守護者

「聖水じゃ足りない。三十点だな」


 藤堂の張った結界はお世辞にも強固とは言えない。瘴気の満ちる地下墳墓では更にその強度は落ちる。

 俺がその部屋に足を踏み入れた時には既に藤堂の結界は壊れかけていた。恐らく、朝まで持たないだろう。足りない場合、持続時間を想定して余裕を持って定期的に結界を張り直す必要がある。

 俺の張った結界が残っているので壊れたとしても問題はないが、そういう事もあるのだと後からスピカに伝えて貰う事にする。

 元々、神聖術について詳しい教育を受けていない藤堂では知らなくても仕方のない事だが、この辺りは一度経験し、強烈に記憶に焼き付ければ忘れる事はない。危機感は持っておくに越した事はないのだ。


 アメリアから呼ばれ、馬車の幌からスピカが這い出てくる。

 余程眠いのだろう、目を擦りながら出て来たスピカは頼りなく、その歩みも覚束ない。

 無言でスピカに状態異常回復神法リカバリーを掛ける。申し訳ないがこちらは一刻を争うのだ。


 突然消えた眠気に眼をぱちぱちさせるスピカと入れ替わるように、アメリアが馬車の方に手の平を向ける。何事か呟くと、薄っすらとした靄が馬車全体を囲んだ。


 今まで見たこともない魔法だが、それが以前リミスとグレシャを眠らせた『眠りの魔法』という奴なのだろう。


「万が一にも起こすなよ。特に……藤堂はその手の魔法に耐性を持っているはずだ」


「はい」


 スピカが駆け寄ってくる。直接戦闘に関わっていないとはいえ、強行軍はレベル10の身ではかなりきつかったのだろう。途中で起こしたせいか、その表情には明らかな疲労が残っている。

 それでも、スピカには疲れている表情こそあれ、嫌そうな表情はしていない。これならもう一働きしても大丈夫だろう。肉体疲労は神聖術である程度消せるのだ。


「アメリア、ここで藤堂たちが起きないように監視を頼む」


「了解しました」


「……後、アリアのレベルアップの儀式をしておいてくれ。藤堂の神力を節約させたい」


「わかりました。やっておきます」


 明日は今日以上に強行軍になる。余計な事をさせている場合ではない。

 アメリアが頷くのを確認し、部屋の出口に向かう。スピカは戸惑うにようあちこちを見回していたが、手招きするとわたわたしながらついてきた。


「疲労は大丈夫か?」


「は、はい。大丈夫……です」


 気丈な言葉だが、半分くらい嘘だろう。

 歳不相応だが、孤児を出自とする者にはこういう過剰な気遣いをする者が少なくない。


「出来るだけ早く終わらせる。疲れているだろうが、明日以降のためだ。少し付き合ってくれ」


「……いえ、そんな……こちらこそ……ありがとうございます」


 最低一つ。この三日で最低一つ、いや、今日を除けば二日だが、この二日で神聖術を覚えさせなくてはならない。


 一日目は藤堂パーティの現状を把握させた。今日まで神聖術を使えるようにならなかったのは想定の範囲内だ。

 魔術も神聖術も、奇跡は最初の一つを覚えるのが最も時間がかかる。ゼロをイチにするのはイチをニにするのとは訳が違う。


 ユーティス地下墳墓には用途不明の部屋が無数に存在する。スピカを案内したのはそんな部屋の一室だった。

 入った直後にスピカのその表情が強張る。その視線は部屋の中央、石のテーブルの上に直立した巨大な骸骨に向けられていた。

 体長はウォーキング・ボーンのほぼ倍。大きさだけならば、鬼面騎士の像と変わらないそれは、ウォーキング・ボーンとは異なり明らかに人間の骨のサイズではない。


 ウォーキング・ボーンより強い瘴気から生み出される不死種アンデッド骨人スケルトンの一種であるそれを『巨躯の骨人ヒュージ・スケルトン』と呼ぶ。

 ウォーキング・ボーンの数倍の強さを持つが、今それは、足元から茨のように伸びる光を全身に受け、動くこともできずにただ握り拳程の大きさの眼窩がこちらを見下ろしていた。


 適性討伐レベルは30程度。このユーティス大墳墓でも、地下二階から少しずつ出現し始め、地下三階からは雑魚としてゴロゴロ徘徊しているその程度のアンデッドだ。それほど強い魔物ではないが、スピカは見るの初めてだろう。


 目を凝らし、怪物を見上げるスピカ。

 何も言わずに、拘束されたヒュージ・スケルトンに寄りかかるような形で、石のテーブルに腰を下ろす。


 冷えた空気の中、少し緑がかった灰色の眼がヒュージ・スケルトンから俺に向けられた。


 ヒュージ・スケルトンが身を捩る。その頑強な骨を模した身体が光とぶつかり紫電の弾ける音に似た音が響く。その身体を束縛している『光の茨ホーリー・ソーン』は『聖者の鎖ホーリー・バインド』の強化版のスキル。ヒュージ・スケルトン程度に破られる心配はない。


 その音に微かに身体を震わせるスピカに、努めて平静な口調で宣言した。

 既にアメリアの方から通信で用件は伝えてあったが、もう一度はっきりと。


「スピカ、お前に神聖術を覚えてもらう。今夜の内に一つは……使えるようになるだろう」


「ッ……はい!」


 先程までとは異なる、気合の入った声。

 昼間何も出来ないまま藤堂達の後ろにいたのが余程堪えたのだろう。厳密に言うと、情報の伝達には役に立っていたが、それを自分の功績だと考える程スピカはまだ大人ではない。純粋無垢とも呼べるかもしれない。


 神聖術に必要なのは感情である。それも、基本的に強い感情であればある程いい。


 それは例えば……憤怒、慈愛、悲哀、勇気、あるいは義務感や確信、信仰心などでも構わないが、スピカが神聖術を未だ使えないのは、神力がまだあまりないのもあるが、それが足りなかったからだ。

 上位の僧侶プリーストはそれを得るために長く厳しい修行や奉仕を行う。悲劇的な境遇を持ち、そのトラウマから由来する強烈な感情により、強力な神聖術を操る者もいる。

 だが、スピカはそのどちらにも当たらない。


 付き合いは浅いが、スピカがやや内向的な面がある事はわかっている。この手の気質の人間は強い劣等感を抱きやすい。ましてや、彼女の周りにいるのはそれほど大きく年齢の変わらないリミスやアリアであり、出自が出自でもある。

 通常、後ろ向きの感情で神聖術は目覚めない。スピカが強気な人間だったらそれに発奮され、引っ張られる形で神聖術を使えるようになる可能性もあったが、この性格ではその可能性も高くない。


 だから俺は、スピカが神聖術を修めるための走りとして、『錯覚』を利用するつもりだった。

 元々、人間は生まれたての状態だったとしても、最下級の神聖術を使えるくらいの神力をその身に有している。スピカもその例に漏れない。


 真剣なスピカの眼差しを覗き込むように質問する。


「スピカ、俺が与えた教典は読んだか?」


「はい。一通りは……」


 教典とは即ち、アズ・グリードの教えであり、秩序神の徒がどうあるべきか説いているものでもある。大多数の僧侶プリーストはそれを信仰の源として修行を行い、奇跡を授かるのだ。

 逸話や教えなどの書き込まれた正式なそれは全十三部にもわかれており、その全てを読み込むのには相応の時間がかかるが、スピカに与えた教典は入門であり重要な部分だけピックアップされたものである。


 スピカの表情に不自然な点は見られない。それほど時間はなかったはずだが、一通り読んだというのは嘘じゃないのだろう。

 それを確認し、口を開く。


「知っての通り、アズ・グリードは秩序を司る神だ。俺達、僧侶プリーストはその教えに従いこの世界の秩序を保つ事を、引いてはその平和の礎となる事をその宿命とする。病や怪我の治癒、力の足りない人間の補助、そして災禍の顕現である闇の眷属の討滅もまたその役割によるものだ」


 強い光の茨に照らされたスピカの表情はとても真剣だ。スピカを選んだ理由が理由だけに、一番最初は不安だったが、案外アメリアの引きも悪くないのかもしれない。顔だけで選んだとか言ってたけどなー。


 光の茨に手を差し込んで見せる。スピカの灰の眼が僅かに輝く。

 成人男性の膂力を遥かに越える力を持ったヒュージ・スケルトン。その動きを完全に束縛する光の茨も神の徒である俺には何ら影響を及ぼさない。


「故に、僧侶プリーストはすべからくその為の奇跡を授かる。例外は――ない。スピカ、グレゴリオの野郎はお前に何を見せた?」


「え……えっと」


 スピカが必死に説明を始める。


 立ち昇る無数の光の柱。天を貫く光の弾丸。神聖術と一口に言っても、その威力はその神力や練度に影響する。スピカの言葉は殲滅鬼グレゴリオの持つ類まれな退魔の力を示していた。


 奴が藤堂達の眼の前でやって見せたのは一種の極地である。本来の『闇を祓う光の矢ブレイク・アロー』は光の矢を放つだけの神聖術だ。

 柱のように発生させる事も難しければ、それをまとめて一つの矢にする事は更に難しい。それを成すためには出力の強さではなく、非常に緻密な操作が必要とされる。暴れまわっているように見えて、長年の経験に裏打ちされたグレゴリオの退魔術の精度は異端殲滅官でも屈指だ。


 厄介なものを見せてくれた。神聖術の威光を見せるには打ってつけだが、手本が過ぎる。


 少し悩み、一度深呼吸する。そこまで緻密な操作は、レベルだけならグレゴリオよりも高い俺でも難しい。


 石の台から降り、スピカを少しヒュージ・スケルトンから離させる。二メートル程距離を置き、俺自身もその隣に立つと、右手の指をぱちんとならし、唱えた。


「『闇を祓う光の矢ブレイク・アロー』」


「あっ……!!」


 俺の目の前、三十センチ程の空間に小さな光の球が浮かぶ。

 スピカが目を丸くするその前で、光はみるみる内に大きく拡張し、一メートル程の大きさになった所で捻れるように変形した。

 光の球が形作ったのは矢だ。いや、それはもはや矢というよりも、光の槍のようだった。

 本来込める以上に込めた神力はその光に質量を与え、煌々と輝くそれが呆けたように口を開くスピカの表情をはっきりと照らす。


 印象だけならばグレゴリオのやったそれに勝るとも劣らないが、技術的な面で言うのならばグレゴリオの技よりも遥かに下だ。

 だが、それでいい。一度、グレゴリオの与えた幻影を吹き飛ばさなければいけない。


 そして、光の槍が無言で出した合図に従い射出された。

 槍は刹那の瞬間でヒュージ・スケルトンに達し、その体幹を貫くと、まるで爆発でもしたかのように強烈な光を辺りに撒き散らす。


 スピカが反射的に腕で目元を隠し、そして光は一瞬で消えた。

 音はまったくなかった。光が消え、暗闇が戻る。まだ目を押さえているスピカに淡々と説明する。


僧侶プリーストはその信仰に応じた奇跡を得る。グレゴリオはその存在全てを賭けて闇の眷属を討ち滅ぼす事を誓った。奴の類まれな退魔術はその覚悟の顕現だ。一般的な僧侶プリーストに出来る事ではない」


 賛辞の言葉。気質こそ認められないが、その能力だけは疑いようもない。

 奴の誓いは奴から退魔術以外の術を奪い、強力な戦闘手段を与えている。スピカはもちろん、俺も含めて殆どの僧侶が真似出来ない事だし、真似をしても意味はない。


 テーブルの上には先程まで確かに存在していたヒュージ・スケルトンも、それを拘束していた光の茨も残っていなかった。


 ようやくスピカが腕を下げ、目元を露わにする。


 一瞬あけて、乾いた音が暗闇に反響する。ヒュージ・スケルトンの魔結晶が床を打つ音だった。


 その眼を愕然と見開き、言葉もなく空っぽのテーブルに視線を向けるスピカ。その視線を切って進み、改めてテーブルの上に腰を下ろす。


「ここまで強力なものではないが、スピカ。お前には既に神聖術を扱える地盤がある」


「え……ほ、本当ですか?」


「本当だ。だが、実際にやってみて使えなかった、そうだな?」


 訓練が足りなかった。信心が足りなかった。そもそも、スピカが僧侶となることを決めたのはここ数日だ。

 スピカが萎縮したように、ただでさえ小さな身体をより縮める。しかし、その視線だけはしっかりと俺の眼に合っていた。


 暗示だ。これは一種の暗示のようなものだ。スピカが本当にそんな事を思っていたのか、俺はそれを知らない。

 だが、やってもらわねばならないのだ。全ては――魔王討伐のために。決定権は既に与えた。


「秩序神に対する信仰もある。教典も読んだ。朝夕の祈祷もしている。藤堂の――闇の眷属と戦う覚悟もあるし、パーティの役に立ちたいという思いもある」


「は……はい……あります」


 改めて言葉に出すことにより、スピカの心にそれを強く印象づけさせる。感情を、信仰をそちらに向ける。闇の眷属と戦う事。パーティに僧侶として参加する事。今までただピュリフで一人の孤児として生活していた日常から――魔王討伐という非日常に。


 言葉に強い説得力を持たせる。言葉で威圧する。それもまた、レベルが上がって出来るようになる事の一つだ。


 そして、俺は一度唇を舐め湿らせると、忘我の表情で言葉に聞き入っているスピカに問いかけた。


「スピカ、ならば――お前に足りないものが何なのかわかるか?」




§




「……え? なんで?」


 思わず口から出た言葉。藤堂はまじまじとスピカの顔を見た。

 少し隈の残る双眸。灰色の髪に眼。小柄な身体に法衣。昨日と何ら変わった様子はなかったが、その表情は昨日よりも明るい。


 リミスもアリアもまた、藤堂と同じ気持ちなのだろう、夢でも見ているかのような表情でスピカの様子を見ている。

 スピカのレベルは前日とは変わらず、その姿形にも変化がない。ただ、その前に小さな光が浮かんでいた。


 そう、光だ。直系数センチ程の大きさの光の球。

 室内の瘴気を浄化するかのような清浄な光が確かに、周囲の闇を祓っていた。


「? 昨日は使えなかったはずでは?」


 アリアが戸惑いの表情を浮かべ、宙に浮かぶ光球を凝視する。


 それは小さく光も弱かったが、確かに神聖術ホーリー・プレイと呼ばれる術だった。光が明滅し、音もなく消える。

 スピカがまるで言い訳でもするかのように呟いた。


「昨日の夜……練習したので……」


「す……すごいじゃないッ! スピカッ!」


 リミスが喜色満面でスピカの手をにぎる。その言葉に、ようやく藤堂とアリアにも実感がわいた。

 そのリミスの勢いに押され気味になりながらも、スピカが嬉しそうに微笑を浮かべる。


「昨日は使えなかったはずなのに……どうしたの?」


「誰にでも出来るような……一番簡単な退魔術エクソシズムですけど……」


「それでも凄いよ!」


 藤堂が目を輝かせ、手放しに賞賛する。


 アンデッド討伐に対する不安、朝から漂っていたどんよりとした暗い空気はいつの間にか残っていなかった。

 スピカの使ってみせた小さな光はアンデッドを倒せる程強くなかったが、それは間違いなく希望の光だった。例え最下級だったとしても、神聖術を使える僧侶がいるのといないのとでは精神的な安心感が違う。


 身体は重い。体力はゲームのように一晩寝ただけでは回復せず、アリアもリミスの一挙一足もどこか緩慢だ。

 だが、その声は明るかった。まるで辺りに満ちる闇を吹き飛ばすように、藤堂が力強く宣言する。


「よし、今日も頑張ろうッ!」


「はい! 頑張りましょう!」


 首から掛けた十字のネックレスを人差し指で無意識にいじりながら、スピカも珍しく大きな声で応えた。


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