第五レポート:とりあえず仕事するアレスの話

 ゴーレム・バレーはレベル上げのための土地だ。

 標高は高く、近くには他に街もない。一応ルークス王国領内だが辺境も辺境であり、管理のための人間――ゴーレム・バレーを統括領に含む貴族の手も殆ど入っていない。

 基本的にそういった街は数年もあればそこに住む人間がガラッと変わる。


 レベルを上げる目的で来た者はレベルを上げ終えるかあるいは志半ばで倒れいなくなるし、街の管理のために派遣されてきた者も過酷な土地での任務を厭う場合が多く、数年で入れ替わっていく。ストレスで倒れる者も多いらしい。

 町長も一応いるが、そんな事情では高い権力があるわけでもない。ゴーレム・バレーは半ば国の手を離れた土地でもあった。


 俺がかつてレベル上げを行った際にこの地にいた者もほとんどいないだろう。

 町並みは変わっていないが、門を守る衛兵の姿は変わっていたし、恐らく町長も変わっているだろう。変わっていないのは教会を守る――僧侶プリーストくらいだ。


 グレシャと平和的な交渉を終え、俺が次に向かったのはファースト・タウンの教会だった。


 現在のゴーレム・バレーの状態の確認のためだ。昨日アメリアには騎乗蜥蜴の世話と一緒に依頼していた事だがどうやら教会の統括者が不在だったらしく、詳細な話は改めてという形になっていたらしい。

 また、もともと俺も向かう予定だった。情報の収集はもちろん、物資の補給や藤堂への情報提供など頼むべき事は多い。


 魔王はまず間違いなく勇者の存在を補足している。大墳墓では何も起こらなかったが、ゴーレム・バレーがルークスでも有数のレベルアップフィールドであることは魔族側も知っているはずだ。

 ヴェールの森では森の奥に生息する亜竜が浅層に出現するという形で異常が露わになっていた。この地に魔族が手を伸ばしているのならば、何らかのシグナルがあがっていてもおかしくない。


 本来、そういった情報に一番敏感なのは魔物狩りハンターだ。命懸けで魔物を狩る彼らはリスクに酷く敏い。

 それでも俺が魔物狩りから情報を取得せずに教会に向かうという選択をとったのは、この地の教会の統括者がこのゴーレム・バレーという土地で恐らく一、二を争う古株だからである。

 俺が前に来た時点で既に二十年以上この地の統括者をやっていた。誰よりもゴーレム・バレーの風を知る彼女は誰よりも長くこの地の平和を見守ってきた。傭兵や魔物狩りにも顔が効き、あらゆる情報が彼女に集まる。


 教会はファースト・タウンの中心――町長の屋敷の隣にあった。


 ヴェールの村やピュリフの教会と比較すればこじんまりとした建物だが、大きく開け放たれた扉には商人や僧侶、傷を負った魔物狩り達が並んでいる。

 本来、国の所属ではないアズ・グリード神聖教会の建物と領主の屋敷が並んで建てられる事は殆どない。が、この地ではそれが罷り通っているのは、この地で生き延びるのに強固な協力関係が必要だったからだろう。


 行列を無視して裏手に回る。

 鍵もかかっていない裏口の扉を開けると、そこには数年前から変わらない懐かしい光景があった。

 手狭な書斎。乱雑に本が並んだ書棚に、書斎には余り似つかわしくないベッドとソファ。薄汚れた木製の机に、椅子。


 そしてこちらを背に、かがみ込んで書棚から何やら本を抜き出している巨漢。

 扉の開いた音に気づいたのだろう、それがぬっとこちらを振り返る。


 部屋の全てが彼と比べれば酷く小さく見える。いや、事実小さいのだ。

 かがみ込んでさえ、男の頭の位置は書棚よりも上にあった。


 全身に分厚い灰色の法衣を纏った男である。肩幅は俺の倍で身長も一・五倍、基本的に身体が大きい傾向のある傭兵の中にも彼程大きな人間はそうはいないだろう。腕も折りたたんだ状態の足も丸太のように太く、振るわれていなくてもその威力が容易く予想出来る。

 一見僧侶には見えないが、身体相応に巨大な頭に短く刈り込んだ焦げ茶の髪。その耳に下がるイヤリングが彼の位を示している。


 その図体からは想像ができないくらいに穏やかな目が俺を捉える。以前会った時とその顔貌は何ら変わっておらず、まるで歳を取っていないかのように見えた。

 人のサイズを超えた巨漢なのは彼の身に半分巨人族ジャイアントの血が流れているため。初めは驚くだろうが、慣れてしまえばなんということもない。

 俺は、久しぶりに顔を合わせる、温和な気性の友人に早速用件を述べた。


「ウルツ、久しぶりだな。マダムに話があってきた。会わせてくれ」


「アレス……そうか。お前が例の任務の責任者、か」


 そのブラウンの瞳が驚きに見開かれ、力のある声でウルツが呟いた。




 カリーナ・キャップ。


 それが、齢六十を越えて未だ現役のシスターであり、ゴーレム・バレーに存在する全ての教会の統括者である女傑の名前。

 まだゴーレム・バレーに存在する街が一つしかなかった最初期にファースト・タウンの教会に赴任し、それから現在に至るまで神の家とそこを訪れる傭兵達を守り続けた彼女をこの地の人間は敬意を表し、『マダム・カリーナ』、あるいはただの『マダム』と呼ぶ。


 ルークス王国出身の高レベルの傭兵で彼女の世話にならなかった者はいない。いや、ゴーレム・バレーでのレベル上げはルークス王国騎士団のカリキュラムにも組み込まれており、そういう意味で彼女のルークス王国内での影響力は計り知れないだろう。


 俺はルークス王国の出身ではないが、レベル上げの過程でゴーレム・バレーも訪れているので、彼女とも面識があった。マダムもまた癖の強い人物だが、彼女はとても頼りになる。

 さすがに迷惑になるのでステイを預ける事は出来ないが、相談に乗ってもらう事位できるだろう。何よりマダムにはあのクレイオですら頭が上がらないのだ! 積み重ねって凄い。


 久方ぶりにあったマダムは数年前と何ら変わらない格好をしていた。


 巨大な木の安楽椅子に腰を掛け、その身体を俺の方に向けてにやりと笑う。

 シスターには見えない横に広く縦にも広い見た目。その容貌に年相応に刻まれた皺。表情は柔和とはとても呼べず、皺の中に見える大きな瞳はぎらぎらと力強い生命力を表している。シスターと言うよりはどちらかと言うと魔女であるかのようだ。

 その無造作に伸ばされた紫の髪には白髪の一本も混じっておらず、その耳にはその身が俺と同じ司教である証が下がっている。


 何度も教会本部から与えられた本部への栄転の辞令を拒否し、最前線にいる事を選択した偉大なるシスターグレート・マザー

 俺は昔から一種の物の怪ではないかと疑っているが、恐らく当たらずとも遠からずと言った所だろう。


 マダムの居室まで案内してくれたウルツが一度会釈して扉を締める。俺は一度だけそちらに視線を投げかけ、すぐに目の前のシスターに向き直った。

 相手の見た目がまるで変わらないので、過去に戻ったかのように錯覚する。


 俺はさっさとマダムに近づき、一メートル程手前で止まった。懐かしいマダムのまるでこちらを威嚇するように見える目を見下ろす。


「マダム、忙しいところを無理を言って申し訳ない。聖穢卿から連絡がきているとは思うが、例の件に関する話があって来た」


 聖勇者の情報は彼女には伝わっているはずだ。何しろ、ゴーレム・バレーで動く以上、マダムの協力はこの上なく心強いし、マダムから情報が他に漏れることもありえない。多分グレゴリオから情報が漏れるのと同じくらいありえないだろう。質は違えど、どちらも秩序神に忠誠を誓っている。


 マダムは何も言わずに俺の言葉が終わるのを待つと、そこでにやりと唇を歪めて笑った。


「くっくっく、相変わらずのようだね、アレス坊や。挨拶もなしかい。噂は聞いているよ、随分と上手くやったようだ。あの坊やが今では――『神から来たり者エクス・デウス』なんて呼ばれているんだってぇ?」


 嗄れた声が脳を揺さぶる。初対面では意地の悪さのみ感じさせるようなそんな声。

 この声に大抵、皆気圧される。そしてそれこそがマダムがこの地でその地位を保てている理由でもある。


 僅かに微笑みを作る。


「マダムのお陰だ。そして二つ名は俺が自称しているものじゃない」


「くっくっく、随分と口もうまくなったようじゃないかい。あれ以来、ただの一度も顔を見せなかった癖にねぇ」


 世話になったのは間違いない。マダムが口元にその膨れ上がった手の平を当て、含み笑いをする。その内容とは裏腹にその表情に気を悪くした様子はない。

 さっさと本題に入る。とっつきにくいように見えてマダムは聡明だ。俺が自分より遥かに経験を持つ存在を評するのもおこがましい話ではあるが、俺は彼女のことをそれなりに知っていた。

 

「マダム、その件に関しては申し訳ない。……が、また貴女の力を借りたい。」


 言い訳したくなくもないが、俺は別に歓談しに来たわけではない。

 俺の言葉にマダムが肘掛けをその手で叩き、愉快そうに笑った。。


「相変わらず仕事一辺倒かい。くっくっく……よもや最短でここを通り過ぎた坊やがまたこの老いぼれの力を必要とする時が来るとは――随分と神も奇妙な縁をくれる」


 マダムの言葉はまったくその通りだった。この魔物蔓延るご時世、戦人は相当な実力を持っても長くは生きられない。

 特に異端殲滅官の殉職率は高い。マダムは顔を見にも来ないと言ったが、前回ここでレベル上げを終えた際に俺は既にマダムに別れは告げているのだ。

 よもやこうして再び顔を合わせる事になるとは、魔王討伐の任務を受ける前の俺には想像すら出来ない事だっただろう。


「全くだ。だがマダムのお陰で今回俺は楽を出来る」


「ふっ……異端殲滅官様のお役に立てるなら光栄だねぇ」


「そうすれば空いた時間で次に向かう土地のことを考えられる」


「……坊やは本当に相変わらずだねぇ」


 マダムが初めて呆れたように表情を変えた。




§ § §




 多忙のマダムにまた会う約束を取りつけ宿屋に戻ると、俺の部屋には憔悴した様子で肩を落とすアメリアとわたわたと周囲に視線を向けるステイの姿があった。


 軽く室内を見回す。部屋の中は酷い有様だった。

 テーブルはひっくり返り、ベッドはシーツが剥ぎ取られ床にくしゃくしゃに捨てられていた。おまけにベッドには得体の知れない液体で染みができているし、窓にはヒビが入り壁に取り付けられていた間接照明にもヒビが入り、床には粉々に砕けたティーカップとポットらしき残骸にひっくり返ったバケツが――。


 何だこれ。


 アメリアが俺が帰って来たことに気づき、少しだけ顔をあげて微笑んだ。


「……一応聞くが、襲撃があったわけではないな?」


「……ある意味襲撃かもしれません」


 うまいこと言えなんて言った覚えはない。

 ステイが俺の顔を見てぱぁっと目を輝かせる。まるで現状の解決の糸口を見つけたかのように。

 彼女は頭がぱぁになってると思う。


「こ、これは違うんです、アレスさん。お掃除してたんですけど――」


 わかった。何も言わんでいい、何も。

 俺が悪かったのだ。冷静に考えてお茶を運ぶことすら出来ないステイがお掃除なんて出来るわけがない。


 自慢じゃないが、俺の適応力はかなり優れている。

 俺は無言でステイの期待レベルを最低まで下げ、世界で三番目くらい嫌いな物に『ドジっ子』を設定した。


 ステイがまるで弁明するように近づいてこようとしたので、アメリアのやったように叫ぶ。


「ステイ、『待てStay』!」


「はいぃッ!」


 まるで条件反射のようにステイがその場で姿勢を正した。

 表情が引きつっている。よく見てみると水でも被ったのか、ステイは頭の上からつま先までぐっしょりと濡れ、身体の線がはっきり見えていた。一体何をどうすればこんな状態になるのか想像もつかない。


 硬直するステイの隣を通り抜け、ベッドの上に腰を下ろした。


「ステイに『待て』を仕込んだ人間は天才だな」


 少なくともこうして転ぶ回数を一回減らすことはできる。

 果たしてどうやって条件反射の域にまで仕込むことができたのか、俺はただその偉大なる先駆者に敬意を抱いた。もっと他に仕込むものあるだろ。

 ステイが照れたように笑顔で頰を搔く。


「あ……え、えへへ、それほどでも――」


 褒めてない褒めてない。待てとか犬でも出来るわ!

 どうしてこんな状態で笑顔を浮かべられるのか、直立したまま何故か嬉しそうにするステイに人差し指を突きつけて宣言した。


 はっきり口に出してやらなければうっかりその選択をとってしまいそうだった。


「俺は今無性にお前をグレゴリオに預けたい気分だがスピカが可哀想なのでやめておく!」


「あ……ありがとうございます?」


 何を言われたのかわからないのだろう、ステイが首を傾げる。


 だがいい。そんなことはどうでもいい。障害の一つや二つで立ち止まっていたら世界が滅ぶ。

 珍しく落ち込んでいるのか、顔色の良くないアメリアに指示を出す。


「よし、アメリア。お前の部屋でミーティングを行う。俺の部屋は新しく取る。この部屋の弁償代はステイの給料から差し引く。何が起こったのかは聞きたくもないから報告しなくていい。質問は?」


 指示を受けて、アメリアがよろよろと立ち上がる。そこで、ステイが小さく手を上げた。


「あのー……私、給料とか貰ってないんですが……」


「……ありかないかはともかく、凄い納得した。とりあえずどうして濡れているのかは知らないが、お前はまず着替えるのが先だ」


「あ……は、はい。急いで着替えますッ!」


 返事だけはいいステイ。アメリアが次の瞬間、顔色を変えてステイに飛びついてその腕を摑んだ。


 しかし、俺ははっきりと見ていた。こいつ――この場で服を脱ごうとしやがった。


 止められてもまだステイは何で止められたのかわかっていないかのように目を白黒させている。

 なんかもういつもとは別の意味で頭痛い。現実逃避したいが、トップである俺が動揺すればアメリアも動揺する。


 俺は深々とため息をつき、なるべく感情を排した声で命令する事しかできなかった。


「可愛くて忠実なアメリアちゃん、そいつの着替えを手伝ってやれ」


「……わかりました」


 やっぱりマダムに預けられないな、こいつは……迷惑過ぎる。

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