わざとじゃないのかと疑ってしまうくらいに転んだはずだ。


「うにゅ……先……輩」


 ステファンはふらふらしながらもアメリアの側まで転ぶことなく来ると、諸手を上げてアメリアの方に倒れ込むように抱きついてきた。

 アレスだったら避けていただろうが、アメリアは動くこと無くその包容を受けた。

 背の高さに反比例して理不尽に大きな胸がむにゅむにゅとアメリアに当たる。寝ぼけているせいか腕に力はないが、全身にかかる柔らかく感触は健在で、アメリアは微睡みの中にいるステファンを見下ろして言った。

 先程クレイオに向けていた声よりも冷たい声で。


「それ、アレスさんにやったら殺しますよ」


「……はーい」


「貴女、それ本当に寝てるんですか?」


「にゅう……」


 寝言で答えてくるステファン。

 絶対に嘘だ。誰が見ても嘘だ。面白くもない冗談だ。

 だが、既に交換手として共に働いていた頃にその辺りの検証は全て済んでいる。良くも悪くもステファンは白だった。潔白だった。そもそもエリート僧侶であるステファンは嘘をついたりしないのだ。


 絶対にアレスに近づけてはいけない。アメリアは決心を新たに、拳を強く握った。



§ § §




 俺の言葉に、アメリアはただ一言言った。


「アレスさんは地雷を自ら踏み抜く趣味でもあるんですか?」


「せ……先輩、顔が引きつってますよ?」


 アメリアのあけすけな言葉と冷たい表情に、ステイが怯えたように声をかける。

 地雷って。後輩の事地雷って……いや、気持ちはわかるけど。


 眉を顰め、俺とステイが行動を共にする事の有用性を再度アメリアに説明する。


 デメリットは承知の上だ。効率を上げるには仕方ないのだ。

 アメリアの顔色は俺の説明を聞いても微塵も変わらなかった。ただ、ため息をつくこともなくもう一度言う。


「アレスさんは地雷を自ら踏み抜く趣味でもあるんですか?」


「私……請われて来たんですけど……」


 先輩から地雷呼ばりされ、さすがに堪えたのか、ステイが小動物のような目でアメリアの服の袖を引っ張る。アメリアはそれを無表情で無造作に振りほどいた。


「冷静に考えろ、アメリア。グレゴリオよりはマシだ。グレゴリオは藤堂を殺すがステイは殺さないからな」


「アレスさんって本当にタフですよね……」


「最悪、小脇にかかえていけばいいんだ。幸いなことにステイは身体が小さいし、数十キロくらい持った所で俺の動きは鈍らない」


「アレスさんって本当にタフですよね……」


「両手を使う時……戦闘する時とかは……まぁ、ステイが頑張る」


「……頑張りますよ〜!」


 ステイが花開くような笑顔で言う。全然安心できない何故なのだろうか。

 アメリアは、その笑顔をまるで魔物でも見るかのような目で見て、もう一度繰り返した。


「アレスさんって本当にタフですよね……」

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