第二十四レポート:災厄から勇者を守護せよ②
グレゴリオ・レギンズという男が異端殲滅官となったのはもう二十五年も前の事だ。
異端殲滅官となる前のグレゴリオは中流家庭に生まれた、それなりの信仰を持つ少年だった。
生まれ育ったその街が一体の
まだ魔王が世界にその名を轟かせる前の話。
魔族の脅威は知れ渡っていたが状況は人側に有利であり、故に街の防御もそれほど堅固なものでもなくそして――教会に派遣されていた
「僕の故郷は既に地図には存在していません。軍事的な要所でもなく、経済的に価値のある土地でもない。街の全てが崩壊し、その住人の殆どが死に絶えてしまった以上、復興する価値すらもなかったのです」
街に襲来した
悪魔はまず街に侵入すると、唯一抵抗しうる力を持つ
「本当に短時間だったらしいです。僅か一晩で僕の故郷は瓦礫の山となりました。友も家族も何もかもが死に絶えた。街を一つ滅ぼした
内容とは裏腹に、グレゴリオの口調は平静だ。
ただ、動きを拘束され黙る事しか出来ない藤堂達に説法するかのように言い聞かせる。
「僕が助かったのはただの偶然です。ちょうど――家にあったのですよ。当時の僕が……ちょうどぎりぎり入るくらいの大きさのトランクケースが」
街の異変に早くに気づいた両親が、グレゴリオを守るためにトランクケースに隠し、留め金をかけた。
そして、結果的にそれは功を奏した。今だから分かる。例えその時、家族と共に逃げ出した所で確実に悪魔はグレゴリオ達を殺していただろう。
それほど頑丈でもないトランクに詰め込まれ、グレゴリオだけが生き延びる事になった。
死と絶望、悲鳴と恐怖、暗闇の中で過ごした一夜をグレゴリオが忘れた事はない。
極めて鋭敏な知覚能力を持つ悪魔を、街の尽くを滅ぼし尽くした悪魔をただのトランクケースに入っただけでやり過ごせた事が奇跡ではなく何と呼ぼうか。
「僕が奇跡を信じるようになったのは、アズ・グリードの忠実な徒になったのは、神聖術を行使出来るようになったのは――その日からです。神は奇跡を、僕に神命を与えた。僕はその奇跡に報いるため、この世界に存在するあらゆる神の敵を、全ての神の敵を、殺し尽くす事を誓った。僕が
優しげな声色がとてつもなく不気味だった。その声に熱はないが、その眼には身を焦がすような黒い炎が燃えている。
気が遠くなるかのような威圧感。全身を押しつぶすような重圧。
言っている内容の全てが藤堂に理解出来ているわけではない。
しかし、その声に、藤堂はもちろん、アリアもリミスもスピカもまるで催眠術にでも掛けられたかのように聞き入っていた。
ふと、藤堂は、喉がからからに乾いているのに気づく。
グレゴリオが神経質そうにその頭をがりがりと掻く。隙間から垣間見える眼光は尋常なものではない。
「藤堂さん、僕はその当時の事を決して後悔していないし、哀れんで欲しいわけでもない。故郷が滅んだのは必定であり、我が神が愚かだった僕にその運命を知らしめるためにはやむを得なかった事だと考えています。しかし――同時に、IFを考えてしまう事もある。もしも当時――もしも当時、僕の故郷の教会を取りまとめていた神父が、その悪魔を討ち滅ぼせるくらいに強かったら、とね」
それこそがグレゴリオ・レギンズの
信仰と経緯。
悲劇により与えられた神聖術はそれ故に
他者を害する事しか出来ない神聖術は悲嘆すべき事に、今現在、魔王に劣勢を強いられる時勢に非常にあっている。
その歪さ故に根の深い信仰。それは一種の時代の生んだ英雄と呼べるかもしれない。
グレゴリオが椅子から立ち上がり、藤堂の方に顔を近づける。
至近から見えるその眼、その奈落に藤堂の額に冷や汗が滑り落ちた。
「奇跡は決して無限ではない。浅い信仰は神に対する冒涜であり、深い悲劇を生む。ああ、我が友。
「――」
声が出ない。怖い。男が至近にいる事に対する忌避感よりも遥かに強い得体のしれない者に対する恐怖。
どれだけ身体を動かそうとしても動かないという感覚は一種悪夢を見ているかのようだ。
その腕が伸びる。あまりにも自然な動きで、その華奢な手の平が藤堂の首元に掛かる。
藤堂が気がついたのは喉元を抑えられていた後だった。恐らく、身体動いた所で触れられるまで気づかなかっただろう。
「
空気が撓む。それは殺気だった。藤堂達が感じた事のない質の――殺気。
淀んだ空気に呼吸が阻害される。それを向けられた本人だけでない。側にいるアリアとリミスの瞳孔が緊張と、そして恐怖で窄む。声を出せていたら、悲鳴を上げていただろう。
憎悪と怨嗟のみ向けてくる
理解できないものであっても明確な意志で向けられたそれに、藤堂は初めて人間に対して強烈な恐怖を抱いた。
指に力がはいる。その瞬間、今まで置物のように黙って座っていたグレシャが眼を瞬かせ、問いかけた。
「その悪魔は……どうなった?」
グレゴリオの技は大きなレベルの差、この世界に対して行使出来る権限の差を利用した『肉体の束縛』である。
強力な力ではあるが、力の行使には極めて高い集中力が必要とされる上にその能力はレベル30まで上げる事で抵抗を得られる事で知られていた。それは傭兵がレベル30まで率先して上げる必要のある理由であり、最低でもレベル30ないと高位の魔族からは逃れられない理由でもある。
藤堂達には通じても、亜竜種であり元々の討伐適性レベルが60であるグレシャには通じない。
予期せぬ横槍に、グレゴリオの手の力が緩む。集中が乱され能力の束縛が緩む。
藤堂の拘束が解け、椅子から床に倒れ込んだ。
先程までは一切動けなかった身体が嘘であるかのように動く。げほげほと激しく咳き込む藤堂に一度視線を向け、グレゴリオが静謐な微笑を浮かべた。目の前で開かれたトランクケースを指し示す。
「ああ……ご心配なく。既にその悪魔は滅びました。御覧ください、『
「げほっ、げほっ……ッ――ば、かな――」
嗚咽のように咳き込み、藤堂の脳裏にあらゆる感情が渦巻く。
グレゴリオの眼が激しく動き、感極まるように頭を押さえる。
「そして……ふふふッ……はははははっ……これを見る度に、『
咆哮と同時に、残りの三人の拘束が消える。いきなり戻った身体の力に体勢が崩れる。
グレゴリオがテーブルをひっくり返し、まだ床に伏す藤堂の顔面目掛けて蹴りを飛ばす。とっさに取り出した盾につまさきがめり込んだ。
「これは――神命だッ! 神は――聖勇者に試練を与えたッ!」
盾を出せたのはほぼ奇跡に近かった。藤堂の盾は持ち歩くのが不便なくらいに巨大だが、異空間に収納できる魔導具を持っている藤堂にとってそのデメリットはほぼ消せる。
凄まじい膂力が盾を伝わる。床に伏している状態で踏ん張れるはずもなく、藤堂が盾ごと壁に叩きつけられる。骨が、内蔵が軋み、頭を打った事で視界がぐらつく。
「ガーネットっ!」
第一に反応したのはリミスだった。とっさのその叫びに、肩にいたガーネットが跳ねるようにグレゴリオの方に飛びかかる。その小さな身がリミスの戦意に反応し、膨大な熱を纏う。
空気が歪むような熱量に眉一つ動かす事なく、グレゴリオはタイミングを見計らい、その小さな蜥蜴を慣れた動作でトランクケースの中に閉じ込めた。
そのままぱちんとトランクに留め金を掛ける。そのあまりに呆気ない所作に、リミスは一瞬目を疑い、しかしすぐに命令を発した。
ガーネットは炎の神性の中でも上位の精霊。岩だろうが鉄だろうが一瞬で蒸発させられる。
「燃やしつくしなさいッ!!」
声が空気を伝播する。ガーネットはリミスに忠実だ。
だがしかし、命令は確かに届いたはずなのに、トランクに変化はない。
「ッ……!?」
「はははっははははっはあはははははははっ、無駄、無駄です。この『
軽々と振るわれたトランクがリミスを打ち付ける。耐久力のない、鎧も着ていないリミスが衝撃に宙に浮き、受け身も取れずに床に崩れ落ちる。
死んだように伏せるリミスに一度視線を向けすぐに背けると、蹲る藤堂にグレゴリオが近づく。
ようやく事態を把握したアリアが床から飛び起き、起き上がり様に抜剣する。
逆袈裟に襲い掛かってくる刃に、グレゴリオが軽い動作でトランクを振り下ろした。
刃が弾き飛ばされ、がら空きになった胴に蹴りが入れられる。まだ甲冑を着ていたのが功を奏した。鎧がなければ確実に骨が折れていただろう。その長身が容易く吹き飛び、棚に衝突する。砕けた食器が床に伏す身体に降りかかり騒々しい音を立てる。意識はあるが、ダメージでとっさに起き上がれない。
「はははははははははっはあっ! 脆い……脆すぎるッ!! ……これが、
アリアとリミスの行動が稼いだ時間は決して無駄ではない。
脳を揺らされた影響で藤堂に生じていた強烈な目眩がやや治まる。しかし、その時には既にグレゴリオが目の前に来ていた。
軋む身体、苦痛を噛み締め、盾を構える。グレゴリオが容赦なくその盾をトランクで殴りつけた。
ウォーキング・ボーンの、ヒュージ・スケルトンの斬撃を受けてもびくともしなかった盾が軋む。防がれているのも構わずに、グレゴリオが連打する。
藤堂と殆ど変わらない身長のグレゴリオから下される打撃は重く嵐のような激しさがあった。
衝撃に盾を握っていた手が痺れる。藤堂の盾――『輝きの盾』は、聖剣や聖鎧程の至高の品ではないが、ルークス王国では最高クラスの品だ。加工しやすく頑丈な『ブルーメタル』から作られ、数々の魔法による
しかし、その盾もそれ以上の金属で作られた稀有なトランクケースには劣る。
今まで一月使い続け、傷一つ付かなかった盾の表面はグレゴリオの攻撃にあっという間に傷だらけになっていった。
「さぁさぁさぁッ!
「ッ――」
叫びながら殴りつけているにも関わらず、その殴打の勢いは衰える気配がない。
藤堂は必死で堪えた。聖剣を抜きたいが、その嵐のような打撃に剣を抜く暇すらない。両手で盾を構えなければ瞬く間に弾き飛ばされるだろう。
その時、アリアが痛みをこらえ立ち上がり、その背後からグレゴリオに斬りかかる。
隙だらけに見えた背中。それに刃が達する寸前、グレゴリオは大きく身体を回転させた。トランクが横薙ぎにアリアの胴体を打ち付ける。刃が空振り、アリアが軽々と吹き飛ぶ。
「アリアッ!!」
だが、一瞬の隙は出来た。藤堂が聖剣を抜く。とっさの動作だったが、既に何度も行った動作だ。
抜き放たれた聖剣が窓から差し込む陽光の中、青白く神秘的に輝く。
その輝きにグレゴリオの動きが刹那の瞬間、止まる。藤堂は全ての力を込めて、目の前の男に聖剣エクスを振り下ろした。
その様は気合十分にして、しかし明確な隙があった。しかしグレゴリオは避ける事なく、反撃する事もなく、その斬撃をトランクで防御する。
金属同士のぶつかり合う音。
手に返ってきた感触。予想外のその感触に、藤堂の口から呆然とした声があがる。
「えっ……?」
発生した思考の空隙。グレゴリオのトランクが刃を弾き、がら空きになった半身に叩きつけられる。
骨の折れる、肉の潰れる嫌な音。
身を折る藤堂に、グレゴリオが呆れたように言った。
「……まさか藤堂さん、貴方……斬れない物と出会った事がないのですか?」
「……ぁっ……」
呼吸ができない。藤堂の口から細い風のような音が溢れる。それは一種の悲鳴のようにも聞こえる。
聖剣エクスは至高の斬れ味を持つ。ヴェールの森の魔物の中には鋼鉄などに引けを劣らない強力な骨を持つ魔獣もいたし、ユーティス大墳墓のアンデッドには甲冑や剣を使う敵もいたが、それらに対して藤堂が抵抗を感じた事はない。
金属をすら抵抗なく切り裂ける神の鍛えた剣。
衝撃と痛み、混乱で藤堂の視界が暗くなる。必死に気を保とうとしても、まるでその意志をあざ笑うかのように、感覚の全てが薄らぎ、深い沼の中に落ちていく。
完全に意識が消えるその直前、爆発のような音が聞こえた。
そして、グレゴリオが漏らした愉悦の篭った声も。
「『
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