第十六レポート:退魔術に必要なもの

「あいつは頭がおかしい……」


「……」


 椅子に深く腰を掛ける。足を組み、テーブルに肘をつく。手持ち無沙汰にナイフを指先で弄ぶ。

 対面に座るアメリアを睨みつける。

 アメリアに言っても意味がないのはわかっているが、もう一度言った。


「あいつは頭がおかしいんだ。時たま、常識的に見えるのがとびきりやばい」


「……」


 アメリアは何も言わない。何も言わず俺を見ている。

 そこに憐れみの色が混ざっていたら泣いていたかもしれないが、混ざっていなかったので俺は泣かなかった。


「確かに藤堂とグレゴリオに面識があるのは知っていた。だが、それでそいつに神聖術を教えてもらいに行くと思うか? 普通。藤堂はパーティから男を追い出すくらいに男を嫌っているし、そもそも一度藤堂はグレゴリオの戦闘風景を見ている。思わない。俺ならそんな男に教えてもらおうとなんて思わないね」


 言い訳のような言葉だと自覚はしていた。だがどうしても言わなければならない。

 危機意識が足りていない。奴には危機意識が絶望的に足りていないのだ。

 もしや藤堂は、グレゴリオが味方だとでも思っているのだろうか。それは違う。教会の味方かどうかもちょっと怪しいくらいなのに。


「そもそも、奴はあの場で退魔術はもちろん神聖術すら使っていないんだ。そんな男にどうして神聖術を教えて貰おうと思う? ああ、そうだ。スピカにグレゴリオの危険性を語っていなかったのは俺のミスだよ」


 情報を出し渋りすぎた。だが、スピカは腹芸が出来る程経験を積んでいないし、適性があるとも思えない。

 そして、今更そんな事を言っても仕方のない事だ。既に藤堂達はグレゴリオに接触してしまったらしい。積極性があるのは大変結構だが、奴らは行動力が無駄にありすぎる。もうちょっと考えて行動しようよ。あんなのどう考えても爆弾だろ。


 一度咳払いし、手の中でナイフをくるくると回す。


「グレゴリオを教会に閉じ込めても、藤堂達が自分から教会に行ったら意味がないだろ」 


「……そうですね」


「ん? なんだ? 奴らは俺を馬鹿にしてるのか? 俺の仕込んだことが全て筒抜けで俺の意図に反するように動いてるのか?」


「……いや……落ち着いてください、アレスさん」


 大丈夫、冷静だ。アメリアの言葉もちゃんと耳に入ってきてる。俺は、冷静だ。

 そうだとも。いつだって冷静にやってきた。怒りを抱いてはならない。例え、その行動行動が全て裏目に出ていたとしても。

 回転するナイフの尖端が日の光を反射して煌めく。俺はそれを視線で追いながら続けた。


「まだ最悪じゃない。最悪の事態には達していない」


「……」


「だがこれは振りじゃない。振りじゃないんだ、アメリア。俺は奴らが最悪の事態に陥る事を望んじゃいないッ! いいか、全てが全てうまくいくとは思ってはいない。思ってはいないが、今のところ全てが全て――裏目に出てる。裏目に出てるんだ、アメリア。これはとても……驚嘆すべき事だな」


 一体何が俺の邪魔をしているのだろうか。神の意志か? やり方が悪いのか? どこからやり直せばいい?

 腹が立つとかじゃなくて、けっこう本気で疑問なんだが……


 アメリアとの距離がちょっと遠くなっているのに気づく。どうやら無駄な話をしてしまったようだ。

 回転させていたナイフをテーブルに突き立てる。両手で頬を叩き、気分を切り替える。


 深く深呼吸をして気分を落ち着ける。完全に落ち着いたりはしなかったが、大分マシになった。なったような気がする。


「ここだけの話、俺は人に神聖術を教えるのがあまり得意じゃない」


「私も得意じゃないです」


 アメリアが憮然としたように答えた。


 そもそも、神聖術というものは教えて使えるようになるものではないのだ。何故ならばそれは個々人の持つ神力の量と加護に左右されるからである。神力がなければどう頑張っても神聖術は使えないし、逆に神力があればそれほど頑張らなくても神聖術は使える。

 アズ・グリードの加護を持つ藤堂が一度俺に教えられただけで神聖術を使えるようになったように。


「だが、それでもグレゴリオよりはまだマシだ。奴の神聖術は直感型でそして――一般的な僧侶プリーストと比較してかなり歪だ」


 そして何よりも危険な事に奴はそれが正しいと思っている。

 信仰により神聖術がなる。その意見は決して誤りではないが、それだけで神聖術を成すには極めて限定的な才能と境遇が必要だ。グレゴリオは頭おかしいがあれはあれで一種の天才型と呼べるのだ。


「どうします?」


「現職の異端殲滅官は、あらたに異端殲滅官となった者に仕事を教える風習がある。もちろん俺も何人か見たし、グレゴリオも何人か見た――が、グレゴリオの弟子になった者はその大部分がその弟子期間中に死亡している」


 アメリアは黙ったまま俺の言葉を聞いていた。

 恐ろしいことだ。これはとても恐ろしいことだ。


「何故ならばグレゴリオにとって、僧侶が闇の眷属を殺せるのは当たり前の事であり、退魔術を使えるのは当たり前の事だからだ。信仰さえあれば勝利は自ずと手に入る、故に、任務の途中で死した僧侶はその信仰心の欠如こそがその理由であり、死んだ所で何の問題もない」


「……どうしますか?」


「そして、その危険性故に現在、グレゴリオの下につく者はいなくなった。教会も、もはやグレゴリオに弟子をつけようとは思っていない。異端殲滅官クルセイダーに選ばれる程の優秀な僧侶がただ無為に死ぬのを見ていられなくなったからだ」


 初めて聞いた話だったのか、アメリアが目を丸くする。


 殲滅鬼マッド・イーターの名は伊達ではないのだ。

 教会だって風評は気にする。そんな人聞きの悪い二つ名が並大抵の評判でつくわけがない。


 くそっ、どうして俺は食堂で奴にとどめを刺しきれなかったのか。

 悔やんでも悔やみきれない。


「クレイオさんに連絡しますか?」


「連絡しても無駄だ。……まぁもちろん連絡はするが、既に賽は投げられてしまった」


 やるしかない。やるしかないのだ。

 グレゴリオに教えを乞うてしまった以上、撤退は許されない。成長させるしかない。グレゴリオに納得させるだけの神聖術を修める以外に生き延びる道はないのだ。


 奴は――自らの下についた者が信仰を得られなかったという事実を、決して許さないのだから。


「スピカに連絡を取ってくれ。作戦を立てるぞ」


 アメリアが通信の魔術を発動する。


 グレゴリオのターゲットはスピカだ。藤堂が聖勇者だとバレたら別だが、奴は基本的に僧侶以外を弟子としてみなさない。

 だから、スピカが退魔術エクソシズムを覚えることができれば何とかごまかせるだろう。


 スピカの姿を思い浮かべ、俺は頭を抱えた。


 どう考えてもうまくいくように思えない。俺だって別に万能じゃないのだ。


 どうしようか……。




§





「もっときつく縛ってくれる?」


「……あまり締め付けると苦しいのでは?」


「大丈夫だよ……もうとっくに苦しいから」


 藤堂のその言葉に、アリアは、思い切り白の晒を締め付けた。

 肌着の上からその胸を押しつぶすように巻かれた晒に、藤堂が眉を顰め、小さく息を漏らす。


 胸にかかる圧迫感は並大抵のものではないが、苦しげな表情はしても、泣き言は言わない。我慢するのは慣れていた。

 アリアがしっかりと結んだ事を確認すると、藤堂は短く連続で呼吸をして息を整える。


 そのおかしな光景に、スピカが何度も瞬きをした。ベッドの上に座り、杖を磨いているリミスの方に視線を向ける。同じ部屋だ。気づいていないわけでも無かろうに、リミスもそちらに注意を向ける様子はない。


 仕方なく、スピカが尋ねた。


「……何してるんですか?」


「……こうしないと鎧が入らないんだよ」


 泣きそうな眼で言う藤堂に、スピカはそれ以上つっこむのをやめた。

 恐らく何か事情があるのだろう。他の鎧を着ればいいだけだと思うけど、パーティに入ったばかりの自分では踏み込んではいけない類のものなのかもしれない、と。


 白を基調としたスマートな風貌の鎧を着れば、そこには立派な騎士がいた。先程までの醜態を見ていなかったら見惚れていたかもしれない。


 リミスもローブを着込み、身支度を整えている。スピカは緊張で僅かに震える手の平を握りしめ、昨晩呼ばれてアレスのところに行った際に受け取った赤銅製の十字架のネックレスを取り出し、目の前でぶら下げて眺める。


 リミスがふとそれに気づき、話しかけた。


「……それ、どうしたの?」


「……知り合いの僧侶の人に貰いました。お守りだって」


 そう。お守りだ。銀製ではないので、それほど性能もよくないというただのお守り。

 リミスがまるで元気づけるように手の平を叩く。


「大丈夫よ。どんな魔物が出てきたとしても、私とガーネットが焼き尽くしてあげるから。元気出しなさい」


 リミスの頭に乗っていた深紅のトカゲがその言葉に同意するようにちょろりと舌を出す。

 その手に持った杖の頭には、スピカが今まで見たことのないくらい大きな宝石が輝き、内部でメラメラと小さな炎が燃えている。


「それに、スピカ。あんた、アンデッドが怖くないんでしょう?」


 リミスの言葉に、びくりと藤堂とアリアが肩を震わせる。

 その様子に、スピカはゆっくりと首肯し、言いづらそうに唇を開く。


「……ま、まぁ……そんなには」


「なら大丈夫。ナオ達よりは……マシよ。ナオ達なんて、前行った時に攻撃も受けてないのに気絶したんだから」


 それは本当に大丈夫なのだろうか?

 激しく疑問に思うスピカにつっかかるように藤堂が抗議した。


「失礼な! あれもれっきとした攻撃だよ! そうだよね、アリア?」


「ええ。そうですね。確かに物理的な攻撃じゃなかったが、悪霊レイスの『嘆きの叫びバッド・ストリーム』は紛れもない攻撃だ。何の攻撃も受けていないのに気絶だとか、妙な嘘を吹き込むんじゃない!」


「気絶したのは本当じゃない」


 必死の反論はリミスの一言で完全に破壊された。藤堂とアリアが居たたまれなさそうに視線を背ける。

 その様子にリミスが肩を竦め、これみよがしとため息をついてみせた。


「大丈夫よ。例え貴女がすぐに退魔術を使えるようにならなかったとしても私がサポートしてあげるから。ナオやアリアだって、壁くらいにはなるし……グレシャもグレシャでそれなりに役に立つと思うわ」


「……はい」


 当のグレシャは唯一準備するでもなく、我関せずに椅子に座って足をぶらぶらさせている。


 アレスから与えられた数々のアドバイスを思い出し、スピカは遅ればせながら覚悟を決めた。

 ようやく着慣れてきた法衣の袖を掴み、立ち上がる。滑らかな肌触りのメイスに、懐には教典も入っている。腰にはまだ返すことはないと言われたアレスの短剣が下がっていた。


 今出来うる全ての準備を終え、ふと昨日の言葉を思い出し、藤堂に言った。


「……そういえば、知り合いの僧侶の人が言っていたんですが……いきなり千体のアンデッドを倒すのはかなり難しいらしいです」


 グレゴリオから与えられた課題。

 それは、三日以内にアンデッドを千体討伐する事だった。


 アリアも藤堂も反論したのだが全く効果はなく、ただ与えるだけ与えられた課題は本来まだ神聖術を覚えていないスピカに課されるようなものではない。


 スピカのその言葉に、藤堂が強張った笑顔で言う。


「……あー……その知り合いの僧侶の人に着いてきてもらうとかどうだろう? ほら、スピカもまだ神聖術を使えないらしいし……」


「……ついてきてくれるそうですよ」


「……ん? なんか言った?」


 藤堂に聞こえないくらいに小さな声で呟く。聞き返してきた藤堂にはにかむように微笑を浮かべ、スピカは拳を握た。

 ついてきてくれるとしても、退魔術を覚えられるかどうかはスピカ自身の問題だ。

 自分で選択した結果だ。何としてでもやり遂げなくてはならない。


 自分一人ではできなかったとしても今は――後ろからサポートしてくれる人がいるのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る