第四レポート:可哀想なグレシャの話

 好き勝手に動く人間を裏から操作しようとするのは今更だが、かなり難しい。


 もともと魔物の討伐や戦争を生業とする傭兵は死にやすいものだ。どれだけレベルを上げようが経験を積もうが、高名な戦士がちょっとした事で戦死したなどという話は枚挙に暇がない。


 ただでさえ死にやすいものだというのに、全体的に危機感が足りていない藤堂たちが今まだ生き残っているというのはかなりの幸運だと言えるだろう。

 事前に先回りし障害を排し、必要な物資を教会を通じて供給し、新たなパーティメンバーを仕立て上げ、弱点が見つかればそれを克服させる場を整える。


 問題は次から次へと面白いように発生するのだが、力づくでなんとかなるものは力づくで、交渉が必要なものは交渉でなんとか収める。

 だが、それでも不確定要素は発生する。最善は尽くしているつもりだが俺は神でもなんでもない。


 俺がこの旅を開始して作成した課題の一覧にはずらーっと問題点が並んでいて、いくつかは斜線が引かれているがまだまだ解決せねばならない事柄は多い。


 そして、今現在最も大きな不確定要素は、ヴェールの森で何故か人化した氷樹小竜グレイシャル・プラント――グレシャと呼ばれる存在だった。

 ステイの存在はステイの存在でかなり厄介な問題だが、グレシャの方は藤堂のパーティに入っている事もあって万が一の時の影響が違う。


 第一の街についてから一夜が明け、ようやくステイの問題が自分の中で落ち着いた所で、俺は早速その問題に取り組む事にした。


 グレシャとの取次を頼んだ所、アメリアがその藍色の眼を瞬かせ首を傾げる。


「処分ですか」


「……しない。それは最後の手段だ。スピカがもし藤堂のパーティに参加していたらそれも一つの手だったんだがな……」


 今グレシャを処分すれば藤堂達が受けるショックは予想も出来ないし、奴には定期連絡に答えるという任務を課している。

 内部からの情報は、どうしてどうやって人化したのかわからないグレシャを奴の側に置くというリスクを考慮しても余りあるメリットだ。スピカがパーティに参加しなかった今、グレシャがパーティから抜ければ、適宜状況を把握する術が完全になくなってしまう。


 早いもので、グレシャを藤堂のパーティに潜り込ませてから既に一月が経過していた。

 何かしらリスクを感じさせる行動をしたらその時点で攫って処分するつもりだったが、この間、グレシャは特に藤堂達に対して何もやっていなかった。


 グレシャのスタンスは一貫している。


 通信をすれば答えは返してくるが、自発的に動いたりしない。命令には従うがそれ以上の行動はしない。

 敵ではないが仲間でもない、そんな微妙なスタンス。考えての行動なのかあるいは何も考えていないのか、それすらもわからない。


 藤堂達にとってみれば無駄に大食いで何の役にも立たないメンバーを一人飼ってるようなもんだが、よく文句を言わないものだ。俺が奴のパーティにいたら間違いなく叩き出していた。


 理由も意図も方法も何もかもがわからないので定期的なコミュニケーションは欠かせない。グレシャが絶対に変な気を起こさないように。

 アメリアには通信魔法という手段があるが、俺は通信魔法を使えないわけで、一度刻み込んだ恐怖も時間が経てば薄まるだろう。


 アメリアがグレシャに対する通信を行っているその間に準備をする。


 法衣の上から茶色の外套を羽織る。メイスは目立つので持っていかない。人化したグレシャの耐久は竜だった頃と比較して大きく落ちている。メイスを使えば殺してしまうだろう。

 その代わりに薄手の手袋をはめた。今のグレシャが相手ならばこの拳で十分だ。 

 もっとも、回復魔法では服は治せないのでぶん殴るなら血が出ないようにするかあるいは服を剥ぎ取ってからやる必要があるが……。


「藤堂に後をつけられたら面倒な事になる。展望台に来るよう伝えてくれ」


 人通りが多い場所を選択する。藤堂が来なかったら場所を変えてもいい。

 暴力は最後の手段にしたい、俺だって心が痛むのだ。任務遂行に私情を挟んだりはしないが。


 その時、側で俺とアメリアを見ていたステイがおずおずと手を上げた。白い肌、漆黒の眼、その下にはくっきりと隈ができている。

 内容は知らないがアメリアと夜通し話し合っていたらしい。それで少しでも行動が改善してくれたらいいんだが……。


「あのー……アレスさん、私は何をすれば……?」


「何もするな。ステイ、お前は宿で待機だ。アメリアと、宿で、待機」


 アメリアと話し合った。本部に連れて行くまでの間にステイをどう扱うべきか。


 交換手の先輩としてそれなりの付き合いがあるアメリアによると、ステイには人を常時一人付けるべきらしい。でなければ、結果的にそれ以上の要員を割かねばならなくなるとか。


 できれば二人がいいらしいが、二人付けたら動ける人間がいなくなってしまう。

 もうドジっ子とかそういうレベルじゃないと思う。


 俺の命令に、ステイが唇を尖らせいじいじと手を組み合わせる。


「……私……一応、求められて仕事しにきたんですけど……」


「ステイ、お前に何が出来る?」


「お掃除にお洗濯にお料理はお任せください」


 それは昨日聞いた。


 彼女は外に出してはならない。ただでさえ露出度の高い格好をしているのだ、場合によっては教会への信仰に影響するだろう、彼女自身のためにもならない。

 そこで、ベストな命令を思いついた。


「よし、ステイ。命令を与えよう」


「は、はい。なんですか……?」


 ごくりと真剣な表情で息を呑むステイ。優れた容貌に真摯な瞳、外面だけ見れば仕事できそうに見える。ああ、アメリアの言うとおりだ。外面だけ見れば凄く仕事が出来そうに見えるとも。

 どうして世の中こう、ままならないのか。目を瞑り、一度ため息をついて命令した。


「お茶をいれてくれ。お前の得意なお料理だ」


「……それだけですか? すぐにできますが?」


「お茶を入れ終わったら次は……洗濯をするんだ。俺の予備の法衣とか、アメリアの服とか自分の服とか洗濯してくれ」


 ちなみに洗濯は、別料金だが宿に依頼すればやってくれる。

 アメリアと俺には洗濯に割く時間がなかったので、今までは宿に頼んでいた。


 ステイがむずむずとくすぐったそうに身体を動かし、縋るような眼で聞いてくる。


「そ……それが終わったら?」


 そんなの決まってる。

 俺は至極真面目な表情を作り、人差し指でステイを差した。


「部屋の掃除だ」


「……」


 不満そうな眼で俺を見てくるステイ。


 お前が言ったんだ。その三つが出来ると。彼女はとても優秀である、何故ならばアメリアも俺もその三つを余り得意としていない。


「ステイ、これは重要な仕事だ。俺にもアメリアにも出来ない、お前にしか出来ない重要な仕事だ」


「? そ、そうなんですか?」


「そうなんだ。俺はお前を……その三つのために呼んだんだ。わかったな?」


 そんなわけあるか。

 言いながら内心自分につっこみをいれるが、その時にはステイの表情からは不満が消えていた。


 真面目な、そして嬉しそうに目を輝かせ、ステイが頭に手をふらふらと当て、決まらない敬礼をした。


「わかりました。謹んでご命令、お受けします」


 こいつまさか今の信じたのか……自分で言っておいてなんだが、割とやばいな。

 目を丸くする俺の前で、ステイは一度笑みを浮かべると、早速お茶を淹れる準備をし始める。


 ……まぁ、いいけど。大人しくしていてくれるなら何でもいいけど。


 果たしてお茶を入れるのが料理と呼べるのかどうなのか、ともかくステイの手つきは随分と慣れていた。

 家事が得意と言ったのは本当なのだろう。もっと他に習得すべきことがあるだろうに。


 その手つきをじっと眺めていると、通信を終えたアメリアが報告してきた。


「アレスさん、グレシャを呼び出したので向かって下さい」


「わかった。……ステイの事を頼む」


「……はい。お気をつけて」


 それはこっちの台詞だ。

 そういいかけたその時、ステイが短い悲鳴をあげた。


「アレスさ……あッ!」


 お盆に乗せたティーセットを持ったステイが何もないのにつんのめる。

 まだ二日目なのにこの光景は二回目だ。

 お盆とティーセットが宙を舞う。翼もないのにティーポットが飛来し、湯気の立ったお茶が俺とアメリアの方に降り掛かってくる。


 俺は何も言わずに、固まっているアメリアの肩に腕を回し、一緒にそれらを避けた。


 陶器のポットとカップが落下し、けたたましい音を立てる。

 ステイが体勢を崩した勢いでくるくると回転すると、その上にびたーんと倒れる。例によって受け身も取れていなかった。


 その光景を見下ろし、蔑みでも怒りでも憐憫でもなく、ただ納得する。


「なるほど……お茶を入れる事はできても運ぶことはできないのか」


「え……あ……ま、まぁ……そういう事ですね。い、いや、割と成功する事もあるんですけど、ね……」


 しどろもどろに弁明のような言葉を出すアメリア。

 これでレベル72……レベル72、かぁ。呪われてるんじゃないだろうな、こいつ。


「掃除とステイの面倒を頼んだ」


「……わかりました」


 腕を離し、アメリアの華奢な背中を労うようにぽんと叩く。

 ステイは前日と同様にしくしく泣いていた。ドジった回数数えて後でクレイオに報告してやろう。






 少しだけ優しくなれる気がしていた。


 人間とは慣れる生き物だ。今の俺はヴェールの森で藤堂をサポートしていた俺とは違う。たった二ヶ月だが俺はあのグレゴリオ・レギンズを乗り切ったのだ。

 結果がベストなわけではなかったが、その経験が、その自信が俺に力を与えてくれる。レベルは上がっていないが、確かに俺は変わっていた。


 展望台の中に足を踏み入れた瞬間、柵に身体を預けるようにして待っていたグレシャが俺の方を向く。

 距離はまだ百メートル以上あるというのに、俺の事をずっと探していたのだろう。その亜竜種特有の高い感覚能力は鈍っちゃいない。

 深緑色の髪に眼。強張った表情に、窄まった瞳孔がその緊張を表している。見た目の年齢こそ低いものの、こうしてその姿だけ見ると人の子供にしか見えない。


 もっとも、視力以外の感覚を動員すれば異常がわかる。その小さな身体に凝縮された力の強さを。だが同時に、どれほど腕利きの魔物狩りだったとしても、そういった情報は知ろうとしない限りわからないものだ。

 現に、展望台には魔物狩り達が何人もいるが誰一人としてその異常に気づいていない。子供がたった一人でこんな所にいるというのがまず異常なので、そちらに視線を向けている者はいるがただそれだけだ。


 恐ろしい人化の精度。俺も過去、一度しか見たことがないレベルである。

 人に対して悪意を持った魔物がこの精度の人化の術を手に入れれば大きな脅威となる事だろう。


 周囲に藤堂達の気配はない。俺はさっさとグレシャの側まで歩いていった。


「待たせたな」


 俺の声に、グレシャがびくんと身体を震わす。その小さな唇が震えるように声を出した。


「待ってない…………です」


 表情から分析する。まだ恐怖は残っている。たかが亜竜、されど亜竜。記憶力は高いらしい。


「そうか。場所を変えるぞ」


「……」


 こくんと頷くグレシャの手を取り、向けられる視線を切って歩く。

 なるべく目立たない場所がいい。藤堂がついてこなかったので宿屋に連れ込んでもいいが、そこまでする事もないだろう。


 言葉が通じるならば言葉で意思疎通を試みる。俺は人間なのだ。


 歩いていると途中で、引くグレシャの手が僅かに固まった。立ち止まり後ろを向くと、グレシャの視線があさっての方を向いている。

 俺が立ち止まったのに気づいたのか、グレシャが蒼白の表情で俺の方に向き直る。


 グレシャが見ていたのは、道端に出ていた串焼きの屋台だった。

 食欲をそそるいい匂いが漂ってくる。


「……なるほど、腹が減ってるのか……」


「い……いや……」


「そう言えば藤堂に食事をせびっているらしいな」


「…………」


 目を見開きぶんぶんと首を横に振るグレシャ。その動作とは逆にグレシャの腹がぎゅるると小さな音を立てている。

 図体は小さくなったのに食欲が落ちないと言うのもおかしな話だが……ふむ。


 確かにグレシャは何もやっていない。大した役に立っているとは言えないが、定期連絡には使っているのは事実。

 俺も甘くなったものだ、グレゴリオやステイと関わってしまったせいで相対的にグレシャの評価が上がってしまったのだろう。


 一度頷き、グレシャに尋ねた。


「いいだろう、働きには報酬がないと、な。何本欲しい?」


「……!?」


 グレシャが目を見開き、驚きの表情で俺を見る。


 そんなに意外だっただろうか、俺は別に鬼じゃないのだ。グレシャを半殺しにしたのだってやむを得ずにやったのであって、理由があればやるし、ないならやらない。

 良くも悪くも、これはビジネスなのだ。


「餌くらいくれてやるさ。さぁ、何本欲しい?」


 俺の問いに、グレシャが口を結び、窺うような視線を向けてくる。

 怒りを買うのが怖いのか。もし怒りを買うのが怖いのならば、俺の最初の交渉は十分なだけの効果を残していると言える。


 だが、怯えられたままでも問題だ。


「さっさと言え、時間がもったいない」


「……百本」


 グレシャが小さな小さな声で言った。


 百本。百本か。

 屋台に並んでいる数だけじゃ足りないしその前に――。


「おいおい、グレシャ。百本も串を刺したらいくらお前でも痛いと思うぞ?」


「!?」


「眼で二本。鼻の穴に二本。耳で二本で両手両足の指で二十本。……案外いけるか? ああ……大丈夫、傷は残らないから安心しろ。俺の神聖術は打てる数だけならば異端殲滅教会アウト・クルセイドの中でもトップだからな」


「ッ……」


 グレシャが今にも泣きそうな表情で俺を見上げる。

 身体が、腕が、足がぷるぷると震えていた。しばらくじっとその眼を覗き込んでいると、ふと異臭を感じた。

 下を見ると、どうやら漏らしたのかグレシャの足元に水たまりが出来ていた。

 人の尿とは異なる臭いである。亜竜種であるせいか、多分老廃物も人のそれとは異なるのだろう。


 それに視線をむける余裕もなく震え続けるグレシャの肩を叩く。


「冗談だ、グレシャ。今のは冗談だ、安心しろ。俺は罰は与えるが、理由なく暴力を振るったりしない。コストの……無駄だからな」


 体力だって使うし、暴力は病みつきになる。俺は僧侶なのでそれを戒めていた。

 興奮しているせいか、グレシャの周りの空気の温度が僅かに低下している。


 涙目で俺を見上げるグレシャにもう一度囁きかけた。


「さぁ、グレシャ。もう一度聞くぞ。何本欲しい?」






「さぁ、食うんだ」


「……はい」


 結局話し合いは対面できる喫茶店で行う事にした。

 俺の言葉に、グレシャがまるで何かに追われるように串焼きに齧りつく。


 今のは命令ではないんだが……それほど切羽詰まって食べても味はわからないのではないだろうか。


 髪を掻き上げ額を手で押さえてその様子を観察する。


 俺の手の中にはまだ九本の串焼きがある。俺は腹が減っていないので、これは全てグレシャの分だ。

 優先順位としては鼻、耳、眼、陰部、その他になるだろう。耳と眼を潰すと音も聞こえず何も見えなくなるのできれば後回しにしたい所だが、それは状況に応じてという形になる。


 グレシャがむしゃぶりつくようにして、あっという間に一本食べ終える。その頰にソースがついていた。

 食べ終えた串を強く握りしめたままグレシャが言う。

 

「……食べました」


「二本目だ」


「!? ……はい」


 空になった串を受け取り、二本目を渡す。グレシャは一瞬絶望したような表情になったがすぐにそれを食べ始めた。

 そうだ、食べろ。これは褒美だ。今までの報酬と、これからすべき仕事の報酬の前払いをしているのだ。


 別に殺意を込めているわけでもないのに、グレシャは手を止める事無く串焼きを食べ続けた。三本、四本、あっという間に全ての串が空になる。


 串は竹製だった。硬くしなやかで安価で数が手に入る。武器の素材として使われる事はほとんどない。


 まだ少し肉片がこびり付いているそれを手の中で弄びながら尋ねる。


「美味かったか?」


「……はい」


 それは……金を出したかいがあったというものだ。


 おどおどとしたグレシャを何も言わずに見下ろす。

 特に叱っているわけでも罰を与えているわけでもないのに、その表情は沈黙している間にみるみる青ざめていった。


 何度か口を開きかけるが、ちょっと睨みつけるとすぐに噤んだ。

 柱にかけてある時計。その針が少しずつ時を刻む。長針が四分の一ほど進むまで待って、俺は口を開いた。

 喫茶店に入った時に頼んだ紅茶からは既に湯気が消えている。


「食後の休憩はこのくらいでいいか?」


 俺の問いに、グレシャが凄い勢いで何度も頷く。ならば話を始めさせてもらおうか。


 竹串の尖端を指で押し、しなりを確かめる。グレシャの視線はまるでそこに何かあるかのように竹串に向けられていた。


「腹いっぱいか?」


「ッ……はい」


「そうか。それは良かった」


 串を逆手に握り、テーブルに叩きつける。

 頑丈な木製のテーブルに音一つなく竹串が半分程刺さった。グレシャが小さく、聞こえないくらいに小さく悲鳴をあげる。


「グレシャ、今のは――報酬だ」


「報……酬」


「そうだ。今までのお前の仕事に対する報酬でもあり、そしてこれからの仕事に対する報酬の前払いでもある」


 グレシャの怯える視線を受けながら、丁寧に説明する。人とは異なる文化で生きてきた亜竜にもわかるように。


 ヴェールの森ではいい。ユーティス大墳墓もまぁしょうがない。グレシャがもし自発的に動いたとしても出来る事はなかっただろう。


 だが、これからはどうなるかわからない。

 藤堂は馬鹿だしまだ弱い。俺のサポートが間に合わない可能性も大いに有り得るし、そういった緊急事態に動けるのはグレシャだけだ。


「今までお前は無報酬で仕事をしていたわけだ。もちろん、命を助けてやったというのは何にも代えられない報酬だとは思うが、それだけじゃ足りない。そうだろ?」


 そうじゃなきゃ、定期連絡で腹減ったなんて送ってくるわけがない。


「い……いや……」


 グレシャが頭をふるふると震わせる。


 他の卓についていた客が何事かとこちらを窺ってきたので、それを一度睨みつけて跳ね除けた。

 俺はビジネスの話をしているのだ。人のビジネスに首をつっこまないで欲しい。


 まるでこの世の終わりを見たかのような表情をしているグレシャに続ける。


「だから俺はこうして報酬を与えた。お前はそれを受け取った。つまり、次の仕事からお前はその報酬に足る成果を出さなくてはいけないという事だ」


「……」


 このままではいけない、と。ずっと思っていた。


 グレシャの立ち位置は正直かなりおいしい立ち位置だ。

 なんだってできる。俺がグレシャの立ち位置にいればなんだってできただろう。だが、現在グレシャは碌な成果を出せていない。


 やっているのはアメリアからの通信に対して返答することだけで、その情報の精度もかなり甘い。 

 別に出来ない事をやれと言っているわけではないし、グレシャに出した指示は情報の提供だけだった。


 だから、許す。指示していないことをやっていないからと言って叱るつもりはない。

 だが、舐めてもらっては困る。自分の立場を理解してもらわねばならない。


 こちらに提供する情報は明確にしてもらわねばならない。

 時には自分から動いて情報を収集してもらわねばならない。

 場合によっては藤堂の代わりに戦闘を行ってもらわねばならないし、万が一の時はその命を賭して藤堂をかばわねばならない。


 だから、その行動に足るだけの報酬を与えた。

 空になった串を一本つまみ、その尖端をグレシャに向ける。グレシャが座ったまま、座ったままで大きく仰け反った。まるで少しでも距離を空けようとするかのように。


「グレシャ、この串を見ろ。この串はお前が前払いで受けた報酬の残りだ。そのままだとただのゴミだが、俺はゴミでも無駄にしない。何に使うかわかるか?」


「……」


 必死に首を横に振るグレシャ。唇を舐め、声をかける。何故か心なし低い声が出た。

 ボディランゲージだけでやっていけると思ってもらっては困るのだ。


「答えろ。何に使うかわかるか?」


「……知りたくない、です」


「駄目だ。お前は知るべきだ、グレシャ」


 竹串を立てる。その尖端を天井に向け、説明する。


「この串は罰だ。グレシャ、お前は既に今後の仕事の報酬を受け取ったが、成果を出せなくても串焼きを返してもらう事はできない。もう食っちまったからな」


 気づいたらグレシャが、その翡翠のような瞳から涙をぽろぽろ流していた。

 悔恨の表情。それを意に介さずに続ける。


「だからこそ、これを罰に使う。こっちはお前の仕事に代価を払っているわけだ。代価を受け取っているのだから、お前には成果に対する責任が生じる。お前が俺の要求を満たせなかったその時俺は――」


 串をくるりと回転させ、その尖端をグレシャの眼に向けた。


「この串をお前に刺す。一本ずつ、な」


「ッ!?」


 グレシャの視線が俺の手元にある十本の串に移動する。

 離れていても、俺の耳にはその心臓の音が聞こえていた。早鐘のようになる鼓動が示す感情は恐怖だ。

 捲し立てるように続ける。


「おい、グレシャ。これは竹だ。竹製の串だ。お前は亜竜だ。人化して皮膚は柔らかくなっているが、その防御力は人の比じゃない。下手すりゃ金属の剣ですら傷を負わないだろう。なぁ、グレシャ。お前はこの串が自分に――刺さると思うか?」


「ッ……」


 グレシャが息を呑み、目を丸くする。俺の言葉の意味を考えているのだろう。


 ヴェールの森でのグレシャとの戦闘を俺はまだ良く覚えている。手加減したとは言え、その耐久は脅威だった。ルシフの結界を除けば、ザルパンよりも上かもしれない。

 元来竜種というのは高い能力を持つ者なのだ。


 考え終えたのか、グレシャの表情が僅かに、本当に気づかないくらいに僅かに緩む。

 つまり、そういう結論が出たのだろう。


「グレシャ、俺はお前にそれを試すことがない事を祈ってるよ。俺はこれでも――人を傷つけるのは苦手なんだ」


「はい」


 グレシャが間髪いれずに頷く。少し恐怖が治まったようだ。現実逃避かもしれないが、まことに結構。


 俺は冷めきってしまった紅茶を一口静かに口に含み、唇を湿らせてから言った。


「さて、グレシャ。罰を受ける場所を選んでもらおうか」


「……え?」


 グレシャが呆けた表情をする。

 そんなグレシャに見えるように、手に持った串で空気を切ってみせた。レベル93の俺の手で振られた竹串はひゅんひゅんといい音を立てる。


「精算だ、グレシャ。俺は今、これまで仕事の分の報酬も支払ったが、お前のこれまでの仕事振りはその報酬に見合うものではなかった。これは精算だ、グレシャ。グレゴリオだったら即刻処分していただろうが、俺はゴミでも有効活用する男だ。お前のようなゴミでも使う男だが……過去は精算せねばならない」


 一端戻りかけた顔色がみるみる恐怖に歪む。そうだ、その表情だ。

 忘れてもらっては困る。お前の仕事に世界の命運がかかっているのだ。全力を尽くしてもらう。

 下らない冗談にしか聞こえないが、冗談じゃないから困る。


 俺は深くため息をつき、グレシャが少しでも安心出来るように笑みを浮かべて言った。


「安心しろ、グレシャ。刺さる。お前は刺さらないと判断したかもしれないが、ちゃんと刺さるぞ。お前はちゃんと過去を精算出来る。そこから先は俺達は――対等だ。俺は二度とお前に罰を与えたりしない事を祈ってるよ。祈るのは得意だからな」

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