第二十二レポート:アンデッドの討伐をサポートせよ②



 骨を断つ感触も、肉を切り裂く感触も、極めて高い斬れ味を誇る聖剣エクスを振るう手には殆ど残らない。


 袈裟懸けに切り裂かれ、悲鳴一つなくウォーキング・ボーンが崩れ去る。左前方から掴みかかってきたリビングデッドを左手の盾で受け止める。

 腐臭に似た強烈な臭いが鼻を焼くが、それももう慣れていた。事前の覚悟さえすれば耐えられる程度のものだ。


 指先の震えは止まり、恐怖は既に外に出ていない。心の内にはまだしこりのように残っているが、それがもたらす影響は殆どないに等しくなっていた。

 身体にはかつてヴェールの森で戦っていた際とほぼ変わらない力が漲り、墳墓を探索して一日目の自分が如何に精神的に不安定だったのかがよく分かった。


「ナオッ!」


 リミスの鋭い声。それとほぼ同時に、思考が思い切り揺さぶられた。


 衝撃に動きが一瞬停止する。心臓がどくんと強く打つ。

 絶叫。それは世界が崩壊しそうなくらいに激しい絶叫だった。混濁しそうになった意識を、とっさに舌を噛んで耐える。

 痛みと引き換えに、藤堂の思考にかかりかけた靄があっさりと晴れた。


 荒く呼吸をする。冷たい空気が肺を満たし、思考がよりクリアになる。


 その絶叫の主、アリアが相手をしていた悪霊レイスがその半透明の身体を両断され、恨みがましげな表情でこの世界から消え失せる。


 短く呼吸をし、盾にしがみついていたリビングデッドを素早く突き放し切り捨てるすると、藤堂は深く息を吐き出した。


「大丈夫でしたか、ナオ殿」


「あ……うん……」


 藤堂よりも至近から『嘆きの叫びバッド・スクリーム』を浴び、大分顔色の悪いアリアが駆け寄ってくる。


 顔色こそ平時のものではないが、気絶はしなかった。初めて足を踏み入れた際は遠距離から意識を刈り取られた、その技を受けてもちゃんと意識を保っている。まだ完全に克服しているわけではないが、その事実が藤堂とアリアの成長を示していた。


 戦闘中は杖を構え、戦況を俯瞰していたリミスを振り向く。リミスが『叫び』の瞬間に警戒を促してくれなかったら危なかったかも知れない。


「リミス……助かったよ」


「毎回、死ぬ寸前に悲鳴を上げてくるのも厄介よね」


 藤堂やアリアと異なり、悲鳴を聞いても眉一つ動かさなくなったリミスが呆れたようにため息をつく。

 慣れたのは藤堂やアリアだけではない。元々アンデッドを苦手としていなかったリミスやスピカについては既に叫びは完全に意味をなしていなかった。


退魔術エクソシズムか高火力の魔術で一気に倒せば悲鳴をあげる事なく倒せるはずです」


「いちいち悪霊レイス相手に高火力の魔術なんて使ってらんないわよ。すっごく疲れるんだから!」


「まぁ、今も耐えられたわけだし……もっと慣れたらリミスみたいに完全に効かなくなるんじゃないかな」


 藤堂の言葉に、リミスが軽く肩を竦め、周囲に視線を投げかけた。

 暗闇に石造りの壁。最初は精神を摩耗させた圧迫感と冷たい空気にも既に身体は適応仕切っている。


「……そうね。まぁ、そこまで慣れるまでここにいるかどうかは話が別だけど」


 既に出された課題の期日が来ていた。丸三日なのでまだ数時間、時間はあるが、翌日の同じ時間帯には既にピュリフに戻っているだろう。

 アリアが剣を鞘に収め、闇の先を睨みつけながら呟く。


「レベル上げの効率が悪いからな……ここは」


「貴女はアンデッドと戦いたくないだけでしょ」


「効率が悪いのも本当だ」


 言い合うリミスとアリアを、藤堂が止めた。

 険悪な雰囲気ではない。旅をする前から顔見知りの二人にとって、それはじゃれているようなものなのだ。だが、かといって止めないわけにもいかない。


「まぁ、ここで慣れなくてもまた別の場所で戦う機会はあるでしょ」


「……そうですね」


 スピカが、今倒したばかりのアンデッドの魔結晶を拾い、魔結晶を入れた袋を持ち歩いているリミスに手渡す。


「これで……八百九十二個、ね」


「後百八個……ですか」


 初めは途方もない目標数だと思ってみたが、やってみれば案外出来るものだ。

 感慨に浸る藤堂に、リミスが提案した。


「そろそろスピカも戦闘に参加した方がいいんじゃないかしら?」


「あー……そうだね」


 リミスと藤堂、アリアの視線を一身に受け、スピカが緊張に肩を強張らせた。

 この三日間、成長したのは藤堂やアリアだけではない。二日目に突如神聖術を使えるようになったスピカも、『導く灯』だけでない、新たな力を得ている。


 スピカが無言で祈りを捧げる。宙に小さな光が浮かび、それがゆっくりと細長く変形する。


 光が成すのは一本の矢だ。たった一本、光の強さも決して強いとはいえない。


 だが、それは間違いない退魔術の一つだった。

 退魔術の初歩中の初歩。僧侶の持つ最も基本的な攻撃スキル。


 『闇を祓う光の矢ブレイク・アロー』。


 完成した矢が、間髪入れずに射出される。

 藤堂が何気ない動作で盾をずらし、それを受け止めた。


「ご、ごめんなさ……まだ、矢を空中に保てなくて……」


「いや、大丈夫だよ。……でも確かに……次の場所に行くとスピカのレベルは上げづらくなるのか……」


 グレゴリオから与えられた課題があまりにも困難なものだったので失念していたが、そもそも退魔術を教えて貰おうと思ったのはスピカのレベルを上げるためだったのだ。

 アリアが大仰に頷いてみせる。


「とりあえず次の事は置いておいて、一度スピカの退魔術の威力は確認しておいた方がよいかと」


 アリアの言葉に、リミスが二日前までの無様な有様を思い出し、茶化すように言った。


「威力を確認って事は、足止めしなきゃいけないのよ? ちゃんと時間稼ぎ出来るんでしょうね?」


「無論だ。スピカ、足止めは私に任せて安心して撃つといい」


 胸を叩き、自信満々に宣言するアリア。

 その姿はとても最初にあれだけ怖がっていた者の姿には見えないが、スピカのイメージする騎士の姿に合致しており、とても頼もしく感じられた。





§




 アメリアが背を壁に預け、目をつぶったままこつこつとブーツの踵で床を叩いている。

 懐から懐中時計を取り出し、時間を確かめる。そろそろ三日目も終わりに向かっている事を示していた。


 アメリアが目を開けると、何を考えているのかわからない表情で俺に言った。


「暇ですね」


「その言い方はどうかと思うが」


 藤堂の調整は最終段階に入っている。一応、その位置の把握こそしているものの、今藤堂達は自分の手で墳墓を散策しており、俺達のやることは当初と比較すると随分と減っていた。

 状況がうまく回れば回る程俺達の手は空く。つまり、これまでが大変過ぎただけなのだ。


 藤堂とアリアはそれなりにアンデッドを克服し、スピカは未熟ながらいくつかの神聖術を使えるように、討伐目標数ももうすぐ達成出来る。暇は歓迎だ。


 アメリアが何を考えているのかわからない視線を俺に向ける。


「しりとりでもしますか?」


「……しねーよ」


 本当に何を考えてるんだか……。

 なんでいくら時間があるからと言え、アンデッドの徘徊する墳墓で意味もなく二人でしりとりしなくちゃならねーんだよ。TPOをわきまえて欲しい。


 ……本気じゃないよな、おい?


 アメリアは俺の答えに少しだけ悲しそうな表情をした。


「残念です」


 遠くから聞こえる断続した戦闘の音に悲鳴が混じっていない事を確認し、アメリアの容貌をじろじろと観察する。

 いくら暇だからってしりとりって……別に物理的な被害があるわけではないけど、精神がじわじわと蝕まれているような気がする。


 ちょうどその時、藤堂達と、他のアンデッドよりもやや大きな気配が遭遇した。これ幸いとアメリアの言葉を無視し、目を軽く瞑る。


「大物が出てきたな」


「『巨躯の骨人ヒュージ・スケルトン』ですね」


 大物といっても、藤堂達のパーティからすれば十分倒せる相手だ。レベルだけで考えると適性よりもやや上だが装備もいいし、ヒュージ・スケルトンは強力な特殊能力を持つわけでもない。

 力はそれなりに強いが、その動きはさして機敏でもなく盾を持つ藤堂ならば十分受け止められる。


 手助けはしない。元々、地下二階辺りから出現する魔物だが、階段の間に結界があるわけもないので、一階に上がってくる事もある種である。イレギュラーと呼べる程のイレギュラーではない。実際に魔物を誘導する上で俺も何度か出会っている。


 数分後、そちらの方を探っていたアメリアが感嘆のため息をつく。


「……倒しましたね。少し戸惑ったみたいですが、割りとあっさりと」


聖勇者ホーリー・ブレイブだからな」


 骨が崩れ落ちる音。本来、苦戦するような相手ではないのだ。

 そして、ヒュージ・スケルトンが問題なく倒せればこの階層で負ける事はまずない。


 既に目標数の達成も近い。俺達のフォローがなくても後一、二時間で達成出来るだろう。アンデッドに対する苦手意識は完全には消え去っていないようだが、大きく戦闘に影響を及ぼすものではない。


 既に状況は十分だ。後は仕上げだけである。


「先行して村に戻る。グレゴリオともう一度念を押して、会話をしてくる」


「私はここに残って藤堂さんに何かないか見てますね」


「……頼んだ」


 頼もうとした事を先に言われる。癖で頭を押さえる俺に、アメリアが極僅かに唇の端を持ち上げて見せた。






 当初はどうなるのかと思ったアンデッド克服も終盤に近づき、解決の兆しを見せている。

 スピカも神聖術を覚え、藤堂達に対する誘導も格段にやりやすくなった。

 藤堂達も見習いとは言え、僧侶プリーストを仲間に入れる事ができた。



 万事がうまくいっていた。いっていたはずだった。


 だが、忘れてはならない。未来とは不確定であり、藤堂の行動は当事者ではない俺には完全にコントロール出来るものではないという事を。


 そして――その行動の責任を藤堂本人が負える程、聖勇者ホーリー・ブレイブの名は軽くはないという事を。



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