第十八レポート:アンデッドの倒し方

 部屋の四隅に特殊な製法で作られた銀のチョークを滑らせる。

 結界術の境は明確であればある程いい。特に墓地などの瘴気の強い土地ではきちんとした手順で結界を張らなければ持続時間や効果が大きく減衰してしまう。銀のチョークは結界の効果を増大させるためのもので、聖水よりも高い効果が見込める。

 チョークで線を描くと、軽く祝詞を上げ、墓地の一室を一時的な聖域と化す。瘴気が祓われた事を確認し、俺は部屋の真ん中で聖銀製のネックレスを注意深く観察していたアメリアの方に声を掛けた。


「何かわかったか?」


「……ダメですね。私の専門じゃ……ないようです」


 肩を竦め、アメリアがあっさりと匙を投げると、持っていた白の混じった銀、聖銀独特の色をしたネックレスを俺に手渡してくる。


 細かな鎖の先に小さな四方体キューブの装飾があしらわれたネックレス。

 それは、鬼面騎士の間の地下隠し部屋、その中にぽつんと置かれていた箱の中に入っていた物だった。


「わかった。後で教会に送って調べて貰おう」


 ネックレスを布で包んでポケットに入れる。

 この手の遺跡には時たま魔法の力が込められた道具が見つかる事がある。地下の隠し部屋にあったそれもその手の魔導具の一種だった。基本的に早い者勝ちなので浅い場所で見つかる可能性はかなり低いのだが、今回は運がよかったという事だろう。

 効果は調べて貰わないとわからないが、持ち主にデメリットを与える類の物でもなさそうだ。


 まぁ、今考えても仕方ない。一端その事を頭の中から追い出す。

 地下墳墓の第一階層の地図を取り出し、アメリアにも見えるように空中で広げる。

 現在地点は地図のちょうど中間当たり。出現するアンデッドは最低ランクで、適正レベルは10から20程になる。レベル27の藤堂にとっても、レベル25のアリアにとっても容易く倒せる相手だ。本来ならば。


「とりあえず徐々にペースを上げていこう。アンデッドに慣れさせるのをまず第一の目標とする」


 今回は前回試みた時よりもやりやすい。スピカが同行しているから、スピカを通じてある程度の行動を制御できる。

 いつもは街で待機させているアメリアを連れてきたのも随時スピカと連絡を取るためだ。


 アメリアが頷くのを見て続ける。


「アンデッドにも幾つか種類がある。種類によって得意、不得意があるはずだ。……ヴェールの森では吸血鬼相手に極端に恐れる様子はなかったしな」


 全くもって不合理な事だ。リビングデッド程度何百体いたとしても吸血鬼の足元にも及ばないだろうに。


 低層のアンデッドは大体種類が決まっている。強さはどいつもこいつも似たり寄ったりだが与えられる恐怖は違うだろう。

 俺は怖くない。昔から怖くなかった。物心ついた頃から神聖術を扱えた俺にとってそれらは割のいい獲物でしかなかったのだ


「アメリアはどれが一番怖い?」


「……どれもあまり……でも私なら『歩く骸骨ウォーキング・ボーン』にしますね」


 参考にならなさそうな事を言いかけ、しかしアメリアが一つの魔物の名前を出した。


 『歩く骸骨ウォーキング・ボーン


 アンデッドの種類で言う骨人スケルトン系の魔物である。リビングデッドと異なるのはその身体が骨だけで成り立っている事。リビングデッドと比較して敏捷性が高く膂力が低い傾向にある。他にも多くの特性を持つがそのどれもが藤堂の実力を鑑みると憂慮しするような点ではない。


「理由は?」


「……生ける屍リビングデッドよりはまだ怖くないのでは? あれは如何にも人の死体ですし、忌避感が違うかと」


生ける屍リビングデッドは人の死体じゃない。あれは色のついていない魂が瘴気を吸って物質化したものだ。その証拠に、その身体を維持出来ないだけのダメージを与えれば塵も残さず消える」


 俺の言葉に、アメリアが何度か瞬きをし、困ったように言う。


「……理屈はどうあれ、人に似ているでしょう」


「オーケー。骨から行こう」


 最終的には全て克服してもらうが、アメリアがそういうのならばそうなのだろう。アンデッドに対しての感性は、自分のものよりアメリアのものの方がまだ信頼できる。


 立ち上がり、深く深呼吸して、集中力を高める。

 感覚を集中させ、周囲を徘徊するアンデッドの気配を捕まえる。


 さて、仕事ビジネスを始めようじゃないか。




§





 恐怖を感じる理由なんてなかった。強い弱いとかは関係ない。理由なんてなしに、ただただ怖かった。

 いや、逆に藤堂にはリミスやグレシャやスピカがアンデッドを怖くないその理由が理解出来ない。


 藤堂直継はそれまで自分の事を臆病だと思った事などなかったが、煌々と輝くガーネットの明かり一つで暗闇の中を平然と歩くリミスやスピカを見ていると、それが間違いであるかのように思えてしまう。


「……な、なんかここ、寒くない?」


「……ナオ、地下墳墓系のフィールドは……気温が低いものです」


 隊列はアリアと藤堂が前を歩き、その後ろを非戦闘要員のグレシャ、最後にまだ慣れていないリミスとスピカが続く。

 本来ならば背後からの攻撃を警戒し、後ろにも戦線を維持できる前衛のメンバーを立てるのが定石だったが、左右が壁になっており背後を取られる心配が少ない事、リミスが今のアリアや藤堂よりは自分の方が頼りになると言い張った事からそのような編成になっていた。


 いたたまれない視線を背後から受けつつ、唯一の救いはその隣に藤堂と同じ気持ちのアリアがいる事だろう。藤堂は今この瞬間、魔王討伐の旅に出て一番仲間のありがたみを実感していた。


 アリアが鼠一匹見逃さないとでも言わんばかりの血走った眼で進む先を睨みつけている。

 光源は藤堂の頭の上に伏せているガーネットだ。火の精霊の一種が形になったその小さな蜥蜴は確かに強い光を発しているが、数メートル先を見通せる程の強さではない。

 息を荒げ、必死で感覚を集中する。レベルが27に上がったのは少し前の事、上昇した身体能力も鋭敏になった五感も随分と慣れた。近くにいる生き物の気配はなんとなくだが読める。そして、生き物じゃないものの気配もまた。


「……多すぎる」


 藤堂が眼を剥き、小さく呟いて唇を噛む。


 藤堂が感じる気配。それは、並大抵の数ではない。多すぎてどこに何がいるのかわからない程に、アンデッドの気配は多かった。

 大墳墓に入って何度となく確かめたが、結果が変わる事はない。


 前髪を掻き上げ、床を睨みつける藤堂の肩をアリアが叩く。


「……頑張りましょう」


「無理だよ。だって、想像しただけでちょっと吐きそうだもん、僕」


 大墳墓に入るまでは、神聖術を会得するためなら我慢出来ると思っていたが、実際に再び入って見るとやはり違う。最初に入った時だってすぐに逃げ出したかったのだ。藤堂をまだ地下墳墓に留めているのは勇者としてのプライドだけだった。


 逃げ出しそうになる足を何とか前に進めながら、後ろから付いていく三人の様子を探る。

 足の遅い藤堂達と比べて後ろの三人の足取りは軽い物だ。グレシャはただ黙々と歩いているが、リミスとスピカについては楽しげに会話を交わしながらついてきている。

 この暗闇の、地下墳墓の中で楽しく雑談出来る二人の気持ちが藤堂には全くわからなかった。


 藤堂と同じ事を考えていたのか、アリアが僅かに頬を強張らせ、苦笑いをつくる。


「……人間、得意不得意がありますから」


「それでも……情けないよね……」


 藤堂の言葉に呼応するかのように、ガーネットが小さく鳴き声をあげた。


 歩きながらも、リミスがまだ若干雰囲気の硬いスピカを元気づけるように話しかけているのが聞こえてくる。


「大丈夫よ、スピカ。貴女がもしここで退魔術を使えるようにならなくても――ナオが全部倒してくれるから。大体、あんなの教えた内に入らないでしょ」


「えっと……」


「え!?」


 唐突に出された自分の名前に藤堂がリミスを振り返り、リミスの睨みつけるような険しい視線に屈した。

 ことユーティス大墳墓においての力関係は明確に定まっていると言える。元々のリミスの気質もあるが、リミスがいなければ最初に大墳墓に入ったさいに酷い目にあっていた事だろう。

 藤堂が情けない表情で笑う。


「……ま、まぁ、僕とアリアね。僕とアリア。ははは」


「……私を巻き込まないでいただきたい」


 藤堂の言葉に、今度はアリアが憮然としたように反論する。

 その眼は本気だった。


「そう言わないでよ……同じパーティじゃないか、僕達」


「今は敵です」


「あんた達、いい加減にしなさいッ!!」


 リミスの鋭い一喝が密閉された通路内に反響し、リミスよりも背丈の高いアリアと藤堂が身体を震わせた。

 呆気にとられるスピカをおいて、リミスがその杖先を床に甲高く叩きつける。

 がんがんと叩きつけながら、叱咤した。


「大の大人が二人、そんな事で喧嘩してたら初めてパーティに入ったスピカが不安がるでしょ! というか、私も不安よッ!」


「……あ、ああ……そうだね。悪かったよ」


「大体、何が怖いのよ。ここのアンデッドは最下級のアンデッドだって言ってたでしょ? 装備も万全だし、準備もしてある。恐れる必要ないじゃない」


「いやでも――……はい、仰る通りです」


 言い返そうとしたが、すぐに神妙な面持ちを作った。リミスの目付きが再び険しくなりかけたからだ。

 そんなリミスにアリアがため息をつく。


「リミス。誰にだって得意不得意はある。虫系の魔物が苦手な傭兵だっていれば植物系の魔物が苦手な者だっている……倒せるとか倒せないとかじゃない。お前だって苦手なものくらいあるだろ?」


「ないわ。虫だろうが植物だろうが魔導人形だろうが亜人だろうが」


 宥めるアリアにリミスが断言した。

 二人の身長の差異から、それは傍目から見ると子供が大人に食って掛かっているようにも見えた。

 そこでリミスが、一度指先を唇に当て思案げな表情を作って言う。


「でもそうね……強いていうならば、ピーマンとか苦手かしら」


「……」


 予想外の答えに、アリアは何も言えない。

 そんなアリアを放置し、今度はリミスが藤堂に視線を変える。そして、左腕を伸ばし、目を白黒させているスピカの肩を抱いて叫んだ。


「でもね、私が言いたい事はそうじゃないし、アリアの言いたい事もそうじゃない。そうでしょ? 私達は今、グレゴリオからの依頼でアンデッドを千体……千体も倒しに来たのよ!? 苦手とか苦手じゃないとか言ってる場合じゃないでしょ!? 違う?」


「……仰る通りです」


「そもそも、覚悟してきたんでしょ? 違う?」


「……仰る通りです」


 素直に頷く藤堂にリミスは満足げに笑みを浮かべると、冗談なのか本気なのかわからない言葉を出す。


「じゃー進むわよ。アンデッドに近づくのが怖かったら、剣でも投げて攻撃してみたら? あるいは魔法で攻撃するとか」


「……そうだね」


 ぼんやりとその腰の剣を見下ろし、藤堂は乾いた笑い声をあげた。

 そもそも、藤堂には魔法があるし、盾だって持っている。剣を投げたりしなかったとしても、他に選択肢はいくつもある。

 ないのはアリアだ。アリアにできる事は剣を振るう事だけである。


 アリアと藤堂の雰囲気はまだ暗かったが、それでもリミスの一喝によってやや表情が回復していた。

 苦手とか苦手じゃないとか言ってる場合ではない。先程言われたその言葉を思い出し大きく頷くと、前に向き直る。


 そして、再び歩き始めたちょうどその時、スピカが緊張の滲んだ声をあげた。


「あ、あの……藤堂さん。来ます」


「……何が?」


 藤堂が訝しげな表情で振り返る。スピカが答えようと口を開きかけたその瞬間に、藤堂の耳が『それ』を捉えた。

 アリアが剣を抜く。リミスが杖を握る。グレシャが欠伸をする。スピカが下唇を噛み、闇の奥底を見通さんとばかりに目を大きく見開く。

 そして、藤堂はそれを認識した。


 暗闇の向こうから聞こえるカタカタという音。僧侶は闇の眷属の気配を遠距離からでも察知出来ると言うが、藤堂ではまだできない。

 周囲を満たす濃厚な瘴気と無数に存在するアンデッド達がその感覚を著しく乱している。だから、音が聞こえる距離に接近されるまで、それに気づかなかった。


「『歩く骸骨ウォーキング・ボーン』です」


 スピカの言葉を証明するかのように、影からそれが現れた。

 アリアと同じくらいの身長。ぼろぼろの鎧を身につけ、朽ちかけた剣を握っる象牙色の人骨。

 唯一、ただの骨でない証明として、その頭蓋、開いた眼窩から怪しげな黒紫の光が浮かんでいるのが垣間見える。


 皮はなく、肉もない。以前出会ったリビングデッドとは異なり、腐臭はしない。

 カタカタという音は骨と甲冑が擦れ合う音で、足甲も付けられていない脚が歩行のさいに床とぶつかり合う音。


 動きは生ける屍よりは速く、しかしその名の通り『歩くウォーキング』と呼べる速度だ。

 息を飲み、腰から聖剣を引き抜くと、硬い表情で藤堂が言った。


「……僕が……やるッ!」


 藤堂が、冷え切った脳内でその挙動を観察する。

 動きは緩慢。その武器もはっきり見て分かるくらいにボロボロで力も感じない。今にも崩れてしまいそうな鎧は聖剣エクスならば間違いなく両断出来るし、鎧を抜けなくても蹴りつけただけで崩れ去りそうに見える。

 野生もなければ技もない。ただ向かってくるだけの容易い敵だ。殺意も無ければこちらを認識しているかも定かではない。ただその眼窩からは不思議と昏い憎悪だけが感じられた。


 アンデッドの大部分は死体ではなく、世界に満ちる魂が、死した者が残した負の思念と魔力を取り込み形を持って生まれるらしい。その存在は死者の無念を存在根底に持つが故に生あるものを憎悪する。


 リミスやアリアから学んだ知識を反芻する。盾の持ち手を握る左手に力を入れる。唇を、舌を噛み鋭い痛みで恐怖を紛らわせる。憎悪に負けないように殺意を込めて目の前の存在を睨みつける。

 リミスがその鬼気迫る様子に心配そうな声を掛ける。


「ナオ」


「ッ!!」


 そして、藤堂は全力を込めて床を蹴った。

 歩く骸骨ウォーキング・ボーンと比べ、その速度は風のようだ。脚が縺れそうになりながらも一瞬で接敵すると、そのまま左手の大盾を振り被る。


「はぁぁああああああああああああああああああッ!」


 気合を入れると言うよりは悲鳴のような絶叫が響き渡る。強い戦意と無意識の内に魔力が乗せられたそれを受け、歩く骸骨ウォーキング・ボーンの結合が崩れ足元から崩れ落ちかける。

 それを、藤堂は崩れかけている骸骨を思い切り盾でぶん殴った。


 甲冑がひしゃげ、骨がまるで爆散するかのように辺り一帯に飛び散る。ボロボロの剣が壁に辺り乾いた音を立てる。

 大きく見開かれ、瞳孔の開いた藤堂の眼がぎょろりと辺りを見回す。


「はぁ、はぁ、はぁ……やっ……た……?」


「ああ……ええ……まぁ。おつかれ」


 散乱していた砕け散った骨が大気に溶けるように消失する。

 息も絶え絶えの藤堂に、若干引き気味でリミスが答えた。

 立ち止まって様子を観察していたアリアが言う。


「……完全にやり過ぎですね……『咆哮ハウル』の時点で倒していたでしょう」


「ッ……『咆哮ハウル』……?」


「魔力を声に乗せて相手にダメージを与える技術です。剣士などの近接戦闘職が使う最も基本的な魔力の使い道ですね」


 アリアが、先程までアンデッドのいた空間を見る。


 咆哮は基本的な技術だが、アリアはまだその存在を藤堂に教えていなかった。魔力の使い方を教えるよりも剣の基礎を教えるほうが常道だったからだ。

 気合を入れた際に無意識に使えるようになったという話はアリアも聞いた事があったが、それが今ここで藤堂に起こったのは藤堂が他の剣士などと違って魔術を使える程豊富な魔力を有しているからだろう。


「……ッ……つまりそれは、近づかなくても声だけで倒せると?」


「『咆哮ハウル』のダメージは極小さく普通の魔物相手だと一瞬動きを止めるくらいしか効果はありませんし、非常に非効率な魔力の使い方らしいのでやめた方が……」


 そもそも、敵を倒すのに使うような技ではない。歩く骸骨ウォーキング・ボーンを倒せたのはとどのつまり、それだけ彼我の間に力量差があったという事だ。


 アリアの答えに藤堂が僅かに肩を落とす。その表情はヴェールの森で魔物を葬った時とは異なり、一戦しかしていないとは思えないくらいに消耗して見えた。

 その顔色に心配そうにリミスが尋ねる。


「……魔力乗せすぎよ。身体大丈夫?」


「あ、ああ。大丈夫、平気だよ」


 神力が切れても身体能力が大幅に落ちるだけで意識は保たれるが、魔力を急激に消耗すると気絶する可能性があった。


「消耗は激しいので、最低限の魔力で打てるようになるまでは打たない方がいいでしょう」


「そうだね……」


「!!」


 ようやく落ち着きを見せる藤堂。

 スピカがきょろきょろとあちこちを見渡し、申し訳なさそうに藤堂に伝えた。


「藤堂さん……いっぱいくるみたいです」

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