第二十五レポート:災厄から勇者を守護せよ③

 俺の人生はなかなか波乱万丈で他の僧侶プリーストとは異なっている事を自覚しているが、それでもこれまでうまくいかなかった事は殆どなかった。

 何故ならば、俺が担当する仕事ビジネスとはそのような類のものだったから。藤堂のサポートは今まで俺のこなしたどのビジネスとも質が違う。


 だが、既に泣き言を言うつもりはない。

 既にヴェールの森で一度、俺はそれを経験していたからだ。


 扉には巨大な穴が空いていた。状況は理解していた。

 どくんどくんと頭の深奥で熱い何かを感じる。既に補助魔法は可能な限り全て掛けてあった。既に慣れた動作で仮面を被る。


「これは――覚悟だ」


 扉の残骸を踏み砕き、その中に入る。

 メイスは手にない。メイスは既に投擲してしまった。グレゴリオを――止めるために。


「手は打った。俺の出来るうる限りの事、ベストは尽くしたつもりだ。だが、同時に歪な物になってしまった事は否定できない。これは――俺の経験不足によるものだな」


 後悔はない。だが、他にもっと良い方法がなかったのかと言われると疑問が残る。次もう一度同じ状況に出会ったら、もっとうまくやれるに違いない。


 部屋の中は酷い有様だった。棚は壊れ壁に大穴が空き、テーブルも椅子をひっくり返って足が折れている物もある。

 グレゴリオは壁際に立っていた。その足元には小柄な男が伏せている。ピクリとも動かない、黒髪の男。見覚えのある鎧に、大きな盾。そして床に転がっている――聖剣。


 生きている事はわかっていた。生きている間に突入したのだ。



「あ、アレス――さん……?」


 部屋の隅っこで腰を抜かしてたスピカが青褪めた表情で俺の名を呼ぶ。グレシャがスピカのものとは違った、まるで悪魔でも見たかのような表情で後退る。

 リミスとアリアは藤堂のように床に伏していた。意識はないようだ。だが、生きている事はわかる。それはつまり、グレゴリオが手加減したという事だ。


 グレゴリオを睨みつける。背の低いグレゴリオと視線を合わせるとおのずと見下ろす形になる。

 黒の眼に黒髪、大人しい風貌に見えるが、その眼を見てその印象に騙される者はいないだろう。


 俺は落ち着いていた。何故ならば、このシーンを既に予見していたからだ。俺は予見していたからだ。

 歴史は繰り返す。アクシデントはつきものだ。一度ヴェールの森でやらかした以上、二度目も想定して当然。


 グレゴリオのように鋭い勘などなくてもわかる。だが、あえてグレゴリオの言葉を借りるのならばこれは――


「これは――運命と言う奴だ、殲滅鬼マッド・イーター。俺はこの光景を予想していた。俺がいくら隠し通そうとお前がそれを気づく可能性だってあるし、藤堂がバラす可能性だってある。なんたって、自らお前との接点を持とうとする、そんな男だ。そうだろ、グレゴリオ? だから俺は今――非常に落ち着いている」


 腕利きの傭兵でも引くような俺の視線を、凶相を見ても、グレゴリオは飄々としている。藤堂には危機意識が欠如しているが、この男もまた同じ厄介さがある。


 グレゴリオが軽くその傍らのトランクケースを持ち上げ、肩をすくめる動作をする。そして、まるで探偵が謎を解くかのような口調で話し始めた。俺の被った仮面については触れる事なく。


「おかしいとは思っていたのです。『異端殲滅教会アウト・クルセイド』の序列一位、超越者エクスデウスが課されるような試練がこのような地に存在するわけがない、と」


 然り。だが、グレゴリオ、お前なんかに俺の仕事の何が分かるというのか。

 メイスはグレゴリオの横の壁を破壊し、突き刺さっていた。


「常に最悪を考慮するようにしている。藤堂もアリアもリミスも倒れ伏し、お前だけが生き残っている。だが、これは最悪ではない。こうして三人とも……生きているのだからな」


 聖勇者だとか、剣王の息女だとか、魔導王の子女だとかは関係ない。

 グレゴリオと藤堂一行の戦力比は甚大だ。レベル差に経験。百回やって百回敗北する、一対三でも決して覆らない。それだけの戦力差がある。


 やろうと思えば初撃で殺せたはずだ。


 かつてグレシャの動きを止めた時のように、意志を引き絞り叩きつける。

 だが、グレゴリオの表情は変わらない。レベルか経験か。いや、それは恐らく――覚悟。

 グレゴリオも俺が割っている事を予想していたという事なのだろう。俺と異なるのはその覚悟が、『待望』と呼べるもの


「僕が藤堂さんの正体に気づいたのは……アレス、貴方の存在があってこそです。希少な秩序神の加護と、教会最強の異端殲滅官クルセイダー、偶然と呼ぶにはあまりにも出来すぎている。ふふ、アレス……これは勘ではありません。これは――論理的な思考能力によるものです」


 神の加護は特殊な眼でも持っていない限り、見て分かる類のものではない。

 藤堂は相手を見極めてそれを述べるべきだった。グレゴリオの性格をちゃんと理解して話すかどうか決めるべきだった……が、狂った思考を推測出来るわけがない。これを運命と呼ぶか。そう呼ぶべきなのか。


 部屋の構造を一瞬で把握する。割れた床、テーブルや椅子の残骸。メイスの場所、負傷者の状態、グレゴリオの挙動に、スピカとグレシャの位置。そして何よりも――自分のパフォーマンス。


 前髪を掻き上げ、グレゴリオに警告する。

 パフォーマンスは完璧。いつでも――やれる。


「引け、グレゴリオ。これは、これが俺の――試練だ。俺は、お前に言ったはずだ。俺の邪魔をするな、と。そうだな?」


 レベル差がわからないのか。戦力差がわからないのか。いや、この男がわからない訳がない。わかっていてこうして俺の前に立ちふさがる。だからこそ、恐ろしいのだ。

 如何に経験を積もうと、俺とグレゴリオの間では差が存在する。低レベルの戦士を三人一方的に叩きのめすのとは訳が違う。ましてやグレゴリオは――回復魔法が使えないのだ。


 グレゴリオが旧知の友を相手にしているかのように笑う。


「アレス、我が同胞。貴方は今朝、僕に――シスタースピカの安全を要請した。約束は守りました。この通り、シスタースピカには傷一つつけておりません」


 指差され、スピカが震える。


 違うわ! 俺の言いたかった事はそういう事じゃねぇ!


 確かに俺は、藤堂たちが帰る前にグレゴリオの元を訪れ、スピカの安全を要請したがそれは、藤堂パーティに対して余計なアクションを起こさないようにしろという意図であり、断じて今の状況を示唆するものではない。

 スピカ以外戦闘不能にしておいて安全保ったって、言われた事しかできねーのか、てめえは!


 怒鳴りつけたかったが全て飲み込む。冷静さを失ってしまえば相手の思う壺だ。


「グレゴリオ、分かるな。これは俺の試練だ」


「わかります。そして――僕の試練でもある」


 話が……通じない。


 こうなると思っていた。絶対にこうなると思っていた。だから、事情を伝えなかったのだ。

 言う事聞くと見せかけて、グレゴリオは自らの信仰のためならば人の約束を平気で反故する。この男のイエスは決して信じてはならない。


 グレゴリオが天を仰ぐ。その大仰な動作で、まるで託宣でも行うかのように叫ぶ。


「ああ、アレス。これは信仰の競合です。貴方の意志と僕の意志は今――拮抗している。これが何と称すべきものだが、わかりました?」


 知りたくもない。


 グレゴリオが叫ぶ。


「これこそが――神の意志。これこそが――運命。アレス、神はこう仰っておられる。信仰を示せ、さすれば勝利は――与えられん。これは悲劇にして喜劇ッ! アレス・クラウン、我が同胞。僕は今――押しつぶされそうな程の悲哀と歓喜を感じているのですッ!」


 グレゴリオの左目から、左目のみから、涙が零れ落ちる。

 感極まったような声色に、怖気が走る。狂人。狂信者。この男を指し示すのにそれ以上に適切な言葉はない。


 いいか、藤堂。この世界には――話の通じない人間が一定数いるんだ。


 その顔が伏せられ、その双眸が改めて剣呑な色を帯びた。


「アレス。未熟な正義は時に毒となる。無能な味方は時に有能な敵よりも害になりうる。僕達、異端殲滅官は今までそうやって――無数の人間を殺してきた。そうではありませんか?」


「俺はお前と意見を交わし合うつもりは一切……ない。グレゴリオ。これは聖穢卿、クレイオ・エイメンの命令だ」


 クレイオへの連絡も既に取ってある。恐らく、戦闘になるだろう、と。アメリアにも既に指示を出している。

 深く息を吸い、言葉に力を込める。俺の精神は、意志は、既に戦闘体制に入っている。


 そして、俺はクレイオからの命令を自分なりの言葉に置き換えて吐き捨てた。


「失せろ」


「神ならざるただの人間が、同じ人間に命令するなどおこがましいと思いませんか?」


 グレゴリオが安らかな、まるで聖人な表情でトランクを持ち上げ、そう言った。





§






 俺とグレゴリオ・レギンズは同じ異端殲滅官だが、決して実力が同等というわけではない。


 それまでの経験の差、扱える神聖術の差、レベル差。

 体格差、身体能力差、思考の、信仰の差、仲間の差、などなど。


 それら全てを考慮したその結果として、俺は殲滅鬼と戦いたくはなかった。できれば言葉だけで戦闘を回避したかった。だが、俺は基本的に戦闘員でありそれ以外の能力は高くない。


「グレゴリオ、俺のレベルは――93だ」


 床をとんとんとつま先で叩き、足元を確かめる。


 レベル93。そのレベルは人類の中では最高クラスである。一般的な人類最大レベルが100とされている事を考慮すると、そのレベルがどれだけ高いのかが分かるだろう。

 そもそも、魔物を狩ってレベルを上げるといっても存在力の高い魔物を狩るのは難しく、このレベル帯には普通に魔物を狩っているだけでは達する事は難しい。

 ただの傭兵ならば相手が悪いと感じるはずだ。


 だが、グレゴリオは爛々とした眼で俺を見ている。警戒もない。嬉々としているようですらある。


「アレス、僕のレベルは――83です。ふふふ……ちょうど10の差ですね」


 グレゴリオの声から、引くつもりがない事がわかる。


 レベル83。高位も高位。僧侶でその域に達する者が果たして何人いるか。

 だが、予想通りだ。俺の予測の範疇だ。確かに高いが俺よりは低い。


 ……相手したくねぇ。


「グレゴリオ、これが最後の通告だ。大人しく引いてくれ。仲間同士の争いなど――非効率だ」


 万感の思いで放った言葉に、グレゴリオが不思議そうな表情で瞬きをした。


「アレス、貴方は強い。神に祝福されし数多の僧侶プリーストの中でも、貴方に勝利しうるものは数える程度でしょう。中でも闇の眷属を討伐する能力はピカイチだ。故に授かった『超越者エクスデウス』の二つ名。ですがそれは――互いの信仰の競合コンフリクトを解決する理由にはならない」


 グレゴリオが壁に突き刺さった俺のメイスを引き抜く。棘の生えたバトルメイス。グレゴリオは自らのトランクケースを両手で扱う事が多い。二刀流には慣れていないだろう。隙ができるはずだ。

 一方、俺には短剣がある。一時スピカに貸していたが、ユーティス大墳墓、一日目の夜。神聖術の訓練を行った際にスピカから返してもらったものだ。

 暗示の一部だった。普通の僧侶は刃を持つ事を許されない。それは、神聖術の行使の妨げになるから――という名目で取り上げたものだが、まさか再びこの短剣で戦う時が来るとは思わなかった。


 だが、俺の予想とは逆に、グレゴリオは取り上げたメイスをこちらに放ってきた。宙を舞うそれを右手でキャッチする。


「アレス。自らの信仰の正当性を証明したくば、『神の怒りラース・オブ・ゴッド』にて証明するがよろしい」


神の怒りラース・オブ・ゴッド


 それは、俺に与えられた長柄のバトルメイスの名前。俺がつけた名前ではない。気がついたら、周囲からそのような呼称で呼ばれるようになっていたのだ。

 使い慣れた、大仰な名で呼ばれているそれを軽く空中で振る。


 風を切る音は雷鳴の如く。あらゆる災禍を打ち砕かん。


 グレゴリオがその眼差しを足元の藤堂に向ける。その眼の色は控えめに言っても正気の人間のそれではない。


「アレス。僕は貴方を尊敬しているのです。今まだ藤堂さんが生きているのがその証明。もしも貴方の持つ試練を持っていたのが貴方ではなく他の異端殲滅官クルセイダーだったら……既に排除していたでしょう。あまねく全ての民のため、そして――我が神の信仰のためにッ!」


 グレゴリオの持つトランクケースが不自然にかたかたと震える。まるでその感情を示しているかのように。

 そして、酒精に侵されているかのような恍惚とした表情で呟いた。


「神は――常に正しき者に微笑む」


 自らの正しさを、その信仰を確信している声。戦闘は――不可避だ。


「俺は未熟だ。同胞一人すら説得する事ができない。だが、唯一そんな俺にでも分かる事がある」


 グレゴリオ。俺は今まで、お前を恐れても……敗北すると思った事はない。

 お前は、本当に俺に勝てると思っているのか?

 

「勝つのは正しい者ではなく、強い者だ」


「ふふ……異な事を仰る」


 僅かに頬を捻じ曲げ、グレゴリオが笑った。いつも浮かべる微笑みではなく、人に絶望を感じさせる悪魔のような凶悪な笑みだ。


「力あってこその正義。勝利こそが神の御心。力なき正義とは毒。弱者すら救えぬ正義に意味など――」


 グレゴリオの姿が消える。いや、感覚を強化した俺にはその動きが辛うじて見えた。

 独特の足運び。レベルの高さ故の速度と、洗練された技。足に弾き飛ばされ木片が舞う。死角から振りかぶられたトランクにメイスを合わせる。


「――ないッ!」


「ッ!!」


 音と衝撃に火花が散った。

 メイスを握った手が、ザルパンの攻撃を受け止めた時すらなんともなかった手が痺れる。

 本来ならば補助魔法なくして達成できる力ではない。


 だが、受け止める事は出来た。両手で握ったトランクケース。


 息が熱い。まるで食い破らんとばかりに見開かれたグレゴリオの瞳孔が、感覚の強化により緩やかに流れる景色の中はっきりと映る。

 グレゴリオの眼の中の俺もまた、グレゴリオと同じような表情をしていた。


「ッ――お前、やっぱり僧侶プリーストなんかよりも傭兵をやったほうが儲かるぞッ!」


「あはははははははははははははははははははッ!!!」


 体勢が良かった。トランクを弾き飛ばす。小柄なグレゴリオもまた宙を舞う。

 それを追った。神聖術の分、俺の方が強い。俺は――グレゴリオの異常な力の正体を知っている。だから、その力に対する恐怖もなければ見くびりもない。


 家具の残骸を踏み砕き、接敵する。禁忌の箱パンドラズ・コフィンは確かに頑丈だが、分類的には武器ではない。リーチはこちらが――上。


 これで負けたらそれこそ神の御心という他ないだろう。


 斜め右上からメイスを叩きつける。グレゴリオが箱で受ける。構わない、何度も何度も殴りつける。

 床は木だ。グレゴリオが耐えられても、真上から叩きつければ床は耐えきれない。床が割れ、グレゴリオの足が亀裂に食われる。

 その瞬間、横薙ぎにメイスを振り払った。


 俺はグレゴリオの動きが見えるが、グレゴリオの方も俺の動きが見えているのだろう。メイスと箱が衝突し、鈍い金属音が鼓膜を揺らす。衝撃で床が割れ、グレゴリオの身体が吹き飛ばされる。


 ――窓を割って、外へ。地上に向かって落ちていく。


 よし――追い出した。グレゴリオのその意図がなかったとしても、戦闘に巻き込んでしまえば藤堂の命などない。

 端っこでがたがた震えていたスピカがすがりつくような声を出す。


「あ……れす……さん?」


「スピカ、大人しくしていろ。俺が全ての――片を付ける」


 スピカが、すっかりぼろぼろになった部屋を見渡す。そして、俺を見上げて聞いた。


「え……あ……こ、殺しちゃうん、ですか?」


「……非常に残念な話だが、クレイオから殺しの許可は出なかった」


 これは仕事ビジネスだ。俺はグレゴリオとは違う。

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