第十五レポート:神聖術に必要なもの
グレゴリオ・レギンズ。
年齢不詳。温和な雰囲気を纏い、回復魔法を使えない異質な
退魔術を覚えればいいという結論が出たその時に、藤堂やアリアたちの頭の中にその男が浮かんだのは、つい先日知り合いになったばかりだというのも理由の一つだが、何より大墳墓を共に歩いた際に垣間見た烈火の如き戦闘風景が酷く強烈に記憶に染み付いていたからだろう。
「……いきなり行って大丈夫かな?」
「……わかりませんが、試してみるしかないでしょう。何よりも彼は……少なくとも、私達よりはレベルが高いはずです。教えてもらえるかはわかりませんが、話を聞くぐらいなら……」
不安げな表情の藤堂にアリアが答える。
レベルの高い僧侶は希少で、それ以上に鬼面騎士を相手に見せたその戦闘能力はその情緒不安定な戦いぶりを考慮しても、並外れた物だった。
『悪魔殺しのようなもの』と自称していた事といい、人選として誤りではないはずだ。
何より、藤堂達には他に僧侶の知り合いがいない。滞在のための部屋こそ貸してくれたが、教会の神父達とは親しくないし、スピカがいなくなった際に助けに行かない程度の者達である。
単身で大墳墓に入ろうとしていたグレゴリオの方が余程頼りになる。それがアリアの見解だった。
「他の術は使えないと言っていましたが、基本的な知識くらいは持っているはずです」
「……まぁ、そうだね……ちょっと変わっていたけど」
藤堂も、眉を顰めながらもその意見に賛成する。
男は苦手ではあったが、パーティに入れるというのならまだしも、教えを乞うのを躊躇う程狭量ではない。
別れ際にグレゴリオが言っていた通り、教会の神父に居場所を聞くと、すぐに第三教会に滞在している事を教えてくれた。
五人連れ立って、第三教会に向かう。
まだユーティス大墳墓に再度潜る勇気が出ていないのか、若干表情の暗い藤堂を元気づけるようにアリアが言った。
「私達は運がいい。
「そうなんだ……」
「スピカが退魔術を使えるようになったら、さっさとある程度レベルを上げて次の場所に向かいましょう」
「そんなに早く使えるようになるかな?」
「が、頑張ります」
第三教会は藤堂の滞在している第一教会よりも一回り程小さな建物だった。
立地が村の外れに位置しているという事もあり、周囲の活気も少なく漂う寂寞とした空気が不思議とその神聖さを際立てていた。
グレゴリオは第三教会の礼拝堂にいた。
その姿に一瞬呆気にとられ、すぐに正気に返ったリミスが声をあげる。
「……何、やってるの?」
「ん……ああ。リミスさんに藤堂さん。またお会い出来て……光栄です」
別れた際と全く変わらない表情。
誰もいない礼拝堂。グレゴリオが首だけ回し、リミス達の方に視線を向ける。
グレゴリオがいたのは、ステンドグラスがはめ込まれた高い天井の近くだった。その手は突起の一つもない壁を掴み、まるでヤモリのように張り付いている。
予想外の姿にとっさに何も返せない藤堂達を他所に、グレゴリオが手を離す。数メートルはある高さから音一つなく着地すると、ぱんぱんと手を払って近寄ってきた。思わず藤堂が一歩後退る。
「失礼しました。ステンドグラスを磨いていたのです」
「そ、そう……流石ね……」
困ったような表情でリミスが一言だけ返した。
§
「失礼しました。あのような姿を見せてしまって」
「い、いや……急に来た僕たちも悪かったので……ありがとうございます」
グレゴリオがいれてくれた紅茶。芳しい香りが漂うカップを受け取り、藤堂が困ったような表情で頬を掻く。
案内された部屋は藤堂達の借りていた部屋よりも家具も少なく、トランクケースが一つだけ置かれており、生活感がまるでない。
リミスがその部屋を興味深げに見回し、そしてグレゴリオに尋ねた。
「……ちょっと聞きたいんだけど……貴方、垂直な壁にどうやって張り付いていたの?」
「ああ。どうということもない、ただの……信仰ですよ」
「……そう」
そんな話聞いたこともない。リミスは改めて、目の前の男が変人の類である事を心に刻みつけた。
アリアがこほんと咳払いをして、スピカの肩に手を置いて言った。
「今日はグレゴリオ殿にお願いがあって参りました。お時間はありますか?」
「ええ。教会の外に出るような内容でなければ」
気を悪くする様子もなく首肯するグレゴリオに、ほっと息をつき、アリアが本題について話す。
「実は……
「構いませんよ」
「実はつい先日助けにいったスピカが私達のパーティに参加してくれる事になったのですが――って……え?」
「構いませんよ」
予想外の即答に、アリアはまじまじとグレゴリオを見た。
あまりにも早い答え。あまりにも軽い言葉だ。本来、神聖術は教えて欲しいと言って教えてもらえるような類のものではない。
説得する必要があると思っていたアリアにとってその快諾は予想外だった。
呆気に取られる藤堂達に、グレゴリオがにこにこ笑って続ける。
「神の敵を討つ者が増えるのは喜ばしい事です。僕は常々、全人類がそうなるべきだと思っているのですよ」
「……神聖術は教会の秘匿技術では?」
一応、確認するアリアに、グレゴリオがあっさりと答えた。
「これは……神の意志ですよ。アリアさん。貴方がたが退魔術を覚えようと、そう考えたのならばそれもまたアズ・グリードの思し召しに他ならないでしょう。僕はそれに従うまでです」
「そ、そうですか……」
自分のイメージする僧侶とはあまりにも違うその考えに、アリアは自分の頬が引きつるのを感じた。
少なくとも、アリアの知るアズ・グリードの教義にそのようなものは存在しない。が、アリアはアズ・グリード神聖教の教徒ではあっても僧侶ではない。
その耳にぶら下がる僧侶の証を再度確認し、引きつっていた頬を無理やり緩める。信仰としての格は眼の前の男の方が間違いなく強い。
そこで、グレゴリオがふと気づいたように告げる。
「あ、一つだけ条件があります。僕は今……この教会から出ないように要請を受けております。それに反しない程度の協力になりますが、よろしいでしょうか?」
「は、はい。もちろんです」
元々、教えてもらえるとは思っていなかったのだ。
是非もない言葉に頷く藤堂たちにグレゴリオが一度頷き、一息に紅茶を飲み干した。
「とりあえずは……場所を変えましょうか。広いスペースが必要です」
§
「あの……事前に必要なものは?」
「信仰です」
「道具とかは?」
「いりません。信仰があれば」
スピカの問いに対して、自信満々にグレゴリオが答える。
プロの僧侶のその言葉に、スピカは余計な事を言うのをやめた。
僧侶アリアがそのやり取りを、正気を疑うかのような眼で見ていたが、結局特に何も言わない。
グレゴリオが先頭に立って案内したのは教会の中庭だった。
広さは四方数メートル程の狭い庭で、地面には石畳が敷き詰められ、中央には天秤を持った女神を模した像が申し訳程度に設置されている。
何気なくその像を見上げる藤堂に、グレゴリオが説明した。
「秩序神アズ・グリードに仕える女神の像です。天秤はアズ・グリードのシンボルであり、罪を計る天秤によって秩序神は世界を平定するとされています」
「罪を計る……天秤」
「僕の付けているイヤリングなど至るところで見られるでしょう。俗に言う……
そこで、グレゴリオの視線がスピカの耳元に向けられる。視線を受け、スピカが慌てて瞳を伏せた。
「――まだ持っていないようですが」
「ま、まだ
「やむを得ない事です。かくいう僕も……神聖術を使えない頃はありましたから」
興味深げな目付きでスピカの方を確認し、持っていたトランクケースを地面に置く。
グレゴリオは一度手をぱんぱんと払うと、藤堂、アリア、リミス、グレシャ、スピカと順番に視線を投げかけ、唇をぺろりと舐めた。
その姿にまるで獲物を前にした蛇を連想し、リミスがぞくりと肩を震わせる。
「さて、まず初めに神聖術に必要なものが何か、ご存知ですか?」
「必要な……物?」
グレゴリオの視線はスピカに向けられていた。
その言葉に、スピカが女神の像を見上げ、必死に考えた。
脳裏に浮かぶのはスピカが今まで見てきた僧侶達の姿だ。
今まで見てきた教会の神父が神聖術を使う姿。
大墳墓に入った際にアレスが神聖術を使っていた姿。
神聖術を行使する
たっぷり一分ほど時間をかけ、スピカは一つの答えにたどり着いた。神聖術に必要なもの。つまりそれは、僧侶にあって村人にはないもの。
ヒントはあった。それは当の本人が散々言っていたものだ。
「……信仰心?」
恐る恐るといった様子で出されたその言葉に、グレゴリオが瞼を上げ、大げさに拍手をした。
「……素晴らしい。その通りです。シスタースピカ」
ゆっくりとグレゴリオがその歩みを進める。女神の像を見上げ、ゆっくりとその周りを歩く。
凝視する藤堂たち一行に諭すかのような声色で説明をしながら。
「我々
「ちょっと待って。信仰心があれば僧侶じゃなくても神聖術を使えるの?」
リミスのその質問に、グレゴリオは足をピタリと止める。そして、断言する。
「然り。今のリミスさんが神聖術を使えないというのならばそれは、信仰心の不足に他なりません」
「信仰心があれば魔族に勝てる?」
「然り。闇の眷属に敗北するというのならばそれは……その者の信仰心が足りていなかった。それだけの話です」
「そんな馬鹿な……」
取り付く島もないその言葉に、藤堂が眉を顰める。アリアもまたそれに同感らしく、低く声をあげた。
「つまり……グレゴリオ殿。今、諸国が魔王の猛攻に破れ次々と滅ぼされているのも信仰心の低さ故と、貴方はそう仰るのですか?」
「ええ。とても心が痛みますね」
にべもない様子で答えられたグレゴリオの言葉。
あまりにも乱暴な意見を述べるその神父に、アリアが口を開きかけ、しかしすぐに唇を噛んだ。
今の言葉が為政者の者だったならば、アリアも藤堂も一言口を出していただろう。しかし、目の前にいるのは神父であり、その信仰が常人のものではないのは明らかであり、反論は無駄だ。ならば口を出す意味はない。
藤堂もそれを理解しているのだろう。唇を噛み、何も言わない。
「と言っても、民の中に信仰心が薄い者がいるのはしようのない事です。それこそが人の持つ消し去る事の出来ない業なのですから。故にそれら弱者を守るために、その信仰を代行するために――我々がいるのです」
その言葉はまるで説法するかのような言葉だった。穏やかな声色。内容は僧侶以外の者を馬鹿にしているかのようなもの。しかし、それを説く本人の表情には微塵もそのような様子は見られない。
グレゴリオの手の平が天に向けられる。
「故に、神は我々に民を守るための力を授けられた。その信仰がある限り我らに敗北はなく、故に我らは神の名にかけてあらゆる災禍を祓わねばならない。それこそが
グレゴリオのその台詞に熱量は含まれていない。ただ淡々と説かれるその苛烈な言葉はそれ故にグレゴリオ自身の信条を強烈に藤堂達に印象づけさせた。
リミスが思わずグレゴリオを睨みつけ、声をあげる。
「グレゴリオ、貴方、そこまで言うならちゃんと術を使えるんでしょうね?」
「僕の信仰は残念ながら……未だに未熟です」
「は? 散々色々な事言っておいて――」
リミスがそう文句を言いかけたその瞬間――グレゴリオの周囲に光の柱が立ち上った。
「ッ!?」
「なっ!」
一本ではない。唐突に発生した光の柱は中庭を埋め尽くすかのように、藤堂達各々の隙間を縫うように派生していた。
降り注ぐ陽光の中でさえはっきりと見えるその光に藤堂が、アリアが息を飲む。
突然のそれに思考停止に陥る面々に、グレゴリオがため息をついた。
「僕にはこの程度の事しか出来ないのです」
「この……程度!?」
その言葉に、藤堂が初めてこの光景が目の前の神父の生み出したものである事を理解する。
リミスが口をぱくぱくとさせる。グレゴリオの表情には得意げな様子はなく、本当にその言葉のままの事を思っているように見えた。
「これは――」
「ああ、ただの『
「基礎中の……基礎……」
グレゴリオが右手を上げ、ぱちんと指を鳴らす。
それを合図に、無数の光の柱がグレゴリオの頭上目掛けて一斉に射出された。
無数の柱が集まり、一つの小さな光の玉と化す。小さな太陽にも似た強烈な輝き。その光に圧されるようにスピカが数歩後退る。
あまりに眩い光に、しかし藤堂は瞬きもせずにそれに見つめていた。その眼に焼き付けるかのように。
それはまさしく、神の裁き。神の聖なる術の名に相応しい。
そして、術の行使者が唱えた。
「『
その言葉と同時に、煌々とした光の球がまるで弾丸のように天上に向かって射出された。
尾を引き、光の残像を残し、光の球が天空に消える。
しかし、確かにその光は本物の太陽の下でもはっきり分かるくらいに強く輝いていた
空の彼方に消えた後も、グレゴリオを除いた全員の視線は空に釘付けにされたままだ。
グレゴリオが大きな音を立てて手を叩く。その音に、藤堂の意識が現実に戻される。
しかし、グレゴリオに向けられる藤堂の視線は変わっていた。藤堂だけでなく、アリアやリミスの視線もまた。
神聖術に詳しくなくても、今見た光景が並の使い手に生み出せるものではないことだけはわかっていた。そのくらいにそれは衝撃的な光景であった。
その視線に気づいていないわけでもなかろうに、グレゴリオは術を使ってみせる前と何一つ変わらない口調で講釈を述べた。
「力を矢に変換し放つ『
「……それ、使えるようになるんですか?」
おずおずとスピカが尋ねる。あまりにも鮮烈すぎる奇跡に、スピカの頭には再び暗雲が立ち込めていた。
グレゴリオが不安げなスピカの顔をじっと見つめ、穏やかな笑顔で答える。
「ああ、大丈夫です。
「な……ならなかったら?」
「…………」
その言葉に何も答えず、グレゴリオが視線をスピカから外し、他の面々に向けた。
場は既にグレゴリオに支配されていた。先ほどまで文句を言いかけていたリミスも沈黙したまま、その訓示を受ける。
「とりあえずは今の術から使えるようになっていただきましょう。幸いな事に、ユーティス大墳墓低層のアンデッドを相手にするのには十分な威力があります。そこのアンデッドを浄化してきて下さい」
「ちょ、ちょっと待った……まだ、スピカは今の術を、使えないと思うんだけど?」
「闇の眷属を前にしたその時、初めて人は自らの信仰を浮き彫りにされる」
藤堂の言葉を受けても、グレゴリオの声には微塵の揺らぎもない。その声には確信の色があった。
グレゴリオが再びスピカを、自分よりも僅かに背の低い少女を見下ろす。
スピカはその時、今更ながら、その穏やかな視線が決して慈愛に満ちたものではない事に気づいた。
血の気の引いたスピカの頬を、グレゴリオの指先が撫でる。吐き出されるその声の質は耳当たりのいいものであるにもかかわらず、ぞっとさせる何かを感じさせた。
「安心してください。シスタースピカ。貴女の信仰が真なるものであるのならば、間違いなく神もまたそれに答えてくれる事でしょう」
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