第二十三レポート:災厄から勇者を守護せよ

「素晴らしい。それもまた神の思し召しでしょう」


 地獄のような三日間の行軍を終え、教会を訪れた藤堂達を、グレゴリオは何時も通り落ち着いた笑みで迎えた。

 藤堂達の挙動には疲れが滲んでいたが、その表情は明るいものだ。


「千体倒しました。これがその証明です」


 藤堂の言葉を受け、リミスがぱんぱんに詰まった袋をひっくり返そうとする。

 それを、グレゴリオがやんわりと制止した。


「ああ、見せなくて構いません」


「え……? なんでよ?」


「リミスさん。見なかったとしても、僕には貴方がたがちゃんと僕の要求を守っている事がわかるのです。神の試練に証拠など……必要ありません」


 眼を何度も瞬かせるリミス。グレゴリオの視線がリミスからその後ろに立っているスピカの方に向けられる。


 事実、藤堂達本人は気づかなかったが、三日の強行軍でそのパーティの纏う雰囲気は大きく変化していた。一度宿に戻り休憩は取っていたが、汚れや疲労は落ちてもその経験が落ちることはない。


 椅子を薦められ、藤堂達がそれに腰を下ろす。グレゴリオが立ち上がり、お茶を入れてその前に置いた。

 準備を終えると、沈黙したままその言葉を待つ藤堂達に告げる。


「実は重要なのは……討伐する数ではないのです」


「……それはどういう事ですか?」


 藤堂の疑問に、グレゴリオは一度頷き、にっこりと笑った。


退魔術エクソシズムの習得、そしてそれを使いこなすのに必要なのは知識でも技でもなく……闇の眷属を相手にして抱く強い感情。今回、僕が藤堂さん達に与えた課題はそれを培うために必要なものです。今の藤堂さん達には……身に覚えがあるはずですが」


 グレゴリオの言葉に、藤堂の脳裏にこの三日間の出来事が蘇る。


 地下墳墓に満ちる瘴気と冷たく昏い臭い。無尽蔵に湧くアンデッドに対して最初に感じたのは身も心も凍りつくような強烈な恐怖だった。

 取り乱したし、自分の命を、仲間の命を守るためにがむしゃらに戦った。疲労し、挫けかけた。スピカが神聖術を得た際は手放しで喜んだし、その希望は藤堂に力を与えた。

 前半に感じた恐怖、それはいつしか戦意に上書きされた。


 三日前の自分と比較した時、藤堂は自分が確かに成長したと胸を張って断言出来る。


 アリアもリミスも、そしてスピカも。思う所があるのか、神妙な表情をしている。


「闇の眷属との戦いは人の心を浮き彫りにする。悪魔と戦い続けるには肉体的な能力や経験以上に強い精神が必要とされる。それを失くしたその時、人は魔に敗北するのです。我が友、僕の課題は――容易く達成出来る人と、どうあがいても達成出来ない人がいるのですよ」


「……」


退魔術エクソシズムはただの手段です。闇の眷属と戦う意志なくしてその術に意味はないしそして――その意志があれば自ずと手段は与えられる」


 グレゴリオの言葉に、スピカが自らの手の平を見下ろす。

 導く灯リーディング・トーチ光の矢ブレイクアロー。たった二つだが、それは確かに三日前までのスピカが持っていなかったものだ。


 そんなスピカに、グレゴリオが言った。


「シスタースピカ、貴女は特に恵まれている。貴女が教えを受けた師は僧侶プリーストとしては……教会の中でも五指に入るでしょう」


「教会で……五指?」


「しかし、あくまでそれは彼の力であって、貴女の力ではない。シスタースピカ、今後貴女がどうなるのかは……貴女次第です。そして――それで何を成し遂げるのかも」


 この短期間で、簡単なものとはいえ、神聖術を二つ使えるようになったのはかなりの成長だ。だが、それはスピカ自身の力であると同時に、所詮助けを借りて手に入れた力でもある。


 グレゴリオのその言葉に、スピカが小さく頷く。その幼気な容貌に浮かんでいたのは、鬼気迫ると言ってもいいくらいに真剣な表情だった。

 スピカが震える声で尋ねる。


「私は……どうしたらいいですか?」


 曖昧な、迷いの混じったその言葉に、しかしグレゴリオは嫌な表情一つせずに答える。


「シスタースピカ。貴女が何を考えているのか僕にはわかりませんが、少なくとも貴女は今回一つの壁を乗り越えた。その事を忘れない事です。それを忘れない限り、この先存在する全ての艱難辛苦はシスタースピカの信仰をより精錬する事でしょう」


 その言葉に聞き入るスピカ。

 グレゴリオの視線が、今度は平等に全員に向けられる。向けられたその漆黒の瞳には力があった。


「我が友、アズ・グリードがその信徒を裏切る事はない。故に、僕達が正しき意志を持つ限り、正しき意志にて神の神の敵と相対する限り、敗北はありえない」


「それは……相手が例え魔王だったとしても?」


 グレゴリオの強い言葉。それに対して藤堂の口から出されたその問いに、アリアとリミスが目を見開き、藤堂を見る。

 真剣な眼差しを向けてくる藤堂にグレゴリオが頷いた。


「その通りです。藤堂さん。例え相手が魔族の王だったとしても、恐るるに足りません」


 その声には、疑念の一片も混じっていない。

 そのあまりにも気負いのない言葉に、藤堂は呆気にとられた。魔族に劣勢を強いられているこの時勢で果たして何人いるか。事実、藤堂は召喚された際にルークス王国の国王や国の重鎮達、国を守る騎士団のメンバーや僧侶と顔をあわせているが、その表情は良いとは言えなかった。


 だが、今目の前にいるグレゴリオの表情はそれとは全く違う。


 その瞬間、藤堂の脳裏に、数日前にグレゴリオが行使してみせた無数の『光の矢』を思い出した。まだ藤堂の持っていないあまりにも強力な『力』。


 舌を一度強く噛み、押し殺すような声を出す。

 そんなことを言っても仕方がない事はわかっていた。だが、理性ではない、感情によって藤堂の言葉は止まらない。


「僕は……強くならなくちゃならない」


「そうですか」


 藤堂は男が苦手だ。

 日常生活には支障はないが、側に長時間置く事など考えられないくらいに苦手だ。それを理由にパーティから追い出すくらいに。最初のパーティの仲間の条件として女性である事を出したくらいに。


 藤堂が顔を上げる。顔色は青白かったが、その目は強い意志でしっかりとグレゴリオを睨みつけていた。


 気づいたら、声が勝手に出ていた。

 大きな声ではない。食って掛かるような勢いがあるわけでもない。静かな、しかし妄執にも似た執念を感じさせる声。


「グレゴリオさん。僕には……アズ・グリードの加護があります。僕に……退魔術エクソシズムを教えていただけませんか?」


 それは、人を引きつける声だった。聖勇者としてのカリスマが垣間見える声だった。

 その感情は多くの人の心を動かす類のものだった。偏屈な修行僧だろうと、技の伝承に好意的ではない頑固な剣豪だろうと。


 だが、それを受けたグレゴリオは違っていた。

 空気が変わる。グレゴリオがその言葉に初めて笑みを消し、藤堂の方にしっかりと視線を向ける。 


「アズ・グリードの加護?」


 疑念の滲んだ声。グレゴリオが眉を顰める。顎に手を当て、じろじろと藤堂の顔を見る。


 人は皆、大なり小なり秩序神の祝福を受けているが、明示的にそのように言う場合はまた違ってくる。


 アズ・グリードの加護とは破魔の力だ。神聖術の取得を容易にする他、その攻撃に聖なる属性を付与する事でよく知られているが反面、最高神の一柱とされるその神の加護を持つ者は極めて希少であり、僧侶プリーストの中にも殆どいない。


 様子が変わったのを感じ、リミスがグレゴリオと藤堂の方を交互に見やる。当然、イエスと返ってくるとばかり思っていたアリアが瞬きをしてグレゴリオの方を観察する。


 刹那の瞬間、グレゴリオの瞳孔が一瞬広がり、ぎらりとその眼が剣呑に輝いた。

 得体の知れない寒気に、アリアが身体を震わせる。


 アズ・グリードの加護。本来ならば、その神の信徒たる僧侶ならば、歓迎するはずの言葉に対する反応ではない。

 吸い込まれるような眼の輝き。グレゴリオが小さくため息をつき、右手で髪を掻き上げる。


「ああ……なるほど。この僕としたことが……ここまで気づかないとは……」


「――ッ!?」


 がりがりと乱暴にその髪を掻く。その間も、その眼は藤堂に向けられたままだ。


 その時、藤堂は気づいた。表情が僅かに変わる。


 身体が動かなかった。声も出ない。まるで周りの空気が固まったかのように。指一本動かせない。必死で身体を見下そうとするが、頭を動かせない。

 痛みはない。しかし、動かない。表情を僅かに変える。視線を僅かに変える。瞬きする。その程度の動作しかできなかった。身体が脳の命令に従う事を放棄してしまったかのようだ。

 藤堂が視線の方向を必死で変え、リミスやアリアの方を見る。リミス、アリア、スピカの表情もまた、藤堂と同様に強張っていた。


 緊張やプレッシャーなどというものではない。レイスに『嘆きの叫びバッド・スクリーム』を受けた際に身体が硬直したが、それとも異なる。

 異常な状況に、得体の知れない恐怖が湧いてくる。


 一方で、グレゴリオの表情は再び元に戻っていた。

 穏やかな表情で、誰も静止する中、ただ一人悠然と紅茶のカップを手に取り、優雅な動作で一口含む。


「レベル30未満……藤堂さん、どうやら我が友――僕と出会うのが随分早かったようですね」


 混乱の極みにある藤堂を置いて、グレゴリオが部屋の隅に向かう。そこに置いてあったトランクを取ると、再び席に戻ってそれをテーブルの真ん中に置いた。

 乱暴な動作に、紅茶のカップが一瞬浮き、中の雫がテーブルに零れ落ちる。


「動けないでしょう。指一本動かせないでしょう、声一つ動かせないでしょう。初めてですか? それは……藤堂さん、強いていうのならば、貴方の弱さの証ですよ」


 黒い革張りのトランクケース。その留め金を外す。

 何を言っているのかわからなかったが、尋常な様子でない事はわかった。だが、文句を言う事も抵抗する事もできない。


魔術マジック・スペルでも神聖術ホーリー・プレイでもありません。これは――存在レベルの差ですよ。藤堂さん、貴方よりもレベルの高い僕の方がこの世界で出来る事が多い」


 グレゴリオがトランクを開く。トランクの蓋に弾き飛ばされたカップがテーブルの下に落ち音を立てて割れた。

 以前一度だけ見た白銀色の内張り。トランクの縁はくすんだ色に汚れており、どこか不気味な印象を抱かせる。


「とても、数奇な運命です。ですが、僕は神の下僕としてこのような運命を授けてくれた事をただ感謝しましょう」


「――」


 辛うじて呼吸は出来る。目の前の少年の表情には怒りも悲しみもない。いつも通りの張り付いたような微笑み。

 しかし、そこで藤堂は気づいた。唯一――その瞳の中に渦巻く濁った光に。


 まるで頭から冷水でも掛けられたかのように、藤堂の混乱が収束する。冷静さが戻って来る。

 だが、身体の動かない藤堂に出来る事は眼の前のグレゴリオを睨みつける事だけだ。


 リミスが必死に立ち上がろうとする。だが、強張っているわけでもないのに身体が全く動かない。

 そちらの方にちらりと視線を向け、グレゴリオが再び前を向く。


「教会や仲間の異端殲滅官クルセイダーは僕のこのトランクを『禁忌の箱パンドラズ・コフィン』と呼びます。我が友、僧侶プリーストの武器はその信仰そのもの。僕が異端殲滅官クルセイダーとして、闇の眷属を討つ僧侶プリーストとして我が神に信仰を捧げた、このトランクは僕のその根源ルーツでありそして、あらゆる全ての罪過を封じるための箱でもある」


 トランクの縁を、グレゴリオがゆっくりとなぞる。箱の縁にこびり付いている汚れは取れる気配がない。

 優しげな手つきでトランクを撫でながらグレゴリオが唇を開いた。


聖勇者ホーリー・ブレイブ


 その唇から飛び出した単語に、藤堂の、アリアの、リミスの眼の色が変わる。身体は動かせなかったので、ただそれだけの変化だったが、グレゴリオは僅かな変化も見逃さない。

 いや、その時点で、その声には確信の色があった。


「闇を討つ者。世界を平定するもの。異界の知識を携え多くの神霊の加護を受けし者。噂は聞いていたのです。ルークスが聖女ティルトのちからを借り受け、その奇跡を賜ったと。秩序神の加護を持つ者が現れた、と」


 異端殲滅官にはその職務上情報が集まる。勇者の情報は秘匿情報だったが、如何なる機密も長時間隠し通す事はできない。

 その言葉に、アリアの表情が緊張に強張る。グレゴリオの様子が、その視線が決して味方に対して向ける者ではないと気づいたためだ。


「まぁ正直、如何に奇跡の賜物とはいえ、あまり興味はありませんでしたが……それが神の導きであるのならば、是非はない。藤堂さん――」


 そして、グレゴリオが嗤った。


「貴方の価値を計りましょう。貴方の罪を濯ぎましょう。我が神の名に置いて」

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