Epilogue:超越者の憂鬱

『そうか。よくやったアレス』


 グレゴリオとの戦闘もとい説得から早丸一日。


 事の顛末を聞いたクレイオは、ただ一言そう返してきた。

 酷い戦いだった。

 法衣もぼろぼろだし、武器とインナーとして着ていたチェインメイルは無事だったが酷いものだ。

 事前に戦闘を想定して準備していたから、まだこの程度で済んだが、準備をしていなかったら更に酷い事になっていただろう。


 実は藤堂がグレゴリオの部屋に入るその前から、俺とアメリアは既にその隣の部屋で待機していたのだ。何が起こっても……対応できるように。だから、突入するタイミングも見計らう事ができた。

 藤堂が意識を失うその直前まで部屋に突入しなかったのは、藤堂も少しは……痛い目にあった方がいいと思ったからである。


 アメリアが身支度を終え、リュックサックに買い込んだ物資を詰め込んでいる。次の場所に移動するための準備だ。そちらに視線をちらりと向け、再び会話に注意を向けた。


「正直に言おう、しんどい戦いだった。二度と――同じ教会の仲間同士で争うような事はないようにしたいものだ」


 魔王討伐の旅に出て間違いなく一番大変だった戦闘である。

 接戦でこそなかったが、油断すれば負けていてもおかしくはなかった。グレゴリオがもう少し本気だったらまた少し違った勝負になっていただろう。


 俺の言葉の意図を掴んだのか、クレイオが乾いた声を上げる。


「安心しろ、アレス。君や聖勇者に戦闘を仕掛けようとしてくるような異端殲滅官は――グレゴリオだけだ」


「そんな何人も居てたまるかッ!!」


 思わず叫ぶ。が、考えようによっては今回最悪は乗り越えたのだ。

 ポジティブに考えよう。ポジティブに。


 癖の強い異端殲滅官クルセイダーとはいえ、枢機卿の命令を聞き入れない者は殆どいない。いない、はずだ。だから、最悪は乗り越えたのだ。


『勇者のレベルはどうだ?』


「多少は上がった。目標レベルには未だ達していないが、それ以上にアンデッドに対する苦手を緩和出来たのは大きい」


『克服まではいかなかったか……』


「戦うにはそれほど支障ないはずだ。そもそも、グロテスクが苦手の原因のようだから、上位のアンデッドが相手ならば問題ないだろう」


 ザルパン然り、基本的に上位のアンデッドは人に似た姿を取る。ザルパンが平気だったのであれば、その恐怖の根源が見た目だというのであれば――力の抜ける話だが、上位の魔族相手ならば萎縮する心配はないはずだ。


 藤堂達の傷も完璧に治している。

 気絶から回復したグレゴリオは大人しく俺の指示を聞いた。藤堂達に攻撃した事に対するフォローもさせた。全ての手を打った。

 この地での課題は全て解決したといえるのではないだろうか。


「藤堂次第だが、次はゴーレム・バレーに向かう。本格的にレベル上げをしなくてはそろそろまずい」


 尤も、本当にこの予定はただの俺の希望だ。


 彼らがスピカのレベル上げのためしばらくここに滞在するという選択をするのならば、俺達もそれに応じる事になる。まぁ、どちらにせよ長くて一月といったところだろうか。

 スピカのレベル上げをせずに次に向かうという選択を取ったとするのならば、ゴーレム・バレーで何とかスピカのレベルを上げる方法を考えねばならない。


 僧侶だけレベルの低いパーティというのは非常にバランスが悪い。知性のある闇の眷属は回復の要である僧侶を真っ先に狙う傾向がある。守るにしても限界がある。


 プランは立てていた。もう何年も訪れていないが、ゴーレム・バレーは昔俺がレベル上げに使った地でもある。


 できれば、魔王との戦いが激化する前にアメリアのレベルももう少し上げておきたい所である。ゴーレム・バレーならばそれも出来る。


『わかった。何かあったらまた連絡を』


 その言葉を最後に、クレイオからの通信が切れる。俺は軽く身体を伸ばし、柔軟した。


 ここ数日頭の中を占領していた問題が消えたせいか、気分は悪くない。

 だが、油断はできない。きっとまたすぐに新たな障害が発生することだろう。今のうちにレベルを上げておきたい所である。


 荷物を詰め終えたアメリアがふとこちらを見上げ、尋ねてきた。


「そういえば、グレゴリオさんは……強かったですか?」


「あれは化物だな」


 今回のはただ、相性が良かっただけだ。相性が良かったはずなのに、制圧するのにそれなりの時間がかかってしまった。

 グレゴリオはパンドラの絡繰りがバレた際に全力でかかってきたが、攻撃に注力すれば防御が疎かになる。あれがなかったら更に時間がかかっていたはずだ。


 まぁ、敵ではない。今は――まだ。

 グレゴリオは本気ではなかった。少なくとも、俺を殺す気はなかっただろう。なかったと……信じたいな。


 思い出しただけで気分が悪くなり、眉を潜める。


「二度と戦いたくないな……」


「グレゴリオさんは補助魔法を使えないのでは?」


 アメリアの疑問は正しい。

 グレゴリオは補助魔法を使えないし、俺の使える補助魔法はかなり強力だ。レベルもこちらが高いし、本来ならいくら戦闘技能が高くても拮抗したりはしないだろう。

 だが、奴は俺にないものを持っている。


 肩を竦め、窓から遠く空を見た。


「……ああ。奴は補助魔法を使えないが――加護を持っているんだ」


「加護? ……アズ・グリードの加護ですか?」


 そんなわけ無いだろ。もしそんな事があったら俺は秩序神の信徒をやめるわッ!


「いや……武神だよ」


 藤堂の持つ軍神の加護よりは落ちるが、結界破壊と身体能力の底上げの効果のある加護である。戦いに人生を賭けている者がよく与えられる加護だ。

 身体能力の向上もだが、鬼面騎士の纏っていた結界はもちろん、藤堂の盾や鎧など、高位の魔物や武具には防御結界が張られている事が多い。それらを阻害する能力は闇の眷属と戦う上で極めて有効な効果を持つ。


 俺の言葉に、アメリアの頬が僅かに引きつった。


「……僧侶なのに、武神の加護を持ってるんですか?」


「秩序神の加護よりはマシだろ」


「ま、まぁ……そうですね?」


 釈然としなさそうにアメリアが首を傾げた。

 持っているだけマシだ。もしも何の理由もなしにあれだけ強かったら詐欺だぞ、詐欺。才能なんてもんじゃねえ。


 ふとその時、玄関からノックの音がした。

 俺の滞在する部屋を知っているのはこの村ではスピカとグレゴリオ、後は教会の人間くらいだ。


 鍵を開けると、そこにいたのはスピカだった。すっかり着慣れたらしい法衣の裾を握りしめ、どこか居心地悪そうに佇んでいる。その首には俺が預けたペンダントが下がっていた。

 ある意味、今回の件で一番の被害者は、最初から最後まで情報を与えられずに状況に流され続けた彼女だと言えるだろう。


 といっても、既に終わった話。ここから先は完全に巻き込んでいかなくてはならない。

 まだまだその力は未熟だが、状況を正確に教えてくれるだけグレシャよりも役に立つ。


「どうした、スピカ。何かあったのか?」

 

 声をかけ、部屋に通す。スピカとの連携はアメリアの通信魔法で定期的に取っている。

 呼び出す事はあっても、ほぼ常に藤堂達と共にいるスピカが、彼女の方からわざわざ会いに来るのは初めてだった。


 アメリアの方を見るが、無言で首を横に振っている。

 何も聞いていない、か。


 忙しない動きできょろきょろと視線を動かしているスピカを席に座らせる。

 何の理由もなくやってきたりしないだろう。


「藤堂達に何かあったのか?」


「いえ……」


 スピカが首を振る。大抵の話ならば日に三回行っている通信で事足りるはずだ。


 言い辛い事なのか、スピカが顔を伏せ、沈黙した。何も言わずに話し出すのを待つ。

 スピカがわざわざやってくるような理由は思いつかない。グレゴリオがまた藤堂達に襲いかかったとかではないだろう……多分。


 たっぷり数分待った所で、スピカが大きく深呼吸した。

 顔を上げる。先程まで眼に浮かんでいた躊躇いが綺麗さっぱり消えていた。


「一つお話があってきました」


 思えば、最初の印象と比べてスピカもなかなか変化があったものだ。

 僅か数日で発生するには大きすぎる変化である。俺が気づかなかっただけかもしれないが。


 アメリアも俺と同様に、何も言わずにスピカの言葉に聞き入る。そして、スピカがついにその言葉を言った。


「私、藤堂さんのパーティに入るのやめます」


「……は?」





§





 そして、スピカは深々と……頭が腹に付くほど深々とお辞儀すると、涙の滲んだ眼をこちらに一瞬向け、すぐに部屋から出ていった。


 呆然としているアメリアをちらりと見て、頭を左右に振る。

 精神的な疲労を感じていた。頭が重かった。一度ゆっくり休憩を取ったほうがいいかもしれない。


「……いいんですか?」


 いいわけがない。いいわけがない、が、俺に止める権利はない。

 何よりも無理に引き止めた所で良い結果にはならないだろう。スピカのその眼には確かに覚悟があった。俺が言葉で止めた所で意志を撤回したりはしなかったに違いない。

 彼女はそこまで――強かっただろうか。仮にも十二歳の子供がするような眼ではない。


「いいも悪いもないだろ。スピカが決めた事だ」


「……まぁ、そうですか。しかし短剣は……」


 まだ釈然としなさそうな表情でアメリアが俺に尋ねる。

 俺の副武器だった聖銀の短剣は既に俺の手元にはない。背の低いスピカと対比すると短めのショート・ソードにも見えるその武器は今はスピカの腰に下がっている。


「武器はまた補充する必要があるな。何、それなりに高価な品だが、別に銘のある品でもない。後でいくらでも手に入る。最悪それまでは素手で戦うさ」


 見習い僧侶ではなかなか手に入らないランクの短剣だ。恐らく、スピカの強い助けになるだろう。

 それは仮にも平凡になるはずだった彼女の人生を勝手な理由で変えてしまった贖罪でもある。


「アメリア、辛気臭い顔をするんじゃない。計画を変更するぞ」


「……分かりました」


 もう一度クレイオに連絡しなくては……。


 窓ガラスに反射する強張った自分の表情を見て、俺は再び深いため息をついた。


 超越者などという二つ名を預かっていても、こういう状況になってしまえば僧侶である俺にできる事はただ――祈る事くらいだ。

 栄光あるその未来を。スピカに幸あらん事を。

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