第二十レポート:アンデッドの倒し方③

 歯を食いしばり、強く鼓動する心臓の音。その音をはっきりと感じつつ、藤堂が震える手で剣を振るう。

 その動作はぎくしゃくしており、いつものポテンシャルを十全に発揮しているとは言えない状態だったが、ウォーキング・ボーンはその刃を受け止めきれない。悲鳴の一つも上げずに塵になったアンデッドを確認し、藤堂が膝に手をつき、ぜえぜえと荒く呼吸をした。


「なんだ、倒せるじゃない」


「も、もちろんだよ……」


 青褪めた表情で藤堂がリミスに引きつった笑いを向ける。その表情はお世辞にも大丈夫には見えなかったが、リミスはそこには触れずに大きく頷いた。

 後ろでその戦闘風景を見ていたアリアももっともらしく頷く。


「ま、まぁ……元々、ナオ殿の力ならば、冷静になれば問題ないでしょう。冷静になれば」


「……アリア、あんたも次、やるのよ?」


「……分かってる」


 通路の途中にあった一室で小休止を終え、藤堂達は再び大墳墓を歩いていた。

 休憩を挟んだおかげである程度冷静さが戻り、その動きも先程とは比べ物にならないくらいに回復している。


 リミスが主導となり決めたルールはたったひとつ。冷静さを努めて保ち戦闘を行う事。

 元々予想していた事だが、先程のウォーキング・ボーンの群れとの戦闘で彼我の能力差は明らかになっていた。

 相手は脅威を感じる程の魔物ではない。後は精神面の問題だけであり、それは本人が慣れるしかない。

 藤堂が水筒を取り出し水を一口飲むと、口元を腕で拭った。心臓はまだいつもより激しく打っているが、ある程度呼吸は落ち着きを取り戻す。


「レベル……上がらないな……」


「そもそも、後九百九十九体倒さなくちゃならないのよ?」


 先程倒したウォーキング・ボーンの群れはその討伐証明にもなる魔結晶ごと燃やし尽くしてしまい、何も残らなかった。

 床に転がる小さな結晶を広い、藤堂がため息をつく。


「この層のアンデッドではレベルは上がりにくいでしょう。奥に行けばペースも上がると思いますが……」


「……ヴェールの森と比べてどれくらいなのかな?」


「……今倒したウォーキング・ボーンなら、一体で『 樹木の悪精バッド・トレント』の三分の一くらいですね」


 強さも三分の一くらいですが、と告げるアリアに、藤堂の表情が曇る。

 その計算でいくと、藤堂のレベルはしばらく上がらない事になる。数を倒す必要があるという言葉の意味を、藤堂は改めて理解した。

 スピカが居心地悪そうに呟く。


「私が……神聖術ホーリー・プレイを使えれば……」


「言ったって仕方のない事よ。私だって精霊と契約するのに――随分と時間がかかったんだから」


 リミスが慰めるようにその頭に手の平を載せる。スピカは一瞬びくりと肩を震わせたが、そのまま瞳を伏せた。


 村でも、そして休憩している間も、スピカは何度か神聖術を行使しようと試み、その全てに失敗していた。

 藤堂達にとってそれは承知の上だったが、それでも僧侶として入ったスピカが神聖術を使えないという事実はかなり重く伸し掛かってくる。

 藤堂にとって神聖術とは簡単に使えるようになったものであり、スピカの気持ちを想像する事すらできない。


「とりあえず、先にアリアとナオに余裕を持ってアンデッドを相手出来るようになってもらうのが先ね」


 実戦は訓練に勝る。グレゴリオの出した課題は、そのような趣旨で出されていると魔術師であるリミスは考えていた。

 実際、魔術の分野においても、練習で全く使えなかったものが実戦でピンチになり初めて使えるようになったという話は良く聞く話だ。特に魔術と神聖術はその精神性が大きく効果に影響するためその傾向が高い。


 その為にはまず、アンデッド相手に試行錯誤できるだけの時間を稼げるようになる必要がある。


「火の精霊は攻撃しか出来ないし……いざという時は倒すけど、最後の手段よ」


「……魔結晶まで燃えちゃうしね」


「火の精霊魔術が得意とするのは範囲殲滅ですからね……」


 恨めしげな表情でリミスを見る藤堂に、アリアがため息をついた。

 そして、まだ伏し目がちなスピカを元気づける。


「大丈夫だ、スピカ。神聖術は使えなくとも、闇の眷属に対する感知能力は大したものだ。恐らく才能はある」


「あ……えっと……はい。な、なんとなくわかっただけなので……次はわからないかも、です」


 通信で連絡が来てるんです、とも言うわけにもいかず、困ったようにスピカが視線を彷徨わせた。




 初戦と比べ、それ以降の戦闘は藤堂達にとって遥かに楽なものとなった。

 まだぎこちなく、しかし危うげなく、遭遇したウォーキング・ボーンを討伐したアリアが袖で冷や汗を拭い、後ろを振り返る。 

 地下墳墓のひんやりとした空気は滲んだ汗を冷やし、体力を消耗させる。暗闇の中、ただ延々と苦手なアンデッドを相手取るのは精神を大きく消耗させる。


「随分と慣れてきたわね」


「……まぁ、最初よりはさすがに、な」


 既に何度も敵と遭遇し、藤堂とアリアで交互に相手取っているが、今の所大きな問題は発生していない。

 動作自体は完璧とは言えないが、つい数日前に大墳墓に初めて突入した時の様子と比べれば上達が見て取れる。

 もちろん、現れる相手の数が少ないのもあるが、動きの向上の理由はそれだけではない。


「さすがにこれだけ現れると……少しは慣れてくるな」


「まだ怖い?」


「……怖い、が……」


 リミスの問いに、アリアが視線を闇の向こうに向けた。静まった空間には互いの声しか存在しない。

 アリアが剣を鋭い動作で鞘に抑え、険しい視線を向ける。


「慣れもあるが、相手が『歩く骸骨ウォーキング・ボーン』であるのも大きいな」


「あー、確かにね……」


 アリアの言葉に、藤堂も同意する。

 最初に遭遇したウォーキング・ボーンの群れから始まり、随分と内部を探索しているが未だそれ以外のアンデッドが出る気配はない。

 ウォーキング・ボーンには出会っているので、アンデッドがいないというわけでもない。


「『歩く骸骨ウォーキング・ボーン』ってよく考えてみると、あのヴェールの森で出会った『樹木の悪精バット・トレント』とあまり変わらないよね。あれはあれで……おどろおどろしかったし」


「恐ろしいことは恐ろしいが、『生ける屍リビング・デッド』や『悪霊レイス』と比べれば随分とマシですね」


 見た目のグロテスクさも然ることながら、ウォーキング・ボーンにはリビング・デッドやレイスと比較してその表情から感情というものがとてもわかりづらい。悲鳴のような声も呻き声も無ければ、臭いも薄い。如何にも怨嗟の表情で襲ってくる他のアンデッドとはやはり勝手が違う。


 藤堂やアリアにとっては都合のいい事だったが、アリアが教会で受け取った地図に書き込まれていた内容を思い出して呟く。


「しかし、不自然ですね……教会で受け取った地図によると、このあたりにはリビングデッドやレイスの方がメインで出現するはずなのに……」


 低位のアンデッドと言っても出現率にはばらつきが出る。

 中でも骨と甲冑という限定的な形を取るウォーキング・ボーンは死者の形そのものを取るリビングデッドやレイスと比べてこの世界に発現しにくい。

 それがアリアの知っているアンデッドの知識だ。もちろん、戦場跡など特定場所などでは出現率が変わる事は知っているが、ここまで偏りがあるといくらなんでもおかしい。


 その言葉に、スピカがあわあわとあちこちを忙しげに見渡す。その表情がまるで誰かに助けを求めているかのように見えて、アリアは安心させるように力強い声を掛けた。


「まぁ、大丈夫。すまなかった、そういう事もあるだろう。不安にさせようとかそういうわけじゃないんだ」


「い、いや……大丈夫、です」


「この調子で千体倒せればいいんだけどね……」


 藤堂が憂いを帯びた眼で自らの手の平を見下ろす。その指先はまだ僅かに震えている。

 恐怖の感情は一朝一夕で克服出来るものではない。それは理性ではなんともならないものだ。

 その時ふと、召喚される前の事を思い出し、沈んだため息をついた。


「……何にせよ、油断は禁物だな」


「……来ます」


 アリアが床に転がる魔結晶を拾う。スピカが短く声を出す。藤堂は、進行方向から現れたウォーキング・ボーンの方に双眸を向けた。

 呼吸を平静に保ち、その眼窩を強く睨みつける。


「怖くない。僕がやらなければ――誰がやる」


 小さなその呟きは藤堂以外の誰にも聞こえなかったが、しかしそれだけで先程まであった指先の震えは止まっていた。

 そんな藤堂にスピカが小声で報告する。


「藤堂さん……いっぱいきます」


「……え?」


 スピカの方を振り向く。

 いっぱいとは一体、具体的にどれくらいなのか。尋ねようとした瞬間、ふと強烈な、気絶してしまいそうな程に強烈な臭いが漂ってくるのを感じた。


 藤堂が引きつった表情で視線をスピカから外し、暗闇に向く。向かってくるウォーキング・ボーン。その更に先の闇は濃く、未だ何も見えないが、視覚以外の全ての感覚がその存在を示している。




§




「こうしていると思いませんか? 私達、何してるんでしょうって」


「やる気が無くなるような事言うな」


 地下墳墓は密閉されているため音が反響する。一応、通風口などは存在するが、暗闇を歩いていると藤堂達の悲鳴がよく聞こえた。

 ウォーキング・ボーンにある程度慣れたようだが、まだリビングデッドは無理だったらしい。だが、既に何体もそちらに送ってしまっている。


 作戦は順調だった。少なくとも、ウォーキング・ボーンには慣れたようだから、他のアンデッドに慣れるのも時間の問題だろう。

 アメリアが相変わらずの感情の見えない表情で、手から繋がった光を引っ張る。


 『聖者の鎖ホーリー・バインド


 退魔術の中でも下位に属する、闇の眷属を拘束する光の鎖だ。

 光の先、編まれた光に数珠つなぎのように捕らえられた無数のウォーキング・ボーンやリビングデッドが、アメリアの手の動きに連動するように引きずられた。

 

『うわああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!』


 俺の送ったリビングデッドの大群に気づいたのか、先程よりも激しい悲鳴が木霊する。その悲鳴には魔力が乗っていた。

 俗に言う『咆哮ハウル』と呼ばれるそのスキルは非常に単純なスキルであり、とても扱うのが難しいスキルでもある。

 咆哮に魔力を乗せ相手を攻撃するスキルだが、魔力効率は悪く効果も足止め以上の意味を持たない。手札の一つとしてはありだが、有効に使うには長い鍛錬がいる。


 ましてや、それで敵を倒すのはかなり難しい。骨からなる非常に不安定な肉体を持つウォーキング・ボーンやこの世に物質の身体を持たない悪霊レイスならばバラバラにできても、擬似的な肉の身体を持つリビングデッドには効果が薄いだろう。使うのが無駄だとは言わないが、効かない相手の方が多いのだ。乱用してもらっては困る。


 その悲鳴を眉一つ動かさずに聞いていたアメリアが、小さくため息をつきこっちを向く。


「追加はどうします?」


「様子を見る」


「これで何体目でしたっけ?」


「六十二体目だ」


「……先は長いですね」


 千体。目標は千体、だ。雑魚とはいえ、まだ十分の一も向かわせていないし、恐怖と戦う事によりその精神はその肉体以上に疲弊するだろう。そしてまた、藤堂は未だ連戦と言うものを経験していない。


 それを考慮すると、グレゴリオの与えた課題はやはり過剰だと言えるだろう。果たして俺達がサポートせずにその試練を乗り越えられたかどうか……。


 しかし、同時に奴が馬鹿ではないのも事実。見込みは少ないが、もしかしたら、俺達抜きでも藤堂達は課題をクリア出来るのかもしれないし、その事により、より成長出来たのかもしれない。俺達の行動がその芽を潰す結果になってしまう可能性だってある。


 神の光に束縛され引きつるように痙攣を繰り返すアンデッドを睨む。


 だが……仮定など無意味、か。


 今分かるのは、この悲鳴には先程初めてウォーキング・ボーンの群れを差し向けられた時よりも遥かに高い恐怖が混じっているという事だけだ。


 アメリアが俺の表情を見て、あけすけな言葉を掛けてくる。


「深刻そうな表情をしています」


「この顔は生まれつきだ」


 悩んでも仕方のない事だ。俺は俺の出来る事をやる。


 今まで理屈で全てをこなしてきた。運命の存在を身近に感じた事はあるが、それを頼った事はない。

 現在の状況から計画を立て直す。藤堂とアリアのアンデッド克服状況。レベル。戦果。そして、スピカの状態も考慮し、最もあり得る未来を最もあるべき未来にするために。


 グレゴリオの思惑なんて……くそくらえだ。


「スピカには夜間に少し時間を取って貰って訓練をつけよう。何としてでもスピカにはこの三日の内に神聖術を修めて貰う」


「わかりました」

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