第二十七レポート:神の御意志を証明せよ②
痛みは恐怖を呼び起こすと言われている。しかし、俺はそれを感じた事はない。
何故ならば、俺にとって傷とは――自ら治療できるものでしかなかったからだ。それも、物心ついた頃から。
全身を揺さぶるような衝撃。それを利用し強く踏み込むと、地面のメイスを右手に握り取る。同時に、勢い良く身体を反転させる。
一瞬息が止まる。内蔵が圧迫される感覚。衝撃に耐性のあるミスリルのチェインメイルを着ていても、グレゴリオの打撃は身体の芯まで響く。
だが、それが俺の動きを止める事はない。即座に自らに回復魔法をかける。持続回復を待つ必要などなく、傷も疲労も消える。
一瞬だが、確かに背中を見せた俺を、グレゴリオは追撃しなかった。ただ瞠目して俺を見下ろす。
「流石……
「……」
「消費の激しい回復魔法を連続で行使し表情を崩さない。尽きぬ事ない無限の神力。圧倒的な継戦能力。やはり貴方は――違う」
「お前に認められても嬉しくないな」
立ち上がり、法衣に付着した土を払う。神力にはまだまだ余裕がある。
お前は負ける。負ける理由がある。グレゴリオは先程俺が一位である理由が分かると言ったが、まさしく俺とグレゴリオでは差が、理由があるのだ。
例えレベルにそれほど差がなかったとしても、身体能力に差がなかったとしても――俺とグレゴリオの神力の差は……二倍や三倍などではない。
グレゴリオの顔に疲労はなく、ダメージもない。
だが、それは確実に蓄積している。疲労しない人間などいない。一時的には意志で封じ込めても、決してそれが消え去っているわけではない。
パンドラ片手にグレゴリオが飛びかかってくる。先程よりも遥かに速い速度のそれをさばく。テンションか、意志の力か。
いいだろう。アメリアには藤堂の相手を頼んだ、邪魔が入る心配はない。一日でも二日でも気が済むまで――付き合ってやる。
「神の、御心のままにぃいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃッ!」
グレゴリオが充血した眼で叫ぶ。その様はアンデッドなんかよりも余程恐ろしい。
だが、俺にはわかっていた。既にもう俺に負けはない。
戦法を変える。致命傷になりうる攻撃以外の全てを正面から受ける事にした。
グレゴリオ・レギンズの戦闘能力はその退魔術によるものだ。身体能力は確かに高いが、あくまでそれは補助的な要因に過ぎない。
退魔術さえ効かなければ攻撃力が不足する。
拳を拳で受ける。脚をメイスの柄で受ける。振り下ろされるパンドラをメイスで受ける。
「素晴らしい、信仰が貴方に――力を与えているッ!」
グレゴリオの咆哮に惑わされずに冷静に対応する。
狂信者であってもこの男では馬鹿ではない。グレゴリオもその自分の攻撃力の不足には気づいていたはずだ。それ故の――奇襲。
グレゴリオが俺に勝ち得るのは一番最初の背後からの奇襲の瞬間、それだけだった。最初にそれを使わず、パンドラを弾き飛ばされるタイミングを待ったのは奇襲を成功させるため。
奇襲とは気づかれていないから成り立つのだ。一度失敗すると二度目は警戒され、成功の可能性が著しく低下する。
グレゴリオのミスはたったひとつ。最初に宿の食堂で出会ったその時に、パンドラを使ってしまった事だけだ。
宙を舞うパンドラを叩き落とし、それを踏みつける。抜いた短剣をグレゴリオに投擲する。グレゴリオは半身でそれを回避した。
戦闘を続けながらも思考は回る。力を思考に割く余裕が出来ているのだ。
意図せぬ方向から飛来するパンドラは脅威だ。武器に噛み付いてくる戦法も場合によっては厄介だろう。だが所詮は――それだけだ。致命的ではない。相手が二人いればいいと考えればいいだけだ。
おまけにパンドラの動作は噛み付くか、ぶつかるの二通りのみ。トランクなので仕方ないが、人を二人相手にするより遥かに易い。
そして、もう一つ気づいた事がある。
戦闘中もずっと観察していた。パンドラはグレゴリオの切り札だ、それを暴かずして完全な勝利はない。
わざと攻撃も受けた。弾き飛ばしたし、武器を捨てるという危険を冒してまでパンドラを調べた。
グレゴリオの蹴りを手で受ける。脇腹を狙うパンドラを腕で防御する。
必要なのは――覚悟。覚悟さえしていれば衝撃も耐えられる。そして、俺はグレゴリオに囁きかけた。
「このパンドラ――自立思考で攻撃しているわけじゃないな」
「ッ!」
グレゴリオが俺の言葉に僅かに目を見張った。
苛烈になる挟撃をメイスの柄と頭で受け流す。回転させたメイスの柄に、グレゴリオの反応が一瞬遅れ、顎にかすった。攻撃の代償にパンドラが俺の膝を撃つが無視する。我慢できる出来る程度のダメージだ。
「グレゴリオ、気づいていないのか? お前――パンドラを飛ばすようになってから、弱くなっているぞ」
初めは素手になったから勝手が変わっただけかと思ったが、違う。
パンドラを飛ばしてから、攻撃の捌きが甘くなっているのだ。回復魔法を使えないグレゴリオにとって回避と防御は必須である。同じように回避を主とするアリアのようにまだ未熟なわけでもない。
パンドラが宙で回転し、俺を威嚇するように顎を鳴らす。
何故弱くなったのか。疲労もダメージの影響も見られないのに、何故動作が遅れているのか。
結論から遡れば原理も見えてくる。恐らくこのパンドラ……グレゴリオは先程、まるで自ら動いているかのように『友』と紹介したがこいつは恐らく――。
「お前が操作しているんだな」
「……」
意識の一部がパンドラの操作に割かれている、だから本体の行動がどうしても疎かになっているのだ。戦闘開始時と比べ口数が減っているのも操作に集中しているためだろう。
グレゴリオの表情から笑みが一瞬消え、それ以上の歓喜が浮かぶ。その唇の隙間から並んだ白い歯がちらりと見えた。
一撃一撃の速度がより激しくなる。降りかかる嵐のような殴打、噛み付くように襲ってくるパンドラのその口をメイスで突いた。
重い。速い。全力、これが全力だ。だが全力は長くは持たない。防御に力を割く。
絶対に受けてはならないのは――『噛みつき』だ。挟まれれば腕の一本や二本持っていかれるだろう。急所への攻撃もまずいが、如何に治療出来ても手足が欠損すれば確実に隙ができる。だが、噛みつきは警戒していれば防げる。
グレゴリオの蹴りが腕を撃つ。みしりと音が鳴った。痛みを噛み殺す。
恐ろしい男だ。あらゆる全てを俺を打ち倒す事に、その信仰を示す事に費やしている。
その一撃一撃の重さはまさにその意志の証だ。これで上司からの命令をちゃんと聞いていれば完璧だったろうに。
そして最後に――どうやって操作しているのか。
魔術ではない。如何にグレゴリオでも魔術は門外漢だ。魔道具の力でもなければ、一部の魔族が持つ念動力の類でもない。そんな力を持っているのならば、俺の武器を奪った方が有効なはずだ。
答えは既にわかっていた。バカの一つ覚えのように体当たりを繰り出してくるパンドラをメイスで弾き、至近距離から睨みつける。
俺の武器、『
そしてグレゴリオ自身の言葉、
『貴方にも出来ますよ』
『これが――奇跡です』
狂信者故の妄言ではない。冗談でもない。それはまさしく真実だった。
恐ろしい技だ。素晴らしいアイディアだ。この技はまさしく――俺の力になる。
懲りずに俺の首を噛みつきに来るパンドラをメイスを大きく打ち上げる。同時に術を唱える。
グレゴリオの膝が鳩尾に突き刺さり、意識が一瞬ぐらりと揺れる。疲労が溜まっているとは思えないキレ。
だが、俺はそれを耐えきった。グレゴリオの表情が不審に歪む。
グレゴリオ。戦場で余計な事を言ってはいけない。
天からパンドラが、グレゴリオの信仰が凄まじい勢いで落ちてくる。陽光を遮り、それはまるで天が落ちて来ているかのようだ。
奥底からこみ上げてくるような吐き気を我慢し、ただ笑みを浮かべる。グレゴリオの眼がその狂信を忘れ、一瞬不思議そうに瞬く。
パンドラは俺の頭を目掛けて飛来し――
――衝突する寸前でその軌道をグレゴリオの頭に変更した。
§
「アレスさん、大丈夫ですか?」
「……ああ……」
一度下に降りたのだろう。アメリアが窓からではなく、教会の表の方から駆け寄ってくる。
そして、泥だらけの俺と地面に大の字で寝転がっているグレゴリオを呆れたように見た。
頭から濁った色の血が流れているが、死んではいない、気絶しているだけだ。グレゴリオのレベルならば回復魔法など使わなくてもすぐに気がつくだろう。
その隣には、グレゴリオの気絶の原因であるパンドラが転がっている。グレゴリオが気絶した以上、『友』とやらが動く事はない。
「藤堂達は?」
「無事です。治療して眠らせてあります」
その言葉に、ようやく俺は安堵した。肩の力が抜け、身体がぐらりと揺れる。
アメリアが支えようとしてきたが、その前に自分で立ち直った。傷や疲労はない。だからこれは精神的なものだ。
アメリアが難しい表情で唸る。
「むー……」
しんどい戦いだった。ザルパンよりも余程しんどかった。予想していたとは言え、まさか本当に――殲滅鬼と戦う事になるとは。
共闘するのも嫌なのに相手をする羽目になるとは……ハード過ぎる。
せめて戦う相手は闇の眷属にしておいて欲しいものだ。
「殺したんですか?」
「生きてるよ。自分の武器で頭打って気絶しているだけだ」
「? ……一体何が?」
アメリアが首を傾げる。俺が彼女の立場だったとしても首を傾げていただろう。
無言で腕を伸ばし、トランクの方に向ける。そして、唱えた。
「『
いつもよりも色の薄い光の鎖が手から伸び、トランクの表面に付着する。そのまま手を動かさずに鎖を操作し、大きく鎖を引っ張った。
トランクが光の鎖に引っ張られて勢い良く宙を舞う。
これが――グレゴリオの『パンドラ』の正体。なんてことはない話だった。
『
両手から二本伸ばして両面にくっつければ開閉する事だって出来る。
俺ではまだグレゴリオのようにジグザグに操作したり光の鎖を完全に不可視にしたりは出来ないがそれも――練習次第だろう。
面白い事を考える男である。大道芸じゃねーんだぞ。
よもや殲滅鬼と呼ばれるこの男がこんな下らない……失礼、面白い戦闘技能を編み出すとは誰も思うまい。
「思えば、トランクを飛ばし始めてから確かに蹴りばかり使って来てたし、ただの金属製の留め金は自分で外してた。ヒントはあったんだな」
だが、同時にバレてしまえばそれまでだ。
闇の眷属は『
精密操作はグレゴリオの方が得意だが、出力は神力の高い俺の方が上だ。
だから、俺に引っ張られて制御を奪われるなんて無様な結果になるのである。
しかし同時に、それこそが、その闇の眷属を相手とする事のみを想定したその戦法こそが――グレゴリオが殲滅鬼たるその所以なのかもしれない。
アメリアが興味なさげな様子で俺の言葉に頷くと、再度グレゴリオを見下ろした。
「……今の内にとどめ刺しておきませんか?」
「……ささねーよ」
アメリアの提案はとても魅力的だが、さすがのグレゴリオもこれだけやれば負けを、俺の信仰を認めるだろう。……クレイオにも止められているし。
地に伏すグレゴリオを見下ろす。
そもそも、グレゴリオ自身俺に本気で勝つつもりはなかったように思える。障害物のない平地で基礎能力の高い俺と真正面にぶつかり勝つのは難しい。本気で勝とうと考えるのならば、姿を隠せる屋内で戦っていたはずだ。
だから、恐らく本当にこれは――信仰を確かめるためだけにやったのだ。
天を見やる。いつの間にか太陽は沈み掛け、空は紅に染まっていた。
ため息をつき、大きく背筋を伸ばす。地面に伏せるグレゴリオの腕を掴み、担ぎ上げる。
殲滅鬼などと言う物騒な二つ名を持っていても、その身体は驚くほど軽い。
「帰るぞ。次の作戦を立てる」
「そうですね。次の作戦を――あの……ちょっとは休憩しません?」
「大丈夫だ。疲労は神聖術で消せる」
「……そういう問題じゃ……」
ぶつくさ言い訳のように呟くアメリアを置いて、俺は歩みを進めた。
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